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<東京怪談ノベル(シングル)>


『お祭り』

 ───朝から家中が慌しい。かくいう森杜彩も、早朝から巫女装束に割烹着を羽織った状態そのままで、朝食の後も忙しなく動き回っている。それは、今日、彩の住む神社がお祭りだからだろう。
 父は出店の打ち合わせ、彩は他雑用などを担当しちょこまかと出回っては残りの細かい作業などの手伝いで大忙しであった。境内の掃除やら何やらで本当に余裕がない。兄はといえば、それなりに重要な仕事を担当している筈なのだが。
 どうにも、部屋に篭りきりで外に出てくる様子が一切見られない。
 祭りは一般人で騒がしくなる。それ故、多々のトラブルを想定した上での仕事が、兄の役割。

 しかしこれでは、その仕事は───…




 そう。兄が部屋から出てこないのであれば、当然担当者は彩となる。父から直に申し付けられては断る理由もなく、彼女は泣く泣くその仕事場へと向かった。
 祭りの下準備として兄が任されていたのは、魔狩りの際に兄が封印したものの点検を兼ねた封印の強化である。祠、倉、それらに保管されたあらゆるものを一般客が手違いで解放してしまわないように呪符により強めておくのだ。
 彩の手元にはこの事態すら予想していたのか兄自身の呪符。何十枚という結構な束になったそれは、兄を呼びに部屋の前まで行ったらきっちりと廊下に放置されていた。
 その事を思い出しながら小走りに向かえば、神社の裏手に設置された、俗世とは隔離された空気を放つ祠がある。小規模な社だが、気を抜くわけにはいかない。それなりのものが封印されているのだから、しっかりと強化していかなければ。
 一枚一枚丁寧に祠に呪符を貼り付け、膝をつき手を合わせて祈りを捧げる。
 こんな裏にまで客がこないとも言い切れず、彩は最後にもう一枚だけ呪符を貼った。
 祠はこれだけでも十分だが、問題は倉の方だ。あそこには大量の封印物が置かれている。
 一息ついて立ち上がると、彩は即座に倉へと走った。



 軋む扉を何とか開き、まだ日中だというのにほとんど明かりを取り込まない中へと入る。埃もひどく、古めかしい造りの倉はあちらこちらに物が置かれて人が一人通るのが精一杯、という広さしかなかった。
 軽く咳き込み、奥へ奥へと歩く。
 手前には今日の祭りで使われる物がいくつか置いてあり、さらに奥には問題の封印物。
 積み重ねられた荷物を退けて進めば。
「……あった」
 その数、数え切れるだろうか。色彩艶やかな箱につめられ紐を巻かれた箱たち。呪符もやはり貼り付けられているが、既にすすを被り古ぼけた紙切れにしか見えないほどだ。
 兄が呪符を大量のよこしたのも、この数のせいなのだろう。
 新しい呪符を箱にどんどん貼り付けて、何度も祈りを捧げる。祠よりも数ではこちらがある意味厄介で、何か一つでも解放されれば騒ぎに連鎖し全てが封印を破るかもしれない。そんなときの事後処理を想像し、彩はうんざりした。面倒事は御免なのだ。せっかくの祭り、自分だって楽しみたい。
 一般客に被害が出るのも遠慮したい。
 どうしてこんな大役を自分に押し付けたのか、その理由がどうにも考えつかない。嫌がらせにしてはレベルに問題があるだろう。おそらくは、何か別の仕事でもしているのか、たんなる私事か。
 ───他にも仕事がある。
 考え始めた雑念を追い払い、彩は封印に集中する。この他にも雑用が残っているのだ。
 何とか全てに呪符を貼り終え、次に倉の壁に余りの呪符を貼っていく。壁、あるいは柱など倉全体を囲うように貼り巡らせば、一つの結界の効果がある。
 そうしてあと二枚、呪符が残った。これは扉の取っ手に貼ればいい。
 外へ出てゆっくりと扉を閉め鍵を掛けると、取っ手に一枚、鍵に一枚貼り付ける。
 これで終了だ。
「……つ、疲れた……」
 結構な時間を要したようで、外の空気はもう祭りモード全開である。集中していたので音も声も聴こえなかった。もう開始時間に差し掛かったようだ。
 疲労困憊、といった彩は自宅へと戻る。足取りも重く他の雑用をこなす暇さえなかったと少し落ち込み気味だが、次の声でその疲れが遥か彼方へと消し飛んだようだった。

 ───兄の声。彩を呼んだのだ。




 ……ぽつん、と廊下には彩一人。
 唖然とした表情で眼前の兄の部屋を見つめたまま動かない彼女の手には、何故か浴衣。黒地に白猫の柄といういかにも『手作り』なそれ。ばっと広げれば、数ヶ所糸が解れていたりする。
 何でも、『たまたま』彩のサイズに合う浴衣が『たまたま』手に入ったので、プレゼントだという。
 ───しかし。
「……お兄様、指の怪我、大丈夫ですか……?」
 緩む口元が抑えられない。兄の指のバンソーコーが痛々しいのを彩は見逃していない。
 閉められた扉にそっと額をつけて、微笑を浮かべる。
「ありがとうございます。お祭り、お兄様も行きませんか?」
 が、返って来たのは否。一人で行ってらっしゃい、とそれだけ。
 判りました、と彩は素直に頷き自室へと戻った。浴衣に着替え、普段は背中に流したままの銀髪を丁寧に梳いてから一束の三つ編みに結う。下駄を取り出して、兄のぬくもりを感じながら彩は外へ飛び出した。

 賑わい始めた人込みへ駆けて行く。
 からんころん、と、下駄の音を響かせて。