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<東京怪談ノベル(シングル)>


傷痕

 いまだ引きずる右足。
 過去の代償であるそれは、とうに日常と同化している筈なのだが、ふとした拍子に気付くと、決まって思い出されてしまう記憶がある。
 戦場という名の悪徳が、容赦なく自分に襲いかかったあの頃。
 それは今となっても、まだしこりとなって心の何処かに蟠っていた――。



 ダン!
 激しく叩かれた机が悲鳴を上げる。
「いったいどういう事なんですか!?」
 激昂するのは、エドワード・ナセル。UME軍部にて車両大隊の少尉を務める男だ。いつもすましたような顔が、今は誰の目にも怒りに震えている事が判る。
 その彼が詰め寄る相手は、自らの上官だ。こちらはいつも通り顔色一つ変えていない。
「いったい何事かね、ナセル少尉」
「何事って……あんたの横流しの事だ!」
「横流し?」
 あくまでもとぼける上官。
 その態度は、エドワードにとって信じられなかった。
 彼が本部からの補給物資の横流しの事実を知ったのは、ほんの偶然だった。戦禍の現状において、補給物資がなければ敗北を意味しているのと同じだ。
 以来、その出所を調べていた。
 だが、まさか自分の上官が裏を引いてるとは思いも寄らなかった。その事を知った時、彼は少なからずショックを受けた。
 信じていたものに裏切られたのだ。
 だからこそ、こうして直接本人に直談判に来たわけだが、その相手はまるで気にした様子はない。開き直るならまだしも、あくまでもとぼけようというのだ。
 もはや、エドワードの腹は決まった。
「……分かった。あんたがその気なら、俺はこの事実を上層部に報告するだけだ」
 噴き上がる怒りを必死で抑えながら、彼はただ静かにそう告げた。
 それっきりもう用はない、とばかりに踵を返す。バタンと勢いよくドアが閉まり、荒立つ足音が徐々に遠ざかるのを聞いても、男は一向に意に介さなかった。
 やがて。
 嵐の過ぎ去った室内で、男がぼそりと呟く。
「フッ、馬鹿なヤツだ。……私だ、彼に繋いでくれ」
 手にした受話器の口元には、酷薄な笑みが浮かんでいた。



「どういうことだ?!」
 突如、言い渡された命令。
 それは彼の部隊の移動を命ずるものだった。しかも行き先は、すでに放棄が決定した最前線。
 そんな場所へ今更のこのこ行けばどうなるか。戦略上全く意味をなさない、無駄死にせよと言われてるのも同義だ。
 指令書を持つ腕がフルフルと震えるのが分かる。
「た、隊長…」
 見れば、周囲には不安げな表情の部下達が集まっている。彼らにとっても、まさに死ねと命じられたのだ。信じられない思いでいっぱいだった。
 エドワードは、ひとまず落ち着く事にした。
「落ち着け、みんな。とにかく俺は、この件で上の方に異議を申し立ててくる」
「……ひょっとしてこの前の横流しの件で…」
 部下から洩れた、弱々しい発言。
「ば、馬鹿を言うな! そんなことがあってたまるものか! あれは上官のみの不正だぞ!」
「でも! ひょっとして横流しが上官だけじゃなく、上層部の連中もグルだったら……」
「止めろ! そんな事はない筈だ!」
 思わず声を荒げて否定するエドワード。
 だが、彼自身、ひょっとしたらという思いが拭えない。だからこそ声を大きくしてしまったのだ。
 あくまでも部下達の前では、そんな素振りを微塵も見せてはならない。自分よりも部下の方が、その死の意味がずっと色濃いのだから。
「とにかく。みんなは落ち着いてここで待っていてくれ。俺が直接上層部に問い質して、真意を聞いてみてくるから」
「隊長!」
「なぁに、心配するな。仮に上の一部が腐敗していようと、周囲の目があるからな。そうそう無茶な事は出来はせぬさ」
 安心させるよう、普段見せないような笑みを浮かべる。

 だが。
 事態は思いも寄らぬ展開を見せる事になる。



 エドワードが異議を申し立てに行って、数日。
 突如、軍部に衝撃が走る。

『エドワード・ナセル少尉、銃殺刑を言い渡す』

 彼の部下だった者達はすぐさま抗議したが、いっこうに受け付けられなかった。
「嘘だろ!?」
「隊長、まさか…」
「ちくしょー、やっぱりかよ!」
「こうなったらオレ達の手で――」
 ざわめきの中、エドワードの部下達はある決意をする。
 その情熱は、もはや誰にも止められない。



 ――投獄されて、どれだけの時間が過ぎたか。
 もはやエドワードには、どうでもいいことのように感じられた。
 あの抗議の一件で、彼の身柄は問答無用で拘束されてしまった。如何に歴戦の軍人といえど、数人でかかられては抵抗のしようもない。
 彼は、乗り込んだその場所で、信じられない人物の姿さえ見つけてしまった。物資横流しの張本人、彼の上官の姿を――彼は自分を見るなり、薄く笑みすら浮かべていた。
 ……軍の腐敗は、そこまできているのか。
 悔しさに唇を噛む。
 全ては己自身の空回りに過ぎなかった。
 だが、もう遅い。拘束されたこの身では、逃げ出す事すら出来ないだろう。そんな諦めが――絶望が心を支配する。
 そして。
 カツン、カツンと響く足音。
 ああ。これから処刑か……。
 ガチャリと獄舎の鍵が開く。人数は二人。
「出ろ」
 男の声にエドワードはのろのろと起き上がり、促されるままに歩き出す。薄暗い廊下に響き渡る足音。この一歩一歩が死へ続く道かと思うと、なんとなく苦笑が零れた。
 ふと。
 鍵を開けた男とは別の男が、そっとエドワードの後ろに付く。
 なんだ?
 その時、信じられない声が耳に届いた。
「――あの角を曲がったら拘束を外しますから…すぐに走り出して下さい」
 本当に小さな声。エドワードだけに聞こえた言葉。
 信じられない思いが胸に湧く。
 まさか……まさか……。
 そして、一行は角を曲がる、と同時に。
 カチャ。
「貴様、何を――ぐわっ!」
 外されたのはエドワードの拘束。付き添いの男は、もう一人の男にしたたかに突き飛ばされる。
「隊長、早く!」
 声は――エドワードの部下だった男。
 もはや迷うことなく彼は一斉に走り出した。男も彼の後を追って走る。
「お前ら……」
「隊長、オレ達、もうこんなところ我慢出来ねぇ。オレ達は隊長についていくぜ!」
「……馬鹿だな」
 嬉しさのあまり、口に出たのは呆れた声。
 とはいえ、早々にも追っ手は次々と現れる。呑気に会話してもいられず、エドワードは部下たちが用意した逃走路を素早く駆け抜けた。
「撃て! 撃て!」
 ようやく出口にさしかかったその時。
 乱射された銃撃がエドワードを襲う。その砲火はまさに雨と化した。
「隊長、危ない!」
「――ッ!?」
 激しい痛みと同時に、視界を赤く染め上げた――。



 ……ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
 車の振動に気付き、エドワードは意識を取り戻す。途端、激痛が右足に走った。
「ぐっ!」
「あ、隊長。気が付きました?」
「……ここは?」
「軍用のオフロードカーの中ですよ。どうせ脱走するならってんで、連中のを奪ってきたんです」
「そうか」
 それっきり、エドワードは口を閉ざした。
 胸中に思い浮かぶのは、軍部での様々な思い出。数多くの軋轢もあり、苦い思いもしたが、こんな自分にも付いてきてくれる部下達もまた、軍部での思い出だ。
 だが……。
 自軍の腐敗。
 目の前で感じたその事への絶望が、彼の心をいっそう暗くする。これからいったいどうすれば……。
「隊長、これからどうしますか?」
 問われ、軽く目を瞑る。
 生きるべき道。これからの道行き。
 探すべき自分の――自らの血故の、探すべき故郷。
「そうだな。エバーグリーンへ行ってみるか」
 零れた呟き。
 そこに込められた想いは――希望か、絶望か。

 今はただ、流れに任せてみてみようか。

【END】