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■ダークフェザー〜無限の領域■
彼の視界の殆どは、空に広がる黒々とした闇によって失われていた。細々とした星の光は足下を明るく照らすには足らず、月はその姿の殆どを闇に隠している。僅かにひっかき傷のような三日月が除いているだけだ。
こんな夜は、あの悪夢を思い出してしまう。この深い闇のように、漆黒の影を自分に落とした翼を‥‥、死を‥‥。
だから彼は、相神黎司は、この中の誰よりも力を使う瞬間を恐れている。張りつめた緊張を、誰にも悟られないように冷たい表情の中に隠していた。与えられた任務を、きっちり遂行する。それは、自分の力が暴走しなかった事を示しているから。
仲間の指示を待ちながら、相神は建物の影から町はずれの森をじっと見つめていた。町の北側から、MSが三機と火器を搭載した車両が二台、迫っているのを確認している。兵士は六〇名ほど。彼らとて、審判の日の前までは軍に所属して人々守っていたのだろうが、今はかつての自分の任務とは全く逆の行為を人々に向けている。
『敵の目的は、食料とプラントだ。何としても、ここを守る』
仲間の声が、相神のなかに響く。
相神は、となりに立つ仲間にちらりと視線を向けた。ここに居るのは全部で6名。いくら相神達が能力者とて、八〇名もの兵士の相手が苦しいのは分かっている。
相神の脳裏に、フラッシュバックのように、あの日の出来事がよみがえる。瓦礫に埋もれた、小さな手‥‥。
仲間の合図を受け、相神は仲間のサポートを開始した。出来るだけ冷静で居る事、出来るだけ自分の力に意識を集中する事。
相神は、仲間の力を増幅する為に意識を集中する。
横を弾丸がかすめ、MSの歩行する振動が体に伝わる。
あの時の悪夢を繰り返さない為にも、相神は常に冷静でなければならない。仲間が力を解放し、MSを吹き飛ばす。兵士達の相手は、別の仲間がまとめて相手にしていた。
建物の中では、人々が息を殺して見守っている。
相神は、東側に意識を集中する。どうやら東側に回った仲間も、交戦状態に入ったらしい。しかし彼が苦戦しているのは、相神の心に伝わってくる。
(相神、行け)
青年の声が、相神に届く。しかし相神は答えなかった。僅かな心の揺れ、僅かな拍子で均衡が崩れる力を、全力で解放する事が怖かったから。
『‥‥サポートに徹します』
(相神!)
相神は、仲間の方を見る。MSの一撃は、簡単に仲間の体を跳ねとばし、地面にたたきつける。叩きつけられる銃弾は、仲間の力を持ってしてもすべて防ぐ事は出来なかった。
そして後方で轟く、砲撃の爆撃音。
コンクリートの壁が崩れ、土煙が巻き起こる。
フラッシュバックのように相神の中によみがえったのは、あの日の‥‥あの力が解放された日の出来事だった。
(相神‥‥)
この声は‥‥姉の声?
違う‥‥。相神は、自分のなかに意識を戻す。すぐそばで戦っていた仲間の起こした火が、爆発的に広がり、兵士や森を包み込んだ。
相神はじっと目を閉じて、拳を握りしめる。
(ここに居る人々を守る。‥‥それが僕の役目だ)
相神は自分に言い聞かせるように、心の中でつぶやいた。
目の前に広がった閃光。それは視界一杯に広がり、相神を覆い尽くした。体に衝撃が加わり、何かに叩きつけられた。上から小さな瓦礫のようなものが降り、相神の背中に積もっていく。
自分が地面に倒れている事、あちこちに怪我をしている事は分かった。おそらく、相手の砲撃によるショックだろう。
仲間を助けなければならない、自分の力を制御しなければならない。それは分かっていたが、相神は今自分の力がどういう状況にあるのか、まったく把握出来ていなかった。
再び、熱風が相神の体を舐めつける。
爆風が止むと、相神は手を地面に押しつけ、膝をついて体を起こした。痛みを耐え、視線をあげる。
立ち上がった相神は、眼前に広がる光景を目にして呆然とした。
(‥‥僕は‥‥)
相神は、自分の手の平をじっと見下ろす。
まだ、体は熱く火照っていた。
この手は、まだ人を、仲間を殺した余熱でじくじくと痺れている。
僕は‥‥僕はいつまで、この力に悩まされなければならない?
よろよろと、相神は歩き出した。仲間の姿も、敵の姿も、人々の顔も見えない。すべては瓦礫に埋もれ、冷たく暗い闇夜に包まれていた。
仲間を支えるはずの力、救うはずの力さえも、狂気の牙となってしまう。自分は、自分の力を押さえてやる事も、人を助ける事も出来ないのか。
相神は空を見上げた。
この押さえきれない力で、いつまで人を傷つけ続ければいい。
それとも、制御出来るようになる事など無いのか?
体に隠された黒い翼を、ゆっくりと開く。黒い翼は闇夜にとけ込み、緩やかな風と雷光の力を生み出す。瓦礫を崩壊し、塵にししながら、翼は舞い上がった。
答えを求めるように、相神は薄い三日月に向かって羽ばたき続ける。この力で、幾度も裏切られてきた。幾度も傷つけられてきた。
力を使うたびに大切なものを失うなら、このような力、持って生まれなければよかったのに。苦悶の表情を浮かべる相神。
失うだけなら、友など、大切な人など要らない。
それでも‥‥独りで生きていく事は出来ない。相神の心と傷は、独りで癒す事など出来ないのだから。
(姉さん‥‥)
あの優しい姉の笑顔と、自分を兄と慕っていた小さな少女は、もうどこにも居ない。相神の心の支えとなった友も仲間も、相神の力によってかき消されてしまった。
(終わりに‥‥しよう)
これ以上失うよりも、自分が消えた方がいい。
相神は、空に向かって飛び続けた。
夜の闇と僅かな月の光めがけて、墜ち続ける。
上昇するにつれて、気温は低下し、意識が薄れていく。
その時‥‥声が‥‥?
相神は意識を取り戻し、その声に耳を傾けた。
死の世界から友の呼ぶ声か、それとも相神の心の中から聞こえる幻なのか。死への飛行を止め、相神は周囲を見回した。
地上は遙か下に遠ざかっており、この周囲には誰も近づく者など無い。少なくとも、暗闇の夜空には誰の姿も無かった。
だが、確かに誰かの意識が感じられる。
(‥‥誰ですか?)
『‥‥れい‥‥』
意識は遠いが、心に響く凛とした少女の声だった。
自分の名前を呼び続けている。
(一体誰なんですか‥‥)
『‥‥行かないで、黎司‥‥』
相神は、自嘲するように微笑した。
(僕は‥‥もう誰も傷つけたくないんです。僕が居れば、きっとまた仲間を殺してしまう‥‥)
『私が居てあげる‥‥から‥‥』
暗闇の中に、何かが見える。何かの意識が感じられる。少女が、こちらに手を差し出していた。悲しそうな顔で、相神を見つめていた。
(僕は、君のそばに居てあげられない。‥‥僕の力は、また‥‥)
少女は、拒否する相神に手を差し出し続けている。
『‥‥大丈夫。私を信じて‥‥だから‥‥泣かないで‥‥』
ずっと感じていた。ずっと見ていた。相神が泣いているのを。
そうつぶやくと、少女のヴィジョンはそっと相神を抱きしめた。
この暖かな心を失いたくない。それでも手をさしのべてくれる少女を‥‥失いたくない。相神は、地上を見下ろす。また、あの人々のようにこの少女を破壊するかもしれない。瓦礫に埋もれて死んだ姪のように‥‥。
だが、泣きたいほど相神の心は、孤独を拒否している。
(信じても‥‥いいの? 僕で本当に‥‥)
少女はこくりと頷いた。
この子を信じたい。悪夢が終わる事を、自分の力を信じたかった。もう、自分自身に裏切られたくない。
もう一度‥‥もう一度だけ、信じてみよう。
相神は闇夜に広がる死の翼と少女のヴィジョンを見つめ、静かに笑みを浮かべた。
■コメント■
相神くんの二本目をお届けします。
彼女の容姿が分かればある程度は描写したのですが、分からなかったのでぼかしてあります。
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