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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


■峠の向こうに広がる世界は■
 プラハ研の一室で、壁に掛けられたスクリーンに次々と写真が映し出されていた。ここ数年の間に、巡察士が各地で撮ってきた景色だが、風景写真とは言い難い。
 壊れた家屋、荒れた大地。崩れた地層に水没した森。
 気象を司る神が居たならば、考えつく限りの天災を試してみればこうなっただろうか。
 その偉大な記録とでも名付けたいような映像が切れると、部屋の照明が戻った。
「ヴィー、今のスライドを見てどう思う?」
「どうって?」
 曖昧な問いかけに、ヴィオレット・クレメンティは首を傾げた。
「何でもいいの。あなたが感じた事や考えた事。思いついた事を全部、先生に話してみて」
 専任のカウンセラーに向かい、ヴィオレットは口をつぐんだままだ。
(何かを話しあぐねている風ではないな。上手く言葉に出来ない‥‥違うな。慎重に考えをまとめているという所か)
 担当医の後ろに控えたクレール・フェリエは、ヴィオレットの様子をつぶさに観察していた。胸には研修医を示すプレートがついている。
 ヴィオレットの態度は、10歳の子供とは思えない、落ち着き払ったものだった。殊に、同年代の標準的な子供と比べると、幾分幼い傾向が見られるプラハ研の子供達の中では、珍しい対応だ。
「僕がまだ小さい頃、世界は殆ど壊れてしまった。その時の事はよく覚えていない」
 やがて、ゆっくりと一言ずつ言葉を確かめながら、ヴィオレットは語り始めた。
「だからかな。瓦礫の街を特別『変』だとは思わない」
 間を置いて、ちらりと担当医を見上げる。
「僕は間違っている‥‥?」
 牙を剥いた自然の力に、破壊し尽くされた数々の無残な光景。
 それを目にして、感傷的な感想が引き出される事を大人達が期待していたであろうと見透かすように。
 それでいて、狡猾さを感じさせないのは、澄んだ青い瞳に胸中を窺わせる感情を浮かべていないから。
 ただ、淡々と事実だけを述べている。
 カルテに書き込む手を止め、担当医はクレールを振り返った。
「クレール先生の所見は?」
「え? ああ‥‥そうだな」
 不意に意見を求められ、クレールは面食らう。
 だが、勿論ただぼんやりと眺めていたのではない。
 一瞬、ヴィオレットと目が合ったが、すぐにクレールは視線を彼の担当医に向けた。
「事実把握と冷静な判断に長けてる。感情表現はやや乏しいが、特に問題無いのでは」
「以上?」
「はい」
 ベテランのカウンセラーは、ふっと小さく息をついた。
「模範解答ね。良くできました、と」
 言い終えると、カルテの1枚目を破いた。クレールからは見えなかったが、そこには彼女の答えとほぼ同じ内容が記されていた。
 ヴィオレットと担当医の会話が、クレールの意識の上を滑っていく。機械的に整理して記憶はしていくものの、心には一つも落ちて来ない。
(また駄目か)
 じわりとやり切れなさが紛れてきた。

 眼下の街は茜色に染まっていた。
 さして高くないプラハ研の屋上だが、辺りに視界を遮るものが無く、見晴らしはなかなか良い。
『教科書通りの返答しか出せない内は、一人前とは言えないわね。まだ合格点はあげられないな』
 ヴィオレットが退室した後、自分に与えられたアドバイスをクレールは思い返していた。
 右も左も分からない状態から、エスパーケアの研修医として、型通りの解答を述べられるまでにはなった。
 けれども、そこからもう一歩先の出口が見えない。
(何が足りない?)
 医者としての経験不足は当然だが、それだけでは無い気がする。
 医療スタッフとして認められるには、何が不足しているのかと自身に問う。
 傍らに居ても聞き取れたかどうか、ごく微かに口をついて流れていた歌声は、いつしか止んでいた。
「クレール先生」
「ヴィオレット? まだ帰っていなかったのか」
 学習時間はとうに過ぎ、職員もそろそろ帰り始める時間だ。
「別の検査で遅くなって」
 昇降口で、居心地が悪そうにもじもじするヴィオレットに、クレールは水を向けた。
「あたしに何か?」
 黙ってクレールを見つめた後、ヴィオレットは、ぴょんと飛び跳ねるように近づいてくると、クレールの隣で同じように夕日を眺めた。
「先生、僕は扱いにくい生徒?」
 あたしは君の先生では無いと出かかった言葉を、クレールは飲み込んだ。
 カウンセリングの担当医では無いが、プラハ研の子供達にとって、医療スタッフはすべて『先生』だ。研修医も含めて。
「何故、そう思う?」
 優しく慰めるでもなく聞き返したクレールに対して、臆する様子もなく、ヴィオレットはクレールを見上げた。
「僕の分析が苦手だったみたいだから。教科書通りの答えになるのは、僕が扱いにくいから?」
(この子は)
 思わず息を飲んだ。検査の時から、どことなく感じていた違和感。
 子供らしいあどけなさが欠けるといった、表面的なものでは無い。
 自分が扱い難い子供なのではないかと、悩んでいるのでも無い。
 というより、この反応はむしろ‥‥。
「どうしてそんな事を気にするんだ?」
 敢えて質問を重ねてみる。
「だって、知りたいから。どうしてクレール先生は、教科書通りにしか僕の分析ができないのか。分からない事は、理由を知りたい」
(聞かれていた?)
 あの時、彼が退室した後の会話を。彼はそういった類の力を使えたのだったかと考えてしまったが、その思考を読んだかのようにヴィオレットはつけ加えた。
「その位は、その場の雰囲気で分かるよ」
「ああ‥‥そうだな」
 クレールの頬に苦笑が浮かんだ。
 この子は、分析が好きなのだ。感情で捉えるのではなく、理性で判断して取り込む。
 そのプロセスが、あまり子供らしくないといえばそうなのかもしれない。
 けれども、未知なるものすべてに向けるこの好奇心は、子供らしさそのものではないか。
「君のせいじゃない。あたしが、まだカウンセリングのコツが掴めていないからだ。相手が誰でも同じさ」
 ありのままに、無愛想とも取れる口調で語るクレールを、瞬きもせずにヴィオレットは見つめる。
「カウンセリングって難しい?」
「まあね。あたしには向いていないのかもしれない」
 それでも、ここで働いていくには仕方がない。
「ふうん」
 語らなかった部分に気付いたのかどうか。ヴィオレットは、ぱちぱちと目を瞬いた。
「でもさ。そんなものじゃないの? 他の先生だって、いつも僕の気持ちを当てる訳じゃないよ」
「そうなのか」
 気持ちを、当てる。彼に取っては、エスパーケアのカウンセリングはそんな時間なのか。
 まるで、彼の方がカウンセラーの心理を分析しているようだ。
「‥‥君なら、探せるかも知れないな」
「何を?」
 何気ない呟きに耳ざとく、ヴィオレットが聞き返す。
 クレールは、手すりの上に肘を乗せて体を預けた。
 眼下に広がるのは、ごく普通の街並みだ。
 よくよく目を凝らせば、ところどころ工事中のような場所があるが、半ば夕闇に染まった今は、殆ど判別できない。
 けれども、視野を外れたところでこの街並みはぷつりと途絶え、その先は昼間見たスライドの光景が取って変わる。
 7年程前の、あの日を境に壊れた世界。
 崩れたのは、地理上の世界だけでは無かった。
 それまでに、心の中に築かれてきていたもの。果たされなかった夢や希望が、どれほどあっただろうか。
 そういったものを記憶の底に押し込めて、出口を探すように必死で彷徨ってきた。
(壊れた世界に囚われて、本当は何も見えていなかったのか?)
 ヴィオレットは、まだ辛抱強く返事を待ち続けていた。
「今の、この世界にも、まだ人々の知らない何かが残っているかもしれない」
「世界中の人が知らないもの?」
 ヴィオレットの瞳が輝き始める。
「そう。審判の日以前にすら、知られていなかった場所だってあるだろう。今は辿りつけなくなっていても、奇跡的に壊れずに残っているものも、あるかもしれない」
「たとえば、どんなもの?」
「想像もできないような物さ。見た事も聞いた事もないような。もしくは、『失われた技術』と呼ばれているもの」
 一旦言葉を切り、クレールは適当な例を探す。
「連邦の騎士を知っているだろう? 通常の彼等の身体能力を遥かに超えた、伝説のサイバーボディが、かつてはあったとか」
「それが、今もどこかに眠っているかもしれない? そんな所へ行くのは、きっととても大変だろうね」
 ヴィオレットの声が、生き生きと弾む。
「冒険が好きなのか?」
「うん」
 はにかみながら、けれどもヴィオレットは大きく頷いた。
「誰も知らない世界へ旅をする、古いお話はとても面白いと思うよ。僕も、いつか行ってみたいな」
「そうか」
 巡察士になれば、審判の日以降、未知の世界と化した場所へ赴く機会はいくらでもあるだろう。
 けれども、ヴィオレットが求めるものは、そんなちっぽけなものではない。
(彼なら、行けるだろう。そして、探し出せるかもしれない)
 壊れた世界の出口を。そして、その先にあるかもしれない、自分が見失ったままになっているものを。
 ヴィオレットに向ける、クレールの視線が和らいだ。
「それなら、周囲に目を向けて、関心を持てるようにならないといけないな」
 冒険には、たくさんの知識と情報が必要だ。そして、冷静な判断に加えて、受け取った情報を素直に感じ取り、表現する感情も。
 僅かな間を置いて、ヴィオレットは真顔でクレールを見上げた。
「‥‥じゃ、さっきの歌、教えて下さい」
「‥‥え?」
 珍しく、クレールの面に動揺が浮かぶ。
 からかったり、嫌味で言っているのでは無い。それは、ヴィオレットの真剣な顔を見れば分かる。
「歌は、あまり得意じゃないのだが」
 人前で歌う心の準備など、出来ていない。
 とは言え、つい今しがた自分が周囲に関心を持てと言ったばかりなので、逃げる訳にもいかない。
「汎欧州語ではないから、歌詞が分からないだろうけど。意味は、後で」
 夕日で顔色が分からなくなっているのが、せめてもの救いだと思いつつ、クレールはすうっと息を吸い込んだ。

■ライターより■
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