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leave a scar
それはいつもの朝。
微睡みの中に居る自分に、仲間達が笑いかける。
−真咲はまだ眠っているのか
−いつものコトでしょう
−寝かせといてあげようよ
言いながら、髪に触れていく、手、手、手。
眠りを守るように、または別れの挨拶のように触れては離れる柔らかな感触を、空気を震わせる笑い声の近さ、心地良さを意識だけが追う。
光の気配、朝の空気。
懐かしい空気は……帰らない、遠すぎる日々の記憶と同化する。
引き止める声は言葉にならない。
夢の中だと解っている、が瞼は開かずにただ遠ざかる仲間の気配を追う。
目を開く、それだけの動きが適わず、力を込めた瞼に睫が震え、眉間に皺を寄せればずきりと芯から痛みが生じた。
一度自覚すれば、それは破鐘のように頭蓋に響き、強弱に間断のない痛みの不快さに盛大に眉を顰める。
「痛……ゥ」
自分の喉から洩れたと思しき声-自信がないのはそれがあまりに掠れて常のそれと違っていた為だ-が、夢と、現実の所在を確かにした。
「起きた?」
そして間違いのない第三者の声に目を開いて、真咲水無瀬は地面に横になった状態を自覚する。
次いで、後ろ手に縛られた手首が訴える痛みに、意識を失う直前の状況を思い出す。
意図を感じさせて、定期的な襲撃を繰り返す盗賊団の討伐に出た折。
閉所に追い込んで一網打尽にする作戦を取り、三々五々、散開したピースメイカー・ナインス部隊への陣頭指揮を行っていた真咲の前に、小柄な少年が飛び出して来た…偶然、迷い込んできた一般人と判断し、真咲は少年に退去を求めた。
その時、深く被っていたフードを取り払った少年の顔に懐かしいような面影を見た瞬間、後頭部に痛みを感じたのを最後に記憶が途切れている。
横になったままで許される視界に周囲を確認すれば、廃墟と思しき屋内に劣化した建築材が剥き出しの地面に散り、覗き込む少年の背後に銃器を手にした男達がうろついている…捕獲する筈だった盗賊の面々に、今にして思えば捉える心算あっての事だと判じられる。
「……ああ」
少年の問いに答える、にしては間の抜けた間、で真咲は続く言葉を発せられずに乾いた唇を舐めた。
(やはり、似ている、な)
全身を被う倦怠感に身じろぎも億劫だが、身体を起こそうとした動きにくらりと視界が揺れる。
タチの悪い薬でも打たれたか。
「会いたかったよ、真咲、水無瀬さん」
少年は真咲の前に座り込み、真咲の名を呼んだ。
「随分と……」
掠れた声が喉にひっかかって痛み、真咲は咳き込んで続けた。
「随分と、情熱的なお誘いだな」
今度は先よりましな声が出たのに微かに笑んだ、真咲を少年は睨みつける。
「……どうしても会いたかったからね」
激情を秘めて押さえた声に、暗い質の怒りを宿した目がその強さを増す。
「だってあなたはボクの仇だもの」
告げられたのは悪意。
その手にはいつの間にか、真咲の愛用する銃が握られていた。
「……悪いが」
真咲は慎重に身体を起こすと、縛られて動かせない手で揺らぐ上体の均衡を苦労して取りつつ、少年と目線の位置を併せた。
「心当たりが多すぎてな。どれの、仇なのか明確にしてくれ」
巫山戯ているようで全く本気、な真咲にカッと頬に朱を上らせて少年は声高に叫んだ。
「助けてくれなかったくせに!」
上げられた銃口が真咲の眉間にあてられる。
それに動じる事なく、真咲は黒曜石の瞳で少年を見つめた。
「お前を、か?」
その静けさに射竦められたか、少年は脅えたように視線を揺るがした。
「何言ったって無駄さぁ」
そう、こちらを伺っていた盗賊の一人がにやにやと笑いながら近付いてきた。
「ナインスの真咲ってったら昔から、仲間を犠牲にして生き伸びる『死神』だって有名だからな」
言って男は銃身の長いライフルの先で真咲の肩をついた。
途端、揺らぐ視界に歯を噛み締め、身を折って耐える。
「なぁ、お望みの通り、真咲は手に入れたんだ。おしゃべりも終いにして煮るなり焼くなり好きにすればいいだろ」
「ボクの勝手だろ。約束の金はちゃんと払う」
硬質に返される返答と内容が、彼等の関係を示している。
真咲は突かれただけでバランスを失う身体を保とうとしながら、盗賊達を目分で判じた。
タチが良い、とはお世辞にも言えない…金で動く輩は、仕事にプライドや自分なりのルールを定める者か、依頼主から奪えるモノは全て奪う、欲に忠実な輩かの両極端にタイプが別れる事が多い。
「おいおい、ちゃんとアンタの望み通りに動いたんだぜ、こっちは。心付けくらいあってもいいんじゃねぇ?」
下卑た笑いに、男は銃口を少年に向けた。
「な……ッ?」
「『死神』の買い手は幾らでもつくんだよ」
男達は元よりそのつもりであったのだろう…少年を餌に真咲を捉えたのは、既にその買い手とやらが背後に居る為か。
「……生憎」
真咲は深く項垂れたまま、両者の会話に割り込む形で声を発した。
「当の本人は『死神』に嫌われているらしい」
後ろ手に体重を支えて腰を浮かし、真咲は鋭い蹴撃で男の足を払うと同時、縛めていた筈のロープが両手から外れ、解ける。
動けないと踏んでいた虜の攻撃に対処出来ぬまま、男が倒れ込むより先に真咲は膝立ちにその喉に掌底を突き込んだ。
「ガッ!」
と、奇妙な声に男は絶息する……喉に突き込まれたのは歪な鉄片。
風化し、錆びて剥がれたそれはささくれた質感でも人の命を断つに充分な強度を持つ。
真咲は少年の腕を掴んで引き寄せる、重みを支点に立ち上がり僅か、眉を寄せた。
「……悪いが、手加減出来ない」
真咲を中心にした円上、ふわり、と塵が舞い上がったかに見えた瞬間、圧倒的な力が空間を満たしてその場の人と言わず廃材と言わず、全てを壁に叩き付けた。
全て、一分に満たない間の出来事だ。
最上級のサイコキネシスを有しながら、真咲は滅多とそれを使う事をしない。
「非常時、だからな」
と誰にともなく言い訳めいた発言で、真咲は一人、難を逃れてぺたりとその場に座り込んだ少年を見下ろした。
「どうする? 仇なんだろう、俺は」
言われて少年は我に返ったのか再度、真咲に銃を向け……ようとしたが、震える手に銃を持ち上げる事も適わず、くしゃりと顔を歪めた。
「もう少し腕を磨くんだな。そんな腕では俺は殺せない」
最早腕以前の問題だが…真咲はひとつ、息を吐いて身を屈め少年の手から銃を取り戻す。
掌に馴染んだ重みと質感を手に、胸中の安堵を自覚する。
(『死神』か)
死を与える道具が身に最も近い、ならばそう呼ばれるが自然かと自嘲の笑いに続けた。
「それと人を見る目を養う事だ。それが身についたなら……その時は俺を殺しにくるといい」
言ってへたりこんだままの少年をそのまま残し。
真咲は廃屋の出口へと足を向けた。
外へ出れば、朝焼けによく似た色で沈む陽が眩しく、真咲は手を翳して低い位置の陽光を遮った。
それにぽたりと手から落ちた軽い感触に目をやる…乾いた砂に赤い、血だ。
手の内に握り込んだ鉄片、薬に揺らぐ意識を痛みで研ぎ澄ましたそれは錆びた金属に抉られて思ったより深い傷になっている。
無力感はいつでも絶望に似る。
助けられなかった、力が足りなかった。どれだけ強い力を持とうと、懸命に伸ばした手が届かなければ、意味がない。
それは悔いてしまうにはあまりに深く、嘆きに逃げられぬ程に確固たる、忘れ得ぬ真実として真咲の内に痕を残す。
胸の内に燻る感情に苛立ち、真咲は襟の内側エンブレムを模した小型の発信機を指で弾いて一度、装飾の一部に紛れたライトが点灯し、機能した事を確認する。
通信は出来ないが、電波を拾えば誰かが迎えに来るだろう。
煙草を吸えば、この苛立ちも多少はましになるかも知れない。
重度のニコチン中毒者は、迎えに来る筈のメンバーの心配も余所に、煙草をせびる事だけを考えるに意識を切り替え、歩き出した。
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