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遣わされたモノ miserable creatures
しっとりと体に絡みつくような闇があたりを支配している。生暖かい空気が落ちた紙の破片を撒き散らしながら建物の中を走っていった。
天井から申し訳程度にぶら下がる蛍光灯は、時折思い出したかのように瞬く。蛍光灯の光は歩く二人の男を照らし出していた。
「ほぉ……。ではあいつは自らここに来た、とそういうわけだな」
先を行く男は口の端を器用に持ち上げた。
「はい。……すでにやつの自己進化が始まっています。このまま新鮮なDNAをとり続け戦闘経験を重ねると失敗作といえどもやっかいな存在になります」
少し遅れてついてくる男は、落ちてくる眼鏡をぐいっと持ち上げながら前を行く男に報告する。
「……『三番目の獅子』サード・レオ」
前を行く男はわずかな光の下、にやりと笑った。
くすんだ太陽光の降り注ぐ中、黒い装甲が朱理という名の少年の隣を駆け抜けていく。朱理は風にあおられた髪を首の動きだけで払いのけると、右腕で鼻の辺りをぬぐった。手についた真紅がかすかに頬の辺りに広がる。
朱理の右手には血に濡れたナイフが握られており、まだ薄く黒髪の張り付く中性的な顔は満たされたような、優しい笑みを浮かべている。その視線の先には黒い装甲が前かがみに何かに覆いかぶさり、無心に何かをしている。
「やはりお腹がすいていたのですね、レオ。最近はあまりおいしい食事をしていなかったでしょう?」
朱理は紅い目を細めて笑うと、ナイフに絡む真紅をぬぐい取った。優しい口調で話しかけられると、黒い装甲に身を包んだ男、レオは朱理の方をゆっくりと振り返った。その口元は赤茶けた色に染まり、布がいくつかぶら下がっている。まるで野生の獣のように、飢えた自らの欲を満たしていた。
「あまりがっつかないで下さいね」
朱理の言葉に低く長くレオは唸り声を上げる。朱理はそんなレオの様子に、満足するかのようにゆっくり目を伏せた。
薄暗い建物の中――
後ろの男はクリップボードに挟んだ紙に目を落としながら、再び眼鏡を押し上げる。
「……奴が『風道朱理』と出会ったのは不幸中の幸いです。奴は彼の命令なら聞くようですので」
顔を上げる。男の眼鏡に蛍光灯の明かりが白く反射し、表情を覆う。
「獅子を手なずけるとはな……。なんの能力もないただの『殺人鬼』が……」
もう一人の男は後ろに控える助手のような男の方へと体ごと向き直った。
「いかがしますか?」
眼鏡の男は姿勢を正してクリップボードを小脇に抱えた。
「……『リヴァイアサン』を使え」
「――リ、リヴァイアサンをっ……しかし奴はまだ最終調整が終わったばかりですが」
上司の言葉に、眼鏡の男は抱えたクリップボードを取り落とした。慌ててボードを拾うと、上司の言葉を確認する。
「何をそんなに慌てる。これは願ってもいない、絶好の機会だろう? 奴にはいいテストになる。命令は『風道朱理』と『サード・レオ』の破壊だ」
「は……」
眼鏡の男は命令を受けると、短く了解の意を上司に伝えた。
「念のためにお訊ねしておきます。やはりまだ試行段階であるという事には変わりありませんから……。もしリヴァイアサンが失敗した時にはいかがいたしましょう」
眼鏡の男の問いに、目の前の男は不敵に男に笑みを返した。
エンジン音が近くを走り抜けていく。朱理はエンジン音に惹かれて顔を向けた。はっきりとした姿は捉えられないものの、乾いた風の舞う先に、大きな影が立ち上る。朱理は頬の辺りにかすかに朱の色を残しながら、はるか先を見やる。目を細め、全身で届けられる風を受け止めながらしまいかけたナイフをその手に握りなおした。
足元からのこもった息遣いに、朱理は目を開けて下方にうずくまるレオの姿を確認した。
「お食事は終わったのですね。今日はどうやら忙しくさせてくれるみたいですよ。あなたも食後の運動に丁度良いでしょう?」
朱理は強い風の先の唸り声に、紅い目を細めたまま鋭い視線を送った。少しずつ朱理たちの方へとその大きな影は近寄ってくる。
そしてまた瞬く蛍光灯の下――
「……失敗したときは?」
眼鏡の男は上司の返事を催促する。
「自爆させろ。たとえ町ひとつ消えようともな」
なんでもないことであるかのように言ってのけると、男は楽しそうな笑い声を上げて眼鏡の男に背を向けて腐臭の中に消えていく。
「はい、了解です」
眼鏡の男はその場に残ると、男に向けて深々とお辞儀をした。そして眼鏡を抑えながら顔を上げる。その表情はこれから起こる事を楽しみにしているかのようだった。
頭上の蛍光灯が最後の力を振り絞るかのようにじわじわと長い点滅を繰り返した。眼鏡の男は笑みをたたえたままの表情で上空の蛍光灯を見上げた。
最後の力を使い果たしたかのように、蛍光灯が消える。辺りには漆黒の闇だけが残った。
朱理は向かい来る蒼い塊に右手に握ったナイフを掲げ、左手を添えた。まだその柄には乾ききらない血液がこびりついている。
「私達を奇襲しようなんて愚かとしか言えませんね」
蒼い塊はレオと同じような雰囲気を持っていた。まるで何かに作られたかのような、不自然すぎるほどに強化された体と装甲。レオと同じように、元は人だったのかもしれない。変形してしまって分かりにくくはあるが、確かに人と同じ部分に手や足が存在している。
少しばかり前かがみの姿勢で両手を武器として振るう姿は、遠い昔の恐竜を思わせた。とても理性を持っているとは思えない動きに、朱理はその表情を輝かせた。
「――あなたは強そうですね。ぜひ私を落胆させないで下さいね」
朱理は軽く身を沈めると、跳躍のために体を丸めた。
「レオ!」
レオは朱理の言葉に答えるように朱理の右を走り抜けると、蒼い塊に喰らいついた。間もなく朱理もそれに追いつき、ナイフを上段に構えて地面を蹴る。
と、左から爬虫類の尾のような金属の固まりが朱理の足を払おうと勢いよく滑り込んできた。朱理は蒼い装甲の一部にナイフを差し込むと、ナイフに捕まって着地のタイミングをずらした。
「ぐぉぉぉぉ」
朱理のつきたてたナイフを振り払おうと無我夢中で腕と尾を左右に振り始める。朱理はナイフを抜き取りながら蒼い装甲を蹴り飛ばすと、一旦その場を離れた。唸り声を上げながら装甲が暴れる。レオもそれに巻き込まれまいと、素早い動きで蒼い装甲から離れると、攻撃が届くか届かないくらいの距離を保っている。蒼い装甲は苛々したようにレオに何度も手や尾を振るっていた。
「ぐぁぁぁぁ」
突然蒼い装甲は今までにない雄叫びを上げる。背をそらすようにして立ち上がると、尾で地面を叩き始めた。その姿はどう見ても、攻撃しようとしてやっている事とは思えない。
「レオ、何かおかしいですよ。少し下がってください」
レオは朱理に紅い瞳を向けていたかと思うと、身を屈めたままニ、三歩後ろへと退いた。蒼い装甲はそうしている間にも喉元に両手を運んで苦しげにかきむしっている。何かに操られているのだろうか。そしてそれの思うように事が運ばなかったために、何らかの指示が与えられているのかもしれない。朱理は様子を伺うような表情でじっと変化を見つめていた。
砂を蹴る音がして、朱理はとっさに音のした方を向いた。獣のように走り出したレオの姿を確認して思わず目を見開く。
「レオっ!」
暴れる蒼い装甲の後ろにしがみつくと、大きく口を開いてその首元に噛み付いた。金属がへし折られるような音がして、動きを止めたその体がレオと共に地面へと伏せた。
「レオ!」
朱理は堅くナイフを握り締めたまま蒼い装甲とレオの元へと走り寄る。その気配を感じてか、レオはゆっくりとした仕草で、口に塊をくわえたまま朱理の方を見た。その塊から幾つものコードが延び、煙を上げている。良く見ると、そのコードの間から、赤く光るデジタルの数字が見えた。
「時限爆弾……? 体に埋め込まれていたのですか……」
爆破の指令が届いたのだろう。それを理解してしまった蒼い装甲は自らの死を自覚して暴れてしまったのだろう。
「そうですか……指示した方から見れば、とんだ誤算ですね。お気の毒に……」
朱理は少しも同情しているそぶりも見せずに、呟きながら遠くの景色に目をやった。金属を砕くような音がレオの方から聞こえる。おそらく装置を噛み砕いているのだろう。
それにしてもなぜレオはその爆弾の装置に気付いたのか、どのようにして正確な場所を把握したのか。疑問が頭をもたげる。
「レオ……」
問いかけるつもりで呼びかけた朱理を、レオは金属片を踏み潰しながら見上げた。
もしかするとあの蒼い装甲を派遣したのは、レオを造りだした所なのではないだろうか。それならば合点がいく。レオがその装置に気付いた訳も、そして自分達を襲った訳も。
「行きましょうか」
朱理はそんな考えを少しも見せずに、レオに微笑んだ。レオは朱理の仕草を理解したのか、蒼い装甲を踏み潰しながら朱理の方に歩み寄った。
レオにもその装置がついていないとも限らない。朱理はそっとレオの方に視線を送った。相変わらずレオは斜め後ろに一定の距離を置いてついてきている。
「まぁ、その時はその時です……」
朱理は目を伏せて誰にともなく呟いた。言葉は誰の耳にも届くことなく、開かれた砂地の上に落ちていった。
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