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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


<px006> destroy my inner man

【0】

──助けて。

「……痛……、」
 来栖・コレット(くるす・これっと)は傷みの走ったこめかみの辺りを指先で強く押さえた。ぐしゃ、と掻き上げられた赤い前髪の間に見える眼はきつく閉じられ、睫が細かく震えていた。
 不意に、「頭の内部にダイレクトに」響いた声。耳許で鐘を打鳴らされたような傷みを伴ってそれは聴こえた。……まだ、倍音のような余韻が鈍痛と共に残っている。
 ある女性を探しての旅の途中。通り掛った街。枯れた噴水の縁で一息付こうと腰を下ろした時だった、それが聴こえたのは。
 長閑な街だった。行き交う人の数こそ少なく、半壊した建物や途中から折れた木々の中に先の戦乱の傷跡を垣間見れるが、今この時に人々は希望を取り戻そうと、苦しい状況の中で明るく生活を営んでいた。
 この枯れた噴水を中心とした広場の周囲では顔見知り同士が挨拶を交わしながら行き交い、果物や雑貨の露店で売り娘が声を張り上げる。子供の手を引いた母親が夕食の用意に間に合うようにと、足早に通り過ぎて行く。
 そんな穏やかな光景の中には不似合いな程、苦痛に喘いでいるような声だった。
「……何だろう……」
 コレットはまだ傷むこめかみを押さえたまま、薄く眼を開いて足下を見つめた。不意にこぼれ落ちた赤い瞳が、少し険しく瞬いていた。
「ちょっとあなた、大丈夫?」
 今度は実際に声を掛けられ、彼ははっと顔を上げた。
 余程具合が悪そうに見えたのか、気立ての寄さそうな地元民と見える女性が不安そうな表情でコレットを覗き込んでいた。
「あら、見ない子ね。旅の子? 独り? 気分が悪そうだけど……」
 コレットは慌ててにっこりと元気よく笑い、大丈夫、どうもありがとう、と答えた。
「そう……。本当に大丈夫?」
「うん、この街まで長い事歩いて来たからちょっと疲れちゃったみたい、それだけだよ」
 そう、屈託無く笑顔で答えるコレットに、女性は幾分不安気な表情を残しつつ、少しは安心したような表情を見せた。
「それならいいけど、でも、こんな所で病にでもかかったら大変だからね、この街には医者もいないんだから、気を付けなきゃ駄目よ」
「そうなの?」
 ええ、と女性はまた表情を曇らせ、弾丸跡や炎に焼き付けられた影の残る街の建物を見やって頷いた。
「以前には1人だけど、いないこともなかったのよ。でも、ほら、前の戦争で。こんな街でも大分被害を受けたからね、……今は居なくなって、それから新しくわざわざ寄り付きようもないじゃないの、そのまんまなのよ」
「……そう、大変だね」
 そんな言葉の端々が、やはり一見平和そうな街の住民にも先の戦火が打撃を与えた事を物語っていた。
「あ、ねえ、この街に、こんな人は来てない? ちょっと前に通りがかった、とかでもいいんだけど」
 そして、それこそが旅の目的でもある、探している女性の特徴を述べて尋ねてみる。女性は本心から気の毒そうに、他所の人が来れば多少は記憶に残るものだけどそういう人は見かけなかった、と答え、去り際に抱えていた荷物の中から林檎を一つ、コレットに握らせてくれた。
「その人、あなたのお母さん? お姉さんかしら、まあ、何にせよ先の戦争ではぐれたのね、こんな小さな女の子にまで残酷な……。これでも食べて、元気付けて、本当に病気にならないようにね」
「……ありがとう、」
 コレットはにっこり笑って瑞々しそうな林檎を両手で抱えた。……いつもの事であるが、女性はコレットを少女と間違えて余計に不憫に思ったらしい。普段なら「幸運な勘違い」を享受する所のコレットだが、今の彼には手放しでそれを喜べない蟠りがあった。ぼんやりと、前方を見つめたまま呟く。
「……探すしかない、か」
 この声の主を、である。

【1】

 時間が経つにつれ、脳内にダイレクトに響く声は大きく、絶間無く響くようになっていた。

──助けて、……もう厭、誰か……。
──……苦しい。痛い。もう何も見たくない……。

 さすがに、次の一言が聴こえた時にはコレットは急がなきゃ、と焦りを覚えた。

──……死にたい……誰か……あたしを殺して……。

「……穏やかじゃないよね……」
 ぐらぐらと鳴るように傷む頭を、相変わらずこめかみを押さえたまま抱えてコレットは声の主を探す。

 ──果たして、コレットは街外れ──と云うよりは、街を出てやや森に分け入った場所で枯れた広葉樹に埋もれた一戸の廃屋に辿り着いた。
「……ここだ……」
 頭痛に耐えながら感覚を集中させ、声の「震源地」を探り当てた時には既にコレットの足取りはふらふらと覚束無かった。やけに冷たく感じる汗を拭いながら、木の幹に寄り掛かって身体を支え、目の前の建物を見つめる。
 白い壁には街の建物と同じく焦げた影が焼き付いている。しかし、元が頑丈な造りであったらしいこの建物はまだ昔の面影を残していた。特徴的なのは、まずその建物自身の形で、東西南北に向けて上から見れば十字形に組み合わさったようになっている。そして、所々がひび割れた色とりどりの、象徴的な図案を現したステンドグラスの窓。
「……キリスト教会ってヤツかな」
 人々が未だ神の救いを信じていた頃の遺物だ。断片的な知識を組み合わせると、どうもそうであるらしい。
「……、とりあえず、行かなきゃ……」
 歩み出そうとしたコレットは既に自身が憔悴していたが、この声の主は、もっと苦しんでいる。
 飾り気はないが、重厚な造りの両開きの扉に手を掛ける。小柄なコレットには、全体重を掛けて押さなければびくともしないほど頑丈だった。──安易な気持ちではここへ踏み込むべからず、と忠告するように。それは不吉な程耳障りな呻き声を上げて開いた。

──誰か助けて。

「……殺して……あたし……」
 冷やりとした重い質量を持った空気が、微熱を帯びていたようなコレットの額から一気に熱を奪った。
 月明かりでようやく視界を認められる、蒼みがかった空間の中心に、少女が蹲っていた。
 
【2】

「だ……れ……、」
 白いワンピースを着た痩せた背中を覆う真直ぐな黒い髪が、床にも広がっている。振り返った少女の青ざめた顔にも、幾筋かの髪がこぼれ落ちた。
「君が、呼んだんでしょ?」
 頭の中の反響が、まるで震源地に入る事で同調したかのように収まった。コレットは真直ぐ少女へ向かう。少女はぴくりと震えて後ずさった。コレットは心配しないで、と云うように微笑んで見せる。
「苦しそうな声が聴こえたから、探してたんだ。苦しんでたのは君でしょ? ……何があったのか分からないけど、助けたいんだ」
 それを聞いた少女の表情がさっと凍り付いた。──コレットよりは少し年上に見える。きれいな顔をしているのに、痛々しいほどに憔悴して苦悩に凍り付いていた。
「駄目! あたしに近付いちゃ──早く、ここから逃げて、あたしから離れて!」
「……何があったの? 君は? ……、」
 
 ぴり。

 そうして手を差し出そうとしたコレットの目蓋の裏に、電流のような刺激が走った。さっきまでの反響する声とも違う。眼球の表面に火花が走ったようにも思えるそれに、コレットは思わず足を止めた。

──……あ。
 
 目蓋に手をやる。刺激と共に、何かが見えた気がした。
「駄目よ! もうやめて!」
 少女が半狂乱で叫んでいる。それはコレットではなく、空に向けて叫ばれたような感じだった。その絶叫が反響するこの廃教会の内部全体へ。

 ぴり、ぴり……と、少しずつ感覚を狭めながらその火花は何度も弾けた。

──痛い。

 コレットは両手で眼を覆って目蓋をきつく閉じた。火花は今では絶間無く弾け続け、点滅するように見えていた「何か」が、コレットの目蓋の裏にはっきりと映った。

──……!
 
 見てはいけない。それはコレットが決して見てはいけないものだった。
 う、と短く呻く。見るな──。コレットは自分に云い聞かせるように意識を集中させ、赫っ、と赤い瞳を見開く。
 ……「それ」は、暫し未だ点滅していたが、やがてふっ、と蝋燭の火のように消えた。
 ふう、と息を付き、今の記憶を紛らわす為にもコレットは殊更明るく少女に笑いかけた。
「大丈夫だよ。……今のは? ……君が苦しんでいたのは、これが原因?」
「……へえ、やるじゃないか。……あんたもエスパーだな」
「……?」
 俯き、表情を前髪に隠したままの少女から別の声が漏れた。コレットの本能が、危険を告げて警鐘を鳴らす。──。
「……駄目!」
 その悲鳴は少女のものだった。頭を抱え、ばさりと髪を降り落として天に向けて叫ぶ。
「だから、駄目なのよ、あたしに近づいちゃ……『彼』が、あいつが……!」
「そう云うなよ、面白いモノ、見せてやるぜ、……また」
 腹話術のように、少女の絶叫と低く、鼻にかかったような冷たい声が同じ少女の口唇から発せられた。
「……、ねえ、君、……!」
 コレットは咄嗟に少女の肩に手をかけ、落ち着かせようとした。その瞬間、少女に触れている両手から、目眩を覚える程の量の情報が流れ込んで来た。それは、言葉であり、映像であり、少女の思いであり、苦悩だった。

──少女の中に、残酷な微笑を浮かべながら人々の苦悩を眺めている『彼』がいる。『彼』に弄ばれた人々は、記憶に刻み込まれた、なんとか生きて潜り抜けた筈の戦火を目の前に見、或いは自ら記憶の奥底に仕舞い込んだ筈の「記憶の影」に覆われた。きらきら、と美しい透き通った音が響いている。それは精神が崩壊していく音色だ。壊れた心の欠片は、愛らしく虹色に光り輝きながら抜け殻となって無意味な笑顔を浮かべて横たわる人々の上に降り注ぐ。あたしがやったんじゃない、こんなのあたしじゃない、あたしがやったんじゃないの。少女はそれを自分の眼でまざまざと見つめながら叫び続ける。『彼』は少女の中から彼女にきれいだろう、と笑いかける。こんな残酷なものを永遠に見なければならないのなら、あたしがいるからこんなことになるのなら、あたしは、あたしは……。少女が掴んだ鋭利なナイフは次ぎの瞬間にはざくり、と地面に突き立てられている。どうしてそんな事をする? お前はきれいだ、そしてお前の手中にある世界もこんなにきれいなのに。あいつら、皆ただのクズさ、だからきれいに壊してやったのに。その中にいればきれいな夢色のかけらがお前に降り注ぐ。少女の目の前の世界は全て音を立てて砂時計のように砕けて行った。離れなきゃ。あたしの傍に居ちゃ駄目。

──あたしが死ねば全て終わるんじゃないの?

【3】

 あまりの情報の洪水に耐えたコレットは一瞬で全てを理解した。
「……だから、君は、助けを求めてたんだ」
「違う、もう誰も巻き込みたくなかった、あたしが助けてって云ったばかりにみんな『彼』に壊されてしまった、ねえ、あなた、あたしを殺せる? 早く殺して、そうじゃないとあなたも壊れるわ」
「……違うよ」
 コレットはゆっくりと、少女に手を伸ばした。しっかりとその腕を掴む。
 ぴり、とまた火花が弾けた。見てはいけないものが点滅する。だが、コレットは真摯な赤い瞳を見開いて彼女の眼をしっかり見据えていた。
「君は、本当は死にたくなんかないんでしょ? だから、助けてって、僕に訴えてたんだ」
「……煩いガキだな。本当に壊してやろうか」
 少女の唇からその声が漏れても、コレットはもう驚かない。手を放せば、少女を救うことはできなくなる。と思った。
 覚悟は決めている。もし……あの光景を見せつけられても……。
「お前の時間は見せて貰ったぜ。甘いガキだな。能力を持っていながら、それを恐れた親に捨てられた事に傷付いてるって?」
 コレットの目蓋の裏で、また火花が弾ける。思わず眼を閉じながらも、その度に恐ろしい感覚と共に近づいて来る映像──それをいちいち遠ざけるように、眼を開こうとした。
「甘いんだよ。エスパーには力があるんだ。それを恐れるクズ共なんか、こっちから焼き殺してやればいいのさ」
「僕は……、」

──まだほんの小さな、母親のスカートの影にすっぽりと隠れてしまうような赤い髪の男の子が遊んでいる。地面から数十センチの視界が全ての世界の小さな少年。目に映るものはすべて遊び道具だ。父親が母親の為に造った、ささやかな作り付けの飾り棚。一段一段が、未知の世界へ続く階段になる。素人細工のやわな素材で出来た棚は、立ち上がってしがみついた男の子の体重に耐えかねて崩れた。合成プラスチックの薄い板の折れる音に振り返った母親は、重い陶器の花瓶が小さな少年の柔らかな頭部めがけて落下するのを見て悲鳴を上げた。
 次ぎの瞬間に母親が見たものは、小さな息子の頭部が花瓶に押しつぶされた場面ではなかった。花瓶は少年の赤い瞳の目前で時を止めた。母親には、花瓶は床に当たって砕け散り、その下に居たはずの息子がいつの間にか数メートルの距離を移動して自分のスカートの裾をぎゅっと握りしめていたのが見えた。危機を前にして本能的に時間を止め、自分を護ってくれる存在である母親の、やっとその小さな手が届くスカートの裾を握りしめて隠れた少年は、平凡な感覚を持つ彼女にはその瞬間、恐怖の対象に変わった。助けを求めて差し伸べられた健気な腕は、彼女を戦慄へ引きずり込もうとする悪魔の手に見えた。小さな、ささやかな家庭の倖せが壊れた瞬間。母親達にとって、エスパー、異能種の人間は戦争の象徴でしかなかった。例えそれが、まだ小さく非力な自分の子供であっても。

「──甘いガキだ……壊してやるよ」
「……、……!」

──悪魔、あんたは悪魔よ、あたしの子供を返して、こいつは悪魔だわ、あたしの子供を奪ったの、あたしの小さなコレットを、どこかへやってしまったわ!

「……」
 コレットは両手で激しく点滅する目蓋を覆った。

──エスパーである事が発覚したコレットは、もう彼女達の子供でも、小さく非力な護るべき存在でも、人間でさえなかった。赤い瞳がその能力を開花させたの同時に、彼の周囲から温かい愛情は一瞬で吹き消え、彼は崩壊した世界を凍えた裸足でさすらう事になった。
──お前なんか、死んでしまえばいい、お前のような人間が、戦争で全てを壊してしまった、お前のような悪魔が、私立ちから太陽を奪ったんだ、──悪魔!

 少女が、──『彼』が、口唇の端を歪めて笑った。小賢しいガキのクズを、またきれいに壊してやった、という充足感が『彼』を歓喜させていた。
 ……壊れた方がいい存在。死んでしまえばいい人間。
「……、」
 コレットの赤い瞳に涙が滲んだ。ふわ、と意識が遠ざかる。……そうすれば、この悲しい記憶を、見ることもなく済む。
 ゆっくりと目を閉じたコレットの目蓋の裏に、闇が広がった。

──もう、こんな世界を彷徨う必要もないんだよね。

 もう長い間、ずっと旅を続けて来た。街から街へ、次の行き先も定まらないまま、ただ、──ただ、彼女を探して。
「……あ、」

【4】

「……?」
 精神崩壊の音色を待っていた『彼』は、不意に意思の煌めく瞳をしっかりと見開いて踏み止まったコレットを見て眉を顰めた。──まだ、壊れなかったのか?
「……だって、僕には探さなきゃいけない物があるんだ」
 彼女に逢うんだ。もう一度。──初めて、コレットの能力を目の前にして温かく受け入れてくれた彼女と。
「……チ、」
 舌打ちした『彼』がぎらりと光る眼でコレットを一睨した。コレットの脳内に、また一瞬だけ電流が走った。──記憶読破だ。
「……ふん、……それで、その女だけが生きる目的なのか、本当にクズみたいなヤツだな。甘いヤツだ。そんな女、もうとっくに先の戦争で死んでるぜ」
「……」
 コレットは『彼』に「見せられた」戦火に飲まれて行く彼女を目蓋に見てももう眼を閉じることはしない。
「……お生憎様。その人は、僕にとってそんな簡単なものじゃないんだ。……君に見せられた映像なんかより、僕は彼女にもう一度生きて逢える事を信じてる」
「……このガキ」
 コレットは一歩一歩『彼』に近づいた。一歩毎に、炎の中で悶える彼女の姿が目蓋に弾けるが、それはコレットにとって彼女の姿が弄ばれている、という事への怒りの対象にはなっても、コレットの「救い」を揺らがせる結果にはならなかった。
「……!」
 目の前まで近づいて来たコレットに、『彼』が息を飲んだ。
「……バカの一つ覚えみたい。信じないって云ってるのにさ。……その人の身体、返してあげてよ。君なんかが中に居ちゃ、可哀想だ」
「……云わせて置けば」
 『彼』の悪態と共に、足下が揺らいだ。コレットははっと天井を見上げる。……廃教会全体が、ガタガタと風に煽られたように音を立てていた。
「……、」
 慌てて振り返った入口のドアが弾け飛び、壁に亀裂が走った。ステンドグラスが砕け散り、空中に舞い上がった。
「サイコシキネス!?」
 危ない。このままでは建物全体が崩壊する。『彼』は怒りの余りか、ただコレットを道連れにさえできればいいかのように、彼女の身体をその崩壊しかかった建物の中心に据えたまま高笑いしている。
「──……壊れちまいな、身体ごと!」
「危ない、逃げなきゃ……!」
 コレットは必死で、『彼』ではなく少女に呼び掛けるように叫ぶ。手を差し伸べようとした瞬間、壁の亀裂が高い天井にまで達し、空間が、砕け散った。
「──……!!」
 崩壊した天井を認めた瞬間のコレットの瞳が、一際赤く輝いた。いつかと同じだ。時間を停止させれば──。
 ……いつかの時は、それはコレットを異能者として迫害させるに充分な能力だった。だが、今は、彼女と逢う為、その目的をまだ果たしていないコレットの命を護る能力だ。
 崩れ落ちた天井の中から、蒼い空が開けた。
 舞い上がり、再び落下してきたステンドグラスが月明かりを受けて虹色に輝き、コレットと少女の回りに広がったまま停止した。
 その一刹那だった。

──外へ逃げて。

 『彼』ではない、少女の声がコレットの脳内に、一瞬で流れ込んで来た。

──君が……!
──時間がないわ。いつまでも時間を停めていられる訳じゃないんでしょう。でもそれでいいの、『彼』はあたしを放してくれない、でもそれはあたしの責任でもあったのよ。あたしは最初、あなたも壊してしまうと思った。でも、『彼』にはあなたは壊せなかった。救いを持っている人間なら、『彼』なんかに壊されない──取り込まれたりしなかった筈。あたしは、弱かったのね──。
──そんなの……ない……。
──あの人達は、半分はあたしが壊したのよ。……こんな弱い人間じゃ代償にはならないけど、……苦しかった。償いきろうなんて叶わない望みだけど、もうこれで誰も壊さなくて済む……。……ありがとう、あなたには感謝してる……。
──駄目だよ!
──神様……、この子が、どうかこの子にとって大切な人と再会できますよう……。
──……!

【5】

 コレットが振り返った瞬間に、教会は音をたてて崩れた。巻き上がる砂埃にむせるのも構わず再び駆け寄り、小さな、非力なままの身体で瓦礫を一つ一つ退かし、ようやく抱き上げた少女の身体は壊れてしまっていた。
 まだ、少しだけ温かかった。
「……あいつは?」
 ──『彼』は、きっと消えてしまったのだろう。……消滅したのか、彼女の身体を逃げ出したのかは分からないが、彼女からは穏やかな気配こそほんの幽かに感じられても、その意思をテレパスで伝えて来る様子も無く、生来の彼女以外の何の気配も無かった。
 
 名前も知らない少女の墓標は、立てられなかった。その代わり、コレットのポケットの中で潰れていた、あの女性がくれた林檎を一緒に埋めた。
 今は誰も気付かない。だが、彼女の優しい気に護られた林檎の木がやがて何十年かの後に、甘酸っぱく瑞々しい身をたわわに実らせて、この先も予想される食糧難の時代の子供達を歓ばせるだろう。

「あら、あなた昨日の」
 街を立ち去ろうとしたコレットを、例の女性が呼び止めた。
「もう出て行くの?」
「うん、僕には目的があるから。探し出して、逢わなきゃいけない人がいるから」
「そう、だったわねえ。元気になったのね? 顔色がいいじゃない。林檎、美味しかった?」
 コレットはそれに笑顔だけで応え、女性に手を振りながら街を後にした。そして、コレットは彼女を目指す。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0279 / 来栖・コレット / 男 / 14 / エスパー】

NPC
【少女】
・平和な街に暮らしていた大人しい少女。ある時突然侵入してきた『彼』により、自分の身の回りや、助けてようと関わった人々が壊れていくのを見て、もう誰も巻き込まないようにと街を離れていた。
【『彼』】
・<px006>、それだけで一つの意思を持ったエスパー人格で、他人の身体に寄生することで能力を発動。残酷且つ破壊的、享楽的な性質。

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■         ライター通信          ■
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こんばんは。今回はアナザーレポート初のシナリオに御参加頂き、ありがとうございました。
最初にシナリオを御覧になった時にお気付きかもしれませんが、本シナリオは、「徹底的に救いのない世界」です。
混沌の世界に生きる皆様には、優しさや思い遣りだけでは誰かを救い切れない場面に遭遇される事もあろうかと思います。
そんな時、一体どんなPCが今回のような少女を気に留め、どう接してくるだろう、という事を考え、このようなシナリオに設定致しました。

<px006>という名称に深い意味はありません。
ライターが便宜上型番的にこの人格に割り振った名前です。

尚、このシナリオに於いての各章通し番号には他PCとの互換性はありません。(一部除く)

本シナリオではほぼ個別シナリオの形式を取りましたが、全ての結果に於いて<px006>自体は死んでいません。
今後、何らかの形で『彼』が顔を出すこともあるかもしれません。
非常に悪質な性格の持ち主ですので、一度梃子摺らされたPCの事はしっかり記憶しているでしょう。
楽しい再会とはなり得ないでしょうが、またサイコマスター・アナザーレポートの世界の中で『彼』を見かけた時に気が向かれましたら是非遊びに来てやって下さい。

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