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<東京怪談ノベル(シングル)>


battlewise


 篠突く雨に、耳を澄ましても雨音と水を蹴立てる轍の音しかない。
 朱鷺・カーディナルは荷台に積まれた荷物の隙間に器用に嵌り込んで、本日幾度目か知れぬ溜息を吐いた。
「黴がきそうや……」
天候不順を憂うのは今更である。
 最初は空気に混ざる湿り気、それこそ1ヶ月ぶりの雨を嬉しく思ったものだが、強さを弱める事なく、また途切れる事なく一週間も続けば気がめいる。
 ましてや、今は仕事中…犬の散歩から盗賊退治、気が向けばどぶ掃除もするだろう何でも屋、長の日照りに食糧にも事欠く村落へ向けての救援物資輸送の護衛中とくればうたた寝に時間を潰すも気が引ける…道中にさしたるトラブルもなく進んできただけに、緩みそうな気を引き締めるのもまた一苦労、である。
 朱鷺が護る輸送車はトラックただ一台きりである…小なりといえ、村落に向けての物資は当然、それだけで足る筈がない。
 山間の道の限られた場である、それだけに盗賊の格好の餌食となり易く、物資は時と期を置いて分散して届けられる手筈だ。
 朱鷺はその先鋒、いわば様子見の役に配されたのである。
 それにしても、運転手と朱鷺だけで心許ないのはこの上ない…本来ならば、もっと人員と時間を割いて入念な調査の末に訪れなければならないのだろうが、救援を求めてエヴァーグリーン…現・世界勢力に於いて中立を保つプラハ研に駆け込んだ男から、流行性の肺炎を発症するウィルスが検出された為である。
 抗生物質さえ投与出来れば、致死に到るものではないが、民間の治療薬で易く根絶出来るものでもない。
 閉鎖された空間の中で一旦流布が始まれば結果は斯くや、である。
 朱鷺が守る荷のほとんどは医療品と、当座村人の口が三日を凌げればいい、簡素だが滋養だけはある保存食料。
 朱鷺は荒事まで請け負う何でも屋であり、運転手は個人で運送業を営む…外部の者に任せるには荷が克ちすぎると思うだろうが、エヴァーグリーンとて何処に属するものでなくとも、組織を形成する以上、柵は存在する。
 ただ、外部の者に任せられる程度には事態に対する柔軟な思考と臨機応変な行動を持つ点に関しては、朱鷺は評価していた。
 朱鷺と運転手、両名共依頼より先に面識はなかったが、それなりに互いの名を知る程度には迅速さと確実さに売れっ子であった、人選も誤りではないだろう。
 このまま自分達の行路に問題なければ、山麓…三日の距離に滞在している後続隊が出、村は次の実りまでの糧を得る事が出来るだろう。
 大戦前に造成された道だけに丈夫さだけは安心出来るが、右は切り立った崖、左は下方に谷底を望む。
 地形に合わせて曲がりくねった道をとろとろと進むトラックは、所々剥がれたアスファルトに車輪を取られてガタリと揺れ、荷物を踊らせる。
 幾度か知れぬそれに固定していたロープが緩んだか、自分に向かって崩れかける荷を足で器用に支え、朱鷺は懐に抱え込むようにして持っていた一振りの刀でココンと運転席との境に設けられた窓を叩いた。
「お客さんのお出でや」
機械的な振動の中でその何処か楽しげな声は、幾ら薄いといえど金属の壁、それに阻まれても不思議とよく通った。
 運転手はブレーキを踏み、小さな窓を押し開く。
「どうすればいい?」
陽に焼けた顔の下半分に髭を浮かせた男は、その風貌からは些か若い声で朱鷺に問う。
 この世界で運送業など営んでいれば、実戦の経験がない筈はない、が、今回は輸送と戦闘の役分が完全に分けられている為、自分の仕事に終身する…その為、場が朱鷺に譲られるのに、素直に指示を伺う、ある意味職人的な気質を除かせた。
「出来るだけ身を低うして。動かんどいてくれたら、そいでえぇ」
朱鷺はその心持ちに朗らかに頷いて告げると、男は了承にサイドブレーキを引き上げた。


 雨はまだ止まない。
 幌に守られた荷台に居れば濡れはしないが、籠もる湿気に辟易していた朱鷺は、肩を髪を雨粒に惜しげなく打たせながら、水の香りを胸一杯に吸い込んだ。
 トラックはただの一台、荷台と運転席とを区切る壁は、運転席側からは一人が漸く通れる程度の扉となる−男が運ぶのは安全な荷ばかりではない為だ−其処を通り、運転席から車外へ出た。
 いつまでも動かない獲物に業を煮やしたか……道沿いに急な勾配、それでも今までの場所に比べれば幾分かはなだらか、なその上部の茂みから、雨に輪郭を鈍らせた人影が器用に足裏の摩擦だけで斜面を滑り降りて来る。
 その数、15。
 行く手を阻む形で陣めいた配置についた盗賊が出て来た茂みをちらと見上げれば、その地形には不釣り合いな巨岩が覗いた…単純だが、足止めには効果的な方法だろう。
 悪路にスピードが出せないのは承知、落石に運悪く運転手が命を落としても積荷が燃える程の事故にはならない。
 多少の軍勢でも、この地形に奇襲的に上から銃撃を浴びせれば生半可な打撃では済むまい…悪党にしては珍しく頭のいいのが居たものである。
 それだけに、一人姿を見せた朱鷺の前に出て来た…頭上から攻撃を仕掛けてしまえばいいのに、それをしない理由は明らかである。
 朱鷺はしっとりと水を含んで指に絡む髪を梳き上げた。その濡れた赤、自体が流れであるように肩へ背へと流れかかるそれは白地に目にも鮮やかな紅を施された上着の刺繍と渾然と交わり、白磁の肌もその彩りを鮮やかに見せる一助だ。
 そして強く光を放つ同色の瞳は、うっそりと自分を見る盗賊達を楽しげに見回した。
「さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。今ならお値打ち品が大安売りや!」
大きく張られた声は、雨音を払ってよく通る。
 その歌うような語調に込められた陽気さに、悪漢達は互いに顔を見合わせた…中には頭のあたりを人差し指でくるくると回してみている者も居る。
 朱鷺は自分の見てくれが、一見で一番の価値を認められるものだと正確に理解している…細身の長身を引き立てる黒のボディスーツに更に華やかな上着を併せ、女性のそれではないが、野に生きる者の目を魅かずにいられない生命力を人の姿に体現したかのような独特の色香に惑わされ、果たして彼が優れた剣士である事を看破出来る者は先ず、いない。
 ましてや、人の命と誇りと財産は奪う物、欲と暴力との日常に慣れきった下衆の曇った眼では、胸算用に売り飛ばせば幾らになるか、その程度の認識しか抱けはしないだろう。
「半端物は一切ないで!この場限りの大放出や」
何処の市場かというような口上を続け、両肩に渡すようにかけた刀に軽く手首をかける…丈の短い上着の裾が浮き、近付けば朱鷺の脇に銃の存在すらない事を確かにした。
「鴨が葱を背負ってきたとはこの事だな」
下卑た視線に晒されても、笑みさえ浮かべた朱鷺の表情は変わらず、敵意はない、とでもいうかのように刀は手にしたまま両手を開いて見せた。
「鴨ゆうには色男が過ぎまっしゃろ」
計るように声をかけた男が頭目か。
「頭が弱くてもこれだけの上物だ……しかも、高値で売れる獲物付きとあれば他に言い様を知らんな」
獲物、とは朱鷺の刀を指す…大戦前より、日本刀は骨董としても美術品としても価値の高い代物である。
 その現存数が極端に落ちた鋼の武器は、好事家にとってはどんな宝石や絵画よりも価値のある代物だ。
「頭弱いて……今日日の若いモンは年長者への口の聞き方も知らへんのか」
「この数に刀一本で立ち向かう馬鹿は頭が弱いとしか思えん」
加えて、頭目は40に手が届く年代だ。青年の朱鷺に年少者呼ばわりされる謂われは何処にもない。
 数の優位に誇っている様が見えるのは当然、頭目の答えに追従の笑いと揶揄が飛ばされる。
「さぁ早いトコその重たい鉄棒持っておいで鴨ネギちゃん」
「可愛がってやるぜー?」
「一本残らず毛を毟り取ってか?」
どっと笑いが起こり、彼等は朱鷺の眼差しが険を含んで眇められたのに気付かなかった。
「売値掛け値に偽りなしや……返品だけは不可やけどな」
朱鷺は鞘を抜き払った。
 瞬く間、雨に洗われ濡れる刃は墨を流したかのようになだらかに緩く、それでいて所々に思いがけぬ乱れを持つ紋で刀を彩っていた…名を『スミナガシ』と言う。
「どうあっても、この喧嘩買うて貰うで!」
油断に弛んだ空気と侮りが、苛烈な一喝に打ち砕かれた。


 最初の二人は、自分の首が胴から離れた事すら気付かずに事切れただろう。
 一瞬で間を詰めたその動きは、跳躍というよりも飛翔に近かった。
 血飛沫すら浴びず、返す刀で一人の喉を貫き通す。
 瞬く間、仲間の三人が抵抗すらなく切り伏せられる様を現実として認識する間は与えられず、棒立ちになった所を的確に急所を捉えられて絶息する、更に二人。
 其処で漸く盗賊達は動いた…正確には頭目だけ、だが至近から放たれて外す事などない筈のそれは、朱鷺が襟首を掴んで掲げた仲間の命を奪うに止まる。
 その細腕からは想像すらつかぬ膂力であった。
 頭目の銃声に一様に現実に引き戻されたが、優位から引きずり下ろされた集団の乱れは滑稽だ…朱鷺の動きを追ったつもりで同士討ちになり、踏鞴を踏んで自ら崖下に足を踏み外す者まで出るに至っては、如何に統制が取れていようが所詮は烏合の衆である事を如実にするばかりだ。
 そして実力の程を示して朱鷺は終始笑顔のまま、間違いなく、意図して命ある者は頭目と朱鷺のただ二人。
 満足な抵抗をする間もなかった事実に呆然と、頭目の手から銃が落ちた。残弾はない。
 喉元に切っ先を突きつけ、朱鷺は嫣然と笑う。
「ついでにゆうたら、わいはネギ背負った鴨やない」
朱鷺の髪を飾る、青い螺鈿の蝶の髪留めに頭目は初めて気付いた。
 雨に濡れて張り付く髪が半ばその姿を隠して片翅のみだが、一目でそれと知れる。
「まさか……」
「どうやらそのまさからしいで?」
朱鷺は笑みを深めた。
「わいの名前は朱鷺・カーディナルや……もうおらへん鳥の名ァやて、知っとるか?」
だが、頭目にはもう答える事は適わない。
 『スミナガシ』の切っ先は、14の男を切り裂いた血脂に塗れもせず鋭利さを保ったまま、頭目に胸に吸い込まれていた。
「やさかい、いっとう始めに大安売りや言うといたやん……相手の力量も量りきれんガキが、ええ気になるもんやないで?」
当年取って、99歳の朱鷺…加齢を停止し青年期のまま時を生きる彼に裏でバケモノとして名が通っている者を知らぬ者は少ない。


「お疲れ」
事が済むまで大人しく身を縮めていた運転手は、車内に戻った朱鷺に乾いたタオルを放って寄越した。
「おおきに。これであんじょう通れるようになったな。ゴミ掃除は難儀やけぇど、終わった後の爽快感はたまらんなー」
晴れ晴れと笑う朱鷺が、傾斜から生まれる雨水の流れを赤く染めた主の言だと誰が思うだろうか?
 運転手は髪の雫を丁寧に拭う用心棒に…間違いなく自分の仕事を成し遂げた彼に労い以上の言葉はかけず、ハンドルを握るとサイドブレーキを下ろした。
 盗賊にも縄張りめいたものはある…至近に仕事が集中すればそれだけ取り分が減る、故に潰し合う者も多く、この一本道にこれ以上の障害があるとは考え難い。
 事前の情報によれば後半日と経たずに目的地に着くだろう。
 後は、彼の仕事を為すだけだった。