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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


優しき力
●Happy Birth Day
 いつもの家族の賑わいから、そっと抜け出してキッチンへと赴いた不破槐はそこに見慣れない人物を見つけた。
「ぱぱ‥‥どうしたの、こんな所で?」
「ん? ああ、槐か‥‥」
 小首を傾げる槐に、およそ台所という場所には不釣り合いの軍服姿で歩いていた不破和馬が振り返る。彼を見上げている金の髪の少女に、微苦笑して佐官の印である肩章を隠すようにする。
「ぱぱ?」
 その様子が余計に気に掛かって、槐が眉をひそめる。
「‥‥何でもないよ。槐こそ、どうしたんだい。皆さんまだ部屋の方に居るんだよ?」
 話題を変えようと、槐に話しかける和馬だが、賢い子である。和馬が話題を変えようとしている事など、その青く澄んだ瞳で見通しているだろう事は間違いない。
「うん。でも、まま達が居るから大丈夫よって」
「そうか‥‥」
 妻が槐の退席を促したのだと、知った和馬は苦笑して頭を掻いた。
 そのとたんに、押さえていた肩章が槐の目にとまる。
「‥‥また、増えたんだ‥‥」
 和馬の肩の印を見て、俯く槐。
「! 済まない、槐‥‥」
 己の迂闊さを呪いたくなるのだが、既に遅い。
 人と人の憎しみが生む闘いの中での被害者は、何も戦場だけで生まれるものではない。
 後方にいる者達こそが、例えどのような結果が残ろうとも生きて行かねばならない、そんな辛さの中で生きているのだと言うことは、槐を二人の子として迎える前から分かり切っていたはずなのに‥‥。
「ううん‥‥ぱぱ、槐に見せたくなかったんでしょ? だから、いいの‥‥」
 なびく金の髪が広がって、和馬の腕の中に漂うように落ち込んでいった。
 サマードレスの薄い布越しに、少女の青い肢体の弾力が和馬の胸に預けられる。
「ありがとう‥‥」
 言葉は少女に対しては無用の物に思えた。
 時に彼女は大人達の都合という虚の中で傷付き、そして笑顔と作られた無表情の下に苦しみを隠し続けてきたのだから。
 それを知っているからこそ、和馬には槐にかけるのに相応しい言葉を思いつくことが出来なかった。
 もとより、口べたな部類に入るのは自覚しているのだが、大切にしたい人物に対した時に、これ程までに不器用になるのかと溜息を吐き出してしまう。
 だから‥‥
「‥‥ありがとう、槐」
 力を込めれば手折れてしまうような、少女をそっと胸の中に包み込んでやる。
「どうしたの、ぱぱ? お礼言われること、してないけど‥‥」
 不思議そうに、見上げてくる槐の瞳に吸い込まれそうになる。
 何処までも深く、何処までも済んだ青い瞳に。
「『ごめんなさい』よりも、『ありがとう』が好きなんだよ。友達が親切にしてくれた時、自分の過ちを正してくれた時、いろんな時に相手に『ありがとう』って、お礼を言えることは、素敵だろう?」
 自分の過ちを認めて謝ることも大切だ。
 だが、それ以上に相手への感謝を表す言葉が出せることが素敵だと、槐には和馬の言葉がよく分かった。

 槐の手を取って、未だに騒がしく賑わう部屋に戻った和馬は客人達の相手に忙しそうな妻から娘を受け取った。両手で支えられてしまう様な小さな、しかしかけがえのない重さを和馬の腕に伝えてくる、命‥‥。
 流石に大勢の人に代わる代わるに覗き込まれて疲れたのだろう、娘の瞼は重くなっている様子だ。
 数名から母親似だ、父親に似ている、と言われ続けても特に照れた様子も見せない和馬。
 余りに過ぎると、言う方も飽きてくる。
「ねぇぱぱ。ぱぱがままと初めて会った噴水のこと、覚えてる?」
「え?!」
 いきなり言われた事で、無表情になる和馬。
 それは、他の人で在れば『呆気にとられた』と言うのだが‥‥その微妙な表情の変化に気付けることが出来るのは、槐と妻位のものだった。
「噴水、か‥‥」
 消えかけていた記憶を呼び覚まされて、苦笑する和馬。
「聞いたんだね、槐‥‥」
 質問ではなく、確認の為に和馬が槐を見つめた。それに頷いて返す槐の正面に、娘を膝に置いて座した和馬が居る。
「そうか、あれは‥‥こんな日だったよ。両親と一緒に、開かれたパーティ‥‥いや、全然違うかな?」
「?」
 手の中で眠る娘と、槐を交互に見て、最後に彼等の元に来た妻を見上げて、話し出した。

●月の夜に
 軍務の一つと、両親‥‥特に父は割り切っているように思えた。
 母親については、良き母、良き妻であることを地でいく人だからと、喧噪を離れた所で堅く締めてあった蝶ネクタイをずらしながら和馬は考えていた。
「同年代の友達でもって言っていたけど‥‥」
 慇懃無礼とは言わないが、かなり人生を斜に見つめているような少年には会った。
「あれで疲れないのかな‥‥訳の分からない話に付き合って‥‥」
 端で聞いていれば何を言っているのか判らない符丁と暗号、そして隠語で話される会話さえも楽しもうと努力している素振りのあった少年から逃げ出して、和馬は誰も居ない場所を求めて中庭に出た。
 会場内も空調は効いていたのだが、空調でも間に合わない湿気‥‥人の生み出す陰とした気に当てられたような気がしていた。
「空気が軽い‥‥こっちの方が、気分が良いな‥‥」
 何かが違っているように思えた。
 それは、まだ少年の域を出ていない和馬にとっては、理解できない、したくない人の思念の生ものだった。
 例え同じ軍に身を置く者同士であっても、派閥や利権が絡んでくる。幸いなことに、彼の父は最もそのような世界から遠い位置に身を置き、そうあり続けることを自身に課した人物であった。
「月が‥‥白いな‥‥」
 端正に整えられた庭の中で、控えめにその存在を見せている噴水がある。激しく水を打ち出す訳ではないのだが、風が幕となっている水を抜ける際に、辺りの熱気を持ち去ってくれている。
 月の光を浴びながら涼やかな風に身を浸していた和馬は、流水の他に微かな音を耳にして左右に視線を走らせた。

――誰か居るのか?

 微かに、嗚咽の音を聞いたような気がした。
 誰かが直ぐ傍にいると、深呼吸をして歩を踏み出した。
「‥‥‥え?」
 噴水の縁に沿って歩いた和馬は、流れ落ちる水のカーテンの向こう側に白々と月に照らされた少女が居るのを眼にした。
「‥‥え‥‥」
 溜息と共に漏らした言葉に、和馬が幻の像にしか見えなかった少女が彼に向き直った。
 月の白い光が少女にまとわれて輝くような、燐光を放つ妖精のような、触れれば消えてしまいそうな、しかし優しい輝きに和馬は息をすることも忘れて少女を見つめるしかできなかった。
「どうしたの?」
 それ以外に、彼は声をかけられなかった。
 もしも、彼女が天女で、ここには、ただ身を清める為だけに立ち寄ったと言われても、和馬は信じてしまいそうな位に、少女の白磁の肌に濡れて張り付いている艶やかな髪はどこまでも黒かった。
 彼を見上げた少女の頬が、ほんの少し上気したのを見て和馬はようやく安堵した。
「‥‥部屋、暑かったよね」
「え?」
 彼女の上記した頬、そしておとがいから続く柔らかな線の先に膨らんだ物を見つけてしまい、慌てて和馬は視線を外した。きっと、自分と同じで二階の喧騒から逃れてきた子なんだと、自分に言い聞かせるように言うと、彼女に向き直る勇気が持ち直せた。
「‥‥なぁ、君、髪が‥‥」
 彼をじっと見上げている天使の髪が、濡れて額に在るのを自然と和馬は除けてやろうと手を伸ばした。
「え?」
 驚いたのか、半身をずらした少女の体が大きく傾いて波々と水を満たした噴水の中に倒れ込んで行くのを、すんでの所で和馬は支えて引き上げた。
「ありがとう‥‥」
「いや、ごめん‥‥驚かせたみたいだ‥‥」
 素直に謝る和馬。
 だが、それは彼を良く知る者なら、和馬が混乱しているのだと言うことを看破できただろう。
 饒舌になる時、必ず彼は精神的に追い込まれているのか、極度の緊張状態なのだ。
 それもその筈。
 少女を助けたのは良いのだが、抱き上げた時に誤って少女を胸に抱え込んでしまった。
 思いもよらなかった軽さで、抱え上げてしまった少女の鼓動が和馬の胸を打ち、己の心臓が彼女の鼓動と、それを伝えてくる膨らみの柔らかさに尋常でない早さで血流を生み出しているのが判っていた。
「降ろすけど、脚、大丈夫?」
「はい‥‥」
 ほんの少し、残念という気持ちが浮かんだのを慌てて否定する。
 静かに少女の足が地について、腕の中から彼女の温もりと存在が消えた後も、薫る髪の甘い花の匂いが和馬の鼻腔をくすぐっていた。
「そろそろ帰らないと、心配しているんじゃないかな? ‥‥それとも、こっちの方が涼しいから、もう少し居る?」
 虚を突かれた様な表情で、目を丸くしていた少女から笑みがこぼれたのだった。

●人の輪の中で
 和馬の思い出話に周囲の者達は既に苦笑するしか無くなっていた。
 悪びれもせず、かといっておごっている訳でなく。
 自然体で天女、天使という表現が出てくるとは思わなかったと、周囲の者達は改めて和馬達の有り様を知った様子だった。
 そして、同時に‥‥‥。
「殺(や)られるな」
「ああ、あれは殺られる‥‥」
 丁度、ドアを潜ってきた青年が槐に手を振ったところ。
 それを見つけた槐が満面の笑顔を向けて和馬から視線を外した瞬間だった。
 鍔鳴りの音が、我が子を妻に預けた和馬の腰元で2つするのだった。

【END】