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<東京怪談ノベル(シングル)>


人ならぬモノ、人ならぬココロ
 春が過ぎ、夏を迎えようとする林の木々は、暖かな風を受けてざわざわと歌っていた。何事もない平穏な一日の午後、この風は必ずリズムを運ぶ。
 ゆったりとして、暖かくて、さわさわと髪を揺らす春の風のような‥‥心地よい旋律。旋律は、風に乗って小麦畑や、果樹園で汗を流す人々の所にまで流れていった。
 そうして農作業の合間、ふと手を止めて旋律に耳を傾ける。
 優しい声、暖かい視線、柔らかな指先。そして黒く艶やかな髪と瞳。遠い国日本から来た彼女は決して口数が多い方では無かったが、いつもその瞳は慈愛に満ちていた。
 彼女の素晴らしいピアノの旋律と、歌声はリディアの心に優しく広がる。
 言葉に出さなくとも、その心は夫と‥‥愛する娘リディアーヌ・ブリュンティエールに伝わっていた。
 遠く連邦首都ベルリンから離れた、フランスの片田舎で、リディアはこうしていつまでも幸せな日々が続くと信じていた。

 時計は、すでに九時を差していた。日はとっぷりと暮れ、空には月が顔を覗かせている。ここ最近、父は街の会議に出かけたまま戻ってこない事が多い。
 リディアの父親は、この辺り一帯を取り仕切っている貴族だ。ずっと昔から父は祖父、曾祖父から譲り受けて貴族としてここを守ってきた。
 母と父が審判の日、と呼ぶ悪夢の日、リディアはまだ生まれていなかった。だからリディアは審判の日がどんなに恐ろしかったのか、分からない。
 リディアの乳母は、小さな頃によく話しをしてくれた。
 連邦領の子供だったら、誰でも聞かされて育つお話だ。昔話では無い。審判の日の時の話しである。
 昔、怖い戦争があった。世界中の人々は戦っていて、それを怒った神様はこの世界に大きな星を降らせて罰をお与えになったの。洪水が起こったり地震が起きたり、それは怖い思いをした。たくさんの人々が死んだ。
 “ヨーロッパは、凍り付いてしまう”誰かが言った。ヨーロッパは次第に寒くなり、人々は凍えた。
 だけど、救世主はちゃんと現れた。戦争に行っていた、兵士さんが帰ってきたの。機械の体と騎士の心を持った兵士さん達が‥‥。
 騎士は、ヨーロッパの人々が凍えないように機械を使って暖かくしてくれた。こうして汎ヨーロッパ連邦が生まれ、今でも騎士は私たちを守ってくれているのよ。
 おとぎ話ではない。時折父を訪れる、黒い制服と剣を身につけた騎士。彼らはいつまでも老いず、いつでもその身一つで危険から自分たちを守ってくれる。
 絶対の安心だった‥‥。
 母がふと視線をドアに向けた。誰かがドアを開ける音がする。微かに父の声が聞こえ、足音はかつかつとこちらに向かってきた。
 リディアは椅子から立ち上がると、ドアに向かって駆けだした。
ドアを開けて入ってきた父に飛びつく、リディア。
「お父様、お帰りなさい!」
 父はびっくりした様子で、リディアの体をそっと抱きしめた。
「リディア、ごめんよ遅くなって」
 リディアはふるふると首を振った。ひょいと顔を上げると、先ほどまで刺繍をしていた母の頬に、父が優しくキスをしていた。
「何かあったんですか?」
 母が、ちらりとリディアの様子を気にしながら父に聞いた。父もリディアの様子を気にしている。すると乳母がリディアの手をそっと引いた。
「リディア様、行きましょう。ベッドで、お話をして差し上げます」
「‥‥」
 リディアは父の方を見る。
 そのときは、まだ知らなかった。UMEが進行し、イベリア半島をあっという間に占拠したのだと。フランス一帯の治安部隊から兵士が召集され、アンドラで戦いが起きようとしていたのだと。
 戦争の足音は、日に日に近づいていた。
 父や母はリディアに聞かせまいとしていたが、隠そうとしていても、知らずうちに子供は察するものだ。
 アンドラの戦争についてリディアが乳母に聞くと、彼女はただ“騎士様が助けてくださいます”と言った。恐ろしい審判から守ってくれた騎士様なのだから、きっと今度も助けてくれる。
 その戦争の原因が、ヨーロッパを凍結から守ったカルネアデスという機械にあるとはリディアもまだ知らなかった。
 何故遠い国の人々は、リディア達の国に酷い事をするの?
 その問いに、父も母も乳母も答えてはくれなかった。

 すうっと目を醒ますと、まだカーテンの向こうに皓々と光る月が見えた。目を醒ます時間では、無い。
 リディアはゆっくりと体を起こすと、ベッドから足を下ろした。体はじっとりと汗で濡れている。
 思い出せないが、夢を見ていた。
 怖い夢だ。思い出せない‥‥オモイダシタクナイ‥‥。
 これが正夢でなければいいが‥‥。リディアには、時折こういう事がある。
 たとえば、転ぶ夢を見ると、次の日自分が本当に転んだり‥‥。今まではささいな事だった。母は“日本では、それを正夢と言うんです。夢に見た事が、本当になることを言うのよ”と教えてくれた。
 それほど毎日見る訳ではなく、時々‥‥本当に希に、そういう事がある。その程度だった。
 プラハには、こういう特別な力を持った子供達が沢山居るのだと聞いたが、リディアは特別自分に超能力がある、とは自覚して居なかったし、母も父も街の人たちも少し感が強い、程度に思っていたようだった。
 喉の渇きを覚えたリディアは、階段を降りていく。すると居間のドアから明かりが漏れているのに気づいた。誰か、話しているようだ。父と母と‥‥街の人たち?
「‥‥アンドラが落ちるとは‥‥」
 落ちる? 父は何の事を言っているのだろう。
「パリから届く通信は、リアルタイムじゃない‥‥もっと正確で早い情報は無いんですかブリュンティエールさん」
「いま、パリに人をやっている。パリはベルリン、ミュンヘン等の各都市とレーザー通信でつながっているから、もっと詳しい情報が入っているはずだ」
「何故もっと兵士を投入しないんだ、治安部隊はまだ地方に残っているはずだ」
「奴らは核兵器を投入したと聞くが‥‥」
「それは未確認情報だ。万が一投入されていたとしても、ここまでは届かないよ」
 要のはずの騎士部隊がアンドラ戦で敗戦した。
 それに核兵器‥‥?
 核兵器がどのように恐ろしいのか、リディアはよく知らなかった。しかしたくさんの人々を一瞬で殺してしまう、恐ろしい兵器らしい。
 ふと気が付くと、後ろに母が立っていた。
 母はそっとリディアの肩に手を置き、自分の方を向かせる。
「‥‥リディア、もうお休みの時間でしょう?」
「はい‥‥」
 不安をで胸がいっぱいだった。母に手を握られ、部屋に戻っている時も、ベッドに潜り込んだリディアを母が見つめてくれている時も‥‥母の子守歌の歌声も、リディアの不安を解いてはくれなかった。
「お母様‥‥リディア達の街も、戦争になるの?」
 母はリディアの問いに、首を横に振った。さらりと、母の黒髪が肩から落ち、リディアの頬を撫でる。
「大丈夫よ‥‥リディア」
 大丈夫‥‥大丈夫。リディアは自分に言い聞かせるように、母の言葉を心の中で繰り返しながら眠りについた。

 いつの間にか、眠ってしまったらしい。
 リディアは体を起こすと、空を見上げた。
 林の中で野いちごを取っている間に、木々の合間から差し込む暖かい日差しと母のピアノの音に眠りを誘われたのだ。
 目を醒ましたのは、どこからか聞こえた鳥の囀りが聞こえたからだった。いつもとは違う、鳥のけたたましい鳴き声。何故か虫の音も獣の足音も気配も、何も感じない。
 その静寂が、かえって不気味だった。
 リディアはそろそろと歩き出す。家に帰ろう。そして母のピアノに合わせて。また歌を教えてもらうのだ。母のように、街を守る優しい歌声をいつまでも響かせる。
 ここで、この街でそうして母と父と暮らすのだ。
 ぴたり、と林で足を止めた。
 嫌な夢、嫌な幻‥‥。
 リディアは弾かれたように駆けだした。
 居間まで見た事もない、恐ろしいモノがリディアの脳裏にこびりついて離れない。これは嘘、これは違う!
 街が見える所まで戻ったリディアの体に、乾いた炸裂音が響いた。
遠くで何か、弾くような音が聞こえていた。時折、地響きが足下から伝わる。
 街の中は、混乱していた。
 子供を連れて家の中に駆け込む、親子。血を流して倒れている兵士。そして見た事もない、埃の臭いのするトレーラー。トレーラーは何台も連なり、街の大通りを横切っていく。
 彼らは小さなリディアには目もくれず、街を通り過ぎていく。彼らの目的は一つ。食料と武器を調達する事だった。
 アンドラ戦線を越えるまでに、連邦は徹底的にUME部隊を兵糧責めにした。イベリアから食料物資を引き払い、アンドラ陥落前にも食料は一切残さなかった。餓死寸前の彼らは、連邦の街から喰うモノを奪うしか無い。アンドラで一部部隊を捨て駒にした彼らは、その部隊を連邦部隊が阻止している間に迂回し、フランスに侵攻した。そうでもしなければ、彼らにはもう生き残る術がない。喰わなければ戦えないのだから。
 飢えたUME兵は食料を奪い、抵抗する守備兵を血に染めていった。街の路地を必死で走る、リディアの目は街の外れにある屋敷しか見ていなかった。
 話しを聞かせてくれた乳母、
 ピアノを弾いていた母、
 村を守っていた父、
 みんなは‥‥。
 屋敷を取り囲んだ支援車両は、まるで砂糖に群がる蟻のように小さく見える。リディアの視界に屋敷と車両が、次第に大きくなって映った。
 恐怖感は、銃にも兵士にも向けられていなかった。リディアにとっての恐怖は、大切な人たちが居なくなってしまう事。街で死んでいた兵士達のように、リディアの大切な人が死んでしまっている事。それだけが、リディアにとっての恐怖だった。
 リディアが母と乳母と使用人達で、父の帰りを待っていた玄関ロビーも、暖かい暖炉の間も、UMEの兵士で埋め尽くされていた。
 リディアの母が作ってくれたアップルパイや、父が大切にしていたワインも、UMEの兵士達の胃袋に収まっていた。大切な思い出の詰まったリディアの家は、見知らぬモノで一杯になっている。
「お母様! お父様!」
 寝室のドアにたどり着いたリディアの足に、何かがこつんと当たった。ゆっくりと落とした視線の先に、血まみれの拳銃を握りしめた乳母が転がっていた。
 悪い夢を‥‥昨日見た。正夢にならなければいい、とリディアは願いつつ、眠りについて‥‥忘れた。忘れようとした。
 それは赤く染まったベッドルームで‥‥絶命した父と母の姿。父は母を守るように抱きしめ、母は父の腕の中で命を落としていた。
 騎士様がまもってくれるんじゃないの?
 ヨーロッパを助けた騎士様は、リディア達を助けてくれるんじゃなかったの? 騎士様は死なないって‥‥強いんだって‥‥。嘘だったの?
 誰かが肩を掴んだ。
 呆然と立ちつくすリディアに、見知らぬ言葉で話しかけられる。
 誰かが腕を引いて、リディアを連れていこうとしていた。その手をふりほどき、リディアは母と父の体に飛びついた。
「あ‥‥っお母‥‥様‥‥!」
 リディアの白い服は母と父の体から流れた血で真っ赤に染まり、リディアが触れた母の頬はぬくもりを失おうとしていた。
 腕をとると、まるで人形のようにその腕はぐったりとリディアの力に引き寄せられ、ぱたりとベッドに落ちた。

 どれ位眠ったのだろう。
 リディアは、目を醒ました。深い林の奥で、リディアの体が起きあがる。夢‥‥これは夢だったの?
 リディアはふらふらと歩き出す。
 真っ赤に染まったドレスを着た少女は、うつろな眼差しで林の奥に向かって歩き出した。

■マスターより■
 西部部隊とシュヴァルツリッターに居たPCを持っていればニヤリとするような描写もありますが、それ以外の知らない人でも分かるようには説明を入れたつもりです。
 フランス侵攻時は無関係の人間を虐殺する行為はあまりしていなかったはずですから、リディアの街に来たのは主力部隊じゃなかったんだと思います。そういう乱暴な部隊だった、という事で。