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■月の与え給うた傷■
審判の日、アハメス・パミの出身であるエジプトにも災害は降り注いだ。第三次大戦、リビア海兵隊によるエジプト解放。パミの中にある祖国の記憶は戦争、そして死の風、その後の混乱によって“死”によって彩られ続けてきた。
ただひとつ、変わらないもの。パミは窓から空を見上げる。空に浮かぶ、蒼白く輝く月だけは、変わらない。あの日も今も、ずっと‥‥。
そっと手を、頬にあてる。土埃と飢えと疲労によって、パミの肌は乾燥してざらついている。
このピレネーの向こうでぬくぬくと生きている連邦の女達のように、つややかで柔らかくはなかった。
「何を見ているんですか?」
突然、ドアの辺りから響いた声に、パミは思わず半月刀を掴んでいた。暑さをしのぐ為にドアを開けていたのはパミだったが、そこを通りがかった彼の気配を感じられなかった事までを彼のせいにするべきではないだろう。
パミは彼が敵ではない事が分かると、刀を壁に立てかけた。
「すみません」
「いえ、いいんです。‥‥アンドラ要塞戦ではご一緒するようですから、一言ご挨拶を、と思いまして」
彼はにこやかにわらって、パミに言った。彼が率いる海兵隊第二師団と、パミが所属するMS教導師団は、アンドラ戦にて戦略ミサイル大隊を護衛する任務にあたる事となっていた。
カダフィー閣下からのお達しがあったとはいえ、師団長がいつ単独行動をするか、分かったものじゃない。パミはいつでも師団を率いれるよう、いつでもパイロット達のこと、任務の事をよく把握するようつとめてきた。これは、パミの体に染みついた癖のようなものだ。
「アンドラ要塞を陥落させなければ、補給物資の尽き掛けている私達に勝ち目はなくなります。どれだけミサイル大隊の護衛が大切な任務か、心得ています」
そう彼に言うと、パミはまた手を頬に当てる。
パミの仕草に気づいた彼が、ふとその事をパミに問いかけた。
「‥‥その傷は、この度の戦いで付いたものなのですか?」
「いいえ‥‥これは‥‥」
これは‥‥。
自分に対する、いましめ。
神は人々に試練を与えたもうた。
審判の日、パミの居たエジプトにも試練は降り注いだ。激しい地震、津波により川辺と海辺はさらわれ、建物は倒壊し、多くの人々が生き埋めとなった。
そのとき、パミはエジプトのブバスティスに居た。ブバスティスはエジプトにイスラム教が入る前、そのエジプトの神話を崇めていた時代にバステト神を信仰していた街である。
バステトは猫(雌ライオン)の頭部を持ち、女性の体を持つ神だ。左手に杖、右手には生命をあらわすアンクという象徴を持つ姿で、描かれている。ブバスティスではその為、猫を非常に大切にしていた。
パミは、そのバステトの神官の末裔である。
古くは神に仕えた血筋として、パミは誇りを持っていた。しかし長い時を経て、それらの神々に対する信仰がイスラムの神へと向けられ、薄れている。
しかし、パミはバステト神官の末裔である、という事をいつでも忘れず、MS教導師団のMS乗りとなった今でも、自分の愛機に月と猫の紋章を描いていた。
自分はバステト神に仕える者として、人々を導いてきた。その誇りをもって、パミはあの審判の日の後、残されたMSを使って瓦礫の中から人々を救い出し、町の復興に力を注いだ。
審判の日までは、パミはUME軍の新任MS乗りとしてPOA部隊との戦争に赴くはずであった。崩壊、そしてその後の寒波、異常気象。
ブバスティスに戻ったパミは、MS部隊の一員として町を守る任に付いた。
(パミ、バステトとかセトとか、昔話だ。今は、そのエジプトの古い言葉を話せる者すら、居やしない)
MS乗り達は、言った。確かに今は、古いエジプトの言葉は失われている。侵略の歴史をたどってきたエジプトが失った、神々と言葉。パミはそれでも‥‥。
(ここはバステト神の町です。‥‥私はバステト神に仕える神官の末裔として、この町を守るよう尽力します)
自分には、バステト神の加護がある。
それを示すように、パミはブバスティスのMS治安部隊で経験と積み、力を増していった。
「私は、自分の力に溺れていたんですね」
パミは彼に話しながら、くす、と笑った。
加護があると思えばこそ、どんな危険にも身を投じたし、どんなに不利な状況でも果敢に攻め込んだ。
そんな時だった。
空は暗雲がたれ込め、月を覆い隠そうとしていた。満天の星はその輝きを消し、ブバスティスは深い闇に包まれていく。深夜の警備を行っていたパミは、布で顔を覆って土埃を避けながら、闇の奥に油断無く視線を向けていた。
なんとなくザワザワとするものを胸に感じながら、パミは空を見上げた。今日は月が隠れている。
「こんな夜にゃ、襲撃がなければいいな」
仲間は、町をたびたび襲う盗賊達が来ない事を、祈って言った。審判の日、そして闇に閉ざされた大暗黒期、パミ達にとって最も恐ろしかったのはMSを駆る盗賊達だった。次第に南下して来る死の風を除けば、機械の兵士を使って物資を奪おうとする野盗が一番タチが悪い。MSを使うということは、かつて軍に所属しMS
を使った部隊の一部が混ざっている可能性がある、という事だ。いわば古き同胞。
彼らはこんな日に、襲ってくる。闇夜に隠れて。パミが視線を逸らそうとしたとき、視界に何か光るものがかすめた。気のせいか、とパミがもう一度その方向に目を向ける。
何か、反射した気がする。パミが空を見上げると、雲間から月が僅かに顔を覗かせていた。
また、一度。
「‥‥何か居ます!」
パミは仲間に叫ぶと、愛機に飛び乗った。
やはり来た。雲間から覗いた月が、敵を照らしてくれたのだ。ブバスティスから南にのびる道の向こう、少し高くなった丘の茂みの影から黒いモノが忍び寄っている。
「パミ、西側からも接近している」
どうやら西側の方がMSの数が多いらしい。総じて規模は大きくないが、西側はMSが四機。
「ここは私に任せてください。‥‥西はあなた達が!」
「待て、おまえ一人では無茶だ」
仲間の制止も聞かず、パミは飛び出した。
西側の野盗を叩くまでの間、引き留めておけばいい。自分一人がここで止めておけば、残りの仲間全員で西側の野盗を一刻でも早く壊滅させる事が出来る。
敵の数は二機。その他重火器を搭載した車両が数台、後ろに見える。重火器を避けるように一気に接近すると、パミは剣で最初の一体を斬りつけた。敵との距離を保ちながら、さらに二体目の頭部を薙ぎつける。
『パミ、様子がおかしい。下がれ!』
「心配ありません」
たかが二機。パミはあっという間に一機、機動停止させると、二機目に立ち向かった。
いや‥‥。パミは、目を見開いた。後方に居た敵の支援車両。あれは単なるトラックじゃなかった。
(そんな馬鹿な‥‥)
降り注ぐ機銃の向こうに見えたのは、トラックに隠れて機会を狙っていたMSだった。車両の荷台から次々に降りて来るMSは、パミ達の部隊のほとんどが西側に集結している間に、ブバスティスへ迫ろうとしていた。
機銃がパミのMSの足を撃ち、腕を撃ち、空から叩きつけるスコールのように、コクピット内に激しい音をまき散らした。弾がかすめたのか、パミの頬が熱く痺れる。
(駄目だ‥‥街が‥‥みんなが‥‥)
立ち上がらなければ、というパミの意志に対して、MSが立ち上がる事は無かった。
パミが仲間に助け出された時、空に月明かりが戻り、死に絶えた野盗と倒れたMSが無数に転がっていた。
幸いにも見回りに出ていた仲間の支援車両とMSが到着し、他の仲間が駆けつけるまでの間、その場を持ちこたえてくれたのだった。
ただ黙って、パミを愛機の前につけて行った仲間の視線と気持ちが、パミに突き刺さって来るように感じる。
「街にも部隊にも被害はほとんど無かった」
「‥‥そうですか」
パミは、俯いたまま答えた。
気が付いたのだ。今まで、自分一人で戦おうとしていた事を。
(生きる、とは自分一人で得ているものではなかった。皆があればこそだった)
助け合う者があればこそ、戦える。生きる糧を得られる。
パミにそれを示すかのように、MSの猫<バステト>のエンブレムに、パミの頬についたものと同じ形の傷が、くっきりと張り付いていた。
「これは授業料。‥‥結局、私以外はほとんど無傷で済んだのですから、安く済みましたわね」
パミは笑って言った。MS教導師団の仲間達は、いずれも歴戦の兵士。しかし、それら一人一人では、連邦を縦断してカルネアデスまで辿りつけようはずがない。
話し終えたパミの耳に、作戦準備を開始せよ、との号令が響き渡る。
半月刀を手に取りながらパミは立ち上がり、廊下に駆け出した。
(担当:立川司郎)
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