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<東京怪談ノベル(シングル)>


■夢のかけら■


 大人になったら、魔法使いになるの。
 みんなにたくさん夢を作るの。


 小さな音をたてて扉が軋んだ。中の様子を探るようにそろそろと開いてゆき、扉に耳をつけていた少年が室内を覗き込む。
 主の不在を確かめ、素早く中に忍び入り、そっと扉を閉めた。
 つい先ほどまで、部屋の主はここにいたらしい。鈍い色に曇った空からは今にも雪が降り出しそうだが、室内は暖かく、明かりもついたままだ。
 多分、すぐに戻ってくるのだろう。その前に目的を果たして退散しなければならない。
 期待に輝く瞳で辺りを見回していた少年は、工具類が無造作に積み上げられた実験用テーブルに目をつけた。こっそりと、しかし足早に近づくと、机の下や傍らにある棚の奥を探り出した。
(わあ)
 あちこちから何かの道具や部品、作りかけだったり廃棄された装置の一部が出てくる。
 棚に保管されている物はきちんと整頓されていて、今一つ少年の好奇心を満たしてくれない。そこで、テーブルの下を重点的に捜索する事にした。
 めぼしい空間は、子供でなければ入り込むのが難しい。それが一層と探求心を刺激する。潜り込むと手探りで、面白い物が隠されていそうな所に見当をつける。
 幾つかあるダンボール箱の更に奥に、何かありそうな隙間がある。少年は、暫く躊躇った。
(これ位は良いよね)
 そう言い訳をするように、誰も見ていない机の下で後ろを振り返ってから、少年は目当ての隙間に意識を向けた。
 予想通りに、裏の隙間に小さめの箱を見つけ、苦労してそれを引っ張り出す。ふんわりと積もった埃を飛び散らせないように気をつけながら、蓋を開けた。
 細々と詰められていた物の中で、古びた木箱が一際目を引く。それ程凝ったデザインでは無いとはいえ、装飾が施された小さな木箱は、いかにも秘密の宝箱めいていて。
(何が入っているんだろう)
 木箱の中までは透視していない。明るい所で良く見ようと、テーブルの下から這い出してくる。
 そこで、名前を呼ばれて少年の顔がさあっと青くなった。
「クレール先生」
 いつの間に戻っていたのか、部屋の主、クレール・フェリエが腕組をして立っている。
 ふうっとため息をついて、クレールは淡々と諭し始めた。
「勝手に人の部屋に入ったり、人の物に触ったりしてはいけないといつも言っているだろう」
「ごめんなさい」
 クレール先生は怒らない。だから恐くは無いのだが、冷静にお説教をされるのは、結構こたえる。
 うな垂れた少年が出て行くと、再び小さくクレールは息を吐いた。
 趣味と実益を兼ねて、プラハ研でクレールが使っている部屋には、様々な工具や部品が置いてある。それが子供達の興味を引き、時折、今日のようにひみつの探検をしに来る者がいる。
 本格的な整備が必要な類の物は別室で行うので、ここにあるのは誤って触っても危険がないものだ。だからと言って、無断で人の部屋に入るのはいけない事だと、躾はきちんとしなければならない。
 それが煩わしい訳では無いのだが。
 表情を変えずに、少年が置いていった物に目を向けて、クレールは僅かに眉を寄せた。
(どこからあんな物を)
 懐かしいというよりも、苦い思いが一気によみがえる。
 緑の瞳は木箱を見つめたまま動かなった。しかし、片付けるにしろ、そのままにはしておけず、やがてゆっくりと歩み寄る。
 箱に手をかけたまま、どう処分しようかと迷うように、蓋の上に目を落とした。
(もう、10年以上になるのか)
 世界の終末を思わせた大災害から数年後。どんな経緯でここに辿り着いたのだったか。忘れてしまったのか、思い出したく無いのかすら、もう定かでは無い。
 身一つ同然で転がり込んだ時に、僅かに所持していた物の一つであるこの小箱。その中に何を入れていたのか、何かを入れていたのかも、もう良くは覚えていない。
 ただ、この小さな木箱が、あの日自ら封じたものの一つである事は覚えている。
 未曾有の大災害は、僅かに生き延びた人々から多くのものを奪い去った。けれども、クレールの夢を砕いたのは、審判の日と呼ばれるあの災害そのものではない。
 この、プラハの街そのもの――もっと限定するなら、プラハ研の存在だった。
「将来は人に夢を与える仕事に就きたいわ。たとえば、遊園地を造るとか」
 その夢に向かって歩き始めるよりも前に、審判の日はやって来た。
 災害がもたらした恐怖や絶望から、夢破れた人もいただろう。生きる為に諦めた人も。
 だが、ただ命を繋ぐ事すらままならない時だったからこそ、胸の内にある希望まで手放せない、手放してはいけない筈だった。
 けれど。
 今は、クレールも一人の超能力者が、神に等しいくらいに万能では無いと知っている。
 しかし、空を飛べたり、転移をしたり。彼等は、生きた魔法使いとすら言えた。
 人々に望まれた夢の子供。
 だからこそ、ここでは人工のエスパーを生み出し続けた。
 そして、魔法使い達はこの街をあの災害からすら守ったのだ。
 家族の消息すら掴めない故郷とは、あまりにも対照的に。ここには、自分が望みさえすれば、かつての夢を叶える技術すら残っている。

                 ――人々に夢と希望を――

 現代の魔法使い達を前に、その言葉は虚しい。かつては、あんなに輝いて見えた自分の理想が、急速に色褪せていった。
 その後、苦労の末に医療スタッフの資格を取って、プラハ研で働き始めた。やがて仕事の内容は、医療から、元々勉強していた技能を活かしたデータ整理や車両整備へと、次第に移っていった。
 けれども、それはけしてかつての夢に近付く為では無い。
 十数年振りに手にした箱がもたらした記憶に、クレールは静かに佇んでいた。
 蓋を開けるのは怖い気がして、そのまま再び目につかない場所へと移そうかとも考えた。捨てた夢を蘇らせる物なのに、不思議と箱ごと捨ててしまおうとは思えずに。
 唇を固く結んだまま、指先が箱の表面をさまよっていたが、やがて意を決して蓋に手をかけた。
「これは」
(これは、お守りだからね)
 中には、小さな鍵が一つだけ。
 或いは、このお守りのおかげで、自分は助かったのだろうか。
 漠然とした思いは、喜びよりも、辛い気持ちにつながっていく。これをくれた仲の良かった兄も、両親も、未だに消息は掴めないままだ。
(もし、プラハ研に拾われていなかったら、あたしは何をしていたのだろう)
 荒んだ世界のどこかで、何らかの夢を与える仕事をしていたのだろうか。アトラクション施設の施工技師ではなくても。
 外から移ってきたクレールには、楽園にすら思えるプラハでは、夢を与える仕事に対して、無力感しか持てなかった。
 今の仕事も、必要とされるものではあるけれど、夢を与えるものではない。
 恐らくは、このまま楽園であり続けるであろうプラハでも、今以上の夢が必要とされる時がくるのだろうか。
(今、あたしには何が出来るのだろう)
 夢がなければ生きていけないほど絶望的ではなく、娯楽に夢を求められるほどの余裕はない、この中途半端な状況で。
 夢は、必要とされるのだろうか。
 自分は、夢を与えられる力や可能性があるのだろうか。
 安寧を貪ると現すと言葉が悪いが、この状況下で、自分は何をするべきなのか。何ができるのか。
 いつしか癖になっていた吐息がまた一つ、クレールの口から漏れる。

 欧州を揺るがす戦乱が始まったのは、それから数ヶ月後の事だった。

■ライターより■
 ご発注ありがとうございました。
 年齢+1に、リアルタイムの時の流れを感じました。