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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


真実の欠片

●困ってみたりする男
「いや、もぉ、マジでさ‥‥‥あ、こら、切るなよクソ親父!」


 ブツン――――――――――――――


 前触れもなく切られた超高速通信端末。
 父親の横に見えたのは、確かに母の姿だったような気がしたのだが、それよりも鼻で笑って通信を切り落とした風にしか見えない父親に、和紗束紗(かずさ・つかさ)の怒りは煮えたぎる地獄の釜の如くだった。
「ったく! あの親父は何か揉め事があったら俺になすりつけやがるんだ! 娘が可愛くないのかよ!」
「父様?」
 足音を殺して、妹が背に立っていたのを束紗は知る由もなかった。
「いや気のせいだ。俺が親父と通信なんて、する訳無いだろ?」
「‥‥ふーん‥‥」
 こめかみに流れる冷たい物。
 半眼で睨んでくる妹。
 既に束紗には逃げる術など残されていなかった。
「そう。私には父様と話をさせてくれないんだ‥‥」
 その手のESP能力保持者ではない筈だが‥‥久遠の周囲に永久凍土の凍てつく氷が浮かんで見えた気がする。
「‥‥ま、まて久遠‥‥」
 慌てても、次の言葉が出てこない束紗の背後には、日本海の荒波の中で溺れているゴマアザラシの姿が見え隠れする気がしない訳ではない。
 加えて言うなら、この二人の間にはマイナス数十度でバナナが打てるようなダイヤモンドダスト注意報も‥‥。
「そうなんだ‥‥ふーん」
 しゃなりと、衣擦れの音だけを残して和紗久遠(かずさ・くおん)は兄に背を向けて歩き出した。その表情が変化を見せなかった分だけに、残された兄の心臓はフルマラソンを走った後に4キロメートルの遠泳をしてこいと言われたアスリート以上に高鳴っていた。
「し、死ねる‥‥このままなら、俺は胃痛で死ねる!!」
 束紗、魂の叫び。
 床に跪いて、激しく上下する肩で息をする彼の表情は、既に死に神の鎌を喉元に突き付けられた病人にも似ていた。
 行方不明となった妹を捜して3000km。
 冗談でも誇張でもなくそれくらい動き続けてようやく探し当てた久遠は、兄の乗り越えてきた試練を知ってか知らずか、見事に一言で苦労を水疱に帰してくれた。

「帰りたくない」

 オモチャをねだる子どものように。
 しかし、それが世に一人だけの妹から発せられた言葉となると‥‥。
 誰に相談できる訳でなく、妹の説得に費やしてきた時間と精神、体力は、下手な敵と戦うよりも莫大な物で、既に消費されたそれらを補充するだけの余力は彼には残されていなかった。
「畜生、取り敢えずクソ親父、後で泣かす!!」
 訳の分からない怒りの方向付けで、今を凌ぐしかない束紗だった。

●悩んでみたりする女
 自室としてあてがわれた部屋の中で、久遠は特に何かをしたい訳でもなく、思考せずに出来る縫い物という作業で時間を潰していた。
 兄の突然の来訪は予測しなかった訳でも、不愉快に思っている訳でもない。でも、彼が始めに発した言葉で今の微妙な関係が成り立ってしまっている。

『何で、こんなトコに逃げてきたんだよ‥‥』

 逃げて来たつもりはない。
 無かったはずなのに、その言葉が何時までも消えずに久遠の中でわだかまりとなっていた。
 自然と考えないようにしていても、覚えているそれは、第三者がいれば『痛い所をつかれた』からだろうと、案外簡単に見抜かれる物なのだろうが、閉塞された状態ではそれ程の余裕を持つ者も居ない。
 ただ、彼女が面倒を見て、見られている子ども達にとっては、久遠の兄と名乗る束紗の登場で様子がおかしくなった久遠が居る訳で‥‥。自然と、子ども達から束紗への当たりはきつい物になってくる。
 それを止めることも出来るはずなのに、久遠は束紗が子ども達と接しているのを見ると余計に苛立ちが強く、そして焦っている自分を強く意識するようになっていた。
「どうして‥‥」
 優しいのは自分にだけ‥‥そう、願っていたはずなのに束紗は子ども達にも彼なりの――通じてはいないかも知れないのだが――優しさを見せていた。
 それが、妹が世話になっていることの恩返しであるとは、今の久遠に通じるだけの余裕がなかった。
 言葉にはならない、けれど消そうとしても消すことの出来ない、複雑な思い。
「っ‥‥」
 指先に走る鋭い痛み。
 布の下から抜いた左の中指に、赤い点が広がって球になってゆく。
「私‥‥何してるのかしら‥‥」
 溜息が嗚咽になって、胸の奥から黒い塊となって零れだしてきていた。

●歩いて行く男と女
 女の啼いている姿は男にどのような感情を持たせる物なのか。
 それなりに異性を意識したことはあっても、特定の誰かなど作らずにいた数年間。
 本当の意味での涙を見たこともなかった少年に、自分の妹が泣いている様を見て何が出来る訳でもなかった。
 束紗にとって、自分が何も出来ないという事実よりも、出来そうにない自分を知って堅く拳を握り締めた。
「何しに来たんだよ、俺は‥‥」
 顔を合わせれば、きっと連れ帰ることが出来ると信じていた。そう出来るものだとばかり考えていた自分が矮小に感じられる。
 久遠がここに来た理由も、そして帰りたくないと語る理由さえも、いくら聞いた所で束紗には納得行くものではなかった。
 敢えて言うのなら、久遠の考え方も判ることが出来る‥‥そういう部分が限界だった。
 理解することが出来ても、それが通じなければ意味がない。納得がいかないのであれば、本当の価値さえも‥‥。
「判んねぇ‥‥何、拗ねてんだよ久遠の奴‥‥ったく!」
 自身の女性経験の無さに加えて、久遠がこれまでになく反抗的な態度をとり続けることと、彼女の涙が束紗から冷静な判断力を奪っていた。
「‥‥えーと。少なくとも、俺のせいじゃないよな、ウン」
 いきなり、仮定の段階で不正解を出していることに気が付かない束紗。まだ納得がいかないなりに、久遠を連れ帰らなければと言う義務感だけが彼を動かした。
「‥‥なぁ久遠。何か嫌なことあったんだろうけどさ‥‥」
 虚ろな瞳が彼を見上げてくる。
「お前のこと、待ってる奴らだって居るんだぜ?」
「‥‥」
 何を言っているんだろうかと、久遠の中で思考が渦を巻く。今、彼女が一番気に掛かっているのは今、ここでの暮らしなのに‥‥兄が帰ろうと、来たからと言って帰れるはずもないのに‥‥。
「それにしては‥‥楽しそうですけど?」
「俺が? なんでだよ‥‥?」
 久遠の言葉の意味が分からない。
 ここに来てから、彼女が面倒を見ている子ども達に遊ばれはしたものの、いつ彼女を連れて帰ろうかと気が気でなかったというのに、久遠には通じていないのかと奥歯を噛みしめる兄。
 束紗の表情が、久遠には掴みきれなかった。楽しそうに子ども達にあわせている兄。あんな兄の姿は、自分以外に‥‥
 自分の考えていたことに気付いてはっとなる久遠。
 兄が来てくれた事は嬉しかった。
 けれど、ここに来てからの兄を見ていると胸が詰まるような、喉の奥に物が詰まったような‥‥
「何でもないです」
「? 変な奴‥‥あーーじゃなくてだな‥‥確かに、始めに言ったとおり言われて来たって言うのは本当だけどさ‥‥」

 ―――減点30点。

 密かに添削の久遠の表情は仮面のように彼女に張り付いていた。
「ここに来て、お前が、その‥‥らしくないなって思ったし‥‥」
 頭を掻きながら、明後日の方角を見て、久遠とは顔をあわせ辛そうな兄の言葉に更に久遠の表情は平坦になる。

 ―――減点20点。

 私のことを本当に知っているのかしらと、内心頬を膨らませる。

「それに‥‥」
「それに?」
 これ以上下手な言い訳をしたらと、身構える久遠から顔をそむける束紗。
「頼まれて来たからじゃなくて‥‥何か‥‥情けないじゃないか、俺‥‥お前に笑顔もやれない、そんなのかなってさ‥‥俺にだって‥‥お前の笑顔、護らせろよ‥‥」
 兄貴なんだからさと、続けようとしていた束紗の背に久遠の手が、そして頬が当てられた。
「久遠?」
「‥‥ん‥‥なに?」
 背に感じる妹の重み。
 身を寄せて、彼に預けるようにした久遠の重さが伝わってくる。
「何でも‥‥あのさ、少しは心配させろよ。何でも一人で出来るかも知れないけどさ‥‥みんなも、俺も‥‥お前に笑っていて欲しいんだからさ‥‥」
 しばらく妹に背を貸したままの束紗の言葉に頷きながら、久遠は頬を伝う暖かい物を止められなかった。

【おしまい】