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■緑のお菓子☆■
2066年、春。日差しの変化や草の芽吹きに、春の気配が少しずつ感じられるようになった。
とはいえ、ブダペストに本当の春が訪れるのは、間だ先だ。肌を刺す冷気に、カティア・ノイベルトは身を竦ませて、コートの襟を合わせ直す。
「情報では、この辺りなのですけれど」
『カティアちゃんのひみつメモ』と表紙がついた手帳を手早く繰りながら、カティアは付近の建物で番地を確かめる。
「えっと、この先の‥‥アレかしら」
一見すると古びた教会だが、それなりに手入れはされていて、廃墟では無いようだ。
入口で、最近つけ足したと思しい木のプレートを確かめ、カティアは大きく頷いた。
手帳をバッグに放り込み、さささっと手早く身だしなみを整える。
チリリン、と軽く呼び鈴が響いた。
「どちら様ですか?」
暫くして扉を開けた修道女に、カティアは手を差し出した。
「こんにちは。私、テレビブダペストの『カティアにお任せ』で司会を務めている、カティア・ノイベルトと申します」
「は、はあ」
にこぱあっと輝くばかりの笑顔に、応対の女性はとまどいを浮かべる。勢いで、カティアとしっかり握手も交わしてしまった。
「TV局の方が、何のご用でしょうか」
「こちらで収容されている方々に、インタビューをさせていただきたいのです」
さっと相手の顔が固くなる。
「ここが、現在は臨時の病院になっていると聞きまして。プライバシーに関する内容は、きちんと伏せますわ」
「お帰り下さい。病人を衆目にさらすなんて、論外です」
閉じられかけたドアを、カティアは慌てて抑えた。
「待って下さい。けして、ゴシップ番組ではありませんのよ。特集の主旨を聞いて下さいな」
がしっ! 扉を掴んでいるのは、細腕1本のはずだが、中の女性が両手で引いてもびくともしない。
涼しい顔で、カティアは続ける。
「審判の日に、私達はたくさんの物を失いました。昨年の戦争が残した傷も、まだ多数残っています」
本来の病院だけでは間に合わず、今も尚、この教会のように臨時の病院となっている所が多数ある。
ただ、怪我や病に冒されたのみならず、回復しても行く当てが無い者も多い。
家や家族を失っていたり、或いは中東から移ってきていて、その後の行く先が決まっていなかったり。
たとえ健康な体であったとしても、ともすれば不安に押しつぶされて、暗い気持ちになってしまう。
「でも、こんな時代だからこそ、みんなに愛と勇気と希望をあげたいのです☆」
「それが、ここでお預かりしている人達の取材と、どう関わりがあるのですか」
用心深く尋ねるシスターに、カティアは屈託の無い笑顔を見せた。
「そう! 正にそこなのですわ。この病院で過ごす人達が希望を持てるような、そんな研究が進んでいるのです☆」
「‥‥お話をお伺いしましょう」
底無しの明るさは、カティア最大の武器だ。
心の中で拳を握りつつ、シスターについて中に入る。
(後で洞窟跡の現地取材にも行かなくちゃ。明日は、ナントカ研究機関にもアポを入れないと)
ビデオを片手に、すまして応接室に通される間も、カティアの頭はめまぐるしく働いていた。
一方、こちらは、とある研究機関の一室で。
(この構造では、奥行きが狭くなるな。不思議ロボットを隠しておくには、やはりこちらの部屋と入れ替えて‥‥)
「クレール?」
「うわっ!」
不意に声をかけられて、クレール・フェリエは飛び上がった。
「ああ、あんたか。どうしたんだ、急に」
「ノックは、したわよ?」
入ってきた研究員は、机の上に散乱した地図や設計図をちらりと見る。
「あー、それは、その。今度、洞窟に増設する、『例のもの』のプラントの検討を」
「ふぅん」
趣味は程ほどにね、と言ったのみで、研究員はそれ以上深くは尋ねなかった。
「実は、その『例のもの』について、テレビ局から出演依頼が来てるのよ」
「は?」
たらった♪ らった♪ らった♪
クレールの頭の上に、クエスチョンマークが並び、ラインダンスを踊り始めた。
「アレが見つかったのは、もう何ヶ月も前だ。今更、ローカルテレビで取り上げるような内容では無いだろう?」
「それは、そうなんだけどね。『カティアにお任せ』って、知ってる?」
「いや」
テレビに興味は無いとクレールが首を振ると、研究員はかいつまんで番組について説明した。
「なんだか、胡散臭い番組だな」
「うーん、確かにゴシップネタオンリーの時も、あるにはあるけど。娯楽番組に見せかけて、結構鋭い時もあるのよね」
事の次第によっては、研究機関の威信に関わる。故に、最初にその司会者が面会を求めて来た折に、それなりに内容の確認は取ったらしい。
「今回は、問題無さそうだから。で、今ここに居る中で、責任職についているのは、あなただけだからよろしくね」
「えー!?」
思いきり不満顔になってしまった。テレビ出演などしていたら、その間、洞窟をあんな風に改造したり、そんな風にトラップをし込む、楽しい計画の時間が削られてしまう。
もちろん、そんな理由は、表立っては出演を断る口実にできない。
「文句言わないの。それと、発見者も一緒に来て欲しいって話だったから。当時、調査をしていた子から、適当に一人連れていって」
言うだけ言うと、研究員は行ってしまった。
「誰か適当にと言ってもだな」
当時、誰が調査グループに入っていたのだったか。
調査グループに入っていても、発見時には現場にいなかったかもしれない。
「あれから、結構人の出入りもあったし」
クレールが、再び深く思考の海に沈みそうになった、その時。
「クレール先生。鶏用の改良飼料を貰いに来たんですけど」
ヴィオレット・クレメンティは、押してきた台車を実験机の前で止めた。
「ああ、用意してある。そっちの棚の前だ」
言いかけて、ふとクレールは思い出した。
「あんたは、カルネアデス戦争の時に洞窟の調査をしていたな」
「はい」
更に詳しく聞いてみると、うまい具合にTV局から要求された条件を満たしている。
「どうなのかな。僕は時々、その番組を見ますけど。本当に大丈夫なのか‥‥でも、もう決まってしまったのですよね」
「ああ、収録は明日だそうだ」
随分急だが、基本的に毎週の番組だから仕方が無い。
「まあ、僕達が妙な話をしなければ良いのでしょうが」
そして、翌日。
「皆さん、こんにちは。『カティアにお任せ』の時間です。司会は私、カティア・ノイベルトです」
司会者モードで、カメラに向かってカティアは話し始めた。
「今日は、ゲストにクレール・フェリエさん、ヴィオレット・クレメンティさんをお迎えしました」
TV番組の収録と聞いて想像したような物々しさはなく、カティアの他に撮影スタッフが2名ついて来たのみだ。
場所も、研究機関の小部屋一室で十分だった。
「さて、お二人をゲストに迎えて、本日は『こんな時代でも健康食材♪』をテーマにお送りします。まずは、こちらをご覧下さい」
カメラが切り替わり、VTRの再生が始まる。先日、カティアが訪れた教会だ。
部屋は明るく清潔な雰囲気だが、そこにいる人々の顔には、モザイクがかかっている。
「ここでは良く世話をしてもらっているけど、なかなか体調が戻らなくて。ワクチンも不足しがちだって聞くと、心配で」
「食糧はちゃんとあるとは聞いたけどね。万一っって事があるし」
etc.
次々と不安を訴える患者達は、アヒル声の音声処理がかかっているが、内容は深刻だ。
「‥‥特に問題は見受けられないが」
ゲスト二人は怪訝な顔でVTRを見ていた。
クレールなど、途中で興味を失ったのか、どうも視線が泳いでいる。
「ええ、もちろん、これは入院中の人達としては、ごく普通の姿ですわ。でも、最初から入院しなくて良ければ、もっと良いですわね」
「それは、その通りですね」
上の空のクレールに替わり、ヴィオレットが相槌を打つ。
「でしょう? 大抵の病気は、予防できるものですから。恋の病は、防げませんけれど☆」
そこで、と言いながら、カティアはテーブルの上に、うっすらと光る苔を出した。
出したのは良いが、どこに隠し持っていたのか謎だ。
どうやら、ひみつメモの他に、ひみつポケットも持っているらしい。
「こちらは、ブダペストの洞窟で発見された苔です。昔から、植物は体に良いと言われていますね」
興味津々な目で、カティアはゲスト二人を見つめる。
「しかもこの苔、凄いパワーを持っているとか」
「栄養価も高く、人間が食べても特に問題ないとの報告がある」
ここ暫くは、その研究が主な仕事だったクレールが頷く。そう、けして彼女の本分は、ワンダーランドの建築ではないのだ。
「この苔は、淡い光を放っていますね。発見時もやはり光を頼りに? その時の様子を聞かせて下さい」
「洞窟には、巨大な鶏と、他にもたくさんの鶏がいました。その鶏の腹を『見た』ら、光っていたのです」
カティアは僅かに首を傾げる。
「鶏のお腹に、苔がこびりついていたのでしょうか」
ヴィオレットは、軽く笑った。
「僕は、透視能力がありますから。内側を見たのです」
「ああー、成る程。エスパーの皆さんならではの、発見だったのですね」
カティアは大袈裟に手を振る。
「洞窟には、鶏しかいなかったのでしょうか? 他に、苔を食べるような生き物は?」
「猫がいましたね。巨大な」
「では、その猫は何を食べていたのでしょう? 苔でしょうか?」
ヴィオレットは考え込む。
「いや、肉食ですし。苔も多少食べたかもしれませんが、主な餌は鶏ではないでしょうか」
「すると、こんな風に」
カティアの合図で、画面がイメージ映像に切り替わる。
ザッ、ザッ、ザッ。
暗闇の中を、巨大な鶏と猫が歩み寄る。
ヒョォォォォォッ。洞窟の中にも関わらず、どこからともなく、風が吹いた。
「フギャーッ!」「クォケケケケーッ!」
猫パーンチ、猫パーンチ、猫パーンチ!
対する鶏、ジャンピングキーーーック!
「いや、それは無いんじゃないでしょうか」
ヴィオレットが冷静にツッコミを入れた。
「食っていたのは、普通サイズの鶏でしょう。流石に、そうたくさん巨大生物はいないでしょうし、狩りやすい普通の鶏がいくらでもいたのですから」
「あら、そうなのですか」
心なしか、カティアは残念そうだ。
「では、きっと猫は『苔を食べた鶏』を通して、苔を摂取していたのでしょうね」
一人納得して、カティアは話を続ける。
「さて、鶏や猫に、こんなにすばらしい体力促進効果をもたらした光り苔ですが、人間も食用にできると、先ほどお話がありました」
いつの間にか、背後のセットは調理場になっている。
「最初は、苔をそのまま食べるのは抵抗がある方も多いでしょう。そこで、今回はこの苔を使ったゼリーのレシピをご紹介しましょう」
試食会も兼ねるという話で、ゼリーの出来上がりを待つ間は雑談の時間となる。
「放映時は、この時間はカットするのですか」
ヴィオレットの問いに、カティアは満面の笑みを浮かべる。
「一部はカットしますけれど、CMを流しますの。やはり、食用として紹介する以上、一般家庭で簡単に手に入らなくては、意味がありませんもの」
紹介する商品は、家庭用の苔栽培セットだと言う。
「あれは、繁殖力が強いから、迂闊に育てると大変な事にならないか」
クレールのつぶやきにも、カティアは動じない。
「あら、その時は毎日せっせと食べれば良いだけですわ。それでも追いつかない程は、増えないでしょう」
確かにそうだろう。毎日食べ続けられれば、だが。
そうこうする内にゼリーが固まり、美しく盛りつけられて出てきた。
鮮やかな苔のグリーンに、透き通ったレモンの黄色と真っ白なヨーグルトが映え、涼やかな夏向きのデザートだ。
「それでは、早速いただいてみましょう☆」
三人同時にひと匙すくい、口に運ぶ。
「「「‥‥‥‥‥‥」」」
やがて、徐にクレールが口を開いた。
「さすがは、一流シェフの手よる菓子だな。こんなにすっきりと味わい深いレモンソースは、初めてだ」
「トッピングのヨーグルトソースも、甘さが控えめでおいしいですね」
表情を変えずに、ヴィオレットも口を添える。
「体力をつければ病気の予防もバッチリ☆ 不安を吹き飛ばして、希望を持っていただきたいですね。それでは、クレールさん、ヴィオレットさん、今日はどうもありがとうございました」
実に清々しく、最後は風が吹き抜けるように番組は終了した。
だが、きっと熱心な視聴者は一様に疑問を持ったに違いない。
「で、苔の味は?」
と。
■ライターより■
ご発注ありがとうございました。
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