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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


night fell so calm

 風道朱理は、床にへたり込んだまま動かない女の前にゆっくりと屈んだ。
 女は、無傷だ。今の所。然し彼女は目を見開いたまま動こうとしない。或いは、恐怖で足が萎え、動けないのか。
 端正な顔に微笑を浮かべ、じっと彼女の目を覗き込んだ朱理は傍目には動けない女を優しく気遣っているようにも見える。……だが、彼がその視線を女の目からその腹部へ移動させ、少しく目を細めた時にはやや朱理の笑みは表情を変えていた。
 朱理の右目は堅く巻かれた包帯に覆われている。そして、やや細められた赤い左目には、残酷な悦びの色がはっきりと見て取れた。

 ──まだ、女は生きているらしい。瞳孔の開いた目から涙を流しながら、何か云いたい事があるのか、それとも声にならない悲鳴でも上げているのか口をぱくぱくさせている。
 朱理は、──レオには何が面白いのかさっぱり分からないが、女の腹から取り出した臓器を目の上に掲げてこの上なく楽しそうな、一種恍惚とした視線で眺めている。彼のもう片方の手には愛用のナイフがある。そのナイフが医療用のメスのように鮮やかに、女の腹に分割線を赤く引くと、朱理は無造作とも云える手付きでその中に右手を突っ込んでそれを引き摺り出した。纏わり付いていた赤い血は、朱理の腕を伝ってぼたぼたと滴り続ける。朱理の細い指と、血の中に見えるそれは白くて柔らかそうだった。
 女の涙に溢れた視線に気付いたのか、それを、ついさっきまで女の腹に収まっていた白い臓器を見せつけるように彼女の前に掲げて朱理は莞爾と微笑む。

──今日の風道は機嫌が良さそうだ。

 ひとしきり手の中で弄ぶと、また女の腹に手を入れて内臓を引き摺り出す。
 普通なら目にする筈のない、自分自身の内臓がずるずると引き摺り出されるのを目の当たりにして泣きながら力を失って行く女の恐怖が楽しいのか、或いは大量の血や肉塊が手の中で死肉に替わっていくのが面白いのか。ともかく、非常に楽しそうだ。
 一種無邪気な遊びにも見える手付きと、口許に浮かんだ残酷な微笑が不釣り合いだ。
 いつか朱理と女の間には血溜りが出来ていた。
 ──欲望を喚起する匂いだ。
 死臭。腐乱していく肉の匂いとどこか甘ったるくも感じる血の匂いが入り交じった淀んだ空気、それに人を殺めた直後の朱理の美しい笑顔が揃った時が、レオにとって本能的な欲望を満たす瞬間になったのはいつからだっただろう。
 レオ本人にも、いつからその二つの条件を受け入れるようになったのか、そして自分の欲望というのが本来は人を殺す事だったのか、或いはその肉を喰らう事で食欲を満たす事だったのか分からない。
 分かってはいない。だが、朱理の傍には常にレオを満たせる条件が揃っていた。

「……、」
 やがて、臓器を弄ぶのに飽きたのか朱理の表情から俄に笑みが消えた。無邪気に玩具で遊んでいた子供が急に興味を失って呆気なくそれを打ち捨ててしまうように、最後に手にしていた脆い肉塊をぐしゃ、と掌中で潰してしまい、一斉に溢れ出した鮮血が流れ切ってしまうと朱理は立ち上がってその残骸を女の目の前に投げ捨てた。
 そしてレオを振り返る。
「レオ」
 目の合った瞬間だけ幽かな笑みを口許に浮かべると、食事の時間ですよ、とだけ云い置いて朱理はその場を後にした。
 そしていつものように、レオはその女の肉体に牙を向ける。……ただ、この時少しだけ違いがあるとすれば、まだ辛うじて女に意識があった為に、レオがその肉に牙を立てた瞬間、空気が掠れたような声で一声だけ悲鳴を上げたことだ。……どうせ、結果は同じ。大した事ではない。

 とても、美味かった。

「……、」
 視線を一通り廻らせた朱理の表情は落ち着いている。特に何の感想も無さそうにナイフを下げた手を脱力させて黙っていた。
 相手の人間は、ざっと目で数えて7、8人と云った所だ。野盗か盗賊か、ともかくその類の連中だ。
 ナイフを持っているとは云え、華奢で腕力等全く持ち合わせていなさそうな少年独りを複数で取り囲んでいる余裕からか、全員が朱理に残虐な笑みを向けている。
 徐ら、朱理は目を細めて天を見上げた。……月が出ている。
「……知っていますか」
 静かな中に朱理の声はよく通った。
「あ?」
「血が、一番きれいに映えるのは月明りの下なんですよ」
 そして朱理は視線を手にした刃に落とす。愛おし気に。
 笑い声が一斉に、朱理を取り囲んだ連中の中で湧いた。
「そりゃあ良かったな、あんた、さぞかしきれいに死ねる事だろう、」
「……、」
 そう揶揄した男へ視線を投げた朱理には、いつもの──静かで、酷薄な笑みが浮かんでいた。
「あなた方が、ですが」

──……。

 そして少しの後、朱理はいつものようにレオを招き寄せる。──いくら闇に紛れていたとは云え、これほど感情を昂らせていたレオの気配に気付きもしないとは、何て神経が鈍い連中だろう。
 呆気無さ過ぎたので、それぞれの四肢や身体を全てばらばらに分断してみた。それだけ多く迸った鮮血が、朱理の退いた地を真っ赤に染め上げて美しい色彩を為している。
「……優しいですね」
 月明りを淡く反射しているナイフの刃、それにこびりついた血を指先でなぞりながら朱理は呟く。
「……どんな生き物にもこれ程美しい最期を与えてくれるのですから」
 ──そう、朱理が言葉を向けたのが月の事なのか、それとも鋭利な刃の淵の事なのかは量り兼ねる。だが、それはレオにとってどうでもいい事だったので、疑問を抱く間もなく一心に屍骸の肉を貪り続けていた。

 とても、美味かった。

「……、」
 翌朝、レオは目覚める気配のない、朱理の横顔を眺めていた。遅い朝、朱理は一度目を覚ましはしたが疲れていたのか、再び目を閉じるとそのまま寝台の中で動かなくなった。

──風道は、今日はずっと寝ているつもりらしい。

 わざわざ起こす理由も、その必要もない。レオは静かに寝息をたてている朱理を部屋に残して独りで外へ出た。
 夜間こそ物騒な世界に用心して建物に閉じ隠っている人々も、昼間の街では無防備に行き交っている。
 大勢の人間の活気が、レオの視界に映る。──人間の群れ。それは、レオにとっては只の食い物でしかない。時間が昼間だろうが、その数がどれだけであろうが、結局、最後には同じ事だ。
「……、」
 近くを通りかかった男が、不審な視線をレオに向ける。……、彼は直ぐにただの肉塊と化し、レオの牙に罹った。
 彼方此方で悲鳴が一斉に上がり、昼間の街は一瞬で地獄図を描くような姦しい場面に変わった。

 非常に騒がしい街中の悲鳴は寝台で目を閉じていた朱理の耳にも届いた。
「……喧しいですね」
 朱理は額を軽く押さえると、ゆっくりした動作で寝台を降り、窓辺に歩み寄った。
「……、」
 暫く朱理は窓から外の、街の出来事を眺めていたが、──ややしてその赤い瞳を細めた。何かを見たからなのか、或いは単に眠気からなのかは判断がつかない。が、やがて彼は表情を変えないまま窓際から離れ、また寝台に入って目を閉じた。

 逃げ惑う人間は、やがて一人も居なくなった。街の外に居た人々は、既に残らずレオの牙に喰い尽くされている。
 先程とは打って変わって閑散とした街の中で、黒い装甲に身を包まれたハーフサイバーが身を起こし、独り立ち去った。
 流石にあれだけの人数が居ればレオの欲望も満たされたらしい。

 とても、美味かった。

「……レオ?」
 夕刻を過ぎて部屋に戻ったレオを、寝起きなのか気怠るそうに顔にかかった黒髪を掻き上げながら朱理が迎えた。
「……随分元気良く遊んで来たみたいですね」
 拭いようのない死臭を身体中に纏わり付かせたレオを、静かな微笑を持って一瞥した朱理と入れ替わりに、レオは休息に入る。
「……、」
 朱理は、その日の夜はレオが安む部屋の窓から、ずっと外を眺めていた。
 僅かに欠けた月と、その明りが照らし出す下界の街の風景を。