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<東京怪談ノベル(シングル)>


受け継ぐもの
 何を犠牲にしてでも、戦い抜く。その覚悟は、祖国を守り、大切な人を死なせない為であり、自分達がその信念と意志を連邦に叩き付ける為でもあった。
 アハメス・パミが加わっている西部方面軍は、最大の難関であったアンドラを突破した事により、それまでの食糧難問題もひとまず(当面は)解決出来た。しかし消費するだけで手には入らない武器弾薬は枯渇しかけ、このままではオールサイバー相手に生身と剣で戦わねばならなくなるだろう。
 パリに近づく度に、安心とともに不安も込み上げていた。ツールスで、自分達が逃げる為の盾になってくれたブットー大佐の事である。大佐はリビアの民が主体である西部部隊にあって、東部部隊を率いるハディル将軍から派遣されて来た、西部部隊ではやや離れた存在であった。
(大佐‥‥後から来る、と仰っていたのに)
 パミは、手の中の数珠をじっと眺めた。大佐からもらってからというもの、ずっとパミは礼拝にこの数珠をつかっている。
 後から来ると思っていたラジーヴ・ブットー大佐は、ついにオルレアンに到着しても、パミの元に姿を現す事は無かったのだった。
 大佐が、我々を行かせる為に連邦主力部隊を月末まで引きつけ戦い続け、降伏した事を知ったのは、月が変わってからであった。大佐の部隊と連絡を取る方法の無いパミ達西部部隊にとって、唯一それを知り得るのは連邦の市民や、敵部隊経由である。
 連邦市民の人づてに、大佐の部隊が投降したと知ったパミは、それが本当の事かどうか、とても信じられなかった。
(大佐は、我々を行かせる為に犠牲になったんですね‥‥)
 ぎゅっ、と手の中に数珠を握りしめ、パミは大佐の無事を祈った。

 大佐に最初に出会ったのは、今から四年程前の事であった。まだ死の風が今ほど広がっていなかったアフリカ大陸において、真っ先に被害を受ける位置にあったエジプトでは、深刻な問題であった。その死の領域は、日々、年々広がりつづけていた。
「‥‥もう、ここには住めません」
 何よりこの町を愛したパミですら、そう口にしなければならない程、死の風はすぐそこまで迫っていたのだった。
 恐るべき風は、小さな子供、年老いた弱き者を容赦なく喰い続け、人々から希望というものを奪っていく。
「パミ、ここはお前にとっても皆にとっても、大切な町だ。そうじゃないのか!」
「町を捨てて、どこに行く。どこにも行き場など無い」
 町の男達は、揃ってそうパミに言った。
「でも、このままでは、あの死の風はこのブバスティスにまで到達します。過去三度の測定では、いずれも死の風は拡大し続けています。このままでは、このエジプト北部のエリアだけ、死の風で覆われて孤立してしまうでしょう」
 死の風のエリアは、海とスエズ運河を挟んでアフリカ大陸の、エジプトを割っていた。このままでは、どこにも逃げ場は無くなってしまう。
 パミは地図で、測定の結果得られた範囲を、記していった。
「獣を使った測定によれば、この弓状に広がる範囲で壁がある事が分かっています。このまま広がるならば、いずれ孤立してしまいます。もしかすると、ここは皆覆われてしまうかもしれない。そうなれば、逃げる事も出来なくなるんですよ?」
「じゃあどうする。南下するのか」
「私は‥‥」
 パミはずっと、考え続けていた。
 このまま南下し続けると、イスラム教圏からはずれてしまう事になる。スーダンではコプト・キリスト教徒も多いし、エチオピアに行くともっと違う風習が混じってくる。
 これらの問題だけでなく、民族間の問題も生じるだろう。
 それらを出来るだけ避ける為、パミとしては同じイスラム圏に避難したいと考えていた。
「どうする? イスラエルやパレスチナに避難するのか?」
「それは‥‥」
 それが、どういう混乱を巻き起こすか、パミとて理解している。かといってサウジアラビアは殆どがワイブ派。
 長い話し合いを行ったが、ついにブバスティスの民の意見が一致する事は無かった。

 何ヶ月も相談して準備する程、パミ達に余裕は残されて居ない。周囲の都市が避難を始めると、パミ達も否応なしにそれらの大移動に巻き込まれていった。
 半分の者は南下し、半分はパミ達とともにイラクを目指した。イラクを目指したのは、審判の日以前に結成された、UME軍を率いていた国だったからである。
 パミは仲間を励ましながら、死の風の領域沿いに東へと進んだ。MS隊で護衛しながら、子供や年寄りは車両に乗せて庇った。食料はありったけ持って出たが、それが尽きるのも、時間の問題だ。
「頑張って‥‥」
 パミは、仲間を励ましながら移動を続けた。
 やがてブバスティスの民は、スエズ運河に到達した。しかしそこに広がっていたのは、さらなる絶望の光景。
「スエズ運河が‥‥」
 パミ達が見たのは、破壊されたスエズ運河の姿だった。あの審判の日、人々が大変な思いをしてようやく完成させた、スエズ運河をいとも簡単に破壊し、無きものにしてしまった。
 呆然とパミは、スエズ運河を見つめる。運河が壊れた影響か、川の両岸は大幅に削られていた。審判の日、ここも相当被害を受けたであろう。むろん橋などかかっておらず、渡るすべは無い。
「駄目だって‥‥ここまで来たのに」
 絶望に打ちひしがれ、人々はその場に崩れ落ちた。もやは立ち上がる気力は無く、食料ももうわずかしか残って居ない。
 それでも諦められず、パミは周囲を見回した。もう少し北上すれば、何とか渡れそうである。しかし女子供が歩いてわたれる程、川は緩やかでは無い。
「‥‥みんな、川に綱を渡しましょう。MSで筏を造って、渡るんです。車両は浅い所を渡ってください」
 そう言うと、パミは率先して筏を作り、川に入った。川の流れは強く、気を抜くと人を川底に飲み込んでしまう。パミは川の深い部分で綱を支え、人々が流れないようにフォローし続けた。防水加工の施していないパミのMSでは、水はどんどん中に入り込み、パミの服を水浸しにしていく。
(どうしてなの?)
 パミの心の中にも、疑問は浮かんだ。服は水ど泥でぐしょ濡れ。川の流れをかき分け、必死に川を渡る人々を支えようとしても、流れが強すぎて力尽き、パミの手をすり抜けるようにして川底に巻き込まれ、命を落とす者が一人、また一人と増えていく。
 幼なじみも、友達も、近所のおばさんもおじさんも、みんな‥‥。
(何故? どうしてこんな試練をお与えになったのですか?)
 審判の日、そして暗黒の刻、さらに襲った死の風。次々と襲う試練に、パミは思わず天を仰いだ。

 こうして犠牲を出しながらスエズ運河を渡ったブバスティスの民は、他のエジプトから逃れてきた人々とともに、ヨルダンに入った。
 ヨルダンはUME軍の参加国である。イスラム教スンニー派の信徒が殆どを占め、公用語はアラビア語である。
 死の風が横断するヨルダンでは、死の風は現在最も深刻な問題だった。ここまで来て、パミ達は死の風がここを中心として半楕円を描いている事を知る。要するに、ここから死の風を越えなければ、地中海側からイラクへと行けないのである。
 だが、まだ現在ほど死の風の壁が広がっていなかったその時、弱い者を置いていけば越えられるかもしれなかった。
 ここに残ろうとする者や、引き返そうとする者、そして越えようとするもの。弱い者は、誰か支えてくれなければ戻る事も越える事も、出来ない。
 ここでブバスティスの民、エジプト諸都市の民、そしてシナイ半島から来た者達は喧々囂々と話し合った。
「こんな事なら、残れば良かったんだ」
「いや、南下していれば‥‥」
「それなら、年寄りと子供は死なせろ、というのか!」
 連日、言い合いは続いた。
 それだけではなく、死の風の影響や、災害による食料の収穫不足などで困窮しており、他の難民を支えるだけの力は無かった。
 ここにも、居場所は無い‥‥。
 パミ達は町の外に追いやられ、粗末なテントで何夜も過ごした。食料は尽き、飢えをしのぐ為に雨水を飲んで過ごす毎日が続く。
 そんな時だった。UME軍から、一人の男がやって来た。壮年だが、くたびれた軍服からその経歴が伺われ、その言葉の端々や、部下の視線から、彼がいかに周囲に信頼を得ているのか、見て取れる。
「私は、ラージヴ・ブットーと言う。君がここの民を指揮しているのかね?」
「アハメス・パミと申します。私は、エジプトのブバスティスから来ました。‥‥私は指揮している訳ではありません。皆と話し合い、導いているだけです」
 パミがそう答えると、ブットー大佐は満足そう頷いた。
「現在、ヨルダンは非常に混乱している。しかも、この死の風は年々広がっている。これ以上拡大しないうちに、東側に避難した方がいいだろう。‥‥今私も、ヨルダンの西部地区の者を説得している所だ」
「‥‥出来るでしょうか? 私達は食料が尽きていて、とても弱っています」
「では、食料を配布しよう。歩ける者は、先に行かせなさい。‥‥君はエジプトを祖国とする民なんだろう? だったら、エジプトの民を率い、ヨルダンや他の部族の者と協力していかねばならない」
 パミは、黙っていた。するとブットーは、さらに言葉を続けた。
「不安かね?」
「‥‥皆状況を飲み込めず、苛立っています。それに同じとはいっても、町が違えば意志を統一する事も困難です。同じブバスティスの民ですら、これまで何度も意見を違えて来たのに‥‥」
 ブットーは深く頷き、しばらく何事かを考えこんだ。やがて、パミの顔に手をのばした。それはパミの顔についた傷だった。
「これは戦いによってついたものだね?」
「はい‥‥」
 パミは深くは話さなかったが、ブットーも深くは問いつめなかった。
「女が戦いの道を選び、民を守ろうとするのはよほどの覚悟があったのであろう。その深い洞察力と意志は、ブバスティスの民にも、エジプトの民にも届いている」
 そう言うと、ブットー大佐はパミの手に、数珠を握らせた。長い間使われてきた数珠は、そこに刻まれた装飾を削っている。
「パミ、今試練が与えられている。聖クルアーンはこう記した。“人びとよ、われはひとりの男とひとりの女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである』と」
「互いに‥‥知り合う」
 パミは、じっと数珠を見下ろす。
「そう。これは君の試練だ。私の代わりとして、エジプトの民を‥‥率いてくれ」
 パミの手に、数珠を握らせたブットーの手が重ねられる。厚くて大きなブットーの手は、暖かかった。
 こうして数珠とともに託された、大きな試練。
 しかしパミは、逃げる事はしなかった。
 彼が告げた、クルアーンの一節は、深く重く、パミの心に浸透し、彼女に決意させた。

(大佐‥‥)
 今、オルレアンで、パミは数珠をじっと眺める。
 大佐が投降した事は残念だ。しかし、大佐の志を、試練を受けると決心したのだ。彼女は民を救う為、数珠を握りしめて決意を新たにした。

(担当:立川司郎)