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<東京怪談ノベル(シングル)>


familia

 北風と南風がすれ違う瞬間、暖かい空気と冷たい空気が混ざり合うのではなく、北風は南風の暖かさに引かれて、吹く向きを変える。その後を追って少しでもぬくもりを分けて貰おうとするのだが、北風である己の身を鑑みて、分けて欲しいと言い出せず、ただその後ろ姿を見送っただけ…。

 自分は南風か、それとも北風か。南風だと言い切るのも何となくおこがましいし、かと言って北風であると言ってしまうのは何だか卑屈なような気がする。
 少なくとも言える事は、たった今、コレットの目の前を通り過ぎようとしている老夫婦、彼らは確実に南風であった。


 ヒトリなんてのは馴れていると思っていたが、それは思い込んでいただけなんだと、コレットはしみじみ思った。尤も、独りぼっちに馴れるなんてのはあり得なくて、実は麻痺してしまっているだけなんだろうと、今ならそう思う。
 何気なく街を歩き、人とすれ違った後、コレットは薄暗い路地裏へと入っていく。そこで煤けたレンガの壁に凭れると、どこからともなく男物の財布を取り出した。さっき、角を曲がる直前にすれ違った、成金風の男から掠め取ったのだ。やりたくてやってるんじゃない、どんな能力があったって、僕だって食べなきゃ生きていけないんだから仕方ないんだ、そう、誰にとも無く言い返し、財布の中身を覗き込んだコレットだが、その少女めいた眉が厭そうに潜められた。
 「…ちっ、しけてんなぁ…これじゃ、中身より財布の方が高いんじゃないの?」
 ぶつぶつと文句を言いながら財布から札と小銭を取り出し、空の財布はその辺に投げ捨てる。これも売ればそこそこの値になりそうだったが、コレットぐらいの年頃の子供が、そう言う店にこれを持って行けば、十中八九、盗難品だとみなされる事は確実だ。それで通報されたたりする訳では無いが、その代わり足元見られて驚くほど安い値でしか引き取ってくれない。自分たちは、その数十倍の値で売りに出す癖に、だ。幼い頃から、大人社会のズルさや汚さを見て育ってきたコレットだから、多少自分が損をしても、この世の大人にイイ目を見させたくはなかったのだ。

 ……たった一人、彼女を除いては。

 「せめて、生きているか死んでいるかぐらい、はっきりすればいいんだけどなぁ…」
 さっき得た収入でサンドイッチを買い、道端に座り込んでコレットはそれを齧った。ぼんやりとサンドイッチのハムを噛み締めながら思う。彼女の安否がはっきり分かれば、今後の自分の方向性もはっきりするんだろうにな、と。今、こうして当ても無く途方に暮れながら、その日暮らしをしているのは、全て、彼女が行方不明である所為のような気がしていたのだ。自分を知り、自分を認め、そして自分を理解してくれた女性。彼女が、コレットの事を完璧に分かってくれていたわけでは無いが、それでも理解しようと諦めずに努めてくれたのは今迄で彼女だけだ。そんな事を、彼女と暮らしたひとときの事を思い出しながら、コレットはサンドイッチの最後の欠片を口の中に放り込む。手の平についたパン屑を払っていると、不意にその動きがぴたりと止まった。

 コレットの目の前を通り過ぎていく、一組の男女。杖を突いた女性を男性がその身体を腕で支えゆっくりと歩いて行く。似ている訳ではないがどこか似た雰囲気のある二人、恐らく長く連れ添った夫婦なのだろう、とコレットは思う。
 それだけなら、特別コレットの興味を引くほどの事ではない。仲の良い老夫婦など珍しくもない、だが、その年老いた妻の目に薄らと光る、優しい涙に、何故かコレットは心惹かれたのだ。コツコツと杖の音をさせながら歩く、老夫婦の後を、少し距離を置いてコレットは追い始めた。

 老夫婦が向かったのは、街から少し離れた丘の上にある、静かな墓地である。他には誰もいず、爽やかな季節の風が吹いている。老夫婦は、ひとつの小さな墓の前にしゃがみ込むと、夫が持参した、純白の百合の花束を供えた。並んで目を閉じ、静かに祈りを捧げる。その横顔は、コレットに遠い日の何かを思い起こさせた。
 『…―――…お……うさん、……お…か……さ………』
 そんなコレットの眦を、何か柔らかいものが触れた。びっくりして目を瞬くと、いつの間にそばに近寄っていたのか、さっきの老夫婦がコレットの目前に立ち、その目元を優しくハンカチで拭ってくれていたのだ。
 「……え、……あ………」
 「泣き出しそうな顔をしているから、涙が零れているかと思ったのだけど、気のせいだったみたいね、コレット」
 『………え!?』
 きょとんとした目で老夫婦を見上げるコレットを、二人は優しい眼差しで受け止める。
 「男の子はそう簡単には泣いたりしないものさね。わしはそうばあさんに言ったんだがね…ばあさんは、コレットは優しい子だから、って言い張るんだ」
 「当たり前ですとも、コレットは私の大事な孫なんですからね、心優しい男の子に決まってます」
 そう言って老女はにっこりと微笑んだ。コレットを孫だと言い切る、その口調にも態度にも何の迷いも無い。それは、もしかしたら本当にコレットはこの老夫婦の孫で、コレット自身がその事実を忘れていたかのようだ。だが、そんな事はあり得ない。これはどう言う事なのだろう、疑問符で一杯の頭を抱えつつも、コレットは帰るよ、と彼を促す老夫婦の優しい声に抗えず、二人の間に挟まって、その墓地を後にした。


 老夫婦は、墓地から三十分ほど歩いた辺りにある、古びたアパートの一室で暮らしているらしい。錆びた鉄製の階段を昇ると、老夫婦の隣人らしい、一人の中年女性が笑顔を向けた。
 「おかえりなさい、いつものお墓参りですか?」
 「ええ、そうですのよ。でも、今日は孫も一緒だったから、散歩みたいなものかしらね」
 そう言って、老いた妻が柔らかく微笑む。同じように老いた夫も女性に笑み返した。が、その言葉を聞いた女性の表情が、一瞬にして訝しげなものになる。伺うように、女性がコレットの顔を見た。その目と目があった瞬間、女性の表情は一気ににこやかなものに変わった。
 「そうですか、コレットくんと一緒で良かったですねぇ!コレットくんも、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒で楽しかったでしょ?」
 「あっ、えーと…うん、……」
 思わず勢いでこっくり頷いてしまったコレットだが、こうなってくると、全世界の人間が皆グルで、総動員で自分を騙そうとしている以外、あり得ないと思えてきた。さっきの中年女性の反応など、多少の疑問点は残るが、それならそれでいい、とコレットは腹を括った。
 騙されててもいい、それでもこの老夫婦の、自分に向けられる優しい眼差しを失いたくなかった。そう思うのはどこか悔しい気もするのだが、そんな気持ちをかなぐり捨てても、今はここで温もっていたいと思ったのだ。


 それから幾ばくかの日々が過ぎ去った。初めての部屋、初めての生活の筈なのに、コレットは自分でも驚くほどの順応力で、老夫婦との生活に慣れ親しんでいた。尤も、それはコレットが夫婦にあわせたと言うよりは、夫婦の方がコレットの思うように振舞ってくれたから、とも言えた。勿論、それも芝居がかったものではなく、極々自然な振る舞いではあったが、だがコレットは、どこかに何かの違和感のようなものを感じざるを得ず、優しく穏やかな日々の中、時折一人首を傾げていた。
 「コレット、お皿を出して頂戴。もうすぐ夕ご飯よ」
 「うん、分かったよ、お祖母ちゃん」
 素直に返事をし、読んでいた本を閉じると立ち上がってキッチンへと赴く。祖母の肩越しにその手元を覗き込むと、フライパンの中で鶏肉が美味しそうに焼けていた。
 「あ、これ…」
 「そう、コレット、好きでしょ?」
 そう言ってニッコリと微笑む祖母、それに頷いて笑み返すコレット。その様子はどこからどう見ても仲のいい祖母と孫の風景だった。
 コレットも、彼らの事を祖父母と呼ぶのになんの違和感も感じなくなっていた。やはり、自分は一人でいる事に馴れてなんかいなかったのだ。こうして、誰かと一緒に暮らしてみると良く分かる。自分が特別寂しがり屋だとは思わない、いつも誰かと喋っていない時がすまないタイプでも無いが、何気ない挨拶――オハヨウとかオヤスミとか――があるとないとでは雲泥の差なのだ。
 「…あれ、ナフキンがないよ」
 いつもの場所を探したが見当たらない、そんなコレットに、祖母が一段高い引き出しを指差した。
 「そこに新品が入ってるわ。出して頂戴」
 「ん」
 頷き、踏み台を持ってきてそれに昇り、コレットは示された引き出しを開けた。そこから言われたとおりに新品のナフキンを取り出そうとするが、何かに引っ掛かって出て来ない。コレットが首を傾げながら両手を使って中を探ると、引き出しの中から写真立てが一つ、出てきたのだ。
 「………、これ……」
 「あら、懐かしいわね。コレットが、幾つの時かしらねぇ?」
 コレットが見詰めるそれを覗き込んだ祖母が、目を細めてそう言った。写真立てに入っていたのは、今より少し若い祖父と祖母。その二人の間に挟まれ、幸せそうに笑っているのは…。
 「確か、三人で植物園に行った時の写真ね。あの時、珍しい南国の大きな花を見て、あなたが恐いって泣いたのよね…」
 ふふ、と楽しげに笑みを浮かべ、祖母が出来立ての料理を持ってキッチンを出て行く。コレットは、その写真から目が離せない。
 その写真に写っている少年、それはやはりコレットではない。年齢は同じぐらいだろうが、写真の中の少年は黒髪で瞳も緑色だ。容貌も全然違うし、コレットよりも背も高そうだ。つまり、老夫婦がコレットを、彼らの本当の孫と見間違える訳がないのだ。
 それに加え、先程の祖母の言葉。植物園で巨大な花が恐いと泣き出してしまった幼いコレット。それは事実だった。ただ、その時は祖父母と一緒ではなく、まだ優しかった頃の両親と訪れたのだ。
 「……記憶操作、……」
 コレットが呟く。写真立てを手にしたまま、ダイニングで孫を待つ老夫婦の方を見た。
 自分に、そんな力がある事など、今の今まで知らなかった。もしかしたら、老夫婦に出会った瞬間に芽生えたのかもしれない。
 老夫婦が、孫を亡くした悲しみから、年齢の近そうなコレットを自分達の孫だと思い込んでいるだけなら、それはそれでいいとさえ思っていた。だが、さっき祖母が語った思い出、あれは明らかにコレット自身のものだ。この老夫婦と孫の間にも、偶然同じエピソードはあったのかもしれないが、それは物凄く確率の低い話。今は、コレットが無意識のうちに彼らの記憶を操作していたのだと考える方が、明らかに妥当だった。

 「コレット、何をしているの?お料理が冷めちゃうわ」
 「今行くよ、お祖母ちゃん」
 コレットは写真立てを元の場所に戻し、踏み台を降りる。優しい祖父母の待つダイニングテーブルへと歩いて行き、いつもの席に着くと美味しそうな食事に舌鼓を打った。


 その日の夜、眠る老夫婦の元を訪れ、コレットはその安らかな寝顔をじっと見詰める。顔を伏せ、自分の額を祖父の、そして祖母の額に軽く触れ合わせた。触れた瞬間、その箇所が一瞬だけ眩く光る。その光が消えた後、老夫婦の記憶の中から、コレットの事は跡形もなく消え去っていた。
 ここは優しく暖かく、コレットにとっては凄く心惹かれる場所だった。でも、自分はそこに居るべき者ではない。ここに居るべき少年は、恐らくもう既にこの世にいないのだ。彼らが感じた、そして乗り越えようとしている悲しみはコレットには分からない。何故なら、コレットが求める相手は、まだ生きているかもしれないからだ。

 「信ぜよ、ならば救われん……ってね」
 神など信じていないが、昔、よく家族三人で行った協会での話を思い出し、呟く。アリガトウ、そしてゴメンナサイと老夫婦に心から告げる。夜が明ける前、コレットはそのアパートを出、そして本当の南風を探す旅に出た。