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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『おさななじみ』

 ブダペストという土地は、この年の前半、いささかならず特殊な状況下にあった。この年のブダペストを巡る奇妙な因縁は、挙げていけばきりがない。それも夏が来る頃には良かれ悪しかれ終息へと向かっていたのだったが、まだ春という頃には先行きは見えなかった。
 そんな時代、そんな年、そんな時の、そんな場所に、十五歳の彼らはいた。

 斗南皇璃は、ブダペストの地下洞窟を調査する調査隊に届いた荷物の整理を行なっていた。それは、この頃の皇璃にとっては日課のようなものであった。その荷物の多くは私用も公用も、プラハから届いた物。
「あ、憐あてだ」
 宛名をチェックしていた皇璃は、箱の一つが幼馴染みあての物であることを見つけた。差し出し人の名は、やはりプラハに住む幼馴染みの美しい母だ。
 ブダペストの調査に出向いてきた調査隊のメンバーには、プラハを本来の居住地とする者が多い。それは皇璃もそうであったし、皇璃の幼馴染みの不破憐も……幼馴染みなのだから当然のことかもしれないが、そうだった。
「後は……これは、僕のか」
 次に見た箱は、皇璃自身にあてた物だった。差出人は、皇璃の両親である。どちらの中身も、皇璃には予測がついた。日用品と、差し入れのお菓子か何かだろう。箱が大きいのは、両親のいない者も多い調査隊のメンバーたちに、おすそわけを見込んでいるせいだ。
 さて調査隊のメンバーの偏りは、エヴァーグリーンという共同体に労力を提供する者で、特に危険を伴う特殊な場所に向かう者に、プラハ研という組織に所属する者が多いということに由来する。さて、ではその理由はと言えば……世界を揺るがせた『審判の日』という全世界規模の災厄以降の暗黒期を、多くの都市が生きるので精一杯、限定的に機能を復興させるのに精一杯であったのに対し、プラハはその都市内に擁していた超能力研究所にいた数百人の超能力被験者の尽力によって他の土地よりも軽度の憂鬱で済ませることができたからである。プラハがその後、災厄から市民を救ったその超能力研究所……通称『プラハ研』を中心に動くようになったことは、暗黒期を生き抜くためには、当然の流れであった。力なき者は生きられぬ、そんな秩序の崩壊の時代が暗黒期であったからだ。
 復興を先んじたプラハは、周囲の都市郡にも援助の手を差し伸べた。そもそも、その経過で生まれた物が、エヴァーグリーンという共同体である。
 若い皇璃と憐が所属する組織もまた、プラハ研であった。だが、彼らはプラハ研に所属し、その半数となるエスパーではない。被検体である人造エスパーたちと同年齢以下でありながら、医療スタッフと呼ばれる研究者の側に籍を置いている。
 もっとも若さ故に、まだまだ重要職には遠く、二人とも雑用を担っている部分が大きかったが。この荷物整理などはその代表的なものだろう。
「とりあえず、今日はこれだけかな」
 伝票を覗き込むために屈めていた腰を伸ばし、筋肉を伸ばすように伸びをする。皇璃はそれから、自分あてと憐あての荷物を積み上げて持ちあげた。
「よいしょ……っと」
 体育会系とは言えない皇璃だったが、これくらいは持てないことはない。そしてそれを持って、皇璃は倉庫を出ていった。

「荷物? ままから?」
 キッチンで食事の下ごしらえをしていた幼馴染みのところに皇璃がそれを持っていくと、憐は輝く笑顔で走り寄ってきた。
「憐、荷物開けるだろう。ちょっと休憩したら?」
 皇璃の勧めに、憐は素直に頷く。
「じゃ、ちょっとここ、片づけちゃうね」
 今まで作業していたキッチンテーブルに、ぱたぱたと小走りに戻りかけ……
「皇璃くんの荷物もあるの?」
 途中で気づいたように、憐は振り返った。
「うん、父さんと母さんからね。下の箱がそうだよ」
「じゃあ、いっしょに開けようよ! お茶も淹れるね」
 皇璃の最も古い記憶に残る幼い憐と変わりない、あどけない笑みを満面に浮かべ、憐は皇璃を手招きする。憐とお茶を一服することに、皇璃に否やがあるはずもなかった。
 皇璃はテーブルまで箱を運んで行き、簡単に片づけられたテーブルの上にそれを置いた。同時に台所用の封切りナイフを手に取ろうとした憐の手を急いで押さえ、ナイフを先に手にとった。
 手の中に納まるはずだったナイフが目の前でさらわれていったことに、憐は少々困惑の表情を浮かべ、それからちょっとだけ抗議の視線を皇璃に向ける。
 だが、それに動じることなく、皇璃は穏やかな笑みで憐に断った。
「封は僕が切っておいてあげるから、憐はお茶を淹れてよ」
 憐には出来るだけ危ないことをさせたくないというのが、皇璃の本音である。見張るにも限界があることはわかっているが、目の前で怪我をされてはかなわない、というところだろうか。
 もっとも、これが憐のドジが人並み程度ならば、ここまで思うこともなかったかもしれないが……時々、憐は致命的にドジなので。皇璃に限らず、憐の幼馴染みたちは憐に、できるだけ危ないことをさせたがらない。
「うん、じゃ、淹れてくるね」
 皇璃の意図には気づくことなく、ただその方が効率的だと思ったのか、憐はぱっと笑顔に変わった。自らのドジや回りに大切にされていることには憐も気づいているのだが、微妙に普通とはずれた感性の持ち主である憐は、細かい一つ一つの事象とそれは正しく繋がらない節がある。
 それがいわゆる『天然ボケ』というところだろう。
 憐の後ろ姿を見て、ふう、と息を吐くと、皇璃は憐の戻って来る前にとナイフを箱の封をしているテープに差し込んだ。

 お茶の支度を整えて憐が戻って来ると、荷物の封は綺麗に切られていた。
 ううん……あたしじゃこうはいかないや……と、憐はそれを見てうなる。ここで、『やっぱり皇璃くんに任せてよかった☆』と考えるところが、憐らしいところだ。
 そして早速に、箱の中を覗き込む。
「わあ、お菓子がいっぱい!」
 箱の中には日持ちのする焼き菓子が詰まっていた。甘い懐かしい匂い。
 示し合わせたかのように、皇璃の両親から届いた物も、色々なお菓子だった。
 そして、その中に紛れて、数枚の写真が。
「わあ……これ、すっごい懐かしい……」
 それは、憐と皇璃が初めて出会った頃の写真だった。お互いにまだ3歳。そしてその写真から窺い知ることは難しいが、それはまだ暗黒の時代の……数少ない写真だ。二人が三つということは、審判の日より三年しか経っていないということでもあるのだから。
 それはけして穏やかではなく、安定してもおらず、平和でもなく、どこであれ生きるのが精一杯だった時代。だが、そんなことを子供たちに悟らせぬように、親たちが懸命に気を配っていたことも、今ならばわかる。
 その色褪せた写真の中の二人の笑顔が、それを物語っている。
「まま、どうしてるかなあ」
 母親の味を噛み締めて、憐は母の思い出に耽っているようだった。激動の時代の中でも、幸せはあった……そんな憐の顔を見て、皇璃もまた記憶の糸をたぐり始めた。
「ねえ……憐。憶えてる? この時のこと」


「だぁれ?」
 ひょこんと壁の向こうから顔を出したのは、黒髪の少女だった。丸い大きな瞳の愛らしい、明らかに東洋の血筋の少女だった。
 皇璃も東洋のルーツであると言えばあるが、見た目はまったくの欧州人である。
 東洋人の姿は、このプラハでは珍しいとも言えたし、珍しくないとも言えた。街中にはけして多くはなかったけれど、いるところにはかなりの数がいたからだ。たとえば……
 今、皇璃が両親と共に訪ねてきたプラハ研には、たくさんの東洋人の子供たちがいる。超能力実験に協力したカップルに、東洋人、特に日本人が多かったせいだ。あの『審判の日』のせいで、故国に帰れなくなった彼らは今も、このプラハ研に身を寄せている。
 ルーツを同じくする者たちが異国で協力しあうことは珍しくない。だから、日系人たちはプラハ研に集まってくることが多かった。
 今、皇璃とその両親がそうであるように……憐と、母親もそうであった。
「だぁれ?」
 もう一度、その少女……幼い憐は問いかけてきた。壁に半分以上隠れた様子が、なんだかとても可愛らしいものに皇璃には思えた。
「ぼくは、おうり。きみは?」
 とても綺麗な子だと思った。
「あたし、れん」
 憐はもう少しだけ、壁から顔を出した。
「どうしてそんなところにいるの? ひとりなの?」
 うかつに近づくと逃げてしまいそうな気がして、皇璃はそろそろと憐に近づいていった。
「……まいごになっちゃったの」
「まいご?」
「うん……ままがいないの」
 迷子になった事実を思い出したように、憐は瞳を潤ませる。
「な……ないちゃだめ! いっしょにおかあさん、さがしてあげるから」
 今にも泣きそうな憐に気がつくと、皇璃は慌てた。残りの距離を、ぱっとそこで走って、憐の手を取る。
「いっしょに……?」
 いまだ潤んだ瞳で、憐は皇璃を覗き込んだ。その愛らしさにドキリとしながら、皇璃は頷く。
「うん……じゃ、あたしなかない」
 ぱっと花が綻ぶように、憐は笑った……


「い、一応……」
 憐は恥ずかしそうな顔で、目を伏せている。恥ずかしいのは、迷子になったことを思い出したからだろう。
 もしもあの時、皇璃が心に決めたことを憐が知ったなら、もっと恥ずかしがるかもしれなかったが……まだ、それは憐は知らないはずだった。そうまだ、憐には言っていない。あの時、皇璃は憐をお嫁さんにするのだと決めたなんてことは。一目惚れという物が本当にあるのなら、あれがきっと一目惚れだったのだろう。
 そしてあれから、何一つ二人の関係は変わっていない。迷子の憐の手を引いて、母親を探したあの日から。それは嬉しいことでもあり……
「憐、顔、真赤だよ」
「……」
 指摘されると、黙って憐は両頬を手で覆った。憐はぼんやりしているように見えて、実は表情豊かだ。
「僕、憐がもっと恥ずかしくなるようなこと、言えるけど」
「えっ!?」
 憐は慌てた顔を皇璃に向けた。
「あたし、まだ何かしてたっけ〜!?」
 自分が何かしたことを忘れていると、憐は思い込んだらしい。
 皇璃は微苦笑して、そういうわけじゃないよ、と憐の勘違いをただす。憐はほっとした顔を見せつつ、じゃあ、何? と首を傾げた。
 ここで、その『何か』に思い当たらないところが、憐の憐たるところだろうか。まだ子供だと……いや、憐は眠り姫だと、皇璃は思ってきた。でも、そろそろ目覚めて欲しい年頃でもある。
「……まったく、思い当たらない?」
 皇璃がそう言うと、憐は少し俯いて考えこんでしまった。思いつかないのか、思いついていても口に出さないのか……それはわからない。
 いや、以前なら、絶対に思いついていないのだと断言できたけれど。
 今は……
「じゃあね、宿題にしよう」
「宿題?」
「そう、考えてみて」
 今は、もう、微かな期待を抱いてしまう。
 もう、変わってもいい季節にさしかかっているのではないか、と。
「考えてみて」

 ……長い長い穏やかな春が終わって、もうじき、夏がやって来る。