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邂逅〜運命の瞬間〜
とある一室。
そこで、幾つかの資料の整理をしているのは、中性的な顔立ちを持ち、常に口元には皮肉そうな笑みを浮かべる男――ウィルクラウト・エルケーニヒ。
元『エヴァーグリーン』の医療スタッフであった彼は、現在では発火能力者(パイロキネシスト)についての研究者として、日夜データ収集に余念がない。今整理している資料も、ここ数年で集めたデータだ。
ふと、手にした資料。
何気なく目を通した途端、思わず彼の手が止まる。
その瞬間。
彼の口元に、皮肉ではない、本当に苦笑めいた笑みが刻まれる。普段の彼を知る者が目撃したならば、きっと我が目を疑うことだろう。それほどウィルクラフトという青年は、滅多に感情を表に出さない人物として周囲に認識されていた。
同時に彼の脳裏に蘇ったのは、自分を呼ぶ少し甲高い声。
『ウィル!』
自分の愛称を呼ぶ、唯一の人物。炎の如き髪と瞳を持つ、気性すら烈火のような少女――カペラ・アトライル。
当初、研究対象である能力を持つ彼女への興味から始まった関係は、気が付けば互いを相棒と呼べるところまで深い繋がりになっていた。今では彼女の居ない生活など考えられない。
もっとも。
「気が付かないだけ、だったのかもしれないな――」
窓の外から射し込む日差し。見上げれば、青い空が広がる。
そう。
あの時も、こんな晴れた日の事だった――――。
◇
抜けるような青い空。
ふらりと散歩に出たウィルは、久々にのんびりした気分を味わっていた。
世界を襲った『審判の日』。全てを破壊し尽くした後の殺伐とした世界の中で、ここまで穏やかな心地になったのは初めてだった。
軽く腕を伸ばしながら、少し遠出をしようと街を抜け、半時も過ぎた頃。
不意に聞こえた喧騒。
最初は気にも止めなかったものの、次第に大きくなるそれに、流石に彼も少し気分を損なわせた。折角の穏やかな気持ちが台無しだ。
些かの腹立ちも含め、彼は喧騒がする方へと歩き出した。
「ちょっ、何なのよ、あなた達! いい加減にしなさいよ!」
「だったら、出すモン出しやがれ」
「そうそう、姉ちゃんもその綺麗な顔に傷なんて付けたくないだろ」
少女は、頭に血が上っていた。
突如現れた野盗の男達。弱者から力ずくで金品を奪うという行為自体腹が立つが、なにより一人きりの自分に対して、多勢で取り囲むという根性が気に入らない。
この荒廃した世界。一人で生きてきた少女にとって、それは卑怯以外の何者でもない。
高ぶる感情に身を震わせる。
「へへ、姉ちゃん震えてるぜ。強がってねぇで、さっさとしな」
怯えている、と相手は受け取ったようだ。その誤解を解く義理なんて――ない。
ポンと肩に手を置いた男を紅蓮の瞳で睨み、ただ念じただけ。
「離しなさいよ」
直後。
「うわぁっっ!?」
男の絶叫が周囲に轟く。素早く腕を振り払い、彼らとの距離を取った。
悲鳴を上げた男は、自らの腕を焼いた炎を必死で消そうと地面を転げ回る。その姿をただ無情に眺める少女。
「こ、こいつ?!」
「エスパーか!」
驚愕に目を見開く男達。その視線は、まるで化け物でも見るような態度だ。彼女にとってそれは慣れたもの。今更臆す事などない。
一旦置いた距離を、再び縮めるべく一歩を踏み出す。
が、今度は男達の方がびくりと後退る。
(…情けない……)
異能と呼べる力。ただそれを示しただけなのに、さっきまで盗賊の威勢を見せていた男達は、あっさりと怯えている。
こんな奴らに力を使う事すらもったいない。
すっと腕を彼らに向けて突き出す。
「ひぃぃ!」
「失せろ!」
横に薙ぎ払う。
同時に炎の柱が一直線に走った。もはや相手を倒すことに興味をなくした少女は、力は最小に抑えていた。それでも、逃げる男達の衣服や手足に火傷を負わせるには十分。
一目散に逃げ出した彼らの背中を興味なさげに見送り、ようやく全身の力を抜く。肩までのストレートの髪を軽く払い、軽く息を吐こうとしたその時。
その場にもう一つ、気配を感じた。
「誰ッ?」
慌てて振り向いたその先に――好奇に目を輝かせている男が一人。
それが、緋色を纏う発火能力者(パイロキネシスト)であるカペラと、飄々な態度を崩さぬ研究者たるウィルクラウトの、最初の出会いであった――。
◇
一目見た瞬間。
心がざわつくのを感じた。
燃え上がった炎。それに照らされた紅蓮の髪。見つめる緋色の瞳。
まさに己の研究対象にうってつけだ、と確信したウィルは、すぐさまカペラに声をかけた。
「ぜ、是非、ご一緒させてください!」
それがナンパである事に気付いているのかいないのか。おそらく後者であろう彼の行動は、猛アタックという名に相応しいものだった。
対するカペラが、どれだけ警戒していたのだとしても。
「あなた…一体なんなのよ。しつこいんだから」
勧誘の言葉を悉く切り捨て、彼女は歩き続ける。
その後をゆっくりと追うウィル。その間にも彼の説明は続く。
曰く。
自分は発火能力の研究者である。
是非ともキミの能力を調べてみたい。
炎を使った時のキミの姿は素晴らしかった。
その炎のような髪と瞳が能力とどう関係しているのか調べさせて欲しい、等々。
まさにうんざりする程の言葉攻めだ。
ますます警戒心を強めるカペラは、キッと隣に立つ男を睨み付け、同時に腕が素早く繰り出された。
「ちょっと! あなた、いい加減にしてよ! あたしはそんな人体実験なんか付き合う気はないんだからね!」
強い眼差し。何もかもを燃やし尽くしてしまいそうな紅の瞳。高ぶる感情に紅蓮の髪が炎のように揺れている。
そんな彼女の様子を眺め、ウィルは今にもこの身が燃え尽きそうな錯覚を憶える。おそらく彼女がその気になれば、こんな肉体、いとも簡単に炎に包まれるだろう。
研究者としての冷静な思考が、そう警鐘を鳴らす。
だが、それでも。
彼女から目が離せない自分がいる。こんな事は今までなかった。研究対象へは常に一歩引いて観察していた筈なのに、今、目の前の少女に対してはこんなにものめり込んでいる事を自覚する。
そんな気持ちを――ウィルは知らなかった。
だから、先の言葉を聞いて、彼は思わずこう口走っていた。
「人体実験なんかではない。そんな事でキミを束縛するつもりなんてないよ。ただ、キミのその能力を――どうか私に調べさせて欲しい」
真摯な眼差し。その意志は固く、ウィルの本気をカペラは否が応でも知る。
「どうか……お願いだ、カペラ」
ドキリ、とした。
まだ警戒を緩める訳にはいかない。今まで出会った幾人もの関わりから学んだ処世術。
けれど。
ここまでされて、心が動かない訳じゃない。
じっと見つめ合う二人。
広がる青空。時折吹き抜ける風。どこかで小鳥がさえずっている。
互いに緊張した面持ちで。
――最初に力を抜いたのは、カペラの方だった。
「……いいよ」
「え?」
「どうせ暫くは暇だしね。あなたのやることに、付き合ってやってもいいよ」
「ほ…本当ですか?」
「ああ」
「あ、ありがとう!」
嬉しさのあまり、思わずカペラに抱きついてしまい、ウィルは思いっきりはたかれてしまう。そんな痛みすら気にならない程、今の彼は舞い上がるという場面もあったが。
ようやく落ち着いた段になって、二人は改めて自己紹介をした。
「私はウィルクラウト・エルケーニヒです。『ウィル』と呼んでください」
「あたしはカペラ。カペラ・アトライルだ。まあ…これからよろしくな、ウィル」
「ええ、カペラ。よろしくお願いします」
そうして差し出された手で、互いに握手を交わした。
◇
「――、――…ル、…ィル――――ウィル!」
耳元で怒鳴られ、思わず背筋を伸ばす。
「な、なんですかカペラ!」
「何、じゃないよ。さっきから呼んでるのに、全然返事しなかったじゃない」
「あ…そ、そうでしたか。申し訳ありません」
慌てて謝るウィルに、カペラの機嫌もすぐよくなる。元々、それほど怒っている訳ではなかったのだ。
手元の書類をファイルに綴じ、パタンと素早く閉じる。
「で? 何考えてたのよ?」
いかぶしげな瞳で彼を見る。紅の瞳は、変わらず炎の揺らめきを秘めている。
思わずにこりと笑んだ後、ファイルを片手に席を立つ。そのまま片付ける為に本棚へ足を運ぶ。
「別に対した事ではないよ。キミと初めて逢った時の事を思い出していただけです。随分と警戒していたキミの姿をね」
あの時からこの紅蓮の少女に惹かれていたのだと、今なら解る。自らの行動がいわゆるナンパであると、今更ながらに恥ずかしいばかりだ。
「さて…いつになったら届くのでしょうか…」
「えー? 今なんて言ったのー?」
小声の呟きはどうやらカペラの耳に届かなかったらしい。
安堵の息を一つ。どちらにせよ、彼女との関係はまだまだこれから。
「なんでもありません!」
幾分語尾を強くして、ウィルはそのままファイルの整理を始めた。
とある日の、よく晴れた日の出来事である――――。
【END】
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