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samplism(サンプリズム)
〜1〜
すたん。と光が床に降り立つ。誰かがその場に居たのなら、そう表現しただろうその光とは、実は光を自ら放つが如くの純白の小さな猫だった。少し開いていた窓から侵入したその猫は、すたすたと足音など立てる事なく部屋の中央まで歩いて行く。主を失った部屋はしんと静まり返り、ひとつひとつの物が全て哀しみに塞ぎ込んでいるよう、その存在そのものが希薄なような気がした。ふぅ、とその子猫が溜め息を零す。随分、人間的な、表情豊かな猫だった。が、次の瞬間、また考えを改めなければならないような事態になった。その白い猫が、今度はみるみるうちに一人の少女の姿へと変わったのだ。
森杜・彩は、巷で話題になっている連続殺人事件の話を聞き、普段は余りこう言った類いの事には首を突っ込まないのだが、何事も勉強…と言う事で果敢にも調査に乗り出したのだ。その彩が訪れたのはとある被害者の自宅である。一人暮らしをしていたその女性飲まんションに忍び込んだその理由は、何かしらの手掛かり、或いは犯人が残したかも知れない痕跡を捜す為である。
「…まずは、そうですね。日記とか、覚え書きとか…被害者の方の日常が分かるような物を見つけたいですね」
彩が誰にとも無く、恐らくは己に言い聞かせる為にそう呟く。ひらりとスカートの裾を翻して、部屋の角にあるデスクへと向かう。当たり前だが、自分の死を予測していた訳ではないその女性のデスクには、そこそこ乱雑に書類やメモや雑貨が散らかっていた。
「ご自分がそんな目に遭うなんて、思ってもみなかったのでしょうね。…ですが、本当にそうなのかしら?」
彩の小声の呟きは、静かに夜空に吸い込まれていく。
警察の見解では、被害者全員に共通点はないと言う事だ。だが本当にそうなのだろうか?無差別殺人と言う物は、一件無差別のように見えて、本当は何かしらの共通点があるものだ。例えば、犯人はブロンドの美しい女性ばかりを狙うとか、娼婦ばかりを標的にするとか。今回の事件は、確かに性別も年齢も職業も、そしてクラスも全てばらばらだ。それで一般的には、そういった今までのような共通点はないと結論付けられているが、彩にはどうにも納得出来ない。
この事件はまるで古代の神々の呪いや生贄、そう言った宗教絡みの事も考えられるのでは。
がさがさと彩が彼女のデスクの上の紙片を取り上げる。友達と会う約束の、日時の覚え書き。滞っている支払いの請求書。友達に貸したドレスやアクセサリーの覚え書き。どれも関係なさそうである。日記でもないかと思ったが、そう言ったものをこまめにつけるようなタイプの女性ではなかったらしい。ただ、電子手帳が一冊、それに簡単な日々の感想が書きつけてあったが、別段、彩の気を引くようなものは無かった。
「…おかしいです。他の場所にも行ってみましょう」
言うが早いか、彩の小柄な身体は、また白い猫の姿へと変わる。来た時と同じように、足音を立てずにそのまま彩は部屋を出て行った。
他の何人かの被害者宅を捜索したが、これと言って手掛かりになるようなものはなかった。それでは、警察の言う被害者同士に共通点はない、と言う見解が正しいのだろうか。だが、もしも本当に共通点が無いのだとしても、何かしらのきっかけが無ければ、彼等は殺される事など無かった筈だ。本人同士のパーソナリティには共通項が無いのなら、例えば全く偶然に同じ場所を通り掛かって何かを目撃した、或いは何かを手に入れた。それによって得た知識や事実が、彼等を死に追いやったとか。
だがひとつ、彩が気にかかるのは全員の死因である。普通、シリアルキラーと呼ばれる快楽殺人犯は、己の手腕に酔う余りか、手口は一貫している事が殆どだ。だが今回の場合、殺害方法はばらばらで、それで何故同一犯と思われたかと言えば、同じ署名のカードが残されていたからだ。
「…このカード。何でしょうね。凄く、禍々しい物を感じますけど……」
彩が手にしているのは、その犯人が残していっただろうと思われるカードの一枚である。真っ白な名刺大のカード、縁には透かし模様で葡萄の葉が描かれている綺麗なカード。その真ん中にちゃんとした印字で『sample』と、ただ一言が。
最初にこのカードを見た時、この綺麗な透かし模様に何か意味があるのでは、と聞いてみたが、担当者は溜め息混じりに首を左右に振った。どれも同じようなデザインのカードではあるが、模様は薔薇であったり水の波紋であったり幾何学模様であったり、どれも一貫性がなく心理学者の意見でも、これはただの容疑者の趣味ではないかと言う結論に落ち着いていたらしいのだ。
デザイン等は確かに洗練されているこのカードだが、彩にはどうにも好きになれなかった。普通にクリスマスやバースディのお祝いに貰えば、凄く嬉しいだろうカードなのだが、このカードの作成者、つまりは容疑者の影と言うのだろうか、そう言ったものが密かに纏わり付いているような気がして、じっと見詰めていると何処かに引き込まれそうな気さえしてくるのだった。
〜2〜
今、彩は街の中を歩いている。勿論、人の姿でだ。夕方と言う時間帯の為か、行き交う人々は帰路を急ぐ人、仕事帰りに安息を求めて遊びに向かう人、これから仕事に向かう人と様々な様相が展開している。こう言った情景だけは、時代が変わり文化や技術が変わっても、きっと同じなのであろう。そう思うと何故か彩はほっとした気分になった。何と言っていいのか分からない、上手く言葉には言い表せないが、あえて言うなら安心するのだ。
だからこそ、無闇と人を脅かすような存在は許せない。例え、どんな事情や経緯があったにしても、だ。
彩がどこに向かっているのかと言うと、ひとりの被害者の自宅から発見されたパソコン内のメモに従って、彼の事件当日の足取りを再現しているのだ。同じ時間帯に同じ場所を通れば、何か見えて来るかも知れない。とにかく野生の勘を頼りにして歩いてみようと言う事なのだ。
こう言う、地道な活動をする時には何時も迷いが生じる。もしかして遠回りなんじゃないのか、ただ手間を掛けているだけなんじゃないのか、そしてまた手遅れになったらどうしようか。いろいろと想いが、考えれば考えるだけ湧いては渦巻くのだが、それも全て、己の信念に基づいて、と言い聞かせながら彩は歩き続けるのだ。
大丈夫、きっと私はちゃんと出来る。
その男性は、その日は仕事を終えてから近くのショップに寄ったらしい。そこで特価のコンピューターパーツを買い求めて帰路に付く。途中、夕食にとベーカリーショップでサンドイッチとフィッシュバーガーを買って。そしてそこから自宅への帰り道、途中にある廃墟と化した旧工場の空き地で、死体となって発見されたのだった。
何故彼はこんな場所に足を踏み入れたのかしら。…別段用事があった訳でないのなら、誰かに呼ばれた、若しくは連れ込まれた?
人が足を向けると言う行為の為には余りに意味のないような場所であるが、故に誰でもそこに居てもおかしくないとも言えるのだろう。それだけに、場所に対する特異性は薄いとの捜査陣の見解であった。
彩は、ゆっくりとした歩調で、その旧工場の跡地へと向かう。でこぼこと足場の悪い所を、時々躓いて転び掛けながらも奥へ奥へと進む。夕暮れから既にそこそこの時間が経っている、故に辺りはそろそろ夕闇に包まれるかといった時刻のようだ。彩には暗闇も余り意を成さないが、それでも視界が昼間程には効かない事は確かで、それがいつも以上に彩の神経を過敏にした。猫の姿であれば、銀の髭は当然の事、背中から尻尾の先まで、静電気のように毛を逆立てている事だろう。そのお蔭であろうか。彩は、その奥の部屋に何かの気配を敏感に感じ取る事が出来たのだ。
「………誰…ですか………?」
〜3〜
声を掛けても当然の如く、部屋の奥からは返答はない。だが、確かに誰かが居る気配はするのだ。彩はごくりと唾を飲み込み、意を決して足を踏み出す。ゆっくりと扉を押し開けてみると、そこは何の部屋だったのか、雑多に壊れた椅子やテーブルが転がった広い部屋であった。その部屋の、ガラスの割れた窓際に誰かが居る。男だ。
恐ろしく背の高い男であった。いや、そう見えただけで、実際は少し背が高い程度だったかも知れない。ただ、細身であるうえに真っ黒の足首辺りまであるようなロングコートを身に纏い、頭部は比較的小さめであるが故の錯覚かも知れない。だが、彼が容疑者である事は、何も言葉を交わさずとも彩には分かった。勘、であろうか。ぞくりと背筋が凍りつくような気がした。緊張からか、パチパチと放電した雷の力が、彩の周りの大気を微細なフラッシュのように煌めかせた。
「…ほぅ。雷の力を用いるか。自分からやって来るからどんな奴かと思えば、腕に覚えがあると言う事か?」
男の声は甘く、少し掠れていて官能的であるが、どこか抑揚がなく淡々として無機質だった。振り向いたその顔は彩と同じような銀の髪であったが、彩のとは比べ物にならない程に作り物染みている。整ったその容姿も、際立った美貌であるが故にどこか嘘臭い。一目散に逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑えて足元を踏み締め、彩は男と対峙した。
「腕に覚えなんかはありません、私はただ、ここで暮らす皆さんの不安や怖れを取り除きたいと思っているだけです」
貴方は、殺人犯なのでしょう。さすがにそうとは言葉に出せなかったが、男には彩が何を言いたいのか分かったようだ。その酷薄そうな薄い唇を笑みの形にすると、彼はゆっくりと身体の向きを変えて彩と向き合う。たん、と床を蹴った男が、床の上数センチを浮いたような状態で、滑るようにして一気に彩の方へと近付いて来た。
「!!」
咄嗟に彩が雷の壁を己の前に造る。バシッと激しいプラズマの炸裂音と目を眩ませる程の閃光が弾けたが、男に対する牽制にはならなかったらしい、黒い革手袋をした大きな手が、雷の壁を裂いて彩の方へと伸びる、その細い顎をぐいと掴んで自分の方へと引き寄せた。悲鳴を飲み込んで、彩は銀の瞳で男を見上げる。見れば見る程、惚れ惚れするような美男子だが、その奥底に眠る狂喜の匂いに、彩は猫の姿でもないのに背中の毛がざわりと逆立った。
「………………」
暫く、男はそのまま彩の瞳を見つめ続ける。彼の目にはキッと気丈にも男を睨みつける彩の姿が映っている。それはそのまま、男の脳裏に取り込まれて分析されているかのような印象を受けた。やがて、彼は彩の顎を掴んでいた手をぱっと放して開放する。その場にしゃがみ込んだ彩が、無意識でか細かい放電の鎧をその身に纏うのを、男は口元に笑みを浮べたまま見下ろした。
「お前では駄目だ」
「……え?」
ふと漏れた男の言葉に、彩が小さな声で聞き返す。踵を返して窓の方へと向かおうとしていた男は、首だけ捻って振り返り、また口端だけで笑みを刻んだ。
「お前の中には、私の力になるような感情が無い。私は、人の心にある感情を表現する言葉、それを媒体にして能力を行使する者」
それだけ言い残すと、男は姿を消す。それはまるで、水に何かの液体が溶けていくかのように、とろりと僅かに粘液質な感覚を残していた。
「……………」
全ての緊張から開放された彩は、だがそのまま当分の間しゃがみ込んでいた。ふと、彩の銀の瞳がぱちりとカメラがシャッターを押すように瞬きをする。
「……身も凍る恐怖」
だから凍ってしまったのか。一つの事件例を思い出し、ようやく男の言葉が理解出来たのであった。
おわり。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 0284 / 森杜・彩 / 女 / 18歳 / 一般人 】
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■ ライター通信 ■
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何やってたんだとお叱りを受けるぐらいでしょうか、大変お待たせをして申し訳ありません、ライターの碧川桜です。
森杜・彩様、はじめまして!お会い出来て光栄です。碧川のアナザーレポート、初のゲームノベルにご参加頂きまして、誠に有り難うございます。
今回のシナリオは少々抽象的過ぎたような衒いもありまして…その辺は申し訳なく。結局、今回は男に会っただけと言う形になってしまいました。名前さえ名乗ってませんね(汗)
こんな形で纏めさせて頂きましたが、如何だったでしょうか?
それでは今回はこの辺で。またお会い出来る事をお祈りしつつ…。
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