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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に祈る歌

 音が、聞こえた気がした。
 一瞬追手に追い付かれたかと思ったが、それにしては優しい―――まるで子守歌のような音だと思った。
 感覚が鈍ってしまったかな、とも思う。逃げる事に疲れて、もう身体が駄目になってしまったのかもしれない。
 実際―――と、レオは壁に身体をもたらかかせながら溜息をついた。闇サイバー博士から手に入れた栄養剤を首筋の管に差し込み、その眼は何処か遠くを見ている。
 実際、無我夢中で逃げていたから途中形振りなんて構っていられなかった。此処が一体何処なのかも判っていない。きっと本国の外れだろう―――判ることなんて、それくらいだ。
 肉体からか精神からか判らない疲労がレオの身体を包み込む。あまり長くも同じ場所にはいられない。休む暇なんて、ない。
 あいつらは、執拗に追い掛けてくる。自分と似たような名を持つ、彼等はきっと。そう遠くないうちにこの場所を見つけ出し、慈悲も何もなく自分を殺すだろう。
 否、"殺す"のではなく"壊す"のだろうか?
 レオは、またそっと溜息を吐いた。

(俺は―――逃げられるのか?)

 勝てるのだろうか?
 奴らに。今もきっと鼻息を荒くして自分を探し出そうと躍起になっている、奴らに。
 例え、勝てたとしても。
 その先は、今までの逃亡生活が物語っている。
 誰も、手を貸してなどくれないのだ。オールサイバーである自分に、まして逃亡者である自分に、優しく接してくれる者などない。何処まで行っても、一人だ。
 逃げて逃げて逃げて。ただひたすらに目的地もなく彷徨い続けて。
 その先に、何があるのだろう。こんな疲労なんかじゃない、もっと優しい空気が自分を包み込んでくれる場所など在るだろうか。

 開いた自分の右手を見つめる。
 一体、この手は。
 この手は、何を壊しただろうか。どのくらい壊しただろうか。そして、何を掴めただろうか。何かを、手に入れたことがあるだろうか。
 レオは、何故か胸が締め付けられるような気がして目を細めた。視界には、ただ自分の掌が映っているような気もしたし、今までに見てきた景色が映っているような気もした。
 そしてただ、掌を緩く握ったり開いたりを繰り返している。

 だが、それでも捕まるわけにはいかない、と思い直す。
 けれど、その想いは今まで程強くはなかった。現に立ち上がれない。今までは確かにその想いを糧にこの地に立って、歩いていたのに。
 ただ、思う。自分たちの勝手で創ったくせに、それを失敗しただとか云って壊してしまうなんて、そんな理不尽な話があるだろうか。そんな権力だとかのくだらない力に、負けたくはない。負けてたまるものか。
 ただ、分はあくまでもこちらが悪い。飛行能力があるにはあるが、遠くまで行けても恐らく目立って方向を掴まれてしまう。しかもただ闇雲に逃げるだけではいけない。自分は燃料や栄養配分に殊更気を使わなくてはならないし、それもいつ切れるとも知れない。怪我など以ての外だ。維持モードになってしまえば、そこで全てが終わりとなる。

 どんな道を選んだにせよ、そして選択肢を勝ち取ったにせよ、先が全く見えない。どの道もいつか破滅という一つの道に合流してしまうのかも知れないし、もしかしたら全然違う未来がそれぞれの行く手にあるのかも知れない。

(それでも、やはり―――)

 やはり、逃げ続けた方が選択の幅は広がると云うものだ。諦めたら、自分はそこで消されて、終わり。
 先が見えなくても、例え待つものが自分にとって喜ばしいものではなくても、数年で様変わりしたこの世界のように、きっと。前兆なんて何もなく、何処かで何かが待ち構えているかも知れないではないか。



 一応決着のついた迷いに、レオは少しだけと思って目を閉じた。やはり、疲れはたまっている。ナンバーズ―――5番や6番の気配は未だ感じられないから、まだ大丈夫だ。
 目を閉じたことで、不思議と周りの世界に静寂が感じられる。その中で、やはり聞き間違いでも何でもなく音が聞こえた。それは追っ手のものでもなく、世界を傷つけるような音でもなく、最初に感じられたように優しげなひとの声のようだった。

(子守歌だ)

 オールサイバーで、しかも通称7番と呼ばれるナンバーズの一員である――否、あった――自分は、子守歌など誰かに聞かせて貰った覚えなど当然ない。子守歌がどんなものなのか、それすらも知らない―――筈だ。
 それでも、これは確かに子どもをあやすように眠りにつかせるように優しい歌なのだと感じる。レオの身体も、その優しさに包まれたようだった。空気中に浮かんでいるようにふわふわと、心地良い。
 ―――癒される、と。この誰が歌っているとも何と云っているかも知れぬ歌に、確かに自分は癒されていると感じた。
 もう一度、目を開けたレオは再び掌の閉じ開きをし始める。何度目かの後、閉じる手を今までになく強く握り締めた。
 それは、まるで決意の表れのように。

 ―――もう十分に休んだ。

 レオは立ち上がり、また何処とも知れぬ闇に突き進もうとする。だが、少しだけ。少しだけ振り返って、声がした方向に眼を向けた。

「―――有難う」

 誰に向けたとも知れぬ、謝礼の言葉。
 きっともう二度と口にはしないだろう、初めて発した言葉に多少の気恥ずかしさを覚えながらも、レオは再び前を向いた。闇へと一歩一歩、歩みだす。
 その足取りに、もう迷いはなかった。