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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


Laterne

【0】

──おや。
 
 エルンスト・ローゼンクロイツは仄かに灯りの洩れる古めかしい石造りの建物の前で足を止めた。
 中からは幽かに音楽が聴こえて来る。

──Wie einst Lili Marleen..., Wie einst Lili Marleen...

──「リリィ・マルレーン」、か。
 もう100年以上も昔の流行歌だ。はっきりと良く知っている訳ではないが、エルンストが最近滞在していた都市の駐留部隊の中で、一時期流行っていた。
 ドイツ詩人ライプによる、恋人を想う詩。第二次世界大戦の折りにはドイツ人の女優が反ナチスの意を表して歌い、前線の兵士を慰問して回ったというこの曲は、長い戦争に荒んだ、ベルリンを首都とする汎ヨーロッパ連邦のアイアンメイデン達の心にどれだけ慰めになっただろう。それは連邦で内政総参謀長を務めるエルンストにとっても微笑ましい光景であり、彼もまた現在の愛妻であるルツ・クラヴィーアの姿を浮かべながら穏やかな気分に浸った事を思い出した。
 古いレコードと思しい、不明瞭で、しかし暖かい音と共に珈琲の香ばしい香りも漂っている。看板やメニューこそ見当たらないが、喫茶店と思しい。
 エルンストは目を細める。良い時代になった、と。愛妻の許へ帰る前に、戦争が終わった事による忙しさに疲れた身体を癒すにはうってつけの場所のようだ。
 
──それに。

 店内には蓄音機があるらしいこともエルンストの興味を引いた。今どき、そうそうお目に掛れるものではない。戦争中には、音楽など生き残る為には一文の価値もなし、とそうした文化遺産は見向きもされず消えて行った。だが、現に部隊でエルンストが目にしたように、音楽はその優しさで以て人々に生きる希望を与えもする。
 他には何が聴けるだろう、という期待をも抱きつつ、エルンストはこれもまた時代遅れ加減が愛しいブロンズのベルの下がった扉を押し開けた。

【1】

 彼が店内に入った時、丁度音楽が止み、鳶色の髪を垂らした少女が独り、蓄音機に向かってレコードを取り替えていた。
「……こんばんは、」
 少女はエルンストに気付くとレコードを手にしたまま、顔を上げてそう、微笑んだ。
 非常に、穏やかで優しい笑顔だった。これといって強く印象に残る表情ではないが、全てに暖かみが感じられる。それを受けた彼も自然と笑顔になった。
「こんばんは」
 店内もまた、暖かかった。石造りの壁に古い木の匂いがする床、ぼんやりと優しい程仄明るいランプの灯り、珈琲の匂い。──懐かしい光景だ、と彼は目を細める。
「ここは、喫茶店かね。未だ、大丈夫かな」
 ええ、と蓄音機の蓋を閉めた少女は、どうぞ、とエルンストをカウンターのスツールへ促した。では、と彼は招かれるまま足を踏み入れ、少女の向かいのスツールに掛けた。これもまた、木製。慣れない堅さの座席だが、その新鮮さがまた彼を懐かしくも穏やかな気分にさせた。
「取り敢えず、カプチーノでも頂こうかな」
 蓄音機から流れ出した、覚えのある音楽に意識を向けつつエルンストは少女に云った。口数は少ないらしい少女だが、気は好いらしくやはり微笑んだまま頷いてそれに応えた。

──Love is real, real is love ...

 「LOVE」、ああ、懐かしい歌だ。少女がカウンターの奥に居る間、彼はついついその歌声に耳を傾けながら身体をリズムに任せて自らも鼻歌に口ずさんで居た。
「……、」
 エスプレッソをショットする音を響かせながら少女が振り返った。香ばしい珈琲の香りにそちらへ視線を向けたエルンストは彼女と視線を合わせてしまい、彼女がくす、と吹き出したのを見た。
「ああ、いや、参った。……つい、懐かしくてね、年甲斐もない」
 照れてばつの悪さからエルンストは顎に手をやり、半分の耳はレコードに向けつつ云い訳した。
「ビートルズは好き? 連邦の騎士さん」
「ああ、父が好きでね、良く聴かされて居たんだよ。子供の頃はまたこれかとうんざりした事もあるが、今となってみては無性に懐かしいね、……おや」
 そこまで云ってからエルンストはふと気付く。
「分かったかな、連邦の人間だと」
「ええ、それはもう。……それに、責任のある立場の方でしょう」
「なかなか鋭い」
「だって、サイバーじゃないものね、貴方。……騎士団参謀の方でしょう」
「これは参った。内政総参謀長を務めている。……政治が仕事なんだが、」
 君と論争をしたら負けそうだ、とエルンストは笑う。少女も笑いながら、彼の前に煎れたばかりのカプチーノのカップを置く。
「どうぞ」
「これは、どうも有難う。……いい匂いだ。懐かしいね。……いい時代になったものだ。ビートルズを聴きながら煎れたての珈琲と共に昔を懐かしめるとは」
 さっきの話だけどね、と少女はエルンストの向かいで頬杖をつきながら云った。
「不思議だけど、音楽に耳を傾けている人って、大体分かるの、どんな人か」
「ほう、そんなものかな」
「そう、……、本当にいい時代ね。『LOVE』を歌いながら珈琲を飲む政治家が居るなんて」

 君は? と訪ねると少女は「ラテルネ」とだけ短く答えた。
「『灯り』か、……、」
 本当の名前とは思えないが……。
「……良い名前だ」
「……、」
 
──Love is real ...

【2】

 BGMは「ノルウェイの森」に変わった。……音楽の効用か。エルンストはラテルネを相手に昔語りの体制に入った。
「これも懐かしい。……この、歌詞の意味は分かるかね、英語だが」
「……何となくはね」
「今でこそ懐かしい思いで聴けるが、少し苦いエピソードを思い出したよ」
 どんな? とラテルネは音楽に合わせて軽く首を振りながら訊ねた。
「それがそのままなんだよ、……恋人に振られてしまった若かりし日の苦い想い出だ」
「本当? ……参謀長さんならきっと素敵な青年だったでしょうにね」
 エルンストは苦笑し、カップを一口だけ啜った。
「若い頃は仕事中毒でね、仕事にかまけ過ぎて放ったらかしにしてしまったんだ。相手にしていられないわ、と云った所だね」
「まあ」
 目を見開いたラテルネと彼の、二人分の笑い声が上がる。
 ……失恋の昔話などを楽しみつつ話せるのは、暖かいノイズ混じりの音楽の所為だろうか、或いは、今は彼にも帰りを待つ妻が居る所為だろうか。
「今でこそ政治が仕事だが、本職は精神科医なんだ。ベルリンの医大で助教授をしていたんだが、当時は教える事に生き甲斐を感じていたんだよ。……『審判の日』までね」
「……、」
「──その彼女も、家族も皆あの日亡くなってしまった。残されたのは私独りだ。……それ以来、脇目もふらずヨーロッパの復興に尽くして来たが……」
 ──寂しかったからかもしれないな、それは。

【3】

──私と教壇とどっちが好きなのかしら、本当は?

 ──目を閉じれば、今でも鮮明に耳の奥で響く彼女の声。まだ季節が陽射しの強さを目まぐるしく変えていた昔の事だ。
 暑い日──真夏だった。
 屋外で専門書を読みふけっていた、若かりし日のエルンストの周囲は白く輝いて居た。不意に、その視界が陰に被われた所までは覚えている。
 彼から本を取り上げ、無理に冗談めかした声でそう云った彼女の声は記憶している。だが、その顔ははっきりとは思い出せない。
 思い出そうとする度、その、白い視界に差した日陰は再び強い光に飲まれてしまう。

 比べられる事じゃないじゃないか、と彼は答えた。返してくれ、次の講議までにしっかりと調べて置かなきゃならない事があるんだ。
 彼女が投げて寄越した本が、乱暴に降って来た。

──……一つ教えて置いてあげる。……今度から恋人にそう聞かれたら、嘘でもいいから君だ、って答えなさいね。

 さよなら、エルンスト。

 呆然とした表情の、若い頃の自分が見える。
 ──全く、仕方ない男だな、と自嘲していた彼には、その言葉が彼女の、本当の別れの言葉となる事など知る由も無かった。
 彼女の死を知ったのは、既に家族を失い、混乱の中で憔悴し切ってからの事だった。追い討ちのように、瓦礫の中でやっと出会った初めての知人から聞いた。
 それ以上悲しむ気力など残っていなかった彼は、そうか、とだけ答えた気がする。

 彼女に生きて再会して居れば、或いは違った人生を歩んでいただろうか?
 今では考えようもないが、──教える事が喜びだった「あの日以前」と、ただ世界の復興の為だけにがむしゃらに日々を過ごしてきた「あの日以降」では何かが違った気もする。

「……、しかし、不思議なものだね。大分長い時間を生きてきたが、人生、何があるかは幾つになっても分からないものだ」

──私と仕事とどっちが好き?
 
 もし、今そう訊かれれば、嘘でなくとも自然と君だ、と答えられる気がする。そんな存在が、今のエルンストの生活には在る。

【4】

「最近なの? 結婚なさったの」
「笑わないで呉れるかね? 何と29歳も年下の美人なんだ」
 ラテルネは微笑みかけて、笑っちゃ駄目なのよね、と真面目くさってそれを消した。
「瞳がこんなに大きくてね、──彼女に似れば良いのだが……。……そう、今の楽しみは妻のお腹に居る赤ん坊なんだ」
 あら、と今度は流石にラテルネも笑顔になった。
「本当に、人生何があるか分からないものだよ。若い頃、特に一度全てを失った時にはこんな希望が生まれるなんて想像もしなかった。それが、──何て倖せだろうな、ほんの小さな命、ささやかな事なのに。命が繋がって行くという事は、何て倖せな事なんだろう」
「赤ちゃんの為にも長生きしなきゃね、参謀長さん」
 全くだ、とエルンストは微笑み答えた。
「……私から、一つお願いしてもいい?」
 音楽が、今度はタイミング良くも、落ち込んだ息子を励ます為に歌われたスロービートに変わっている。

──Hey , Jude ...

「……、何かな?」


 僕の愛する子供よ、悲しむな
 歌えば気が晴れる筈 
 その歌が君の心の中にある限り
 もっと素敵な未来が切り開けるさ


「あなたの子供に、歌ってあげて欲しいの」
「歌を?」
 私がかね、と苦笑したエルンストだが、ラテルネは真剣な瞳で頷いた。
「そう」
「いや、然し私は、だね」
「何だっていいのよ、短くても、下手でも何でもいいの。……何故ならね、あなたはもう知っているでしょう、命を繋いで行く事の喜びを」
「ん……?」
「生きている倖せを実感するには、その命を呉れた人の存在がなきゃ。……音楽って不思議なの。どんな時でも、必ず残ってるのよ。それを呉れた人の存在と一緒に。あなたも、お父さんから貰ったでしょう? あなたが子供に歌ってあげた歌はきっと、あなたが傍に居られない時でも、子供があなた位の歳になってからでも、必ず一緒に居て呉れるわ」
 
 まだ終わりの見えない混沌の時代の中で、何があっても希望を失わないように。音楽の贈り物をしてあげて。

「それと、もちろん長生きもして、ね」

【5】

「……、」
 はた、と顔を上げたエルンストは窓から差し込む淡い光に目を細めた。
「……これはいかん、」
 汎ヨーロッパ連邦内政総参謀長ともあろう自分が、喫茶店で朝まで転寝をしてしまったらしい。
「……、」
 周囲を見回す。ラテルネは、もう居ない。音楽ももう聴こえない。
 身を乗り出してカウンターの中を覗いた彼は、そこに、到底もう稼働するとは思えない、彼方此方が痛んで螺子の外れた蓄音機を見つけた。沢山あったと思われたレコードも傍らには無く、ただ中に一枚、これも縁が割れて埃の積もった一枚が収まっているだけだ。黄変したラベルは、辛うじて「Lili Marleen」と読める。
「……これが、彼女の正体か……、」
 或いは、私のただの夢か、と立ち上がり、常からの身だしなみとして習慣になっている通り服装を丁寧に整えながら首を傾いだ。
 ──何にせよ、とエルンストは往来に出て考えた。
 歌を子供に贈るというのはいいアイデアかもしれない。音楽は、医療の見地からも理屈抜きで精神の健康に良いことは実証されている。そうだ、今から、帰ってすぐ、まだルツのお腹の中にいる赤ん坊に歌ってやるのはどうだろう。胎教だ。
 
 ──一体、急にどうしたんですか、と驚く愛妻の顔が目に浮かぶ。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0122 / エルンスト・ローゼンクロイツ / 男 / 48 / エキスパート】

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■         ライター通信          ■
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なかなか勢いが付かず、時間が掛ってしまいました。申し訳ありません。
勢いに乗る切っ掛けが掴めないままでしたので、ここは一つ、とローゼンクロイツ様のお話に耳を傾けるつもりで雑談のようにのんびりと書いて見ました。
奥様のお腹の子供、何と喜ばしい事でしょう。
ルツ嬢似の、可愛いお子さんだと良いですね。……個人的には閣下に似られても良いかも、と思いますが。
今回はお立ち寄り下さいまして有り難うございました。
御縁がありましたら、是非また、そしてお子さんにもお目に掛りたいと思います。

x_c.