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<東京怪談ノベル(シングル)>


no impressions

「今日はもう終わりだ、ウィルクラウト」
「……、」
 ウィルクラウトはぐるり、と首を巡らすように声の主を振り返った。顎を持ち上げ、やや目蓋を伏せた視線はさも面倒な物が来た、と云わんばかりである。
 ウィルクラウトの前には、頭部に電極を繋げられた少女が一人、手足を椅子に固定されて座っている。虚ろな目と意思の無さそうな表情をした顔、そしてまた彼女の内面的感情にも何の起伏がない事を示すように、──キリキリ……──と小さくもかん高い音で脳波を曲線に記し続ける機械音が規則的に響いて居た。
 ウィルクラウトは顔を天井に反らせたまま右手で左の肩をとんとん、と叩いた。
「……まだ区切りが付いて無いんだよ」
 言動の全てが面倒臭そうな、未だ歳若い男だ。
 慣れた様子で白衣をだらりと着流した辺りは落ち着いた青年のようだが、端正ながらも、まだ少年なのか少女なのか、危うく判断を誤りかけてしまいそうな顔立ちに華奢な体つき。──何より、その口許に浮かんだ皮肉な微笑が、残酷さと狡猾さを無邪気と同時に持ち合わせる少年の物でなくて、何だろう。
 やたらと真剣ぶった同僚を態度だけで嘲笑するかのように、片方の眉を持ち上げて彼に向き直ったウィルクラウトの動きに沿ってその黒髪がぱらりと額にこぼれた。大仰では無いながら、彼の動きはどこか道化掛っている。
「区切りだと?」
 同僚は一層気色ばんで語調を荒げると、ばん、と派手な音を立てて壁を片手で叩き付けた。
 ウィルクラウトは肩を竦めて見せ、ちら、と一瞬の内に横目で脳波の測定曲線を見遣った。
「……、」
 その表情が満足気に変わり、今迄は深く落ち着いていた青の瞳が俄に輝いた。
 少女は相変わらず無表情だ。
 同僚はつかつかと少女に歩み寄り、その無表情を指すとウィルクラウトに詰め寄った。
「お前、一体何時間この測定を続けている、見てみろ、ぐったりしてるじゃないか」
「……、結構リラックスしてたみたいだが。 それより、君が来て騒ぎ出してから少々御機嫌が悪いらしい、彼女」
 そう、視線を同僚ではなく脳波の結果を示すグラフに遣ったままウィルクラウトは嘯いた。
「──……お前とはまた後で話をしよう、それよりも、ともかく先に彼女を休ませるんだ」
「……、」
 ウィルクラウトは冷めた目で静かに同僚を見ている。少女に大股で歩み寄り、手足の拘束ベルトに乱暴に手を掛ける姿。
「……!」
 その瞬間、少女の虚ろだった目が赫っ、と見開かれた。ガリ、と一気に跳ね上がった少女の脳波が針を振り切った音が弾ける。
「……、」 
 ウィルクラウトの目が輝き、先程迄の嘲笑とは違う、内面から溢れた喜びを押さえ切れない事による笑みが口許に浮かんだ。
「あ……!」
 ストレスが極限に達した少女は、身体に触れた同僚の指先に炎を点けた。慌てて吹き消そうと振った手から落ちた火の粉が白衣に落ち、瞬く間に燃え広がる。
 ウィルクラウトの青い瞳は、炎に踊らされるようにそれを脱ぎ捨てて投げ出し、呆然として壁際で震えている同僚の姿を映していた。
 灰に変わっていく白衣の端で、炎はまだ上がっている。脳波測定器のエラー音が姦しく響く。煙探知機が作動し、スプリンクラーが降り注ぐ。
 天井からの雨を広げた両手に受けながら、ウィルクラウトは高く笑い続けていた。

 ウィルクラウトがエスパーの「検査」中、御節介な同僚に大火傷を負わせた次の日の昼過ぎ。
「また、やったんだってな、ウィルクラウト」
 医療スタッフ用の食堂の隅で、独り黙々と昼食を摂っていたウィルクラウトの向かいにそう、声を掛けながら座った人間が居る。
「……、」
 医療スタッフチームの、否、エヴァーグリーン機構の中でも孤立した存在であるウィルクラウトの、唯一と云っていい友人だった。
 別に、好きな相手という訳ではない。友人と認められる理由はただ、彼だけはウィルクラウトと一対一での会話が成立するからだ。
 エヴァーグリーンの宝であるエスパーを「モノ」としてしか見ていない、自分の殻に閉じ籠った妙な奴。誰もからそう評されていたウィルクラウトと、積極的に関わろうとする人間は居なかった。この、友人を除いて。
 ウィルクラウトは別に殊更他人を避けようとしている訳ではなかった。ただ、交友関係などどうでもいい事だったというだけの話だ。彼の最優先事項である発火能力者の研究に比べれば。だから、敢えて自分から友人との会話を求めるような面倒な事はしたくなかったし、それに、──苦手なのだ。「会話」自体が。
 皆、よくあれだけ話す事があると思う。気候の事だとか、新しく入った看護専門のスタッフが可愛いだとか。気候が暑いか寒いかなど、数字が示すデータを見れば一目瞭然だし、新しいスタッフが入って来たならば重要なのは見た目ではなくて能力だ。ウィルクラウトには、口にする事さえ思い付かないような話題が彼の周囲の其処此処で成立している。無理に自分もその中に加わろうとして、何を喋ろうかと悩むのは莫迦らしい。
 その点、この友人との付き合いは楽だった。彼の方からいくらでも話題を振ってくれるからだ。ウィルクラウトには何も言葉が思い付かなくても、ただ彼の言葉に適当に相槌を打っていればいい。それで友人関係が成立するのだから楽なものだ。それに、彼の話題にはそこそこウィルクラウトにとって有用な情報もあったし、頭も悪くない、言葉に裏表もない。ウィルクラウトの機嫌や反応を窺ったりもしないし、妙な情を掛けも、気を遣いもしない。友人が必要であるならば、これ以上最適な人材は無いだろう。
「あいつ、右手をサイバー化する必要もあるかもしれないってよ。俺もさっき見てきたけどさ、凄かったね。……っあー、トラウマんなりそうだよ、あの顔。……『審判の日』を思い出す」
 そして、御感想は? と云う質問を目でウィルクラウトに投げる。
「──……、」
 「審判の日」……か。ウィルクラウトは一瞬、ぼんやりした表情をしたが、すぐ例に依って戯けた表情で片方の眉を持ち上げた。コーヒーのカップを近付けた口許は笑みを浮かべている。
「そのお陰で、彼女は自ら封印してしまった発火能力を解放できたんだ。決して高い代償じゃない」
「で? 今日になっても未だお前には何の御咎めも無しか?」
「ああ」
 こんな事件は、今に始まった事ではない。
 例えば、延々と脳波と取られ続けたエスパーが過労死寸前まで疲労困憊してしまったり、不用意に破壊能力を解放してしまったエスパーによって施設や人員が被害を被ったり。致死者こそ出さなかったものの、全てエスパーの研究になると度を越した熱意を傾けてしまうウィルクラウトが原因で引き起こされたものだ。その度に、始末書やら事後処理やらと云った面倒を彼は被って来た訳だが、──今回に至っては、始末書では済まないだろうという事は誰にでも予測が付く。
 それが、事故から14時間が経過した未だ何の通達もないと云うことは──。
「流石に、ヤバくないか?」
「何が」
「……怒らないで聞けよ、前々から噂にはなってたんだ。エルケーニヒは、その内医療スタッフの権限を剥奪されるぞ、ってな」
 今日が、そのXデーではないか、と。
 ウィルクラウトはふん、と鼻先で皮肉っぽく笑った。これだから、この友人は良い。遠慮もしない代わり、陰口を叩きもしない。
「……莫迦々々しい」
「手だぜ、利き手一本。あいつは上からの信用もあったし、本人がエルケーニヒにやられたと騒いでるし」
「私ではない。炎を点けたのはあのエスパーの少女で、厳密に云えば原因は彼が彼女に不快感を与えた事に拠る」
「周りはそうは思わないぞ。……元々、お前の『検査』方法は本道から外れてるって声は上がってたんだ」
「……、」
 ウィルクラウトはカップを置くと、唇の端を吊り上げたまま、珍しく真剣な表情になっている友人に向かって口を開いた。
「私以外の誰が、エスパーの能力についての研究成果をあそこまで上げることができる?」
「──……、」

 友人は、途端に寂しそうな表情になって首を振った。
「……残念だ」
 ウィルクラウトの訝る視線を、彼は外した。
「……実は、もう決定は出ている。俺は、通達役だったのさ。……ただ、もしもお前の口から、怪我人に対する労りでも、或いは何か特別な事情でも、……何か……人道的な言葉が聞ければ俺は改めて上に酌量を求めるつもりだった。だが、……残念だよ」
 そして彼は上着の内側に手を入れ、その几帳面さが癪な程きれいな三つ折りになった一枚の紙を取り出し、ウィルクラウトの前に置いた。
「……じゃあな、ウィル」
「……、」


──ウィルクラウト・エルケーニヒ

 上記の者を、本機構の目標より著しく逸脱した自分本意な研究に拠って本機構列びにそれに属する人員に損害を与えた咎により、本機構内に於ける職及び権限を剥奪する。
 於いて本機構は同者に対し48時間以内に本施設内からの立ち退きを命ずる権限を持つ。命令が守られない場合、本人の身体及び私物に至る一切について本機構は責任を持たない。
 
20XX.XX.XX. プラハ平和条約機構“エヴァーグリーン”医療部


「……、」
 ウィルクラウトは書面に目を通し、それを再び折畳んで仕舞った。
 そして席を立ち、食堂を立ち去る彼に向けられた冷たい視線には何の感想も無かった。ただ、莫迦な連中だ、という思いだけが、静かな青い瞳の奥に在った。
 ──これほどエスパーの研究にとって「有用な人材」──「モノ」を自ら放棄するとは。
 ならば、彼の為すべき事は一つだ。
 その優秀な頭脳の容れ物である自らの所在を、次にエスパーに接触し得る場所へ移動させる事。
 
 指定の48時間リミットを待たず、ウィルクラウトは僅かな私物と持ち出しを許可された他愛のない資料と共にエヴァーグリーン医療スタッフ施設を後にした。