PSYCOMASTERS TOP
新しいページを見るクリエーター別で見る商品一覧を見る前のページへ


<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『むかしがたり』
「広いな……」
 暗く狭い洞窟の中を、壁を頼りに歩きながら不破和馬は呟いた。
 狭いのに広いとは如何なることかと知らぬ者なら思うかもしれないが、和馬の呟きに間違いはない。和馬が歩いている狭い洞窟の道は、直上に王宮を冠した昔から、審判の日を経て久しい今に至るまで、全容を明らかにしたことのないブダペストの広大な地下洞窟の一部であるからだ。その中には、人一人が通るのも難しいほどに狭い場所もある。
 そして、洞窟の中は暗かった。
「大丈夫か? 憐」
「うん! ぱぱ」
 和馬が軽く振り返ると、そこにはあどけない少女の顔がある。今頼りになる明かりは、和馬の手にある懐中電灯が一つだけ。前を向けたその懐中電灯の、わずかにこぼれる光だけが、ほのかに少女の顔を浮かび上がらせていた。
 母親の面影を色濃く継いだその少女、不破憐は、黙っていれば清楚な美少女の顔で……その顔には似つかわしくないほどに元気よく、和馬に頷いて見せる。
「そうか、足下に気をつけるんだ。少し濡れていて、滑りやすくなっているみたいだからな」
「うん……っ、あっ」
 そう言っているそばから、がくりと憐の体が傾ぐ。
「憐!」
 その体が和馬の視界の中から落ちてしまう前に、和馬は手を伸ばしてがしりと憐を抱き止めた。憐は斜めになったままで、和馬の腕にそれ以上倒れるのを止められている。
「言わんこっちゃない。大丈夫か? 怪我はないか?」
 憐は斜めになった状態から、和馬の腕にしがみつくようにして、そろそろと体勢を立て直した。
「大丈夫だよ。どこも痛くないよ、ぱぱ」
 ちゃんと自分の両足で立ってから、憐は何もないことを確かめるように、自分の手や足のほうをきょろきょろと見回している。
 そのままでは暗くてよく見えないので、和馬は軽く憐の体のあたりを懐中電灯の明かりで照らしてやった。明かりはサーチライトのように、くるくると憐を照らす。
「本当に? 足は捻ってないか?」
 そして、念を押す。
「うん、平気みたいー」
 和馬にもわかるように、憐はとんとんと足を踏み鳴らして見せた。
「そうか……」
 ふう、と和馬は息を吐く。そしてそれで、自分ががらにもなく緊張していたことに気がついて、わずかに苦笑を浮かべた。
 こんな些細なことで、と。
「ぱぱ?」
 覗き込む憐に、和馬は笑みで返した。
 もっとも、緊張もやむを得ない部分はある。それもわかってはいる。今は、何事もないと言える平時ではないからだ。
 だが、だからこそ無駄に体に力を入れてはいけないとも言える。緊張は不安や焦りを呼び起こすからだ。
 平常心を失いやすい時だからこそ、平常心で望まなくてはならない時。それがわかっていても、緊張してしまったのは、憐のことが心配だったからだった。
 だがそれで憐を不安にさせてしまっては、何の意味もない。
「大丈夫だ、さあ進もう。風は抜けているから、この先に出口はある」
「うん!」
 和馬の励ましに笑顔で憐は頷き、そして二人は再び歩き始めた。

 その日、二人がそんなところを歩いているのには理由があった。
 調査のために二人で洞窟の中に入ったのだが……未踏査地帯に踏み込んだ後、地盤が緩んでいたのか落盤が起こり、帰り道を塞がれてしまったのである。
 このブダペスト洞窟で、審判の日以来地盤が緩んでいるというのは周知のことではあったが、まさか自分たちがそれに巻き込まれて遭難するとは二人とも思っていなかったことだった。
 無線機は持ってはいたが、この洞窟の中では十分な中継器を介さなくては電波が飛ばない。盗聴などの諸般の事情により彼らの通ってきた道には、それはなかったし……そもそも落盤で通路が塞がっていては、そこを越えて飛んでいく電波は極々わずかだ。その場所では、無線は役に立たなかった。
 なので、二人は自ら出口を求めて彷徨うしかなかったのだ。
 そして……

「これは……」
 いくらかの冒険行の末に陽の差し込む場所に出られた二人は、呆然とその小さな空を見上げた。
 二人が出てきたそこは、竪穴の底だったのである。
「井戸か何かだったのか……?」
 と、和馬は頭を掻いた。
 竪穴は十分に深く、道具なしには和馬でも登ることは困難だろう。一人でならば困難はあっても不可能ではないかもしれないが……憐を抱えては不可能だ。
「どうしよう……ぱぱ」
「そうだな……」
 一人でどうにか這い出して行って、助けを呼んでくるという方法はある。だが、救援が来るまで、憐をここに一人にしてしまう……
「ねえ、ぱぱ」
 そんな和馬の心を読み取ったかのように、憐は笑顔で言った。
「ぱぱなら、ここ一人で登れるよね!?」
「あ、ああ……多分、登れるだろうな」
 見透かされたような気がして、和馬はどきりとした。
「じゃあね、ぱぱ、あたし待ってるから、ぱぱ一人で行ってきて」
「憐」
 憐に明るく言われ、和馬は返答に窮した。
 ……もちろん、憐は和馬の考えたことを理解してのことだった。母から聞いていた父ならば、それが可能であるだろうし、だが自分を残してそうはできないかもしれないと思ったからだ。
「ね、ぱぱ。空を見て。もうじき陽が暮れるよ。そしたら、ここもまた真暗になっちゃう」
 そうしたら、和馬でも竪穴を登るのは困難を極めるだろう。そういうつもりで憐はそう言った。だが。
「そうか……じゃあ、駄目だ」
「ぱぱ!?」
「だって、ぱぱは憐を真暗なこんなところに一人置いていけないよ」
 笑みと迷いのない言葉で、和馬は答える。
「……ぱぱ」
 憐は少し困ったような、少し嬉しいような、くすぐったい気持ちにかられ、黙り込んだ。
 その横で、和馬は無線機を出す。射出孔をを穴の上方へ向け、角度を調整しながらSOS発信を出し始める。
 これも電波の反射を利用する以上弱くはなるが、SOSは単純な信号だ。そして、その意味は普遍である。
「ぱぱ?」
「大丈夫だ、憐。いくらなんでも一晩SOSを出し続ければ、誰か電波を拾うだろう」
 そして、一度捕えたなら、その発信源を探してくれるだろう。
 無線機を地面に設置したまま、和馬はどっかりと岩壁を背に座り込んだ。
 さっきまで明るかった空も、憐が指摘した時には赤みが射していた。今はもう、陰が射し始めている。暗くなるのも時間の問題だった。
「おいで、憐」
 呼ばれるままに、憐は和馬の膝の中に座り込む。
「ぱぱ……行かなくていいの?」
「明日の朝まで、誰も来なかったら行くよ」
 心配しなくてもいいと、和馬は憐の頭を撫でた。
「それとも……恐いか?」
「ううん……ぱぱが一緒だから平気」
 じわりじわりと夜のとばりが降りてくる。
 そんな中でも、背中に和馬の温もりを感じているなら何も恐くない。それは憐の正直な本心だった。
「こうして二人っきりでいるのって、はじめてだね……ぱぱ」
「そうだな……ゆっくりと話す機会はなかったな」
 静かな、暖かい暗闇。
 それは昔、母に抱いてもらって眠った記憶のような。
「……ぱぱ」
「なんだ? 憐」
「お話してもいい?」
「……いいよ」
 何を話そうかと、憐は一生懸命考え始める。
 夜は長い。
 いや、それでも、長き父の不在時にあったすべてのことなどは語りきれるはずはなかったが……
 夜は長い。
 少しでも、その空白を埋めることができるように。
 憐は家で彼らの帰りを待つ母や、兄弟姉妹たちの長い長い話を語り始めた……
「あのね、ぱぱ……」
 みんな、父の帰りを待っていたのだと。