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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


イノセンス・ノワール/後編


■少し前■


 …その場は意外な程あっさりと治まった。
 エウメニデスの正体であろう少年が、ひとりの男を殺した、直後。
 目に見えて周囲の連中が怯んだからだ。
 白神空やクリストフ・ミュンツァーも積極的に戦闘に参加してはいた、いたが――その明らかな実力の差から、全力でとは到底言い切れないやり方で叩きのめしているのみだった。やられた方もすぐには立ち上がれないだろうが、それでも深刻な怪我は無い程度。
 そんな中、エーリッヒ・ツァンと来栖コレットが庇う中から飛び出して、いきなり為された少年――エウメニデスの行動。
 ち、と舌打つクリストフがすぐに少年の元へ走ったが、ひとりを葬った後はわざわざ横から制止しようとするまでも無く立ち竦んでいるのみで、動かない。少年は自分が何をしたのかわかっていなかったようでもあった。
 周囲の、貧民街の連中も、呑まれたのか動かない。
 …そこに、声が響いた。
 貫禄ある低い声と共に現れたのは、『審判の日』にも立ち会っただろう年の、ひとりの年配の男性――爺さんと言ってしまっても特に文句は言われそうに無いような――で。
 彼の登場によって、怯んだ連中の戦意は、途惑いながらもぽつぽつと消えていた。
 その年配の男性、貧民街の側の人物である事は、纏っているぼろぼろの衣服からして確かなようだった。
 だが何か、毛色が違う。
 …そして彼は静かに告げた。


 ここにはもう来ないでくれ。
 これ以上、お前さんたちは襲わせん。
 その子にはかわいそうな事をした。そうは思うが…それに関し、俺たちには何も出来ない。
 俺たちも今、こいつが殺された事は――構わん。
 これは、こいつら自身の、罪だろう。…そもそもこいつは未登録だった筈だ。連邦の厄介にはならんさ。
 グリゴールの事もあの夫婦も俺が何とかする。
 だから、構わんでくれ。


 と。
 …それっきり。
 年配の男性は無防備に後ろを見せ、戻って行った。
 少年ら――空もクリストフもエーリッヒもコレットも――は放り出されて、彼らを襲っていた連中も武器を捨てて引っ込み始めている。安堵した様子の者もいれば渋々と言った様子の者もいる。ともあれ、戦意が消えたのならば、空もクリストフもこちらから手を出す理由はなくなる。未登録と言われれば殺されたどころか生きていた記録さえもない事になる。…どうしようもない。
 取り敢えず場を預る必要はあるが、結果どう扱われるかは別の問題だ。
 …貧民街の連中も、どうも、一枚岩では無さそうな印象が見える。今のあの男性もまた、纏める立場に近い人間なのか。


 その後。
 事に、緊急性があると判断したのか、クリストフはエーリッヒを一旦引かせる事にした。
 貧民街の顔役夫婦の身元や家族構成を――今現れた男性や、エウメニデスらしい少年の事も、改めて、調べさせる為に。これ以上、曖昧なままでこの件を置いておいたら、早晩、今以上に良からぬ事が起こるだろうと判断したらしい。
 …そもそも、既に、ひとり死んでいる。



■エーリッヒ、帰還■


 …クリストフに言われ、エーリッヒは本部に戻っている。戻るなり、同僚への挨拶もそこそこにコンピュータの内部に収められている膨大なデータベースに向かい合っていた。
 エーリッヒの正面、コンピュータとの間――入力装置の僅か上、重なるように中空にぼうっと形成されている基盤らしきもの、その上で光の粒子が縦横無尽に飛び交っている。エーリッヒの【マシンテレパス】。それでデータベースに直結し、【記憶読破】で自分の得た情報と突き合わせてみている。尋問時に読み取った貧民街の者の事。顔役らしい夫婦の事。最後に出て来た年配の男性。場所が場所だから未登録である可能性も否めないが、一致する者が見付かる可能性があるのなら。
 不規則に明滅し、基盤の上を踊る光の粒子。エーリッヒが検索した結果を表示する時。俄かに光が集まり停止する一点。その時に結果がエーリッヒの頭の中に流れ込んでくる。
「…息子さんがひとりいる――いた?」
 貧民街の顔役夫婦――名前の登録はない。ただ番号と存在だけが登録されている、未登録一歩手前な市民。恐らく一般人であったなら未登録だったろう。…過去、エスパーが重点的に狩り出され記録された時期がある。これはその時のものらしい。番号と存在だけ、それでも見た目、つまり写真や形質的なプロフィールはデータベース内に載っている。【記憶読破】で読んだ中で見た顔より若いが、同一人物と確認は出来る。そして、彼らに実子一名。…但し、その子の記録は十年以上も前の赤ん坊の記録でしか存在しない。となれば顔で照らし合わせるのは無理だ。使うならば他の要素。――取り敢えずこの年代で赤子であるなら、年頃は符合している。
「これがあの子な可能性は…」
 思いながらエーリッヒは続ける。自分自身がこの目で見た少年の顔。砂色の髪と瞳と肌。年の割には鍛えられた身体が特徴と言えるか。データベースの海を探る。【記憶読破】で見せてもらった少年の断片的な記憶。殺し屋であるエウメニデスの名――エウメニデスの情報と少年の形質とは見事に一致しない、と言うより殺し屋のエウメニデスに対しては全然別の、ある意味見当違いとも言えるプロファイリングがされているのでこれはむしろ参考にしない方が良いかもしれない。ただ、そのエウメニデスと言う名前の出典は確か古来の神話――ギリシア神話から来ていた。特にギリシア悲劇の『オレステイア』だったか、それに出てくる、父の仇としての母殺し、をしたオレステスを責めたてる者がエリニュス。フリアイとも呼ばれたか。そんな名前と同じ意味、怒りに触れないようにと婉曲表現で呼ばれるのがエウメニデス。それは血の絆を踏み躙る者、特に母殺しは許さない復讐の女神たちの名前。
 確か、ギリシア神話に於けるある意味特別な存在でもある豊穣の女神――デメテルの復讐者としての異相と言う解釈もあったか。
 そんな事を考えていると、程無く全然別の場所から少年の顔が検索される。エーリッヒはあっさりと『当たり』が出た事に俄かに驚いた。データベースによればこの少年は素性形質からして確りしている。登録名はシナ、出身は東欧――旧ルーマニアだかブルガリアの辺り、家族構成は両親に姉ひとり――但し、すべて死亡が確認されている。親戚も同様。ならばあの少年は元々天涯孤独と言う事か。…取り敢えず貧民街の夫婦とは血縁関係は無さそうだ。念の為先程の夫婦のプロフィールと遺伝子からして照らし合わせてみるがやはり全然一致しない。
 ただ。
 少年とその家族のプロフィールに、何故か特記事項として『異名』が付いている。当人にはエリニュス・ストゥーピッド、姉にはメライナ、母にはデメテル…少年当人を除けば女系の家族にのみ。何なんだろうと疑問に思いエーリッヒは更に探る。異名の理由。どうやら解離性人格障害とされているが――つまりは『遺伝する別人格』があるらしいと書かれており、それも女系にのみ表れるものとされていた。それらに対して特にコードネーム的に付けられている名前らしい。
 今時で公式文書にもそんな名前が記される一番信じ易い説明はそれがエスパーの力だと言う事になるが、これの場合はどうもそうとも言い切れないよくわからない部分があるらしい。…少年の家族はそれに関係して殺害されたとも記載してあった。何らかの不法な実験の対象にされたと言う事らしい。そして残されたのが少年ひとり。少年、つまり残っていたのが男の子であった為、以後は何処からも興味を示されていない。そして出来上がるのはありふれた浮浪児のひとり。
「…でも、この説明なら…どうしてシナ君にだけ――お姉さんやお母さんと同じ系統の異名が」
 女の子じゃなく、男の子なのに。
 けれどエウメニデスの理由は掴めた気がする。異名がエリニュスとなれば――そのまんまではないか。
「解離性…つまり多重人格、そのせいで【記憶読破】が出来なかった事も有り得るのかもしれない」
 それでも、何故そんな経緯の少年が貧民街の夫婦を狙うかはわからない。…貧民街と少年との接点、それはやはりグリゴールになるのか。
 エーリッヒは少し考えてから、調べる方向を変えてみた。関係者――グリゴールの名。少年が来栖さんに無意識で懐いているらしい事――そこに関してミュンツァーさんが出してきたアザゼルと言う人の名前と立場。
 白神さんが情報屋さんから聞いて来た通り、グリゴールはそれ程徹底した秘密主義と言う様子も無い。ここのデータベースにもある程度放り込んであるくらい。
 グリゴール首領、通称アザゼル。登録名は不明。男性。サイコキネシス系エスパー、但し能力の詳細は不明。赤く錆びたような色の、少し長めのショートの髪に黒と見紛う藍色の瞳、それと白い肌。素性不明、よって十四程度と年齢は暫定。他、主要幹部――軍事面担当、通称サタナエル。登録名は不明。女性。実年齢不明、外見年齢九〜十歳程度の軍事用オールサイバー。プラチナブロンドの髪をアザゼルより少し長い程度に切り、黒レザーのライダースーツで全身を固めているのが目立つ。特に際立った装備――特殊なサイバーパーツは無いようだ。――通称シェムハザ。登録名は不明。男性。サイバー技術のエキスパート。グリゴール所属の闇サイバー博士でもあると思われる。形質データ年齢データ共に無し。素性不明。
 …グリゴールの構成員の場合、殆ど素性は不明だが現時点の見た目や装備の類の情報は比較的新しく、詳しい。遺伝子データまで平気で入っている構成員――首領さえも――も居る。時折データがすっぱり無いところもあるが、さすがに開けっ広げには出来ない部分もあると言う事か。明かされているものがすべてだと思ったら痛い目を見そうである。何と言うか、明かすべきところとどうでもいいところ、隠すべきところが徹底している部分があるようで。
 エーリッヒはアザゼルの外見や名前、エスパーであると言う情報から、他の場所でも同一人物が探り出せるか見に入る。先程の少年自身を探りすぐ出たような、全然関係の無い場所から拾えるか――見当たらない。念の為先程の夫婦のプロフィールから取り出した遺伝子を照らし合わせてみる。一致しない。
 ならば他の幹部は。少年との、貧民街との接点がありそうな。グリゴール絡みの最近のニュース。死亡した幹部の存在――死亡した幹部?
 引っ掛かったエーリッヒが取り出したのはつい最近死亡した幹部ことペネムエの情報。グリゴール幹部、通称ペネムエ。登録名は不明。男性。非常に弱いながらもテレパス系エスパー。算術・語学のエキスパートとも言える。外見は――淡い栗色の髪と瞳。白い肌。特に目立つところは無いが、グリゴールと言う名には相応しく無いと思える程に瞳の光がとても優しいのが印象に残る。素性不明、よって十二程度と年齢は暫定。死の理由は明かされていない。
 そしてエーリッヒはこの人物もまた、先程のように夫婦のプロフィールにあった遺伝子からして照らし合わせてみる。…今度ばかりは何か、予感はあった。
 ――照会の結果、血縁者…親子関係である可能性、九十九パーセント以上。
 次いで、彼らの実子である赤子のプロフィールにある遺伝子と合わせてみたところ――完全に、一致。
「…聞こえていますか、ミュンツァーさん」
 エーリッヒは自分の耳に手を翳す形に当てている。
 ………………情報の検索とほぼ同時進行で成されていたのは、クリストフとの【遠距離会話】。



■遭遇■


 走る姿が道にある。憂いある顔立ちの少年。エスパーコマンドの服を纏っている姿。エーリッヒ。
 …シナ君、大丈夫だろうか。
 少年――登録名ではシナ君――はショックを受けていた、自分が為した事に。自分の記憶が無い事も追い打ちを掛けたか。
 とにかく、エーリッヒは一旦帰されたものの、急いで一行の後を追い掛けている。
 心配なのだ。少年が。
 コレットの【過去見】であった件、テレパス系の攻撃を受けていたらしいと言う話。エーリッヒは自分は戦いは出来ない事は自覚している。けれど――それはあまり役には立てないかもしれないけれど、そんな力が絡んでいるのならば――何かあれば干渉する事くらいは出来るかもしれない。自分もテレパスなのだから。
 そんな思いがある。
 人の減っている街並み、エーリッヒは走っている。
 と。
 前方に、自分より幼いくらいのふたり連れが何やら話しつつ歩いているのが視界に入った。
 それも。
 ふたり共に先程データベースで見た顔そのまんまである。
「あっ…貴方たちはっ」
 思わず声を掛ける。と、瞬間的にその片割れ、プラチナブロンドと黒を靡かせる影が消えた――と思ったら、その影はエーリッヒのすぐ傍に佇んでいた。…印象ともあれ、エスパーコマンドと見ての警戒か。
 同じタイミングでもうひとり――赤く錆びたような色の髪の少年がエーリッヒを見る。
「連邦の方が…何か御用ですか?」
「あ、あのっ…グリゴールのアザゼルさんにサタナエルさんですよね? 僕はエーリッヒ・ツァンと申します…っ…えと、エウメニデスって呼ばれてるあの子…御存知ですよね…っ…はぁ…っ…」
 がくりと膝に手を付き、息切れを起こしつつもエーリッヒはそこまで問う。コレットへの少年の懐きよう、そこからして――ひとまずは敵ではないと見て良さそうな相手。それでいて接触して話を聞くべきだろうと思った相手。クリストフとの【遠距離会話】でそのくらい直に確認した方が良いと言う結論に落ち着いた――。
 エーリッヒの口からエウメニデスの名前が出た瞬間、ふたりの空気ががらりと変わる。
 やはり、敵ではない。
「ちょっと落ち着いて下さい、詳しく聞かせて頂けますか」
 アザゼルがそう告げるのと同時にサタナエルの方からも取り敢えず警戒は消え、息切れしているエーリッヒを宥めるように背をさすっている。


■■■


「…カガリさんのところを出てからエリニュスの事が聞けるとは」
 でもまさか、記憶を喪っているとは思わなかった。
 はぁ、と息を吐きつつアザゼルは呟く。…それならばアザゼルらの知る限りのエリニュスの心当たりを探そうと、捕捉しようがないのも頷ける。エウメニデスとして動くタイミングを考えるにも、掴み難い筈だ。
 一方のエーリッヒはカガリの名が出るなり弾かれたようにアザゼルの顔を見遣っている。
「カガリさんって…天才博士の御前崎カガリさんですか」
「…他に居ますか?」
「いえ、良くはわからないんですが…その方のところに行くには」
 あの子を保護してる連れが、そこに向かうと先程連絡があったんで――。
 エーリッヒの科白に、そうですか、とアザゼルは静かに頷く。
「…我々はちょうどそこをおいとましたところですよ。場所は――それ程ここから遠くはない場所ですが」
「ひとまず先に連絡を入れておきましょうか」
「頼む」
 言われ、無言で頷くとサタナエルは携帯していた小型無線を取り出し、電波を合わせると短いやりとりを重ねている。カガリのところにも無線はあるらしい。それも、サタナエルの持つこの小型無線機で電波が届く範囲――確かに近いのだろう。
 その間に、エーリッヒも【遠距離会話】を再び発動した。アザゼルとサタナエルに遭った事、今からこちらもカガリさんのところに向かいます、とクリストフに送り込む。
 その様子を見ていて、アザゼルはおもむろに口を開いた。
「貴方の能力はテレパスですか」
「はい。すぐに会話を繋げる事が出来ます」
「そうですか。…ところでエーリッヒさんと仰ったか、貴方は我々を御存知のようだが――改めて名乗っておきましょう。俺はアザゼル。グリゴールの代表をしています。そして今無線を使っているのがサタナエル。巷の噂――つまりは予告の通りに貧民街のボス夫婦を殺す前に、エウメニデスを――エリニュスを止めたいと思っている者ですよ」
「それでしたら、今はミュンツァーさん――僕の上司に当たるサイバー騎士なのですが――が一緒に居ますから大丈夫だと思います。…ただ…既に今の時点で…他の者を殺してしまってはいますが…」
「他の者?」
「貧民街の未登録市民の男性ひとりです。あの子、記憶が無いままに凄いマーシャルアーツを見せて…不意を突かれてしまって」
 止められませんでした。
 でも、今は彼がそう言う危険な力を持っていると言う事がわかりましたから、ミュンツァーさんがいる限り、次は無いと思います。
 悲痛げなエーリッヒのその話に、アザゼルは、ふむ、と頷く。
「…記憶が無くて…ティシポネが出ましたか」
「ティシポネ…って神話のエリニュス女神のひとりですよね?」
「彼の、体術を使う人格に便宜上付いている名前です。エリニュスはあの身体の使い方が一番慣れている」
 体術ならば、鍛えれば鍛えるだけ動けますからね。使い易いんですよ。
 となると、喪われたと言うのはティシポネ以外の部分になりますね。
 アザゼルはひとりごちる。
「…ところでエリニュスってさっきから呼んでらっしゃいますが…名前はシナ君じゃないんですか」
 登録ではそうなってましたが。
 エーリッヒにとっては素朴な疑問。
「シナ…ですか。そんな名前も持っているんですね。ただ、少なくとも我々はシナと言う名前は聞いていない。それに、当人もエリニュスで通す気でいますよ――ああ、いた、と言った方が良いのかもしれませんね。記憶が無いと言う事は」
 …記憶を喪う前までは、エリニュス・ストゥーピッドとしか名前は聞いていませんよ。
 そこまで話した時、漸くサタナエルが通信を止め戻ってくる。
「…置いて来た写真と一致する子が来たら、連絡を下さるそうです」
 留め置いて下さるとも仰ってました。
「有難う」
 労うアザゼルに、サタナエルは無言のまま目礼する。幼い少女の姿。それはサイバーともなれば実年齢はどうかは知れないが、その姿でここまで表情が動かないとそれだけでも少し怖い印象がある。眩しいくらいの髪の色と黒レザーのライダースーツ、と言うある意味威圧的な印象を与える衣装もその理由の一端になるか。軍事面を担当するとデータベースで見たのも理由か。
 ともあれ、今ここに居るのがグリゴールの頭脳部分の一部である事に間違いはない。
 ならば。
「…あの」
「何か?」
「ひとつ事前に伺いたい事があるんです」
「実際にエリニュスたちと合流する前に、ですか?」
「はい。…そちらで死亡した幹部――ペネムエさんの事です」
 その科白に、またふたりの空気ががらりと変わる。が、怯む事無くエーリッヒは続けた。
「シナ君――と言うよりエリニュス君と呼んだ方が良いんですね、彼が個人で貧民街のボスを狙っているのは、ペネムエさんが関ってたりするんですか――」
 と。
「…失礼します、孔雀さん」
 殆どエーリッヒの問いを遮るタイミングで、サタナエルはそう告げると――彼女の言う孔雀さん、と言うのはアザゼルの事らしい――その場を少し離れつつ小型の無線機で再び通信を始めた。何か急な連絡が入った様子。
 エーリッヒとアザゼルはその姿を目で追う。
 と、通信を取ったまま、程無くサタナエルはアザゼルを見返した。
「…野盗が出たそうです。貧民街有志の連中だとうちのが確認しました。ボスの夫婦も居るようです」
 そのまま淡々とアザゼルに報告する。
「え!?」
 エーリッヒは俄かに驚く。
 何故なら――エリニュスがひとり殺してしまったあの場を治めた年配の男性を信じるなら、今のこのタイミング――あれからそんなに時間が経っている訳でない――でそんな事をするとは思えない。
 が、サタナエルはエーリッヒの驚きも気にせず、淡々と続ける。
「…で、位置関係は…今居るこの地点からの距離はどちらもあまり変わりませんが、どちらへ向かってみますか? 恐らく野盗の方に張り付けば今ならエリニュスは現れる。このままカガリさんのところに向かうより可能性は高いかもしれませんよ。…エーリッヒさんの仰る話が確かなら」
 最後に振られ、エーリッヒは驚きサタナエルを見る。と、記憶が無いと言っても、ティシポネが出てきて、それも役割を果たせるまでに動けているのなら――『記憶が無くとももう身体が動きます』ときっぱりと言い切られた。
「むしろ記憶が――大事な何かが欠けているのなら――逆に、何処でどう動き出すか見当が付け難い筈ですから」
 サイバー騎士…年季の入った軍事用オールサイバーでも咄嗟の判断が出来るかどうか。殺意も何も無く動き出す可能性もありますし。お話を伺う限り、今のエリニュスは恐らく人格の統制が取れていない。
 そんなサタナエルの言を聞き、エーリッヒはアザゼルの顔を見る。
 アザゼルは静かに頷いた。
「…今、ペネムエとエリニュスの関りを訊きましたね。確かにエリニュスが貧民街のボスふたりを狙って動いているのはペネムエが理由ですよ」
 エリニュスをグリゴールに連れて来たのはペネムエですから。…エリニュスはすぐに馴染みましたよ。俺も新しく弟が出来たようなものでしたしね。特に、ペネムエとは一番仲が良かった。親友と言って良かったと思います。…組織の利害に絡まない相手として唯一相対せる人物でしたし、ね。
 彼の異名である『エウメニデス』こそが予想外だったんです。エリニュスがうちに来た時点では――ペネムエが連れて来た身寄りの無い子、ってだけでしたから。勿論正体は知りませんでした。…知ったからと言ってその時驚いた以上の事は何も無かったんですが。特に利用する気もありませんでしたしね。
 そもそも、もし何か『仕事』が出来たとしても、ペネムエがさせなかったでしょうし。
「…そこまではこちらも納得済みで、全然構わない事だったんです。ですがね、ある時――そのエリニュスの後見的立場だったペネムエが、ちょっとした情報を仕入れて来て貧民街と接触を試みた――つまりは、通じたんです」
 …それでペネムエの立場が変わって来た。エリニュスも敏感に感じとっていたんでしょうね。
 きな臭くなってきたんですよ。
「ってそれは『あのボスがペネムエさんの実の御両親だから』じゃないんですか! だから、接触…通じたって――裏切りじゃなく、何か他の――」
 そう、例えば――白神さんが言っていたと言うような。
 敵対では無く。同盟関係を持とうと、繋がろうと考えたのでは――。
「知っていますよ。そんな話があったのもまた事実です」
「――!」
「ですがそれは『実現しなかった』事でしかありません。今現在、連中はこちらの出した話をすべて裏切りました。ペネムエが甘かったんですよ。血の絆を信じ過ぎた。…『自分たちが捨てた者』を今になって信じる度量は無かったんですよ、あの夫婦は」
 それも、自分たちが捨てたその子が――今はグリゴールの幹部になっている。…そんな子が、今更になって自分たちを助けるような事を言って来たとしても、復讐の布石か何かだとでも思ったんじゃないですか。
 ペネムエの方は本当に信じていたんですがね。…助けられれば、過去に捨てられた自分でも愛してもらえるかもしれない、と。貧民街の者の中にも、ボス夫婦との血の絆からか、ペネムエを信じていた者は居たようですが…一番信じて欲しい両親からは一番手酷い裏切りを受けた。
 そして、裏切ったその両親は――貧民街の『代表』です。…だから、それが貧民街の答えになるんですよ。
「…元々、我々もペネムエの行動を積極的に受け入れていた訳では無かったんです。どちらかと言えば止めた方が良いと思っていた。この件に関してはすべてペネムエに任せていましたからね。彼次第だったんですよ。貧民街を本当の意味で引き入れられるか、否か。それによって彼自身の扱いは変わる。引き入れられれば功労者、出来なければ――裏切り者。ペネムエ自身も納得していましたよ」
 ただ、エリニュスは納得していなかった。
 …彼はグリゴールの構成員ではありませんでしたから。
「ペネムエは自分自身がリトマス試験紙だと納得していたんです。最低最悪の結果としての『死』は充分予想の範囲内にあった。けれどエリニュスは納得していない。だからペネムエを殺した相手を赦せなかったんでしょうね」
 そして、我々がその相手を知っていながら――『ペネムエを殺した』と言う意味ではその相手に対し怒りを見せていない事も。
 エリニュスがグリゴ−ルから飛び出す原因になった。
 …そして起きたのが『エウメニデスの殺人予告』とも言えるこの『噂』です。
 そこまで話すと、アザゼルは一旦言葉を止め、目を伏せる。
「我々との対話を終わらせたのは貧民街です。ペネムエの殺害で連中は答えを出しました」
 次は我々が答えを返さなければならない――例え親友を殺された仇だとしても、『エウメニデスに横槍を入れられてしまっては意味が無い』。
 アザゼルは静かにそう告げる。



■血の絆/友の絆■


 到着した建物――店には先程見かけた貧民街の者と同じ傾向の者が居た。見つけるなりサタナエルが走っている。悲鳴や唸りのひとつも漏らさせない内にサタナエルは連中の動きを無効化していた。手当たり次第に止めている。
 そして店の奥。
 中に居るのはエリニュスにクリストフ、空にコレット――その店の店主らしい小男が隅で震えている。件のボス夫婦。他、貧民街の連中が武装してそこに居る。…幾らか戦い慣れた者が集まっているらしい。


 そこに。
 乱暴に人間がふたり投げ込まれた。痛め付けられた貧民街の者。投げ入れたのはプラチナブロンドに黒レザーのライダースーツの対比が目立つ幼い少女――グリゴール幹部、サタナエル。
「そこまでだ」
 無言のままの彼女の行動の後ろから発されたのは良く響く声。
 赤い髪のグリゴール首領、アザゼルの。
 更にそのアザゼルの後ろに――庇われるような形で、エーリッヒの姿も現れた。
 その場に居た者の視線が集中する。刹那、女が身を翻して影に――入って来たのとは別の扉が比較的近くにあった――その向こう側に消えた。ヒィイッ、と腰を抜かした店主が悲鳴を上げる。そちらを宥める声を掛けつつ、女を追おうとするクリストフ――そしてエリニュス。刹那の判断で空にサタナエルもそれに続いた。
 残された者は方向を確認する。扉、廊下の位置、裏口か。その間にコレットの姿も消えているのにいったい何人気付いたか。ぱらぱらと追う者が出る。新たに来たエーリッヒやアザゼルを警戒する者もいる。倒された者――特にボスの男の方に声を掛けている者もいる。アザゼルはその、仲間らしい者に声を掛けられ、床にめり込むように倒れているのが件のボスの片割れだと気付くなり冷笑した。
「良い様だな」
「アザゼルさんっ!」
 あまりの言いようにエーリッヒは思わず声を荒げ男を庇う形に入り込む。グリゴールが貧民街のボスをどう扱うか――最悪の可能性が一番高い。
 と、アザゼルはエーリッヒの態度に小さく肩を竦めた。
「そんなに警戒なさらず。連邦の方の前で人殺しをするつもりはありませんよ。そもそも今日はあの子を止めるのが目的で来たんですからね」
 余計な事で目を付けられてはどうしようもない。
「…」
 途惑いながらもエーリッヒはアザゼルの顔を見る。
 アザゼルは静かに頷いた。
 そこに。
 ………………残っていた貧民街の者の銃口や切っ先が一斉に向けられた。


■■■


 暗い廊下の先、転がっているのは貧民街の者。誰が潰したか――後から来た者?
「――逃げてもムダだよ」
 考えつつ逃げる女の真正面で銃を構えていたのはコレット。いつの間に現れた。【時間停止】。その時間に連れて行かれなかった者にすれば瞬間移動としか思えない動き方。絶対に置いて来ていた筈の赤い髪の少年がそこにいる。赤い髪。不吉の印。…それは異端などと言う象徴的な意味合いでもなんでもなく、女にとっては『グリゴールのアザゼルと同様の髪の色』その意味だけで不吉過ぎるくらい不吉になる。初めから負い目がある。恐怖心がある。『そこで赤い髪の子供が自分に銃を向けている』。女は思わず足を止めた。
 そこにクリストフと空が同時に走り込んで追い付いていた。同時だと気付くなりふたりは女を確保しようとしたそこから一旦離れ、構えて対峙する。
「どうしても邪魔するんだね? クリストフ」
「例え仇討ちでも。…殺してはいけない。公の裁きを受けさせる」
「んじゃあいっちょやりますか」
「…仕方ないね」
 短く言い合うなり、空とクリストフは同時に動く。狭い中で互いに攻撃を仕掛け弾き、打ち合うがほんの数瞬で白銀と黒の素早過ぎる動きが膠着した。…互角か。
 けれど空の余裕は変わらない。
 何故なら…こうやって邪魔者を止めている間にエリニュス本人が動ける。
 そして女の方の動きはコレットが止めている。
 即ち、御膳立ては整いつつある。
「…く」
 視界を横切り、僅か遅れて走り込んで来たエリニュスを見、クリストフは焦る。それは幾らサイバーとしての超人的な力があろうが、相手が相手。これでは純粋に手数が足りない。
 と。
 そこに飛び込むように現れたのは黒い小柄な影――サタナエル。彼女はエリニュスではなく女の方を狙って動いていた。サタナエルの腕が女を掠めた瞬間、女の身体が倒された。次いで達したのがエリニュスの拳――但し、女が倒れなければ達していた位置と注釈が付く。つまりは透かされ、エリニュスは何も無い位置に着地した。
 が。
 倒れた女は起き上がらない。
 クリストフは声を荒げた。
「サタナエルさん…っ!」
「殺してはいません。連邦の方の前で人殺しをする訳には行きませんから」
 気絶させただけです。
 静かに言い、サタナエルは一旦透かされたエリニュスを見る。コレットに近い位置に居る。と思ったらコレットの姿が一瞬消えていた。次にその姿が同じ場所に現れた時にはサタナエルの肩口、関節部、至近距離に銃弾があった――と思ったらその瞬間に直撃している。ほぼゼロ距離からの比較的弱い部位への狙撃。軍事用オールサイバーの装甲でも衝撃のひとつやふたつはさすがに来る。咄嗟に動けない。その隙にエリニュスは再び倒れた女の元へ疾駆する。邪魔する者は届かない。エリニュスが女の脇で立っていた。冷たい目で見下ろしている。自分どころかサタナエルの位置でも追い付けない――クリストフがそう思った時。


「血の絆を踏み躙ったのは――『母』の方だ! それでも君は動くのか!?」


 咄嗟に口に出た言葉。
 クリストフのその科白が、耳に届いたその時に。
 ………………砂色の小柄な身体から、引き裂かれるような絶叫が木霊した。



■帰着■


 …片付いているとは御世辞にも言い難い部屋で。
 凄まじいノイズが途切れ途切れに響いている。
 相当の電磁波をも放出しそうな威力の改造無線。それが部屋の一角にある。
 その無骨な無線機の端末で、誰かと連絡を取っているのはひとりの少女。
 何処ぞの制服のような服装の、無愛想な。
「…そ。見付かったんだ。決着も付いたんだね」
 淡々と返す声には何の感慨もない。
「わざわざこちらにまで連絡をくれるとは律儀だね。うん。…結局私は何もしてないし。話を聞いて頼まれただけで何の結果も出してない。…それでもそんなに気になるんだったら後でニスロクの店で丼物の一杯でも奢ってくれればそれで良いよ」
 最後、再びザザッ、と音が膨らみ、消える。
 少女は通信を終えた端末を置いた。
 通信を切った少女――カガリは、先程置いて行かれた写真をふと手に取る。
 朗らかな少年。砂色を纏う、エリニュス・ストゥーピッド。
 カガリはそのままで暫し見ていたかと思うと、その写真を指先で弾くように放り出す。
 はらりと空を舞い、音も無く写真は床に――ガラクタの中に、落ちた。


 ――それっきり、もう何の興味も向けられる事はない。


■■■


 部屋の外まで声は聞こえた。
 エリニュスの絶叫は、家屋の奥の部屋、残されたエーリッヒらにも届く。エーリッヒとアザゼルに銃口を向けていた連中も何事かと俄かに動揺した。
 刹那。
 しゃがんでいて下さい、とアザゼルに小さな声で言われ、エーリッヒは何事かわからないながらも咄嗟にその場に屈み込む。それを確認したかしないかと言うタイミングで、アザゼルは両腕を大きく薙ぎ払うように動かした。【ソニックブーム】? エーリッヒは咄嗟に思うが効果が違う。何処か凶々しいものさえ思わせる黒いプラズマを纏ったアザゼルのその腕が銃や剣に触れるか触れないかと言うところで、銃や剣の方が唐突に形を無くした。砂で作ったものが壊されるように、解けるように崩れている。…ぎょっとした顔が周囲に居る。分解されるように半分だけ壊された得物はそれこそ何の使い物にもならない。否、こんなものを見てしまったら、この相手を何かで攻撃しようと言う頭がなくなる。
 そして。
「…行きましょうか、エーリッヒさん」
 今為した事など気にせず平然と言うアザゼルに、エーリッヒは茫然としている。


 …血を吐くような叫び声。
 悔しくて堪らないとでも言いたげな。
 そんな叫びを発していたのはエリニュス。
 倒れた女の傍らで。
 ………………殺すどころか、触れられもしないままに。
 見ている者は何が何だかわからない。
「…君の『力』は…そう言う事なんだね」
 あまりの反応にさすがに一時驚いたが、すぐに納得したよう静かに告げるクリストフ。きょとんとしてその様子を見ている空。何やら戦う理由が無くなったと見て空は取り敢えずクリストフから離れる。クリストフも特に逆らわない。
「ちょ、ちょっと。エリニュス君?」
 コレットはよくわからないながらもエリニュスを宥めようと試みる――が、エリニュスは聞く耳持たないと言う感じで。嘆きが強過ぎて周りが見えて、聞こえていない。
「…どう言う事なのよ、これ?」
 空は頭の中に疑問符だらけ。
 受けてクリストフが答える。
「神話の――特に古い方の伝わり方から思い付いただけだよ。…エリニュス女神は豊穣の女神の復讐者としての異相、の方からね」
 …簡単に言うと、エリニュスが復讐者として反応するのは女系の家族限定なんだよ。
 特に『母親』の代わりに復讐する者。
 古代にあった、母権の守り神…とでも言うかね。
「…その名前が異名として冠されている事、エリニュス君の…シナ君の家族にあった――これもエーリッヒが調べた中にあった事だけど――『女系の家族にのみ現れる』本人以外の人格がある、って部分から考えて、ひょっとしたら…程度の駄目元で指摘してみたんだけど」
 エリニュス君が『エウメニデス』として動いている――動けているのは、ひょっとしてこの『女系のみに表れる筈』の人格を持っていたからなんじゃないかと思ってね。
 クリストフのその説明を受け、サタナエルは静かに続ける。
「そんな伝わり方もあったんですね。…確かにエウメニデスは『母殺し』に特に反応します」
 エリニュスの『力』が本能的に追い立てるのは『母殺し』だけなんですよ。うちの構成員でも母親が殺され孤児になったような者が大勢居ます。エリニュスがそれを知ると凄い怒り方をするんですよ。…更には全然見当も付かなかった筈の犯人さえも何処からか探して来ます。…反面、父や男の肉親が殺された者に対する場合、それ程の反応は無い。気の毒がりはしますが、そこまでの目立った反応は無いんです。
「ですが、さすがにそれを指摘しただけでエリニュスが止まるとは思いませんでした」
「…辛そう、だけどね」
 クリストフはエリニュスを見ながら言う。
 と。
「『感情』では友達の仇、でも『力』は振るえない」
 だったら、と空は――漸く叫ぶのを止めたエリニュスに歩み寄り、その足許で倒れて動かない女の持っていた自動小銃をひょいっと取り上げ、はい、とエリニュスに差し出した。
「今なら、ちょっとこれの銃口合わせて銃爪引けば、簡単に死ぬよ?」
「…うん」
 頷くが、エリニュスは空に差し出されている自動小銃を受け取ろうとしない。
「いいの?」
 再度言われるが、今度はエリニュスは何も言わない。
 …言わないままで、ぎ、と唇を噛み締めている。
「じゃ、これでやりたい事は完了?」
「…」
 終わっていない。
 けれど、出来ない。
 そんなジレンマ。
 …だから、答えられない。
 そんなエリニュスの姿に、空は仕方無さそうに軽く息を吐く。そして自動小銃を放り出し、【玉藻姫】への変身を解いた。…取り敢えず一仕事終わったと見たらしい。
「じゃあ、もう、エリニュス君は――仇は取りたくても取れないって言うの!?」
 空とエリニュスのやりとりを見、コレットは先程容赦無く銃撃した当の相手にも関らず、訳知り風なサタナエルにそう詰め寄る。が、サタナエルの方もサタナエルの方で撃たれた件についてはあまり気にしていないよう。…結局はエリニュスの為を思っての行動だと判断しているが故か。元々あまり気にしない性格なのか。
「…恐らく。『エウメニデス』に『同じ相手を標的として仕事の依頼』をしない限りは」
 コレットの問いに静かに頷き、サタナエルは淡々と告げる。
 と。
 何処からともなく大型のキャリアが走る音が近付いてくる。近い。壁一枚隔てた向こう側。凄まじいブレーキ音を立てて荒っぽく急停車したようだった。続いて扉が開く音。…数人、降りた。
 程無く人の声が飛んでくる。…気が付けば今の位置関係は店の入口の極近く。
「――無事ですか皆さん」
 現れたのは背の高い二十歳前後の青年と、何故か――貧民街に居た年配の男性。
 そこに。
「…ちょうど良いタイミングでした。エリニュスは諦めてくれたところです」
 エリニュスたちの後ろ、部屋の奥の方から現れたのはアザゼルとエーリッヒ。エーリッヒはエリニュスの姿を見付けるなり慌てて駆け寄り気遣っている。俯く姿に、励まそうと声を掛けているようだった。
 一方のアザゼルは貧民街に居た年配の男性を見上げている。
「御足労頂き有難う御座います」
「…ああ」
 それだけのやりとりを残すと、男性は倒れている女を静かに一瞥し、ひとり店の中へと歩いて行く。
 現れたもうひとり、青年の方はアザゼルと目を合わせると頷き合い、次には皆さんこちらへ、と呼ばわって店を出た。
 そこにあったのは――コンテナ内部が改造してあると思しき大型トレーラー。
 …グリゴールの持ち物と言う訳でも無い。この大型トレーラー、知っている者は知っている――移動する食堂、『ニスロクの店』。
 運転席には店主その人が乗っていた。
「皆さん、どうぞ」
「?」
「…乗って下さい。こんな場所です。用が済んだのなら早めにおいとまするべきでしょう。誰か来るかもしれませんし――って予め連邦の方が居るならあんまりそっちの問題は無いですか」
「どう言う事?」
「御礼ですよ。…言ってしまうとこちらの関係者の逃亡用と御礼用を兼ねてニスロクさんにお店の貸し切りお願いしてたんです。エリニュス探しに尽力して下さった方々の為にね」
 保護していて下さった、と言うのなら同じ事ですから。
「…貴方は?」
「シェムハザと申します。グリゴール側の人間と思って頂ければ」
 青年――シェムハザがそう名乗る間にも、アザゼルは真っ先に大型トレーラーのコンテナに乗り込んでいる。別に警戒なさる必要はありませんよ。このトレーラーもうちの物じゃないですしその持ち主もうちの構成員じゃありませんからね。そう告げつつ。
 エリニュス、帰るよ、とひどく優しい声だけがコンテナの外に残された。
 コレットはそれを聞き、目を瞬かせてエリニュスを見る。エーリッヒに気遣われているエリニュスの姿。改めてトレーラーを見、信じるべきか信じないべきか考えている。サタナエルの態度からしてエリニュスに危害を加える気は無さそうだが――今更になって自分がサタナエルに思いっきり発砲した事に気が付いた――エリニュスの行動を妨げようとしていた事も事実で、他方、エリニュスが自分を懐かしいと思った理由はアザゼルではないかとも取れる訳で――。
「折角だから、いこ?」
 そんな悩んでいる中、コレットにひとこと投げてあっさりとアザゼルに続こうとする空。え、ちょっと待ってよとコレットは俄かに焦るが、これで行った方が後払いきっちりもらえそうだもん、と軽ーく答える空。しかもその手はエリニュスの手を引いている。あ、あの、とエーリッヒも惑っているが、そんな取って食う訳じゃないんだからだーいじょーぶだって。そもそも場所がニスロクの店なら全然問題無いし、とすたすたコンテナの内部へと入っていく。手を引かれているエリニュスも、途惑うような顔をしながらも、抵抗はしない。
「…ま、いっか」
 いざとなったら【時間停止】で逃げれば良いし。
 空とエリニュスがとっとと入って行ってしまったのを、コレットも結局追う事にする。
 次いで、おろおろしながらも、エーリッヒもコンテナに乗り込んだ。…やはりエリニュスが心配、と言う部分が勝ったのだろう。
 最後に、クリストフに向け、どうぞと誘うシェムハザ。
 が。
 彼がそう言う少し前。
 クリストフはシェムハザがサタナエルと微かなやりとりをしているのに気が付いた。
 シェムハザとサタナエルの間で交わされた、損傷は? 問題無い――と言う短いやりとりを。
 しかも、少し考えてコンテナに足を掛けたクリストフを確認するなり、サタナエルは踵を返している。
 瞬間。
「待った」
 当然の如くのその行動――サタナエルを置いていく――に、浮かぶ僅かな疑念。
 クリストフは小首を傾げ、中に居るシェムハザに問い掛ける。
「どうしてサタナエルさんだけ置いていくの?」
「後の事を任せる為ですよ」
「…」
 無言のままでクリストフはコンテナ内に居るエーリッヒを見る。
 エーリッヒの目がサタナエルの姿を捉えた。…【記憶読破】で確認している。
「孔雀さん――アザゼルさんが殺すなと言っている以上は殺しません」
 承知の上か、サタナエルはじっとエーリッヒを見返し、ぽつり。
 エーリッヒはクリストフを見ると、こちらもこくりと頷いてみせた。…嘘はない。
 が。
「…わかった。僕も残ろう」
「ミュンツァーさん?」
「…詰所に連絡を入れておいてくれるかな、エーリッヒ。殺人容疑と野盗の現行犯、サイバー騎士として放っては置けないし。…逆に今のエリニュス君ならひとまず危険は無さそうだし。そっちはエーリッヒに頼むよ」
 クリストフはそう残し、改めてコンテナから降りる。
 が、エーリッヒの出した嘘はないと言うその結論で、自ら残ると言う選択肢が出るとは思わなかったのだが。


■■■


 少し走った先。
 皆を乗せた大型トレーラーは停車していた。
 程無く店としての形が展開される。
 手早く出された料理は食材を活かした物で。野菜にしろ肉にしろ魚にしろ、その時点でかなり珍しいと言える。相当厳選した、自信のある食材を使っていないとこんな事は出来ない。今時、天然でこれを望んだら正直、高望みも良いところである。大枚叩けば食べられると言った問題では無く、そもそも滅多に手に入らない筈だ。
「…これ天然?」
「ええ。合成食材は使っていませんよ」
「…すご」
 驚いて感動しているコレット。コレット程の反応では無いがやっぱり驚いている様子のエーリッヒ。あまり気にしていない空。一方、コレットにエーリッヒの反応を見てきょとんとしているエリニュス。…後者二名はそれ程特別な事とは思っていないらしい。
「これ本当に食べて良いの?」
「どうぞ。…エリニュスも、皆さんも。ちょうど御飯時かとも思いましたしね」
 今回の…エリニュスを保護してくれていた報酬の一端とでも思って下されば。
 と、当然の如くアザゼルは料理を勧める。
 コレットも途惑いながらも手を付けだした。エーリッヒは、それを見てから、フォークだけは取り上げてみる。が、思い切れない。
 ちなみに空は特に途惑う事無く、頂きますと言ってから普通に食べている。
 エリニュスは――食べていない。ちょっと考えてから、他の面子に自分の割り当てを勧めている。…さすがにさっきの今では物を食べる気にはなれないのか。
 勧められた方も、気遣わしげにエリニュスを見てしまう。
 そんな中、アザゼルやシェムハザだけは様子が変わらない。
「…いきなり食事に御招待と言うのも少し不向きでしたかね? …ではそうですね、今後も皆さんは…このニスロクの店で食べる限りは、無償でと言う事で。…ニスロクさん、彼らが来た場合は、いつでもグリゴールに請求を回して下さい」
 さらりと厨房部に向かって言われた科白に、わ、とコレットは驚きの声を上げる。
「え、本当に?」
「はい。そのくらいは」
「…うわ助かっちゃった」
「そうですか?」
「だって、暫く食費の心配しなくて良いって事になるもん」
 それもこれって結構ぜーたくな感じだし。
「暫く…と言う事は旅でもなさってるんですか? でしたら…旅費代わりにある程度の貴金属でも御用意しますが」
「え、いや、悪いよ、そんな、そこまで…」
「いえ。それだけ感謝していると言う事ですから」
「ねーねー、コレットでそーゆー話になるんじゃ、あたしはゴハンだけ、って事はないわよね?」
「勿論です。白神さんにはまた別の何か――流通しているお金や何らかの物資、もしくは一晩のお相手…何かお望みの物がありましたら、言って下されば御用意しますよ」
「わぁお。太っ腹♪」
「どうぞ御自由に、お選び下さい。…エーリッヒさんはどうしましょうか? クリストフさんの分も…」
 そうですね、受け取って下さらないかもしれませんから、連邦に寄附でもしましょうか?
 と、アザゼルは提案する。が、それを遮るようにエーリッヒが口を開いた。
 気になる事がある。
「あの」
「何か?」
「さっきの年配の方…貧民街の元纏め役の方の事なんですが…」
「ああ、それがどうかなさいましたか」
「どうして貴方たちと一緒に居たんですか」
 あの、今回の件――と言うよりペネムエさんの件で、貴方がたグリゴールとは――敵対関係にある相手なのでは。
 エーリッヒがそう問うと、アザゼルは小さく頭を振った。
「仰る通り貧民街とは敵対しています。ですが、『貧民街の者個々人と敵対しているとは限らない』」
 あの人はペネムエを信じた人ですから。
「…あの人にはちょっと覚悟をしてもらったんですよ」
 そう続けたのはシェムハザ。
「貴方の動き方によっては話は変わると。――『我々の同士を殺した者』の『血の贖い』さえあればグリゴールは再び貧民街を向いても良い。同盟を結んでも構わない。今回そちらに流れた物資の行方も問わない。否、力を貸して下さるのであれば今後も付き合わせて頂く事を考える、と説明しました。決めるのは貴方だと」
 とは言え、それだけ託してあの場に丸腰でひとり置いていくのは少々危ないかもしれないと思いまして、見届け役がてらサタナエルを付けました。
 と、シェムハザがそこまで説明すると、再びアザゼルがその後を続ける。
「クリストフさんまで残ったのは予定外でしたが――それももう構わない」
 それ以上はもうこの件に関して何も言わない事にしました。ペネムエの為にも、エリニュスの為にも。
 …貧民街の連中がこの話を受けようが受けまいが構わない。
 それは最早我々の問題では無い。
 だが、受けないのならば――うちの物資がそちらに行った事には、また別の説明を付けなければならなくなる事を覚えておいて欲しい…とは付け加えておきましたよ。
 そこまで告げると、驚いたようにエリニュスが目を見開いている。
 それは、つまり。
 直接では無く別の形ではあるが――エリニュスの望んだペネムエの仇、は。
「やったじゃん」
 に、とエリニュスに笑い掛けるコレット。
 同様、隣に座るエリニュスに軽く肘を突きつつ嬉しそうに笑う空。
「…アザゼルさん」
 茫然とエリニュスが呟く。
「損になる事ばかりでも無いしな。…エスパーを担ぎ上げようとする程強かな連中だ。それにああ言った連中は独自の情報網がある。ある意味『超能力』に近いものだって持っていると言える」
 適材適所、持って来れれば悪くない。
 そこまで言われればすぐわかる。
 …グリゴールの頭から直接そんな条件を出されれば、その話――受けない訳は、無い。


 血の、贖い。
 …つまりは、『敵対する事を決めた代表』を――自分たちの手で始末するのなら、と言う事。


「そんな…」
 ひとり蒼褪めたエーリッヒは咄嗟に【遠距離会話】でクリストフに通話を開く。が、その時帰ってきたのは遅かったよ、と言う苦しい返答。サタナエルを注視しつつクリストフが店に戻ったその先では――既に貧民街の仲間たちの手で、女の方も男の方も、ボスと言われていたふたりは命を奪われていた。元々気を失っていた――殆ど動く事も叶わなかった相手。悲鳴を上げる訳でもない。抵抗も殆ど無いに等しいだろう。…やる気ならば簡単だ。
 エーリッヒはクリストフからその話を聞き、持っていた食器を静かに置く。
 …物を食べる気になどなれない。


 そこに。
「…どうなさいました? 顔色が悪いですよ、エーリッヒさん」
 素知らぬ振りで静かに微笑む深い藍の瞳。
 何でもない事のような態度。
 それらが、薄ら寒く思えたのは気のせいだったろうか。


【終】


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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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 ■整理番号/PC名
 性別/年齢/クラス

 ■0233/白神・空(しらがみ・くう)
 女/24歳/エスパー

 ■0234/クリストフ・ミュンツァー
 男/32歳/オールサイバー

 ■0235/エーリッヒ・ツァン
 男/15歳/エスパー

 ■0279/来栖・コレット(くるす・-)
 男/14歳/エスパー

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 ※以下、公式外の名のある関連NPC

 ■エリニュス・ストゥーピッド
 男/12歳(程度)/殺し屋『エウメニデス』の正体

 ■アザゼル
 男/14歳(程度)/年少無法集団『グリゴール』の首領・エスパー(詳細不明)

 ■ペネムエ
 男/(享年)12歳/年少無法集団『グリゴール』の幹部・故人

 ■サタナエル
 女/15歳/年少無法集団『グリゴール』の幹部・軍事用オールサイバー(外見年齢9歳)

 ■シェムハザ
 男/22歳/年少無法集団『グリゴール』の幹部

 ■ニスロク
 男/?歳/大型トレーラーを移動店舗に食堂を経営している料理人

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          ライター通信
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 今回は前編からの継続御参加有難う御座いました
 ………………遅れました。
 初日に発注下さった方の納期の曜日が日曜で…出来れば金曜の内にと思ってたんですが挫折しまして。
 納期が土日休日にならないように逆算して募らねばと思う今日この頃でした(って毎度思うだけで終わる/汗)
 申し訳ありません。
 …と言うかそれどころか実はここを書いている現時点で、細かく言うなら白神空様のものの納期は約一時間強程遅れていたりします(汗)

 今回は別行動になったエーリッヒ・ツァン様だけ個別部分が多くなり、他の方は全面共通…と言った形になってます。色々不明な点があると思いますが超能力が普通に存在する世界と言う事で、敢えて情報が唐突になっているところも多いです。他の方――エーリッヒ・ツァン様は他の参加者様のものを、白神空様、クリストフ・ミュンツァー様、来栖コレット様はエーリッヒ・ツァン様のものを見ると、複雑ながらもある程度わかりやすいかと思います。

 そして内容は宣言通りひねくれまくっております。
 …やっぱりすみません…。

 それから…これを受注と言うか執筆と言うか、とにかく発注を受けてお預りしている間に――現実の世界で起きてしまった小学生の痛ましい刑事事件がありますよね。
 今回のノベルでは年端も行かぬ子が殺し屋をしていたり汚い事をやっている…と言う大元の設定がありますので――それはこのノベルの場合世界観が現在ではありませんし超能力とか出回ってる荒れた世界ではありますが、子供が、と言うこの設定自体を不快に思う方も中にはいらっしゃるかもしれないと思います。なるべく、読んで下さった方を不快にさせたくはないのですが、そうならないとは限らない訳ですんで(けれど受注タイミング上今納品せざるを得ない訳で/汗)
 その場合は、読んでしまった方には申し訳ありませんとしか言えません。ライターとしては悪意はありませんしそれを意識して作った訳でもありません。
 …発注下さった方には要らん話かもしれませんが、特にタイアップゲームの場合は公式ホームページでの公開納品なので発注者以外の方の目にも触れる可能性が高い訳なので一応書いておきます。

 では、そろそろ失礼したいと思います。

 深海残月 拝