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<東京怪談ノベル(シングル)>


■テツノイロ〜それは緑みの濃い藍色という〜■

 本日。
 彼女の演習用に設定された場所は、強い風に晒され侵食された岩が高低差を作り出し、奇妙な迷路のようになっている複雑な地形だった。
 侵食された岩は砂となり、風に乗って一面を黄色く染めている。
 彼女が乗り込んでいるマスタースレイブも、既にうっすらと砂埃がかかっていた。
「昨日綺麗にしてもらったのに」
 美しい翠の瞳を軽く伏せて、翠・エアフォースは溜息交じりに呟いた。
 マスタースレイブは完全な気密性を誇っている為、中に砂が入り込むことはない。
 とはいえ、大量の砂が機体につけばそれだけ動きは鈍くなるので、安心することは出来なかった。
「予測された敵の数、地形のデータ…」
 スクリーンでは測定器が距離を表示、その片隅で小さく表示されたレーダーが敵を探して動きを開始した。
 マスタースレイブに乗り込んでいる時は、機体に装備されたカメラとセンサーから送られる情報が視界を作り出す。
 事前に教えられた情報とスクリーン上の情報、そして経験とを頭の中で整理することが重要だ。
「速めに終らせないとこの子がいかれるかな」
 翠専用に改造、調整されたマスタースレイブは彼女にとってもう一つの身体のようなもの。
 戦闘に出るのだ、傷つくことを恐れはしない。
 だが正確に動けなくなることは自分や味方の死の可能性――今日は模擬戦だから死ぬ可能性は低いがそれでもないとは言えない――を高めることになる。
 2m以上あるマスタースレイブと、それより低く小さな自分。
 その差を頭の中で修正しながら一歩一歩足を運ぶ。
「!!」
 翠が敵を感じ、反応したのとレーダーが敵を捕らえるのとほぼ同時。
 いや、彼女が攻撃初動作を開始する方がレーダーより幾分早い。
 相手も同じように彼女を捕捉したのであろう。
 銃を構えながら岩陰から姿を現した…が。
「そこ!」
 既に翠はライフルのトリガーを引いていた。
 衝撃で腕と肩とが震えるが、それによる軌道のずれも計算のうち。
 そして。
 肩に備え付けられたガドリングが火を吹き、たった今ライフルの一撃によって倒れた敵の、その後ろに隠れていた敵に命中する。
「あたしを欺こうなんて無駄だよ」
 相手を嘲るでもなく、自らを誇るでもなく。
 ただ事実として言葉にすると次の敵を探して彼女は再び歩き出した。



(頭が痛い……)
 どれだけ戦っていたのだろう。
 最初は微かに、やがてしっかりとその存在を主張しだした頭痛に、時間の感覚は狂わされている。
 ただ最初の遭遇からも何度か相手を倒し続けたのは確か。
(薬を飲んだ方がいいかな)
 正常な判断を狂わせる痛み。
 それを抑える薬ではなく、忘れさせる薬を飲むべきか悩む。
 これが本当の戦闘であれば薬を飲むことに躊躇いはないが、今日は模擬戦。
 今は敵でも本当は味方なのだ。
 我を忘れ、加減を忘れてはいけない。
(どうせ後少しだ…早く終らせればいい)

 その次の瞬間だった。
 彼女の耳に、それが届いたのは。

 ――怖いよう。
 戦場には不似合いな幼い子供の声。
 周囲を確認するものの子供の姿はない。
(当然だ。こんな場所に子供がいる訳はない……)
 ――殺さないで。
 ――殺せ!
 翠の思考を邪魔するかのように届く声。
 子供のものだけではない。
 誰かの怒号。
 その声は敵とも、司令官とも…そして自分のものとも思えた。
 ――お母さん助けて。
 ――戦え!倒せ!
 交差する声は止むことなく彼女の耳へと届く。
 いや…それは本当に聞えている声なのだろうか?
 ――痛いよ。
 ――アイツらは敵だ!
 ――お母さぁんお父さぁん。
 声を振り払うように目を閉じて頭を振る。
 と、視界の端を黒い何かが横切るのに気がついた。
(何………?)
 風に舞いあがったゴミかとも思ったがそうではないとすぐに思いなおす。
 何故ならそれは何度も目の前を横切り、その度に少しずつ数を増していくからだ。
 ヒトツ。
 フタツ。
 ミッツヨッツイツツムッツナナツヤッツココノツトオ。
 やがて数え切れなくなる程に増え視界を埋め尽くしていく。
 それは大量の虫が蠢いているような生理的な嫌悪感を呼び起こす動き。
 しかし良く見れば虫ではなく、黒い煙。
 遥か昔に見た――いや、今も見る戦いの跡に立ち昇る黒煙。
「イヤァァァァァ!!」
 黒煙の中から何が彼女を見て笑った―――


『親なしのくせに』
 そう言った声は誰のものだっただろう。
 真っ暗な空間の中で独り泣いているのは幼い頃の翠。
『ボロボロできたねー』
『うわ、近づくなよ』
 それは何時のことだっただろう。
 同じ年の頃の子供達が現れては消える。
「う………ひく…」
 ――泣いているのは私。
「ううっ………ぐずっ…」
 彼女には頼るべき親も、慰めあう兄弟もいない。
 周りにいるのは他人だけ。
『翠』
 不意に聞えた優しい声に顔をあげると、彼女に向かって手を差し出している男女の姿が瞳に飛び込んでくる。
『さあ、一緒に行きましょう』
 それはとても優しい、そして何処か懐かしい声。
 顔ははっきりと見えず声も思い出せはしない。
 けれど、それが誰なのか。
 彼女には解った。
「お父さん…お母さん…」
 差し伸べられた手を取ろうと、小さな手を伸ばす。
 だがその手は手に触れることは出来ず、二人はゆっくりと背を向けて歩き始める。
「待って。お父さん、お母さん」
 追いかける為に慌てて立ち上がるものの、その間にも二人との距離はどんどん遠くなっていく。
「待って、待って!」
 二人の背に叫びながら一所懸命に翠は走る。
 しかし歩みは止まることなく、どんなに走っても追いつくどころか距離は開くばかり。
「嫌だ、待って、お願い」
 息を切らしながらの叫びも届くことはない。
 掴むように前へ前へと手を伸ばしても、手に触れるものはなにもない。
 視界が、歪む。
 二人の姿が闇の中へと溶けていく。
「あたしを独りにしないで!!」 
 絶叫は、大きな音にかき消された。

 
 びくりと身体が跳ねる感覚に、慌てて目を開く。
 自分の悲鳴と何か大きな音とが彼女の感覚を呼び戻したのだ。
 早鐘を打つような鼓動を深呼吸して無理矢理押え込み、先程の音がなんであったのかを調べる為に周囲を確認する。
「おわ…った…?」
 無線機からは翠の所属したチームの勝利と帰還命令とが繰り返されている。
 音は模擬戦の終了を告げる信号弾だったのだ。
 慌てて無線に返答する為スイッチをいれ、自分と機体の無事、そしてこれより自力で帰還する旨を伝えた翠は自分の声が震えていること、そして視界が滲んでいることに気がついた。
「あ……」
 それが涙のせいだと、気がついた。
 と頬を伝う何かの感触……それが零れ落ちた涙だと認識する。
「…また、泣いていたのか…」
 頬を拭いもせず、瞳を閉じることもなく、ただ前を、スクリーンの中に映る砂嵐を見つめた。
 喉に詰まった息が小さな声と共に強く噛み締めた唇から漏れる。
 吸い込む息が『は』の音を持ち、身体の震えは止まらない。
「いつまで……」
 無線から様々な者達の声と音が届く。
 彼女に語り掛けている訳ではない。無差別な通信。
 だがこちらからの声は、スイッチを入れない限り誰にも聞えない。
 彼女以外に、誰もいない。
「あたしの……いつまで続く…」
 震え泣く彼女が泣き止むまで。
 彼女の為のマスタースレイブだけが、微かな灯りと静かな震動音で彼女を優しく包み込んでいた。

<.......NEXT>