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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


bonne nuit

 Mon frere est soldat, jai perdu ma mere
(兄は兵隊で、母には死なれた)
 Puis ce fut un autre malheur, Je perdis ma petite soeur
(そして更にはそう、妹まで私を残して逝ってしまった)
 Pauvre ange, Pauvre ange, Elle m'etait bien chere
(可哀想に、可哀想に、本当に可愛い子だったのに)
 C'etait mon unique souci, C'etait mon unique souci
(私はただあの子の事だけをいつも気にしていたわ)
 Que de soins, helas, Que de peines
(死が、そんな私の苦労や心配を取り上げてしまった)
 C'est quand nos ames en sont pleines
(苦労や心配だけが私の全てだったのに)
 Que la mort nous les prend ainsi,
(死が全てを奪ってしまったの)
 C'est quand nos ames en sont pleines
(苦労や心配だけが私の全てだったのに)

「──Que la mort nous les prend ainsi……」
(死が全てを奪ってしまったの)

 前を行くカペラの歌声だけがよく響いている。
「……、」
 ウィルクラウトは黙って彼女に続く。
 ゲーテの「ファウスト」か、とはすぐに分かったが、勿論彼に音楽や詩への興味がある訳ではない。ただ、フランス語の古典として知っているだけだ。カペラは逆に、フランス語の詩と云うよりは歌として覚えているのだろうが、──何ともセンチメンタルな事だ、とウィルクラウトは呆れる。

「……、C'etait un ange──, un ange──, O──ui, je──le cro──is……」
(その娘は天使だ、天使だったのさ、そうとも、私はそう思う)

「……、」
 歌う訳でも無いのに、わざと妙な抑揚を付けて低く呟いたウィルクラウトを、カペラはくるりと振り返る。

「Vous moquez-vous?」
(揶揄ってるのね、)
「Non, non, je t'admire」
(まさか、君に感心しているのさ)

 ウィルクラウトは戯けて両手を広げた。

 ──つい、先程の事だ。
 カペラは元々機嫌が良かったのか、軽快な足取りで鼻歌など歌いながらウィルクラウトの先を行っていた。メゾソプラノに相当する高さの声だが、非常によく通り、その高さの所為か暖かみのある歌だった。
 彼女がふと、立ち止まった。
 首を傾いで何、と目で訊きつつ追い付いたウィルクラウトに、カペラは足許を指した。
「……、墓だな」
 見たままの感想を、ウィルクラウトは述べる。
「……そうね」
 それだけ? という表情をしたカペラにウィルクラウトは肩を竦めた。
 街や農村からも離れた人気のない道だ。彼等のように旅している訳でも無ければ通り掛かりもしないだろう。こんな所に墓があるとすれば、行き倒れた旅人の物と見て違い無い。
「小さいわよね」
 在り合せの素材でようやく十字架を造ったというような、本当に小さな墓標だった。
「子供だったんだろう、──多分」
 ウィルクラウトはそれ以上何の興味も示さず、今度はカペラを置いて先へ進んだ。
「子供、ね」
 カペラはそう呟き、やがてまた軽快にウィルクラウトを追い越した。そう、その言葉で思い出したらしい「ファウスト」の、亡き少女を偲ぶ歌など歌いながら。

「成る程」
 立ち止まったカペラは両手を腰に当てて前方を見据えていた。
 教会だ。──そうは云っても、既に神の救い自体が遺物と化した時代だ。目の前の建物もそれに相応しく、石造りの壁はひび割れ、元々はステンドグラスが嵌っていたと思しい孔から吹き込む風によって風化している。寂れた廃虚の教会。それはいっそ物悲しくもあるが、あんな人里離れた場所にぽつねんと墓が建って居た理由も合点が行く。
「カペラ、」
 扉の抜けた入口から中へ入って行く彼女の背中に、入ってどうする、という意味合いを込めてウィルクラウトは声を掛ける。だが、その赤い髪を暗がりに灯った焔のように揺らしながら、カペラは入って行ってしまった。
「……、」
 仕方無い、──全く物好きな。顔を上げ、大きく息を吐き出す。前髪がふわりと持ち上がり、ウィルクラウトの視界に、空と、十字架の影が映った。

 カペラは後ろで手を組んで爪先立ち、祭壇の御母子像をじっと見上げている。
 それもこの建物同様相当風化した物ではあったが、その白い貌には時代を越えて観る物を癒すような、慈愛に溢れた美しさが在った。
「……カペラ」
「きれいよね」
「そうか?」
 カペラの後ろに立ったウィルクラウトは腕を組んで冷めた視線を向ける。彼にしてみればわざわざこんな高い位置に祀り上げられた彫像など、無駄としか思いようが無い。この、大理石の彼女に向かって祈りを捧げれば本当に救われると信じている人間が未だに存在するという事実が彼には理解出来ない。
 ──それだけに、素直にきれいだ、と呟いたカペラの思惑を量り兼ねた。
「……、」
 きれい、なのだろうか。──眺めている内に余計に判断が付かなくなって、ウィルクラウトは自分が混乱しかかって居ることに気付いた。
「……C'est en vain」
 ──下らない、と彼は呟いた。
 そしてその姿勢のままカペラの前に回り込んで祭壇の前に立つと、ぱっと両腕を広げて見せ、芝居掛かった大仰な姿勢になった。
 中性的な幼さを残す端正な顔には、彼らしい皮肉な微笑を浮かべて。

「Rien !
(何も知らない)
 En vain j'interroge, en mon ardente veille, la nature et le Createur.
(夜を徹して問い続けて居るのに、自然とは、創造とは)
 Pas une voix ne glisse a mon oreille.
(なのにただの一言の啓示さえ私には与えられない)
 Un mot consolateur !
(慰めの言葉も無しか)
 J'ai langui, triste et solitaire, j'ai langui, triste et solitaire.
(孤独の闇の中で私は苦しんだのに、暗く、ただ独りで)
 Sans pouvoir briser le lien qui m'attache encore a la terre!
(私を唯一この世へ拘束する絆を断ち切る事も出来ずに)
 Je ne vois rien! __Je ne sais rien !
(私は何も解らない、何も知らない)
 Rien !
(何一つ、何一つさえ)
 Rien !」

「……良く覚えてるのね」
 膝を抱えて床に座り、ウィルクラウトの大袈裟な「独白」を拝聴していたカペラは呆れたように首を傾いで微笑んだ。
「古典的なフランス語としてね」
 一変して冷めた口調になってウィルクラウトは肩を竦める。
「……、」
 カペラは口唇を開くと、音のよく響く廃教会の中心で再び朗々とグノーのアリアを歌い出した。
 
 Ah !
(ああ、)
 Paresseuse fille, qui sommeille encor !
(御寝坊のお嬢さん、まだ眠って居るのね)
 Deja le jour brille sous son manteau d'or.
(もう太陽が輝いているわ、金色の外套を纏ってね)
 Deja l'oiseau chante ses folles chansons.
(もう鳥達が陽気な歌を歌っているわ)
 L'aube caressante sourit aux moissons.
(なんて微笑ましい収穫の暁)
 Le ruisseau murmure, la fleur s'ouvre au jour,
(小川の囁き、華の開く陽の光)
 Toute la nature a l'amour !
(自然は愛に溢れているわ)
 Toute la nature a l'amour !

 これではどう、とばかりにウィルクラウトを見上げた瞳が悪戯っぽく炎の赤を煌めかす。

「Vains echos de la joie humaine, passez, passez votre chemin !」
(なんて空虚な人間の叫びだ、去ってしまうが良い、去れ、消えて無くなれ)

 Beni soit Dieu !
(神様、あなたに感謝を捧げます)

「Dieu !」
(神か!)

「……、」
 駄目みたい、とカペラは溜息を吐いて首を軽く振った。
 ウィルクラウトのような人間に、神の慈悲を信じ込ませようという方が無理な話だ。
「……カペラ」
 ぽつりと呟いたウィルクラウトに、カペラは何、と答える。
「Mais ce Dieu, que peut-il pour [toi]?」
(君は、神が君に何かを与えてくれる等と信じているのか?)
「信じない訳じゃないけど、アテにはしてないわ」
 ──少なくとも、自分の身は自分で護れなきゃ生き抜けない時代だもの、今は。

 ──結局、その日はすっかり空が闇に沈んでしまうまで二人は廃教会の中に居た。
 朽ちても、教会だ。夜の帳が下りて壁の裂け目から降り込む月明りにぼんやりと浮かび上がる景色には荘厳さが漂う。並んで膝を抱えて空を見上げながら、いつになくカペラが大人しく押し黙っているのもその影響を受けているのだろう、──そう思うとウィルクラウトは妙に落ち着かなかった。
「──Et voici la nuit」
(そして、夜になりました)
「……あくまでお笑いにしたいのね」
「別に」
「そうかしら」
「……、」
 暫くしてから、ウィルクラウトは分からないんだ、と呟いた。
「何故、神なんて抽象的な存在を信じるだけでは飽き足らずに、そんな不安定な物への信仰に自らの運命を委ねられるのか」
「頼り切るのは良く無いとは思うわね。結局、自分では何もしないんじゃ」
「でも、君は信じて居るんだろう、──カペラ」
「……、」
 ウィルクラウトは言葉を詰まらせた。カペラの、彼へ向けた視線がとても穏やかで優しかったからだ。
「……そんなに大袈裟に悩む事じゃないと思うけど? 別に、神様がいてもいなくても、あたしやウィルが消えて無くなる訳じゃないんじゃない」
「……それはそうだが」
「何が怖いの?」
「……怖い?」
 ウィルクラウトの表情が強張った。怖い、──何が。……恐怖など、最後に感じたのは何時だっただろう。敢えて云えば、こうした素直な感情を口にするカペラを見るにつけ、時折感じる訳の分からない気分を不安に思うことはあった。──結局、何に自分は惑わされているのだろう。
「ウィルらしくないんじゃない、どうしたの、いつもの冷静な結果論者のウィルクラウトは?」
「……、」
 黙り込んでしまったウィルクラウトの横顔を、やや戸惑いながらカペラは眺めた。──どうしちゃったんだろう、こんな何でもない事で。
「……ウィル、」
 ややしてから、カペラの呼び掛ける声に振り返ったウィルクラウトの目の前で、炎の華が咲いた。彼へ差し出したカペラの掌の上に。
「……、」
「これなら信じるでしょう?」

「Oui, crois en cette fleur eclose sous tes pas」
(そう、あなたの前に咲いたこの華を信じて)

「──カペラ、」
 思わず溢れそうになった訳の分からない感情を隠すかのように、殊更皮肉めいた苦笑を浮かべてウィルクラウトは云う。
「……それは悪魔に魂を売り渡したファウストの台詞だよ」
 曲り也にも教会の中に居るのに。
「いいわよ、別に。……何かあったって、この華はあたしとウィルを護ること位出来るんだから」
「……私だって、」
 護れるさ、……自分自身と、カペラの事は。──最後の言葉は聞き取れない位の低声で呟いたウィルクラウトの気持ちを汲んでか、カペラはそれ以上は何も云わずに小さく欠伸した。
「──眠くなっちゃった」
「そうだな、……もうそろそろそんな時間か」
 再び月明りの洩れる空を見上げて、ウィルクラウトは呟く。
「……今日はここで休もうか、カペラ、──……、」
 そうウィルクラウトが提案した間にも、カペラはまた小さな欠伸を繰り返してことん、と彼の肩に頭を凭せかけて目蓋を閉じてしまった。
「……、」
 ──まあ、いいか……。
 壁に凭れ、自らも休息の体勢に入ったウィルクラウトの視界の端に、炎のような色をしたカペラの髪が映っている。
「──Bonne nuit(おやすみ)」

 ──……。
「ウィル、……ウィル!」
「……、」
 翌朝、先に目を覚ましたカペラはウィルクラウトの肩を揺り起こした。
「……、──……、」
 ウィルクラウトは薄らと目を開ける。──……開けるが、目蓋は中々開き切らない。
「……」
 仕方ないな、という微笑がカペラの表情に表れた。
 寝起きの異様に悪いウィルクラウト、──こうなっては、後一時間はまともに機能しまい。
 ──ま、いっか。
 のんびり、待つ事にしよう。

 Ah !
 Paresseuse [Will], qui sommeille encor !

 今度は戯けた横槍を入れられる事もなく、やや小さな声でカペラはアリアを口ずさみ続けた。