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■希望■
カルネアデスを巡る戦いが終わり、UMEでは戦後に向けて部隊の再編と、各戦線からの撤収が進んでいた。
多くのUME将兵が欧州の主要都市を離れた後も、アル・カスィームは欧州の拠点にとどまり、様々な交渉やとりまとめを続けていた。戦いは和平で幕を閉じたが、それで安閑とはしていられない。むしろ、本当の戦いはこれから始まるのだ。
この半年の戦いは、中等の民が平安に暮らしていける、最低限の条件を整えたに過ぎない。停戦時の条件が恙無く進めば、死の風の害悪に関しては、数年後には取り除かれる。
そこまでに限っても、欧州に任せきりにはできない。相手を信用するか否かというよりも、当事者でなければ分からない問題は、幾らでもあるのだ。
一時移民計画に当たり、相手が心から中東の事情を考慮したつもりでも、不充分な対応が出てくる。文化も思想も異なり、交流も疎かった間柄では、短期の調査では補いきれないのだ。現地調査を待つまでもなく、彼がプラハ駐在に当たって感じた不便を述べていくだけで、解決できる事もある。
「私達にとって、日々の祈りは欠かせないものです。移民地の一区画に一つは、寺院が必要なのです」
「お気持ちは分かりますが、寺院の建設には時間も労力もかかります。まずは移民を終えないと」
「いや、欧州の教会のように複雑なものは必要ありません。各家で定刻に祈りにつけるように、中心地にコーランを流せる空間を確保していただくだけでも、当面は構いません。その土地を確保していただければ」
戦時中から面識があった、連邦やエヴァーグリーンの外交官からは、随分温和になったと言われもした。話し合う内容の変化に合わせて対応が変わっただけで、必要になれば、いつなりと以前の押しの強さが前に出るのだが。
表向きの折衝と並行して、密かに欧州の監視も続けている。万が一、中東救済の約束が反故になる事態が起これば、直ちにカルネアデスを盾に取れる位置は、守っておかなければならない。その他にも、先を見据えて打っておくべき手は、色々とある。
振り返れば、戦いに明け暮れた半生だった。十年に及ぶ第三次世界大戦が始まったのは、二十歳になった頃。決着がつかないまま、欧州諸国が審判の日と呼ぶ災害が起こり、その後に続いた大暗黒期も苦難の時代だった。
第ニ次湾岸戦争とも呼ばれるあの戦いは、何が発端だったのか。今となっては、正確には分からないだろう。ただ、他国からどう言われようと、カスィームにしてみれば、あの戦いも中東の民に尽くす為の戦いだ。
そして、大災害で同胞の大半を失い、僅かに残った人々がやっと生きていく道筋が見えたと思えた時に。微かな希望を削るように、子供や老人が、奇病に倒れ始めた。体力が無い者から順番に。
その原因を知り、欧州に対して思う所が何も無かったと言えば、嘘になるだろう。カルネアデスを止めれば中東が救われるなら、何をもってしても止めなければならない。だが、中東が受けた苦難の報復に、欧州が滅亡するべきだとも思えなかった。
(欧州が安定していなければ、中東の民は平穏に暮らしていけない)
怒りに任せてカルネアデスを壊すだけなら、その方が余程楽だった。しかし、それでは中東の民の苦難は終わらないのだ。
まだ若かった第三次世界大戦では、命をかけて敵と刃を交えた。だが、欧州との戦いでは中東の民を救う最善の方法は何かと、問いつづけた。連邦にも、エヴァーグリーンにも、自分自身にも。
多くを望みはしなかった。ただ、故郷の人々が安心して暮らせる環境を得ようと。それだけの為に、何と長い年月を戦いに費やしてきた事か。
(人々が皆、心穏やかに生きていけるには、何が必要か)
大戦中も、貧困と戦った暗黒期も、カルネアデス戦争中も、常に頭にあったのは、その一言。中東の人々が生きていける術を求めて外交の場で戦い続け、ついにその道を勝ち取った。けれども、ここに至るまでの道程は、あまりにも長かった。故に、移民計画が終了して、人々が再び中東で何者にも脅かされずに暮らしていく姿を目にするまでは、心から喜び、安心する気分にはなれないが。
(それに、中東が発展していくには、その先が必要になる)
連邦もエヴァーグリーンも、大掛かりな動きが現れていく中に、中東も視野に入れさせる。孤立すれば、中東が安定する時期は短期で終わってしまう。
今なら、自分を通して、連邦ともエヴァーグリーンとも、遥か先の時代を見越しての話し合いを進めていける。この交渉の糸口は、カルネアデス問題の解決で事足れりと、切ってしまってはならないのだ。上手く立ち回れば、宇宙開発など大戦前のUMEには手が出せなかった事業にも、入り込んでいくチャンスはある。
そうなれば、中東にも豊かな時代が訪れるかもしれない。元々の自然環境が厳しくとも、欧州を歯牙にもかけない分化を築いた時代も、過去にはあったのだから。
中東全体がどちらに向かっていくのかは、UMEの指導者たるべき人物が示していくだろう。だが、どんな方向に進もうと、欧州との交渉は生じると考えられるし、少なくとも今、欧州と交渉に立てるのは自分しかいないと自負してもいる。
一日の最初の祈りを終えると、カスィームは車に乗り込んだ。各種交渉を進めるべく、連邦とエヴァーグリーン、いずれかの大使館にいる日が多いが、時には移民地や視察可能な重要施設を訪れる。
聖地から離れた仮の住まいとはいえ、少しずつでも人々の顔に安堵が広がっていくのを見られるようにと願いつつ。或いは、欧州に揺さぶりをかける材料に目を光らせて。
数年先に、青年期の全てを捧げた悲願が叶えられる可能性を手にいれたが、それは座して得られるものではないと、身に染みて知っている。この数年を無事に乗り切れなくては、ここまできて願いは潰えてしまう。
だから、戦争が和平で終結した後も、気を緩めずに働き続けてきた。移民した人々が、故郷に帰り、穏やかに暮らす姿を確認した時に、漸くカスィームにとって、二十数年に及ぶ戦いは終わる。
もとより厳しい自然の中で、豊かとは言えず、日々の小さな諍いはあったとしても。死の影に怯えず、大きな争いはなく、安心して日々を送れる時代。その確信を得た時に、初めて心から言えるだろう。
未来へ続け、と。
■コメント■
ご発注ありがとうございました。
お任せということで、何か適当なエピソードをでっちあげてみようかなと思いつつ、結局こんな形になりました。
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