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<東京怪談ノベル(シングル)>


『みけねこ』

 魔狩りの仕事を終えた森杜彩は、獣化した状態そのままで寝入っていた。体力回復や再生能力の効率を考えてこのまま寝たのである。
 勿論このまま朝まで睡眠を取れば次の日には元気な彩へと戻る筈であった。
 だがしかし、それは予想もつかぬ妨害により見事妨げられてしまう。



 ───深夜、既に時計は零時を告げている頃ではないか?
 静けさを保つ室内。物音一つせず気配すらない彩の自室。
 しかし彩は、布団の中で妙なこそばゆさを感じもぞもぞと動いていた。手で顔や頭をこすってみたり、足を摺り寄せては離してみたり、時折尻尾が揺れ。それも全て睡眠中であるため無意識だが。
 やはり、おかしい。
 うっすらと瞼を開いて、辺りを見回す。
 外は暗い。当然朝とは思えず、ゆっくりと休養するつもりが何故このような時間帯に目が覚めてしまったのだろう。誰かが此処へ訪ねてきたわけでもない。声をかけられた覚えもなく、まさかこんな時間だからとはいえ泥棒は考えにくい。その手の気配に敏感なのだから、気づかず此処でのんびり覚醒している筈もない。
 おかしいのは自身の体。どこかむずがゆく、どこか違和感が。
 起きたばかりで寝惚けているのだろうか。
 仕方ない、と彩は室内の明かりを点けた。こう目が覚めてしまってはなかなか寝付けない。
 パチパチと電灯が点滅ししっかりと部屋が明るくなってから、彩はふと鏡を見た。
 大きな鏡。姿一面を映し出すそれには、寝惚け眼の自分がいる───と思ったのだが。
「!?」
 思わずがしりと鏡に掴みかかってしまった。反動でガタンと鏡が前後に揺れる。
 ───本来、獣人姿の彩は白銀の毛に覆われている。限りなく猫に近い姿であり、耳、尻尾、手足、きちんと髭も鼻の下に存在する。そう、『白銀』なのだ。
 では、この鏡の中で自分と同じ動きをしている『三毛猫姿の獣人』は誰なのだろう。
 三毛猫といえば、白と黒と茶が入り混じった模様をしている猫の事なのだが。
 彩は元々白銀一色の毛色をしているのだから、この三毛猫は明らかに在り得ない。
 ───否。毛が三毛猫系統に変色したのではなくて。
「・・・・・・」
 これは、どうやらマジックでの悪戯書きらしい。
 こんな事をしでかすのは一人しかいないと記憶にインプットしている。誰なのかまでは言わずもがなであるけれど。同じ魔狩りの仕事で疲れているだろうに、何とマメな人なのか。
 溜息をつき、片腕にしっかりと描かれた模様を嗅ぎ取れば、そこからはあの油性マジックの独特な香りがツーンと漂ってくる。水性じゃないのだと、彩は再度嘆息した。
 これでまさか社務所に立つわけにもいかない。獣化しているから『三毛猫』で済んでいるものの、人間へと姿を戻せばまさに南洋系民族のようである。それだけは避けたい。それだけは何があっても避けて通りたい。
 考えている暇はない、と、彩は着替えとタオルを数枚持って部屋から出た。


 油性は落ちにくい。というより無事落ちてくれるのだろうか。
 向かった先は裏の森。そこには泉がある。深夜ならば誰かが覗く心配もなく、そのまま泉を拝借して三毛猫模様を落とす事にしたのだ。
 桶に水をたっぷり汲んでタオルに染み込ませてから、獣毛で覆われた体を強く擦り始めた。毛の隅々まで色が入っているようで、少し擦ったくらいでは落ちてくれそうにもない。それでもめげず落とそうと頑張り続けている内に、ほんの少量だが色が落ち始めた。桶を手にし頭から水を被ると、流れた水の中に黒や茶などのマジックが混ざっているのが判る。
 だがそれでも、ほとんど見た目が変わらない。
 何とか朝までに落とさねば、朝食の用意やら掃除やら社務所勤めやらで体を洗う時間などない。
 それに、このままで悪戯をしたその『誰か』に姿を見せるというのは───許せない。
 落とさなければ。
 けれど、ただ水で洗うだけで油性マジックが落ちるのか。
 ここで石鹸や洗剤は御法度だ。泉の水を汚してはならない。ならば風呂場で湯を沸かせば、とも考えたのだが、家族を起こしかねないし迷惑になってしまう。三毛猫姿を見られるのも、かなり恥ずかしい。はっきり言えば、嫌だ。
 今頃これをやらかした張本人はすやすや快適に眠っているのだと思うと激しく悔しい。自分だって何もなければゆっくりと幸せに眠りこけているのに。
 しかし朝まで気づかず普通に着替えて家族の前に出る、という展開も遠慮したい。急な用事でもなければ朝は鏡を見るので、気づかずにというのはないだろうけれど。
 ───勘弁してください。
 そんな想いを胸に、彩は泣く泣く新しいタオルを水につけて体を擦り始めるのだった。



 そうしている間に朝は訪れて。
 だが、泉に彩の姿はなかった。どうやら間に合ったようで、彼女は室内で全身を拭いて髪を乾かし、残されたほんの短い睡眠時間を貪っていたのだった。
 その顔に、疲労困憊の文字を刻みつけながら。