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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『天使と悪魔の境界線』

 額に指を当てるとそこから微かな温もりを感じた。生命の証明であるかのように。
 額に当たっている指は冷たかった。人としての冷たさではあったが。

 指を振り払われ、少女は驚いたように目を見開いた。
 指を振り払い、男は低く唸った。

「……自分が何をしたのかわかっているのか?」

 二、三度目を瞬かせた少女は、次の瞬間破願した。

「勿論、わかっていてよ?」



 ブタペスト。
 プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”本拠地。人命尊重と平和解決を重要視し、UME及び連邦に対し戦闘回避を呼びかけ続けている。
 平和条約機構と掲げた名の如く、戦闘を回避しようと尽力する――明白な、あからさまなほどの武力集団である。武力を持って平和を呼びかけ続ける。またそうでなければその呼びかけに力はない。
 潜在的な力をその背後にちらつかせ、要求する。平和を呼びかけつつもその呼びかけの寄って立つところは潜在的な武力。つまりは一種の脅迫。
 積極的戦闘行為を行わない、ただそれだけで、エヴァーグリーンとはUMEや連邦と全く変わる事のない機関なのである。
 掲げた理想の尊さと現実の相違に、どれだけの者が気付けているかは謎だ。人命尊重と平和解決という美辞麗句を掲げているだけに、その数は真実乏しいだろう。
 さて、愚かしい精神論は兎も角、そこに機関があり人が集っている以上ブタペストもまた当然のことながら日常があり人の営みがある。
 食堂や医務室などと呼ばれる区間もまた、必要不可欠なものだ。
 後に鳳玖・ひゅえいん(たかひさ・ひゅえいん)と呼ばれることとなる男、現在は藤城鳳玖はその区間で目を覚ました。
 一瞬己の身に何が起っているのか彼が把握できなかったとて無理もない。咄嗟に記憶の糸を手繰る。そして鳳玖は更に混乱した。
 行き成り所属の明らかでないエスパー集団に襲われた。奮闘したが単騎ではその抵抗も空しいものでしかなく、鳳玖は地に落ちたのだ。遠のく意識の中で死を覚悟した、血の気の引くようななんともいえない感覚を覚えている。
「……何故、私は生きている?」
 頭を振りつつ身を起こした鳳玖は己の身体にかけられている清潔なシーツを信じられない思いで見下ろした。
 そして鳳玖を更に混乱させる音がその鼓膜を刺激した。
 高い、幼いとさえ言っていい、鈴の鳴るような少女の笑い声。
「わたくしが殺害を命じなかったからよ」
 はっと息を飲んだ鳳玖は声の主を振り返った。
 白銀の髪の少女が機嫌よさげに笑いながら鳳玖を見ている。
「……あなたは……」
「お久しぶりね、藤城鳳玖。わたくしを覚えていて?」
 少女、エウロペ・ヒュエイン(えうろぺ・ひゅえいん)は天使のように無邪気に笑んだ。
 鳳玖はその顔を見つめたまま絶句した。ただ、呆然と。



「どこか調子の悪いところはない? こちらで勝手に手を入れさせて貰ったのだけれど、資料上、理論上は何の問題もないはずよ。一応あなたの所属はわたくしになるわ。動けるようであれば部屋と部下に紹介させて貰うけれど……」
「ちょっと待ってくれ」
 矢継ぎ早に次々と与えられる情報に、鳳玖は頭を抱えた。普通抱える、抱えるしかない。何しろエウロペと名乗った少女はどうやら鳳玖についての情報を与えてくれているようではあるが、肝心の『現在の状況』の説明が一切ないのである。
「とりあえず質問に答えて貰いたい」
「なにかしら?」
「まずあなたは一体誰で、ここは一体何処だ?」
 極当然の質問に、しかしエウロペは、あらと、わざとらしく目を見張った。
「エウロペ・ヒュエインよ。先程も名乗った筈だけど?」
「名前はもういい。何者だと聞いている」
 ズキズキと(あるまじき事だが)痛み出したように感じるこめかみに指を当て、鳳玖は辛抱強くエウロペに問い掛けた。
 エウロペはにっこりと微笑んだ。
「エウロペ・ヒュエイン。エヴァーグリーン所属の平和条約巡察士よ。因みにここはブタペスト」
「…………」
 鳳玖は己の耳を疑った。
 今あっさりと、この少女は何を言ってくれたのだ?
「エヴァーグリーン……?」
「そうよ」
「平和条約巡察士?」
「そうよ」
「……ブタペスト?」
「そうよ。付け加えて言うのならここはエヴァーグリーン本部内の医務室ね」
 プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”本拠地。人命尊重と平和解決を重要視し、UME及び連邦に対し戦闘回避を呼びかけ続けている。積極的な戦闘を行う相手ではない、だが同時にそれは味方を意味しない。
 きっぱりといってしまうなら鳳玖の属する連邦の、敵陣営の一つだ。
 二の句が完全に継げなくなった鳳玖を面白そうに観察していたエウロペはその沈黙が一定期間になったところで漸く口を開いた。
「説明を繰り返すわ。あなたの所属はわたくしになるわ。エヴァーグリーン所属の連邦移民という扱いになるわね。それから……」
「一寸待て」
 勝手なさえずりを鳳玖は低い声で遮った。状況はまだ把握できてはいないが好き勝手なことを言われていることだけはいい加減に理解できて来ている。
「何故私がエヴァーグリーンなどにいる?」
「などとは失礼な物言いね。あなたは連邦移民扱いになるのだし……」
「誰がいつ移民などになったと言うんだ!?」
 ついに鳳玖は声を荒げた。少女相手だろうと我慢にも限界と言うものがある。気は長く礼儀は重んじる性質であるとは言え状況のつかめないこの状況では破綻も早い。
 エウロペはそんな反応も予想していたとでも言いたげに柔らかく笑み、すっと鳳玖に手にしていたファイルを差し出した。
「なんだ……」
 不機嫌にファイルを受け取った鳳玖はそれを目にするなり絶句した。
 移籍許可書。鳳玖が所属する汎ヨーロッパ連邦から騎士団脱退&エヴァーグリーンへの移籍の許可書である。
 表面上は敵対していない両陣営は、互いの陣営へと走った逃亡兵達を書面で処理する事がままある。高度に政治的な取引が必要となるが、力のあるサイバーやエスパーの場合そうして『裏切り者』の名を逃れる事が出来る。無論表面上のことではあるが。
「……な」
 鳳玖にそんな理由はない。表面も内面もなく連合を裏切った覚えはない。おまけにご丁寧にも書類には『ご愁傷様』等とメモが張られている。鳳玖を嘲笑っているかのようだ。
 エウロペは鳳玖の表情の変化をじっくりと観察した後に口を開いた。
「覚えていて?」
 その声にはっと鳳玖は我に返った。この書面は正式なものだ。嘗て連合で幾度か目にした物と全く同じである。それに己の名が記されている以上呆けている場合ではない。
「あなたが目を覚ました時にわたくしは『お久しぶり』と言ったのよ」
「あ、ああ、そう言えば」
 必死に記憶の糸を手繰り、鳳玖は頷いた。
「その様子では覚えてはいないようだけど……あなたはわたくしを助けた。野盗に襲われて殺されかかっていたわたくしを……あのこのように」
 ふっとエウロペの顔を過ぎった影に、鳳玖はしかし気付けなかった。またしても記憶を反芻するのに手一杯だったのだ。
 野盗の討伐など日常茶飯事ではきと記憶してはいない。だが、
「その銀の髪には……見覚えがある気がするが……」
 目を細めて頼りなげに口にした鳳玖に、エウロペはパッと顔を綻ばせた。
「だからわたくしはあなたを貰う事にしたのよ」
「は?」
 鳳玖はまたしても絶句した。
「あなたはわたくしを庇ってくれた。あのこのように。だからわたくしはあなたをわたくしのものにすると決めたの」
「か……」
 勝手に決めるなと鳳玖が怒鳴る前に、その鼻先にエウロペはにゅっと白い封筒を突きつけた。気勢を殺がれて思わずそれを受け取ってしまった鳳玖に、エウロペは笑んで『読んで』と言った。
 わけがわからないまでも封を切った鳳玖はまたしても絶句した。
『孫の顔を見せろ』
 紛う事無く養父の筆跡で、封等の中から取り出した紙片にはそう記されている。



 こちらの武力を読んだ上でのエスパーの襲撃に始まり、鳳玖の経歴に傷を付けず(そして恐らくは自らの経歴をも)移籍させる政治的手腕、そして鳳玖の家族への働きかけ。



 プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”本拠地。人命尊重と平和解決を重要視し、UME及び連邦に対し戦闘回避を呼びかけ続けている。
 平和条約機構と掲げた名の如く、戦闘を回避しようと尽力する――明白な、あからさまなほどの武力集団である。武力を持って平和を呼びかけ続ける。またそうでなければその呼びかけに力はない。
 潜在的な力をその背後にちらつかせ、要求する。平和を呼びかけつつもその呼びかけの寄って立つところは潜在的な武力。つまりは一種の脅迫。
 積極的戦闘行為を行わない、ただそれだけで、エヴァーグリーンとはUMEや連邦と全く変わる事のない機関なのである。
 掲げた理想の尊さと現実の相違に、どれだけの者が気付けているかは謎だ。人命尊重と平和解決という美辞麗句を掲げているだけに、その数は真実乏しいだろう。



 鳳玖は瞬時に総てを理解した。
 間違いない、間違いなく『わかっていない』部類に入るのだこの少女は。
 何処か大人びた風にも見えるこの少女は残酷に鳳玖に手を下した。無邪気な欲求の元に。
 武力を使う事も厭わず平和をごり押ししてくる自称正義の集団プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”そのままに。



 額に指を当てるとそこから微かな温もりを感じた。生命の証明であるかのように。
 額に当たっている指は冷たかった。人としての冷たさではあったが。

 指を振り払われ、少女は驚いたように目を見開いた。
 指を振り払い、男は低く唸った。

「……自分が何をしたのかわかっているのか?」

 二、三度目を瞬かせた少女は、次の瞬間破願した。

「勿論、わかっていてよ?」



 鳳玖はがっくりと肩を落とした。落とすしかなかった。
 天使なのか悪魔なのか分からないこの無邪気で残酷な少女に、これ以上なくしっかりと捕らえられてしまった事を悟ってしまったからだった。