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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


spirits

 夜でなくとも薄暗い通り、そのまた更に薄暗く鬱蒼とする店内。一目で治安が悪いと分かるその酒場で、零は一人グラスを手にしていた。

 店内に遠く漂うのは、オールドジャズ。それは、古き良き時代の、と言うには余りに古い時代の音楽。勿論、それを聞きに客はこの店にやってくる訳ではなく、求めるものはただアルコールが含まれている事だけが取柄のような液体のみ。味も匂いもろくにないそれを、ほんの一時の酔いに身を任せる事が出来ると言う、たったそれだけの安寧を求めて男達は集まってきていた。その酒が、酒と言うにはおこがましいその飲み物が、その質の悪さからほぼ確実に、次の朝には酷い頭痛と吐き気をもれなく連れてくる事を分かっていても。

 そんな喧騒の中、酒場の一角にそこだけ空気の質が違うような空間があった。そこに居るのは一人の男。フードを被って面を半ば隠してはいるが、その溢れんばかりの若さは隠しようもない。若さだけではない、その男が持つ本来の性根だろうか、真っ直ぐで揺るがない何かをも、余す所なく漂わせている。酒場の一角に居ながらも警戒心を全く解かず、剥き出しの敵意を周囲に撒き散らしているにも拘らず、その頑なまでの清廉さを醸し出している点だけ、彼は無防備だったのかもしれない。彼が身体全体に張り巡らせている、敵意そのものは勿論だが、その意志の気高さのようなものも、周囲の注目を集める為には充分な吸引力であった。

 大抵の客は既に酔っぱらい、普段からも余り持ち合わせていない自制心とか常識を、大方は手放してしまっているような連中ばかりだった。だがそんな中、一人の男だけは違っていた。カウンターの端で、この店では比較的まともな酒類に分類されるであろう、ウォッカのロックを飲んでいるその男もまた、先の男と同様、店内の注目を集める一端を担ってはいた。が、先の男はどちらかと言うと、好奇心に近い注目であったのが、この、長身でどこか秘められた猛々しさを兼ね備えた男――シュバルツには、その姿を見るだけで怖震うような畏怖の念を覚えるのであった。
 故に、その注目を集める二人の男のうち、ちょっかいを出そうと目論むのであれば、当然、先の男にその矛先は向くのである。

 「よ、一人でなーに黄昏てんだよ、にーちゃん」
 赤らんだ鼻が明らかに泥酔している事を示唆する中年の男が、安いアルコールの厭な匂いのする息を吹き掛けながら先の男――零の肩に気安く手を掛けてくる。零は、あからさまに厭そうな表情で、肩に置かれた男の手を、その細身の身体を揺する事で下へと落とす。酔っぱらいも、既に平衡感覚が殆どないので、容易にその手は振り落とされたのだが。男は、自分が零に拒絶されたのだとは気付く事もなく、許可されてもいないのに零の隣のスツールに腰を下ろした。
 「ずぅいぶんと、若いにーちゃんじゃねーかよぅ…そんな若いうちから、こんな場所に出入りしてっとぉ、あとあと苦労するぜぇ?」
 「………」
 呂律の回らない男の言葉を、零は無言と冷ややかな視線だけで突き飛ばす。その、気高いとも言える態度は、素面の男なら撥ね付ける事が出来ただろうが、何しろ相手は平常心を失い掛けているうえに普段では考えられない程に気の大きくなっている、一番質の悪い酔っぱらいだ。零の毅然とした様子にわざとらしくコワイコワイと巫山戯る様子が、更に零の態度を硬化させた。

 「んぅー、にーちゃんは何飲んでんだぁ〜?……ウォッカか?金持ちだねぇ〜…ほい、っと」
 「何をする!」
 この店に来て初めて、零が漏らした声は、男しては高い方なのかもしれないが、店内の喧騒もあったし然程珍しい訳でもなかったので、それが低めの女性の声だと気付くものはいなかった。零の手にしていたグラスを勝手に奪った酔っぱらいが、それを一口飲む。次の瞬間、その赤ら顔が不機嫌そうに歪んだ。
 「なんだぁ、こりゃ…タダの水じゃねーか!」
 「………」
 唯の水と言っても、汚染されたこの世界では、飲める水と言うのは下手な酒よりも高価な場合が多い。確かにこんな場末の酒場では、水を飲むより酒の方が確実に安上がりだろう。そんな事実もあってか、酔っぱらいは急に態度を変える。その焦点定まらない表情に、理由無き侮蔑の色合いが浮かんだ。
 「見掛けだけじゃねぇ、中身までガキかよ。何しにここへ来てんだ、ぁあ!?」
 「…貴様には関係無い。オレの勝手だ」
 酔っぱらいがカウンターテーブルに返したグラスを、汚いものでも触るように零は向こうへと押し遣りながら、抑揚の無い冷ややかな声で返す。その声にも、そしてその仕種にも、酔っぱらいは憤慨したようだ。他の客達は、面白い見世物が始まったとばかりに、完全に蚊帳の外に回る。ただ一人、零の方を見ようとさえしないシュバルツを覗いては。
 「てめぇ……ガキの分際で生意気な!」
 「………」
 一人荒ぶる男を脇に置き、零は完全に無視をする。半分被ったままのフードの隙間から、黒曜石の瞳がどこかを捉える。それは横にいる下らない男では勿論無く。その、完全な無関心が、とうとう酔っぱらいの逆鱗に触れたようだった。
 「くそッ、このガキ……ッうわわぁあ!」
 ガタン!と音を立ててスツールを蹴り倒しながら酔っぱらいが立ち上がる。零の胸倉を掴んで引っ張り上げようとしたその酔っぱらいが上げた悲鳴は、零が反撃にと握った拳の所為ではない。いつの間にか傍らにやって来ていたシュバルツが、男の頭から自分が飲んでいたウォッカを滔々と浴びせ掛けたからだ。
 「うッ、ぺぺ……っ……っく、…な、なにしやがる!」
 「……ウォッカが飲みたかったのだろう。俺の奢りだ、遠慮無く味わえ」
 その見掛けどおりに低く渋く、だが良く通る声でシュバルツが言う。いつもなら、この鋭い緑の瞳に射貫かれただけで逃げ出してしまうような腰抜けなのに、酒の勢いを借りている所為か、男は自分よりも遥かに背の高いシュバルツに無謀にも食って掛かった。
 「なんだとぅ、テメェもこいつの仲間かよ!いい度胸だ、表に出………」
 威勢のいい言葉も、再度頭から浴びせ掛けられたアルコールに途切れる。さっきよりも剣呑な視線で、シュバルツは男を見下ろした。
 「…恥を知れ」
 一言、それは一言であるが故に、言葉の熾烈さも凝固されたようで。言葉の威力に弾かれた酔っぱらいは、へなへなとその場に尻餅をついた。
 「……」
 その様子を、無表情で見下ろすと、シュバルツは視線を、腰抜けの男の向こうへと向ける。そこに居るのは、シュバルツが男にぶっ掛けた酒の雫が飛んだのか、濡れた頬を指先で拭っている零。その静かな表情のまま、シュバルツは無言で零の二の腕を掴んだ。

 「何をする!」
 「ここを出るんだ」
 事も無げに、当たり前だと言わんばかりにシュバルツがそう言って零を立たせようとする。その腕の力に内心では恐怖に似た感情を覚えながらも、零は勢いに任せてシュバルツの腕を振り払った。
 「離せ、触るな!…なんだよ、オレを助けてヒーロー気取りか?オレがいつ、助けて欲しいって頼んだんだよ」
 「……頼まれていたら、助けてなんかいやしない。俺は俺のしたいようにしただけだ」
 何も期待してやいないさ。そう言いたげなシュバルツに、零は黒い瞳にありったけの反抗心を篭めて睨みつけた。
 「は、どうだろうな。言っておくがオレは金なんか持ってないぞ」
 「金のある奴は、こんな酒場に出入りしたりはせん。それ以前に、俺は金に困っている訳じゃないしな。ついでに言わせて貰うと、男に手を出さなければならない程、性欲に飢えている訳でもない。お前を助けて、俺に転がり込んでくるメリットは何も無い」
 そう、淡々と言葉を告げるシュバルツの、敢えて『男に』と表現した思い遣りに、零は気付くであろうか。
 「だったらいちいちオレに構うことはないだろう、ほっといてく……ッ何をする!?」
 突き放すような零の言葉も、途中で途切れて驚愕の混じった声に変わる。零は、急にぐるりと周囲を巡った己の視界に驚き、一瞬目を回した。零の視界が元に戻った時、零は己の身体がシュバルツの肩に担ぎ上げられた事を知った。
 「おい!降ろせよ!離せ、馬鹿野郎!!」
 「…悪いな、騒がせた」
 シュバルツのこの言葉は、勿論零にではなく店主に向けてだ。ポケットから無造作に掴み出した何枚かの紙幣、明らかに零と自分の分の料金以上の金額をカウンターに放り投げ、後は後ろも周りも見る事なく、零の身体を軽々と担ぎ上げたまま、酒場を後にした。その一連の行動の間中、客達は唖然と口を馬鹿みたいに開けたまま、孤高の男の広い背中を、ただ黙って見送った。当然、店内は静まり返り、遠くから微かに流れてくるオールドジャズが、初めてその歌詞を客達に伝えたのであった。


 「離せ!降ろせって言ってるだろ!」
 じたばたとシュバルツの肩の上で暴れる零だが、その体格差と、シュバルツの能力差故か、その抵抗も虚しく。だが無理だと分かっていても、大人しくその肩に担がれている訳にはいかなかった。シュバルツはと言えば、暫くそのまま、猫の子のように暴れる零を担いだまま歩いていたが、通りに人気の無くなった頃にその身体を下へと降ろしてやる。ようやく自分の足で立った零は、担ぎ上げられた事で乱れた着衣を整えると、まだ何か言いたそうにシュバルツの方を見上げた。
 「…なんだ?」
 「……別に」
 ぶっきらぼうにそう返事をする零に、シュバルツはただ視線を向ける。
 「お前なら、ほっといてもあんな男に負けはしないだろうとは思ったが」
 「………」
 「大抵の男は忘れているのさ。この世の中には大方の男よりも強い奴がいる、と言う事実にな」
 「…………!?」
 その言葉の意味する所は。思わず息と一緒に造った男台詞も飲み込んだ零を、静かな眼差しでシュバルツは見詰めていた。