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幸せを呼ぶ黒猫
黒猫の噂がささやかれていた頃、ひとりの少女がその町を訪れていた。
少女、といってもまだ幼い。10をいくつか越したばかりだろうか。
汚れてはいるもののつやを失っていない黒髪は膝裏まで届くほどに長く、すり切れた黒のドレスの色によく映えている。
赤い瞳は伏せられて、常におどおどと周囲をうかがっていた。
「……あら?」
少女はふと、足下に小さな黒猫を見つけ、声を上げた。
よくはわからないが、どうやら追われているらしい気配がする。
「あなたは、どうして追われているのでしょう? わたくしめは、リディアーヌ・ブリュンティエールと申します。もしもあなたがお望みになられるのでしたら、どこへなりともお連れ差し上げますわ」
リディアーヌがそう口にすると、黒猫はにゃあ、と声を上げた。どうやら、どこかここではない、もう少し静かなところへ行きたいと思っているらしい。
「そう……それでは、静かなところへまいりましょう」
リディアーヌはうなずくと、ゆっくりと歩き出した。
自分をものかげから見つめる影があるのに気づかぬままで。
「ここで、よろしいですか?」
静かな路地裏へ移動して、リディアーヌは黒猫に訊ねる。すると黒猫はにゃあとなく。先ほどの場所よりは、こちらの方がいいということらしい。
「……よかった」
リディアーヌは微笑む。
だが、猫はふぅーっ、とうなり声を上げた。
なにかいるのを感じて、リディアーヌは振り返る。するとそこには、眉をつりあげ、鬼気迫る表情をした男がひとり立っていた。
「あなたは……?」
「その黒猫をひとりじめしようったって、そうはいかないんだからな!」
男はリディアーヌの問いかけには答えず、リディアーヌの頬を叩く。
「きゃっ」
リディアーヌは悲鳴を上げて倒れた。男はリディアーヌの手を踏みつけて、かかとで踏みにじる。
思わず悲鳴を上げそうになりながらも、リディアーヌは必死にそれをこらえた。
どうしてこんなことをされなければならないのだろう、そう思う気持ちはリディアーヌにもある。
けれども、同じくらい、こうされても仕方がないのだという気持ちもあるのだった。
「猫をひとりじめだなんて……猫は誰のものでもございませんし……」
リディエーヌがそう口にすると、男はふふん、と鼻で笑った。
「しらをきるんじゃない。知ってるんだろう? そいつが『幸せを呼ぶ黒猫』だってことくらい」
「幸せを呼ぶ……?」
リディアーヌは黒猫を見た。
この猫に願えば、幸せになれるというのだろうか。ふと、リディアーヌはそんなことを思う。
もしもなにか願いが叶うのだとしたら、それはたったひとつきりだ。
両親と、もう一度一緒に、今度こそ幸せに暮らすこと――
だが、そんな願いを叶えられるものがいるはずもない。
リディアーヌの両親は、先の戦争で死んでいるのだ。もともとはフランスの地方貴族だったリディエーヌは、だから、こうして街から街へのその日暮らしをしているのだ。
リディアーヌは首を振った。
「逃げてください。どこまでも遠くに。誰にもつかまらないくらい遠くに逃げてください」
そして、黒猫へ向かって語りかける。
リディアーヌの言葉が黒猫に通じたはずもないのだが、それでも、猫はくるりと踵を返して走り出した。
「あっ……!」
男はあわてて黒猫を追いかけようとする。
「いけません!」
リディアーヌは叫んで、男の足にすがりついた。
行かせてはならないのだ。
あの猫が本当にひとの願いを叶えてくれるのだとしても、それでも、自分勝手な願いばかりかけて、黒猫を困らせてはいけないのだと思う。
「放せ!」
男はわめいて、足をぶんぶんと振りまわす。
小柄で軽いリディアーヌの身体はそのたび、持ち上がっては地面へと叩きつけられる。
だが、それでもリディアーヌは耐えた。せめて、あの黒猫が安全な場所へ逃げられるまで、けっしてこの足を離してなるものかと思った。
黒猫の姿は、みるみるうちに小さくなっていく。リディアーヌはそれを見て、安堵の息を吐いた。
「……お前のせいで……!」
だが、男はリディアーヌとは逆に怒りに燃えた眼差しをリディアーヌへと向けてくる。
リディアーヌはじべたにはいつくばったまま、卑屈に男を見上げた。
「どうしてくれるんだ!」
男がリディアーヌの腹を蹴った。
リディアーヌの身体は軽々と宙を舞う。
そしてリディアーヌが地面へ叩きつけられると、今度は上から踏みつけてくる。
「ぐっ……」
リディアーヌはうめいた。
男はリディアーヌを冷たく見下ろしている。どうやら、やめてくれと頼んでもやめてくれそうにはなかった。
リディアーヌは四肢から力を抜いた。へたに抵抗するよりは、こうして、おとなしくされるがままになっているほうがずっと軽くてすむのだ。リディアーヌは既に、そのことをよく知っていた。
男はそれから、しばらくの間、無抵抗のリディアーヌに暴行をくわえつづけたのだった。
そして、男が去ったあとで、リディアーヌはゆっくりと起き上がった。
身体が痛くてたまらない。呼吸をするのすら苦しい。
けれどもリディアーヌは、ひとりで立ち上がった。
ここに長居をしたところで、いいことなどなにもない。
もともと、なにも持たない流浪の身の上。この程度のことなど慣れている。
そしてリディアーヌは、ゆっくりと歩き出した。
あの黒猫が、無事に誰にもつかまりませんようにと願いながら。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / クラス】
【0425 / リディアーヌ・ブリュンティエール / 女 / 12 / 一般人】
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■ ライター通信 ■
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はじめまして、発注ありがとうございます。ライターの浅葉里樹と申します。
今回は思い切りいじめぬいてしまったのですが、このような感じでよろしかったのでしょうか。少々やりすぎたか!? と思わないでもないのですが(笑)お楽しみいただけていれば、大変嬉しく思います。
もしよろしかったら、ご意見・ご感想・リクエストなどがございましたら、お寄せいただけますと嬉しく思います。ありがとうございました。
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