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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


hack value

 どんな国、どんな都市にも夜を好んで開く花はあり、それは儚い一夜の生命を咲き誇る夢のような物だが、その根は強かでもある。
 エスター・レイヴンズクロフトは、咲く花があればその蜜に惹かれる昆虫の道理に従い、人も物もそして情報も雑多な街により甘い蜜を持つ花を求める人の間をすり抜けるように進む。
 特に行く手を定めずに視線が泳ぐのとは別に、それこそ花を愛でる心持ちで視線を走らせるが、事ある毎、一際目を惹きつける一輪が斜めに見せる横顔に苦笑する。
 夜の底で鮮やかな色彩の中に、混じる白…それはさながら清楚な白に純潔の誇りを湛えながら、芳醇な香りで人の意識をふと引き寄せる、百合の如くに澄んで。
 とはいえ彼が…そう、男である真咲水無瀬が纏うそれは、死の甘さを秘めた硝煙の香りなのだが。
 夜の支配を嫌う街を伴って歩くには些か風情に欠ける従う位置で、エスターは袖を引こうとする客引きの男をあしらいつつ、真咲の脇目も振らない歩みに遅れずに続く。
 部隊の性質上やむないとはいえ、危険な任務を終えてようやく帰投した日位、羽根を休めるなり伸ばすなりの個人の自由に干渉するつもりは毛頭無いが、長身のエスターが護衛の如き位置にあるだけで、いらぬ厄介は避けられるというものだ。
 因みにこの立ち位置が真横になると、真咲が売ってエスターが買ったように見えるらしい、願望に忠実な人間心理の不思議である。
 そんな風に人目を集めて憚らない別嬪さんな真咲が、いらぬちょっかいをかけられては悶着を巻き起こして相手を再起不能にしかねない事態が疎ましくはあっても、回避に他人を頼るなどあろう筈もない…問題は拳で切り抜ける、リミッター解除の早いリーダーからそこそこ善良な一般人を守るのもまた平和条約巡察士の勤め、とばかりにミッションから戻って早々外出するのを追ってきたエスターは、職務に忠実というよりただの物好きだ。
「真咲」
斜め前を行く背に声を掛けた。
「今日はどの娘をご指名ですか?」
真咲は常はくだけた口調を旨とするエスターが、敬語を使用する数少ない人間である。
「別に……誰でもいいだろう」
「そうですか? 俺は赤毛の娘とか、目がアクアマリンみたいでいいなぁとか思う人とか。どうせなら色んな娘指名してみたいですけど」
 馴染みの店の娘達の顔を思い浮かべながら、真咲の好みなぞくだらない興味の探りを入れてみる。
「相手が誰であろうと、やる事に変りがあるワケでなし」
が、すげなくあしらわれてエスターは軽く肩を竦めた。
 言っている間に目的の店が近付くのに、建物の外で客待ちをしていた店の女が、頭ひとつ人波から飛び出たエスターに気付いて大きく手を振った。
「何よ、久しぶりじゃない」
まるで子供のような所作で駆け寄ってきた彼女の肩を抱き留める形で迎え、エスターは笑みかけた。
「お仕事だったんだよー、元気にしてた?」
「あったり前よぉ、でも貴方に会えたからもっと元気になったわ♪」
そう、本当に嬉しそうに笑う。
 容色は十人並みだが、人に夢を見せるのが上手な所が気に入って、二度程も指名した事があったろうか。
 するりと絡めてくる腕に笑う。今日のエスターに選択の余地はないらしい。
「天国へ送ってあげましょうか? それとも地獄への道行きを?」
上目遣いに見つめてくる、その時はしっかりと女の表情を浮かべる彼女を少し眩しげに見、エスターは耳元に囁きを返した。
「君となら、地獄に堕ちてもかまわないな」
吐息がくすぐったかったのか鈴を鳴らすような笑いを洩らし、彼女は我関せずと先を行く真咲に声をかける。
「水無瀬さんは、いつも通り?」
「あぁ」
と素っ気のなさ過ぎる答えを意に介した風なく、彼女はエスターの腕を引いて足早に店へと向った。
「店長、水無瀬さんがお見えですよー」
慣れた風で奥に向って声を張った。
 狭い入り口は暗く、旧くはあるが堅固なビルに構えた其処は、スラムという土地感から言えば、一級の部類に入る娼館…である。
「あら、随分と顔を見なかったわね」
意図して灯りを置かぬ屋内の闇から溶け出すように、纏ったスリットドレスの色は黒、緩く波打つ黒髪に境を見失いそうなその色が肌の白さを際立たせ、シンプルな対比が婀娜っぽい女が姿を見せた。
「今日は天国へ? それとも地獄へ?」
瞳にだけ歓迎の色を見せて女は黒いレースの手袋に包まれた手を真咲に延べた。
「地獄以外に用はない」
その手を取っての端的な答えに、女はふ、と笑うと奥へ誘うように踵を返す。
「私達も行きましょ」
エスター達も後を追って闇の領域に足を踏み入れた。
 灯りに慣れた目に、唐突な闇は容易に視界を奪う。だが、ここで働く彼女らはその変化に慣れたもので、導く足に迷いはない。
 一階はクラブ、二階より上は女達の部屋で客は其処へ招かれる。
 エスターと真咲、そして女二人はいつもの倣いにエレベーターへ乗り込んだ。
「店長7階でしたよね、私は4階、と」
乗降する階を薄く光るパネルで操作し、彼女は最後に2階、を指定した。
 途端、密閉された空間は下降を始めた…地階の表示はない。
 だが、面々はそれにさしたる驚きを示す様子もなく、本来なら通過階を示す筈の階層表示に少しもて余し気味に視線を向ける。
「今日は少し面白い人が来てるわよ、久しぶりに稼いでいく?」
店長の淡々とした口調に、真咲は取り出した煙草を銜えた。
「いや、遠慮しておく。散々やり合って来た後だからな、安全なゲームは興が乗らない」
「安全……ねぇ?」
娼館を隠れ蓑にして権力の目を逃れた地下、情報、武器を取り扱い、射撃場、鍛錬場の施設も完備したまさしくアンダーグラウンドの商売…其処で開催されるマネーファイトも当然の如く非合法で、いわゆる命さえ残っていれば何をしても構わないという単純ながら凄惨なルールを『安全』と評する若者に、店長は呆れを笑みに乗せる。
「いいわ、無理強いしてもね。じゃいつも通り?」
「あぁ、射撃場を借りる」
真咲の予定が確定した所で、エスターの腕に手を絡ませたままの女が問いを向けた。
「エスターはどうする?」
「ん、俺もリーダーと一緒で」
その答えに女は大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「やっぱり水無瀬さんには敵わないかぁ。美人だしねぇ」
少し拗ねたような口調に、エスターは亜麻色の髪の一房を取って口付けた。
「でも今日の俺を、地獄から天国へ引き上げてくれるのは君だろう?」
店の女は客に必ず問う、それが地下へ降りる符丁である…それを比喩に使って後の予定をちゃっかりと確保しているエスターに真咲が呆れの言葉をかける寸前に、リンとエレベーターが止まって、『地獄』への扉が開いた。


 弾丸を撃ち出す衝撃がダイレクトに伝わる腕は、それだけに筋力を要する。
 放たれる瞬間の衝撃を殺し切れなければ照準は容易に狂い、それは死を招く要因となる…短銃の命中精度は本人の技量、それも努力が担う部分が大きい。
 如何なる事態にも対処出来るよう、銃を引き抜いて撃つ、それだけの動作を身体に覚え込ませるにはひたすら反復するしかない。
 射撃場の動かない的と違い、彼等が相手とするのは生きた人間である…走る、歩く、立つ、座る、相手の動作の可能性は無限、その全てに対応するには経験を積むしかない。
 それはどんな卓越した天性の才があっても同じである…隣に立つ、真咲にとってしてもだ。
「どうしてついて来た」
室内射撃は音が籠もる為、鼓膜を保護する意味でも防音は欠かせない。
 その上、左右を防弾硝子で仕切られたレンジに入ってしまえば話しかけられる声など聞こえないも同然だが、真咲はエスターが1ダースを撃ち切ったタイミングでそう言葉を発した。
「面白そうでしたから」
それに考え込む時間すらなくさらりと言葉を返して、エスターは後部に据えられたソファを指差した。
 休憩の意を汲み、真咲は愛用のリボルバーから空の薬莢を落としてそのまま、ソファに向い、どっかと腰を下ろすと煙草を銜えた。
 真咲の的は、頭部こそは難しいが、面積が広いだけに狙いやすい中心線には一発も当たっていない。
 見事なまでに腕や肩、足…生きての捕縛を目的とした位置を中心に弾痕を穿つ。どの部位も常に動きを見せる上に細い、難度はこちらの方が遙かに上だ。
「何が面白い、だと?」
エスターはここでからかったら面白いだろうな、とうずうずとする自分を押さえる為、小さく咳払いすると、射撃場の一画に備え付けられたコーヒーサーバーに向かって二人分、コーヒーを注いで戻る。
「貴方が、何をそんなに急いて欲しがってるのかと、思いましてね」
紙コップを手渡しながら、インスタントの粉っぽさに眉を顰めつつ自分も黒い液体を口に運ぶ。
「……何が言いたい」
「言葉のまま、ですが」
彼等の部隊は年若い者も多い…彼等は真咲に見出され、その迷いのない背に従ってそれぞれの特性を活かす場を得ている。
 が、真咲の隣に立ち同じ先を眺める者は居なかった…今は過去形、なのだが。
「痛みも足掻く所も全て含めて。自分をさらけ出さないと欲しい物は得られない……そういう事もありますよ」
強さばかりを見せていれば、いざ弱い場所が晒された時に、信じたものが崩された、裏切られた気がして人は竦む。
「心あたりでもあるのか?」
自嘲を込めたつもりはなかったが、そう問いを返されてエスターは軽く肩を竦めた。
「さぁ?」
嘯いたとも取れるエスターの返答に、真咲は視線を手にした紙コップの中のコーヒーへと向ける。
「相手の信用を得たいと思うのなら先ず自分が信用しろ。か」
呟きは独言に近く、コーヒーが僅か、波紋を作る。
「誰かに?」
「昔な」
短く答えて、紙コップを口に運ぶ、それで話題は終わりかと思ったが、薄い色の唇は暖かな息を吐くと言を続けた。
「努力はしたさ。だが今は状況が違う。あの頃の俺と今の俺が違うように」
それは強さを得る為か、それとも人を信じる為か…努めて力を尽くさねばならなかった過去がどちらにかかるかを判じる間を与えず、オニキスのように黒く、だが強い光を失わない瞳が、エスターを見据える。
「昔は仲間に追い付く事しか考えていなかった。だが、今度は俺が前を走る番かな。我侭だとは分っていても譲れない。俺は格好悪い所もみっともない姿もあいつらだけには見せたくないし、見せるつもりもない」
淡々と、繋がる言葉は何処か自分に言い聞かせているような感だが、力強い断言でもある…こう言い切るからには、死んでも見せないつもりだろう。
 エスターを前にしてそれを告げる、という事は自分は『あいつら』の範疇ではないようだと少し心寂しく笑う…最も、若者達を傍から見物…基、見守るスタンスを変えるつもりはない。 こんな面白いモノを誰が見逃すか、というのが正直な所か。
 それでも岡目八目、その位置から見えるものに老婆心を抱いて、ただ見ていられない自分の修行不足を痛感しつつ、つい口を出す。
「それは相棒殿としては、ちょっと寂しいんじゃないですか?」
いつの間にか…ごく自然に、真咲の背を護る位置に在る、ハーフサイバーの少年を思い起こしてそれを問うた。
 不器用な程に純粋に…どうも人間関係自体に経験が足りてなさそうな彼に裏など読めよう筈もなく、そのくせ、真咲が見せるそれが全てと盲信したりはせずに細々とした気遣いをする彼位は、真意を知って然るべきではないかと思う。
「それにあいつは弱くない。でなければ任せはしない」
最も背に近い場所に立つ者に、同等の…苛烈、とも呼べる強さを求めるのはある意味酷ではないだろうか。
 こと、人間関係に関しては何処か甘いというか、人を信じすぎるきらいのある彼でなくとも、察するのと告げられるのとでは、また心持ちも違うだろうに。
 と、溜息を吐きかけたエスターの懸念を、真咲は一蹴した。
「同じものを見、同じ位置に立つ相手なら尚更、だ」
エスターの目にはまだ、真咲の背を追う者としか映っていない…が、真咲にとって自身と同じ位置に在る者だと明言する。
 不意に、胸中に拡がった安堵に、エスターは笑いを殺しきれずに歪む口元を掌で押さえて隠す。
「それ、直接本人に言ってやったらどうです?」
コーヒーの底溜まりに視線をやり、肩を震わせるエスターに気付かないまま真咲が答えた。
「いずれ、な」
何処か憮然としたその一言に耐えきれず、エスターはその容貌にあるまじき「ぶはッ」と空気を洩らして笑い出した。
「テメェ……人が真面目に相手にしてやりゃなんだその態度は!」
あっという間に真咲がキレる。
「いや、すみません、悪気は、なかったんですが……ッ」
照れも混じってか、いつもより強い蹴りをくらっても収まらない笑いに身を折りつつ、エスターは降参、と片手を挙げるが…当然、それに応じる真咲ではない。
 エスターとて、馬鹿にしたつもりはない…が、あまりに変らない真咲が妙に愛しく、微笑を浮かべてしまうには自分が気恥ずかしく、それがまた滑稽で笑いが止まらなくっただけだった。
 笑いを収められないまま、逃げ出すエスターを追う真咲に、裏世界に生きる猛者が意外なものを見る面持ちでポカンと見送る。
 あぁ、安心したと。
 思ってしまった自分の気持ちこそを、一生誰にも告げないつもりでエスターはその生涯が今幕を閉じてしまわないよう、取り敢えず逃げる事に集中した。