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いつまでも側に‥‥
小さなベッドの上に降り注ぐ月光を浴びながら、アデルハイド・イレーシュはすやすやと寝息をたてていた。汗で額に張り付いた髪を指でそっと取り除いてやると、オルキーデア・ソーナはイレーシュの顔をじっと見下ろした。
こうして、何度イレーシュの寝顔を見つめただろうか。
何度愛おしい思いを、確認しあっただろう。
オルキーは幸せそうにうっすら微笑を浮かべたまま眠るイレーシュを、くすっと笑うとベッドから足を下ろした。
つい先ほどまでうつらうつらと眠気を感じていたのに、急に目が覚めた。戦後しばらくは、こんな時必ずキャリーの周囲を巡回して安全を確認しなければ眠れなかった。ここ最近は、あの時ほど警戒心が強くなくなったのか、枕の下にある銃に手で触れるだけで眠れるようになった。
オルキーは下着とキャミソールの上から薄いコートをはおり、キャリーの外に向かった。
たまには、外を巡回するのもいいだろう。
コートのポケットに手を突っ込むと、オルキーは裸足で外に出た。土の感触を足の裏に感じながら、歩き出す。
ふ、とオルキーは視線を巡らせた。
何か、気配を感じた気がしたのだ。キャリーの方に、何か微かな物音が近づいた気がする。気のせいだろうか。
オルキーは耳を澄まし、手をポケットから出すとキャリーの方へと歩き出した。どうやっても素人でしかない盗賊の類であれば、オルキーが気づかないはずはない。気づかないという事は、気のせいなのだろう。
カタ、とキャリーから音が漏れる。
びくっ、とオルキーが身を震わせ、緊張に体をこわばらせる。すると、キャリーからするりと人影が出てきた。冷たい風に目を細め、イレーシュは体を包み込んだシーツをしっかりと握りしめる。
「‥‥オルキー、どうしたんですかこんな夜更けに」
「ええ‥‥なんでもないの」
オルキーはほっと息をはくと、イレーシュの方に歩き出した。
木々がキャリーの姿を隠し、オルキーの視界の中にいるイレーシュには、木々が被さっている。少しキャリーから離れすぎたかもしれない。
「イレーシュ、寒いから中に入ってて‥‥」
自分はもう少し、見回りを‥‥。
そう言おうとした時、キャリーの側の草むらから何かが飛び出した。
黒い影が、イレーシュを左右から挟み込む。それと同時に、自分は背後から束縛されていた。口元を手で覆われ、のど元にナイフを当てられて身動きの出来ないオルキー。視線を動かすと、見慣れた戦闘服が映った。
「オ‥‥オルキー」
イレーシュは、自分のことよりオルキーを案じて、立ちすくんだ。深夜、目を覚ますとオルキーがベッドから抜け出しているのはいつもの事だが、今日は何となく気になり、シーツで身をくるんでキャリーの外に出た。
予感、的中。
嫌な予感だけは当たる。イレーシュは、オルキーの方をじっと見ようとした。月光は木の陰となり、オルキーの姿をぼんやりとしか映さない。
イレーシュの力であれば左右の男をなぎ倒す事は訳もないだろうが、この位置からオルキーを捕らえている男を倒すのは難しいし、オルキーと男の境界がよく見えなかった。
「‥‥オルキーを離してください」
イレーシュがおそるおそる左右の男に言うと、男はぴたりとイレーシュの胸に銃口を押しつけた。
「黙れ、魔女め!」
「イレーシュに何を言うの!」
男の手をふりほどき、オルキーが声を上げる。
ふるふると首を振り、イレーシュはオルキーを制止した。自分は何を言われてもかまわない。言われるくらい、なんともない。
「反論も出来ないのか? ‥‥お前達のような堕落した輩が誘惑するから、我らの軍内にも堕落が広がるのだ」
「オルキーが私を愛してくれたのが私の所為だというなら、どうぞお好きなように罵ってください。‥‥確かに私という存在がオルキーを惹きつけた、それは間違いありませんから」
イレーシュははっきりと、男に言った。イレーシュという存在にオルキーが惹かれ、オルキーという存在にイレーシュは惹かれた。
「でも、堕落したとは思いません。私は純粋にオルキーを愛しています」
「言い訳を‥‥っ」
男の指が、銃の引き金を引いた。至近距離からの発砲は、イレーシュの肩の肉がえぐり取られる。吹き飛び、キャリーにたたきつけられたイレーシュの元に向かおうにも、オルキーののど元にはナイフがぴったりと張り付いていた。
「止めて、うち等はもう軍とは関係ないわ!」
「オル‥‥キー‥‥」
イレーシュは、がくがくと震える体を起こそうと、声を出した。傷口は麻痺しているのか、痛みをさほど感じない。しかし心臓はばくばくと鼓動し、手足が震えた。
「遺志を汚しているのは、あなた達の方よ。‥‥そうして終わりかけた戦争を長引かせたのは、勝手な行動をしたあなた達じゃないの?」
「貴様は黙っていろ!」
「殺すなら殺してみなさい」
オルキーはきっ、と兵士達をにらみつけた。
そして自分ののどに突きつけられたナイフを、素手で掴んだ。左手でナイフを持つ手首を取ると、押し戻すようにして束縛を解く。
イレーシュの横に張り付いている兵士2人の銃口がこちらに向けられ、後ろの気配が動いた。オルキーは振り向きざまに後ろの男を蹴り倒すと、地面に倒れ込みながら男のナイフを奪い取った。
イレーシュは、自分の傷の手当ても忘れてその様子を呆然と見つめる。
オルキーの背後に、銃を持った男の一人が駆け寄った。背後から殴られ、昏倒するオルキーがスローモーションのように映る。
何?
イレーシュは、視線を巡らせた。
誰かに口元を手でふさがれている。イレーシュは何者かに後ろから抱きすくめられ、それでも朦朧とする意識で体を動かせずに居た。
いち‥‥に‥‥さん。確かに視界に3人居るのに‥‥。
(そうか、もう一人居たのね‥‥)
「イレーシュに‥‥手を出さないで!」
オルキーの声が耳に響く。ざわざわとした感覚が、体を這っていた。
「あ‥‥や‥‥っ」
誰かが、自分に触れている。オルキーの細い指では無い。オルキーの暖かく柔らかい唇ではない。違うものが、自分の体を撫でていた。
「嫌っ‥‥オルキー‥‥っ」
視界の中でオルキーは、突きつけられるナイフに構わず、こちらに向けて駆けていた。
こんなの‥‥嫌。
「オルキー‥‥!」
イレーシュは力を振り絞り、声を上げた。
気が付くと、オルキーが顔を見おろしていた。
オルキーの向こうに、白い天井が見える。意識はますます朦朧している。肩が先ほどから、ずきずきと痛んでいた。
「イレーシュ‥‥大丈夫? ‥‥治せる?」
オルキーが声を掛けた。そこでようやくイレーシュは、傷を治さなければと気が付いた。
(そう‥‥か。治せば‥‥)
イレーシュは意識を集中させると、傷口に力を注いだ。いくぶん痛みが和らぎ、深く息をつく。
「‥‥ごめんなさい‥‥オルキー。もう大丈夫」
「無理しないで」
そうっとオルキーの手が自分を抱え上げ、ゆらゆらと揺れた。オルキーは心配そうに自分を見ながら、ふわりとベッドに下ろしてくれた。
「‥‥あのひとたちは?」
「イレーシュのESPで、オネンネよ。置いて逃げてきちゃった」
くす、と笑うオルキー。その笑顔は、少し悲しそうだった。
「‥‥ごめんね、イレーシュ。うちのせいで‥‥」
オルキーは泣いていた。
何故?
自分たちは無事だったのに。
「泣かないで‥‥オルキー」
「でも‥‥こんなに傷ついてしまって‥‥ごめんなさい」
「もう‥‥謝らないで、って言ったじゃないですか。二人で選んできた道だから」
いつでも、どこでも、二人で決断してきた。オルキーが軍を辞めたあの時から、自分達はお互いの意志をきちんと確認し、それを納得してきた。
今こうしているのは、オルキーのせいじゃない。
「うちは‥‥自分勝手ね」
オルキーは、無理に笑顔を作りながらイレーシュに語りかけた。
「イレーシュが撃たれたのは、もちろんすごく心配だけど‥‥うちのイレーシュを喘がせるなんて、許せないって思っていたのよ。酷いでしょ?」
ふふ、とオルキーは笑って言った。涙がぽろり、とイレーシュの顔に落ちる。
「ええ‥‥そうですね。それじゃあ‥‥今日は一日、オルキーに精一杯罪滅ぼしをしてもらう事にします」
さしあたっては、オルキーに何か作ってもらおうかしら、と言うイレーシュ。オルキーはその顔をのぞき込み、ふわりと唇にキスをした。
いつまでも、一緒に居る。
いつまでも、イレーシュの事を考えている。愛しているわ。
オルキーはそう、イレーシュに囁いた。
■コメント■
遅くなって申し訳ありません。
なんか、イレーシュのセリフが宗教チックになってしまいました。話題が話題だから、多少仕方ない‥‥かな。
何かされるかされないか、という選択をこちらに任せるという事は、された方がいい、と見なしました! ‥‥が、閣下のご遺志が、と言うのだからさすがにアレは拙いでしょう。された方がよかったですか?
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