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<東京怪談ノベル(シングル)>


『お掃除注意報』


 森杜彩は、母が行方不明になってからは父方の神社に住んでいた。

「さて……と」
 掃除用具一式を持ち社の本殿を訪れた彩。朝食の片づけを終え、社の掃除のためにここへ来たのである。はたきを持ち、祭壇などに積もった埃を落として慣れた手つきで掃除を進めていく。床に落ちた埃全てを浚い、バケツに汲んだ水に糸モップを入れて水を含ませる。そうして床を拭いていく───が。
 不意にぽとりと彩の脳天を直撃した、何か。
「……何?」
 手に取れば、それはねこじゃらし。
 誰の仕組んだものかは、やはり想像がついて。

 ぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとぼとっ!!

 ねこじゃらし、毛糸玉、干物、キャットフード、エトセトラエトセトラ。ゴミのように落下してきたそれらは彩の足元に埃の如く積もる。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
 何度出るか判らない溜息。盛大に息を吐いて、彩は兄の仕掛けたそれらを見下ろした。



 存分に仕組まれた妨害により、作業は一時間遅れて終了した。
 次は境内の掃き掃除だ。竹箒で手際良く作業をこなしていく。
「良い天気」
 今のところ妨害は見られない。天から受ける眩しい日光で輝く銀髪を揺らしながら、鼻歌を口ずさみつつ順調に境内を掃いていく。
 ───すると。
「はい、プレゼント」
 奇妙な気配。聞き慣れた声音。それは兄のものだ。
「お兄様?」
 箒を動かす手を止めて辺りを見回すが、兄の姿がない。何処から発せられた声なのか。
 はらり。
 そして、空から舞うのは不可思議な模様が描かれた三枚のお札。ひらひらと舞い降りて彩の足元、地面に降り立つと淡く光を放った。光は一層眩しくなり、札とは違う全く別のものへと姿を変えていく。
 狼のような、獰猛な黒い獣。
 喉の奥から唸りを上げ、赤黒い双眸が彩を睨む。
 ───式神。
「これは……一体何を……?」
 考える時間は与えられなかった。黒い獣の気配に殺気が生まれたのだ。
「グゥルルルルル……」
 獣特有の唸り声。殺気は膨らみ、その標的は。

 ガウッ!!

 彩を取り囲むように獣が飛びかかってきた。
 獣人としては優れた能力を持つ。猫のような身軽な動きで獣の牙をかわし、その場を跳ぶことで距離を取った。箒を構え、スキを伺う。
「お兄様は何を考えているのです……?」
 心底鬱陶しげに呟く彩。
 再び飛びかかってきた獣の一匹を、箒の柄の部分で受け流し腹部に突き立てた。
 続いて襲いかかる獣二匹の牙を受け止める。
「っ……!!」
 力ではこちらに分がない。向こうは二匹、力もある。押さえつけるように柄を噛む獣が再度唸りを上げた。
 ───埒があかない。
「っ……雷よ!!」
 箒を押しやり、怯んだその瞬間に己の所有する雷の力を獣に叩き込んだ。
 父は雷神を祭るこの神社の子。彩は母の力も継いで獣人と姿を変えるが、父と同じ雷神の力もまた使いこなせる。ただしこちらは、あまり好んで使用したくないのだが。

 バチバチバチッ!!

 三匹の獣に落ちたのは強力な雷撃。焼け焦げる匂いが辺りに充満し、やがて獣の姿は煙を放出して二枚に破れた札へと戻った。それを見届けて彩は一息つく。
「……疲れた……」
 雷撃は心身の疲労が激しい。ほんの小さな静電気並みの力ならば疲労は少ない。しかしその力が大きければ大きいほど、それに比例して疲労もまた大きい。
 体力を消耗し、これでは掃除も満足にできないではないか。
 とはいえ一応ひと段落ついた。
「全く……」
 地面に虚しく落ちた札を拾い上げ、しばらく見つめたあとにビリビリと破いて空へ放った。
 これで式神は表れない。
 安堵したか、少しの休息を取るために欄干に腰かけた。ぷらぷら足を上下に揺らし、平和で長閑な一時を楽しむ───筈が。
「キキィッ」
 てこてこてこてこっ。
 目の前を走る、灰色のカタマリ。己の耳を刺激する、獣の本能を揺るがす鳴き声。
 思わず耳が立つ。巫女装束の下から柔らかな毛を帯びた尻尾が揺れ動いて見えた。
「……ね、ずみ?」
 猫。それは嬉々として鼠を追いかける動物である。
 可愛らしげに首を傾げ、くりっとした瞳が彩の銀の双眸と合致する。立ち上がり、周囲を見回し。またその小さな足でちょこまかと動く。
 ───うず。
 本能が、揺らぐ。
「キキッ?」
 その声を皮切りに、鼠は一目散に駆け出した。
 ふりふりと左右に揺れる小さな尻。それを見た瞬間、彩の姿は人型から白猫へと変わった。
「フギャーッ!!」
「キキィッ!?」
 いきなり感じた気配で振り返れば、そこには銀髪の美少女ではなく己の天敵である白き猫。
 天敵と書いてライバルとは読めない。嬉々一色となったその表情に鼠は寒気を覚えすぐに走り出す。だが走れば走るほど彩の猫本能を刺激し、鼠にとってはハタ迷惑極まりない事態を生むのだが。

 かくて、猫と鼠のありきたりな逃走劇が繰り広げられた。


 気づけば、お昼を一時間も過ぎていた。
 結局本能に屈した自分に恥を覚えつつ、時間がおしているため巫女装束の上から割烹着を被った。急いで昼食の用意を済ませねば。
 掃除用具を持ち慌てて玄関を扉を開ける。
 けれど、兄の妨害は終わっていなかったわけで。

 ガラガラガラ       ぐわっしゃんっ

 視界が、黒かった。否、青かった。
 青いバケツが己を覆い隠し、視界を遮る。
 扉を開けるとバケツが落ちてくるこの仕掛け。誰が考えたのかは言うまでもないだろうが、落ちてきたのは空のバケツではなかった。鼻腔をついてくるのは、あの、ニオイ。
 ぴちょん、と髪の一房から液体が滴り落ちる。
 全身びしょ濡れになったその理由は、バケツたっぷりに入れられていたとある液状のモノ。
 ───酒、の香ばしいニオイ。酒だけでは彩も動揺しないが、何より彼女を混乱させているのは。
「マ……マタタビ酒?」
 マタタビ混入酒。
 しばらくぱちくりと瞳を瞬かせていたが、その効果はすぐに表れた。
「ふにゃぁ〜ん……」
 くらりと脳髄を刺激するマタタビにしてやられ、彩は酔っ払って気を失った。
 最後の最後まで、兄にやられっぱなしである。



 服を着替える余裕はなかった。こんな事もあろうかと事前に用意していたタオルとシャツ。下駄箱最奥に隠していたそれらを取り出して、酒で濡れた髪と服をアバウトに拭く。ここでジーンズのひとつも用意していない辺り自分の迂闊さを思い知る。しかし取りに行く時間はない。しつこいが、昼を一時間も過ぎているのだ。
 シャツを着て、その上からエプロンを被るという何とも艶かしい出で立ちで台所に立つ。
 雪より白い足がエプロンから覗く。
 美味しそうな料理の香りが立ち込めるその中で、彩はとことん兄の行動を訝しんでいたのだった。