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<東京怪談ノベル(シングル)>


『この想い、身を焦がして』

 父方の神社で仕事をする彩にも、大体月に二日の休みが必ず一度はある。その日ばかりは日中の務めも裏家業も、兄の言いつけや魔狩りも、家事手伝いも一切行わずに自室にこもるのだ。それは与えられた休暇をのんびり過ごす、といったニュアンスとはかけ離れていて、実際は自室で地獄絵図にも似た苦渋に耐えている。形容し難い、苦悶を。
 女性特有、月に一度ある肉体に起こる苦痛。これが起こるわけなのだが、それとはまた別に「猫特有」の日も重なってしまう。文字で表すのなら───痛い、が正しいのかもしれない。
 気持ち悪さや重いなどという不快は幸いほとんどない。
 しかしこの痛み。気を抜いてしまえば───





 ガタンッ

 思わず外への扉を開こうとした自分を何とか押し留め、彩はその場にうずくまった。鈍痛に顔は歪み、額に脂汗をびっしりと浮かばせながら何とか室内の奥まで戻る。
 ───駄目。外へ出ては駄目。
 手首をきついくらい握り締め、何とかこみ上げてきた欲を抑え込む。
 この日。それは女性特有の痛みだけではなく、その痛みに気を取られてしまえば今度は猫特有のとある欲求が体全体を支配してしまう。そうすれば、あとはただ本能のままに体が動き自分ではどうにもできなくなってしまうのだ。
「お、お兄、様……」
 この欲が完全に己の理性を飛び越えれば、あとはそのまま、兄を求める。
 何ておぞましい。何て汚らしい。猫、獣の本能なんてそれだけ。欲望は体の底から湧き上がり、ある意味体の痛みよりも耐え難い苦痛を彩に与える。
 肉体的な不快感なんて、耐えられる。
 身を劈くような精神的苦痛に比べれば、こんなものどうにでも。
 ───けれど、兄にはこんな姿見せたくない。
 自分の想いとはまた別に、ただ動物の如く相手を貪るこんな姿、誰よりも何よりも、兄になんて見せられない。目の前には出られない。姿を見せ合えば最後、きっと自分は欲に負ける。
「ッ……!!」
 ほら、まただ。あの人の姿、体温をこうして思い描いただけで、足は自然に外へ出向こうとする。また押し留まって、嫌だとかぶりを振って、唇を噛み切るような勢いで口を閉ざして耐える。
 これが朝から、次の日までずっと続く。それは本当にさながら地獄絵図で、心と肉体の葛藤となって彩を心身ともに苛む。つらい、なんて弱音は吐けない。会いたい、なんて甘えは許されない。例えこの身が千切れ弾けてしまったとしても、自分を抑圧しなければいけないのだ。
 だからこそこの休日、痛みと欲の突破口を自ら見出さないために自室にこもる。誰にも会わず、独り静かな部屋で全てを耐えて過ごす。
 外から何か物音がするだけで、もしかして、と期待してしまう辺り情けない。
 ───来る筈ないのに。来てはいけないのに。
 こんな日だからこそ、独りは本当に寂しく感じてしまう。心に穴が開いたような、隙間風が吹いているような、そんな言い回しが当てはまると言っていい。
 仕事の妨害をするからといって、それを心底嫌悪しているわけではない。むしろ孤独感を覚えないのだからこの「痛み」を余計酷く感じてしまう。調子が良い、と彩は自嘲の笑みを浮かべる。
 膝を抱え、訪れる全ての痛みに耐え、涙混じりに瞳が揺れても。
 ───この想いだからこそ、私は、耐えなければ。
 こんなみっともない姿、兄には曝け出せない。そんな事したって自分がみじめになるだけ。



 そして二日目。
 痛みも欲も関係ないこの日。文字通り死んだように眠る彩が、自室にいる。規則正しい寝息を立てるが、遠目からは本当にもう二度と目覚めないのではと誤解してしまうほど動かない。さすがにこの日ばかりは兄も彩とコンタクトを取ろうとはしない。
 この眠りは心身の疲労を回復するためなのか、ただ訪れる習慣なのか。
 判断はできないが、昨日とは違い欲が体を支配する事もないのだから楽であろう。目覚めず、丸一日夢の中で過ごすのは鈍痛と欲望を抑圧しながら孤独に室内で過ごすよりよっぽど良い。
 いや、夢は見るのだろうか。
 ひたすら眠り、絵も音も理性も本能も何もない世界まで、堕ちているのかもしれない。





 ───風が吹き、少し開いた窓から彩の銀髪を揺らす。
 太陽の日差しで煌く一房。小鳥の鳴き声、風に混じった香り。それらを感じ取る余裕は両日共にあらず、本当に孤独だ。人とも自然とも触れ合えないのだから。
 想いを捨てれば楽になれそうだが、それこそ耐え難い苦痛だ。

 この想い、身を焦がす苦痛があるからこそ、成り立つのだから。