PSYCOMASTERS TOP
新しいページを見るクリエーター別で見る商品一覧を見る前のページへ


<東京怪談ノベル(シングル)>


Luna & Sea

 潮の香りが強く鼻をついて、白神空は眉根を寄せた。隙に飽かせて幾つかの街を流し、辿り付いたは名前も知らぬ港町。生活が成り立っているのかも不思議な程に寂れた様子の町にわざわざ立ち寄ったのは、何も目的があっての事ではない。
 気が向いた。
 ただそれだけだ。
 だが、空には充分な理由だ。
 日々目的や目標を持って生きているわけではない。必要もない。
 好きな事を物を、好きなようにし、勝手気ままに生きる。邪魔をする者があれば力ずくでも退かせ、滅ぼすも厭わない。それが白神空と言う人間だ。
 空は潮風に運ばれて来る、独特の香を嗅ぎ付け小さく鼻を鳴らした。潮に混じる生臭さは好みではないが、これは嫌いじゃない、と上唇を赤い舌で舐める。
 混じる香は血の香。はっきりとした香ではなかったが、微かに匂うそれに、胸奥が弾む。
 それともこれは、物理的な香ではないのだろうか。血の香なら、こんなにも薄い筈がない。ねっとりと濃く絡む鉄の匂いは零された量が例え少なくとも、空の鼻はしっかりと捉える事が出来る。
 ――じゃあ、これは予感ってヤツかしら、ねぇ?
 仕事を終えて酒を飲みに出る男達の姿もない、夜は眠るばかりと言った様子の鄙びた静かな町が、空に何を提供してくれるのか。不確かな、だが心弾む予感を抱いて、空は軽やかに地を踏む。
「ん?」
 視線を感じて窓が割れた家に目を遣れば、小さな子供が割れ目から除いているのが見えた。飢えた目をしている。日が暮れようと言うのに、家中には明かりが灯っておらず、うっすらと浮かぶ子供の目は闇夜に光る猫の目のようだ。普通の人間であれば、暗闇から覗く人の目など視線を感じたとて肉眼で捉える事は出来ないだろう。空に可能なのは、彼女が「普通」の範疇に在る者ではないからだ。今は人の形態をとっているが故に内包する能力の全てを発揮する事は出来ないが、闇に潜むものの姿を精確に捉える事くらいは可能だ。
 夜にも侵される事のない銀の瞳に、刃に奔るかのごとき鋭い光が宿る。
 ――あたしを見てるのは一人じゃ、ない?
 増々面白い、と得体も知れぬものの監視を受け乍らも口許に艶やかな笑みが浮かぶ。どんなものでもいい。今夜、空を楽しませてくれると言うのなら、例えそれが空にとって敵となろうとも望む所だ。
 空は首を軽く振った。瞳と同色の銀髪が夜に揺れ、月明かりに暗く煌めく。
「中々、イイ気分だよ……ねぇ、早く姿を見せなさいな」
 中空に丸く光を放つ月を見上げ、囁く。まるで愛の言葉を囁くように、色鮮やかに、淫靡な表情を浮かべて。
 おいで、と唇が言葉を描く。
 もしも現れたが柔らかで従順な肌なら優しく抱いてやろう。
 もしもそれが空に牙を剥くなら、鋭利な爪で裂いてやろう。
 どちらが現れても、空を退屈させないなら愛しく口付けてやってもいい。
 無駄の無いスレンダーな肢体の美線にぴったりと赤い衣服を添わせて、月下に躍るように歩む空はまるでしなやかな一匹の獣。
 血に浮かれる美しき獣は、やがて一軒の家に気付いた。
「……酒の匂い?」
 酒場があったのか、と意外な思いに瞳が細まる。静けさの中で命を失ったようなこの小さな町には何処か不釣り合いに思えた。
「寄ってみるかな」
 躊躇いも無く立て付けが悪くなって軋む扉を開ければ、狭いだけに客は少ない。一目で数える事が出来たそれは主人であろう初老の男が一人と、疲れた顔で酒を呷る客が二人。そして奥でテーブルを拭いている少女が一人。
「ま、こんなもんだろうね」
 予想通りの風景にさして何をも思わず、空はカウンターにつくと主人に安い酒を注文した。どんな安酒場でも置いている酒だ。酒と言うよりアルコールそのものと言った不味い酒だが気分はそれなりに出る。そもそもこんな町に上等な酒が置いてある筈もなく期待はしていなかったs。
 酒場の主人は、空の容貌をちらと見て僅かに眉を顰めた。何故ここに空のような女が、と声に出さずとも思っているであろう事が知れる。だが空にとってはどうでも良い事だ。注文したものさえ出て来れば。
 沈黙とともに渡された酒を飲み乍ら、空は横目で客を見た。
 二人の男は同じテーブルにつき、主人と同じく黙したまま、つまらなそうに酒を飲んでいる。疲弊を顔に張り付かせて。まるでこれから死地に赴く敗残兵のように。
 ――あんな飲み方じゃ不味い酒がもっと不味くなるよ。
 辛気くさい、とすぐに視線を逸らし、もう一人――少女を見た。
 年は17、8と言った所か。鄙びた町らしい、垢抜けない素朴な印象の少女だ。雀斑の浮かぶ顔はあどけなく、美人ではないが愛嬌がある。そんな中で大きな緑色の瞳が、日に透ける葉のように綺麗で目を引いた。
 少女は空の視線に気付いたか顔を上げた。目が合いすぐに逸らす。だが暫くしてから、怖ず怖ずと瞳を空に向けて来る。頬を少し赤らめて、伏し目がちに微笑った。
 空は少女の笑みに返すよう、首を緩やかに傾げてみせた。
 見蕩れるように佇んだ少女は、ややあって空に近付いて来た。
 空の前まで来ると、テーブルを拭いていた布を胸の前、両手で握りしめ必死の様子で言う。
「あ……あの」
「なに?」
「きょ、今日はもう遅いです……けど、この町の何処かに泊まるんですか?」
「んー……、どうしようかな、とは思ってるけど。でもここ、泊まれるトコないでしょ?」
 少女が何を言い出すのか、半ば予想しつつも悩んでみせる。
「……あ、あのっ……、もし良ければウチに泊まりませんか? あ、あたし一人、だし」
 言い終わって、頬に朱を昇らせて俯く少女の赤茶けた三つ編みに指を伸ばすと、絡ませるように玩び、空は婀娜な笑みに口許を綻ばせた。
「ふふ、ありがと。優しいのね?」
 揶揄うような口調を乗せれば少女は昇らせた朱を一層濃くした。


 少女に伴われて訪れた家は、やはり古びており陰鬱な空気がそこかしこに溜まっていた。詳しくは聞かなかったが、少女はここに一人で住んでいるらしい。だが生活の匂いはあまりしなかった。匂うのは、埃と黴と微かな生臭さ。
 それでも寝室にと宛てがわれた一室は客を通すだけあって、他とは僅かではあるが違っていた。ベッドに張られたシーツは上等なものではないながらも白く清潔で、床の埃は拭き浄められている。
 空は勢いよくベッドに背を倒した。固いが、少なくとも黴や埃による異臭は立たなかった。
「……ふぅん?」
 空は急な客であった筈だ。それなのにこの用意の良さ。
 大体、小さな町に生まれ外の世界を知らない少女が、警戒も見せずに外から訪れた得体の知れない余所者を家に招く理由も判らない。
 少女の様子からすれば客を取って身を成り立たせているといった事でもなさそうだ。そんな「匂い」もしなかった。
 ――では?
 空は枕を手許に引き寄せると両腕で抱き込み、顔を埋めた。腹の奥から生じる笑いを噛み殺すように顔を押し付ける。
「……あの?」
 空が枕から顔を離すと、少女が扉から顔を覗かせていた。
「ああ、ごめん。なに?」
 沸き上がった衝動を元の――腹の底に収めて、空は少女を招き入れる。
「お腹は空いていませんか?」
「さっき酒を飲んだから。今夜はそれで充分」
 食前酒は済ませた。続きはこれからだ……胸の内の呟きに、少女が気付く筈もなく。
 空の腕に促されて、少女はベッドに遠慮がちに腰を落とした。
「あたしに何か言いたい事があるんじゃない? ……怖がらなくていいよ。ちゃんと聞いてあげるから」
 少女の細い三つ編みに指を絡めて、空は優しく言う。
「あ、……あの」
 少女は一度口を噤み――決心したように空の銀の瞳を見る。
「お願いが……あるんです」


 少女の依頼とは沈没船のサルベージだった。
「『審判の日』……あの恐ろしい破壊の時にPOA(太平洋同盟)の貨物船が港の近海の沖で沈みました」
 多くのトレジャーハンターがサルベージ船を駆って引き上げに挑戦したものの、その全てが失敗に終わり、今も海の底に沈んだまま沈黙していると言う。
「……あたしの父さんもその船に……乗ってたんです」
 船員は船が沈んだ後の捜索でも一人として見付かる事なく、船体に閉じ込められたままなのではないかと少女は考えているようだ。
 遺骨か、さもなくば遺品をその船から持ち出して欲しいと、少女は緑の瞳に涙を溜めて言った。
「……一つ尋いていい?」
「はい」
 少女は涙を拭って頷く。
「どうしてあたしなの?」
 確かに空は少女の望みを叶える事が出来得るだけの能力を有している。だが外見からそれを判断するのは難しかろう。何かしらの組織に所属しているわけでもない空は、服装から能力を量る事は叶わず、一見して細身の女性でしかない。
「貴女を……見た事があるんです」
 少女は継ぎ当てのある、汚れたエプロンを掴みしめた。
「今日みたいな月のある夜に……沢山の男の人と戦っているのを。……貴女は凄く、強くて」
 少女は熱を孕んだ瞳で自分より頭一つ分は高い空を見上げる。
「貴女に触れられるひとは誰もいなかった……。貴女なら、誰にも出来なかった、父さんの骨を持って帰って来てくれるような気がしたんです」
 拭ったはずの涙が、再び緑の瞳を潤ませて行く。空は雫に指先で触れる。
「わかった……いいよ。あんたのキレイな目に免じて、願いを聞いてあげる」
 悲しみにか、戦慄く唇に涙で濡れた指をあてる。
「だからもう、泣かないで? 慰めてあげる……あたしが傍に居てあげるから」
 何かを言おうとした少女の小さな口を自らの唇で塞いで、空は肉の薄い身体を抱き締めた。


 翌朝。空は少女よりも早く目を覚ました。昨晩の嬌態が嘘のように、安らかな寝顔の少女の小さな額に張り付いた髪を指で優しくよけると、口付けを落としてベッドを出る。素早く服を身に付け、部屋を出るまで少女が目を覚ます事はなかった。
 家を出、海へと向かう。港町である筈なのに港には人の姿は無い。もっと早くに皆海へ出てしまったのか。あまりに静かな光景に空は口許を歪める。
 それでも空の歩みは止まる事がない。迷いすらなく港の端まで出ると海へと飛び込んだ。
 身を包む水が昨晩の熱を残す身体に冷ややかで心地よく、空はしばらくゆったりと泳ぐと、港から少し離れた岩場に手を付く。意識を軽く集中させればすぐにそれは始まった。
 細胞組織を変換させる事によって為せる、変態。
 自身が「人魚姫」と呼ぶその形は、まさしく人魚である。
 下半身が魚のような白銀のウロコに覆われた尾に変化し、腕や腰などの要所に鰭が生じる。空は人型以外に三種の形態に自らを変化させる事が出来るが、この姿はその三形態の中で一番の怪力を持つ。
 無論、水中活動能力は抜群だ。
 魚が海を自由に泳ぐのと同じく、空も水中を思うままに行く事が出来る。
 勢いをつけるように、現れた尾で水面を一度叩くとそのまま海中に一気に潜った。
 少女に渡された海図から、大体の位置は確認してあった。聞けば船が沈んでいる場所は海流に問題があるらしい。時によって激しい流れを作り、人では先ず近付けない場所なのだ。それゆえにプロのダイバーですら、沈没する貨物船に近付く事が出来ない。しかも海底は「審判の日」によって生じた地形の変化により、巨岩が多く見られ視界が悪い。
 悪条件が折り重なる海中で、だが空の瞳には焦りも苦も浮かんでいない。地上であったなら口笛でも吹きそうな楽しげな色が表情を彩り、青い水の激しいゆらぎの中、呑まれる事なく標的へと向かって泳ぎ進む。
 光の届かない深い海の底にあっても自らが発光するように銀の鱗と髪を白く閃かせ、渦巻く海流を難無く超えて行き目的の場所へと辿り着く。
 教えられた位置にほぼ違わぬ場所に、貨物船はあった。
 見知った黄色いマークを船体に描いた――確かにPOAの貨物船だ。
 岩に挟まれた形で船体が拉げ、更に巨岩が重しをするように甲板に穴を開けている。船体を引き上げたいのなら、この岩を撤去しなければならない。
 今までに多くの者達が貨物船の引き上げに失敗して来たのも頷ける。
 海流と、岩による障害は「審判の日」以降多くのテクノロジーを失った現代には荷が勝ち過ぎる。
 ――確かにこれじゃあお手上げねぇ。
 さも愉快と言わんばかりに、空は唇の両端を吊り上げる。
 無惨な姿の貨物船に近寄る。至近で見てもやはり、岩を退かさねば中に入り込む事すら不可能であると判るだけだった。
 空は手にしていた袋から、立方体のケースを取り出した。中には爆発物が入っている。以前知人から手に入れた強力な爆弾だ。水中でも作動するようにケースに入っている。小さいが威力は莫迦に出来ない。
普通のルートで入手する事の出来ない特殊な物だ。
 持って来た数は多くはないが、充分に岩を爆破する事が出来る。
 ――却ってこれくらいの方が、船まで粉々にしないで済むしね。
 もし岩を全て砕く事が出来なくとも、ある程度の罅を入れられれば残りは空の力で砕く事が出来るだろう。
 様子見に潜ってみたが、爆弾のセットだけでもしておくべきか、と岩と船体の位置を確認し計算する。セット位置を計算しておかねば、船体の方を崩しかねない。
 複雑な計算を頭中で終えすぐにセットに取りかかる。海流をものともしない空に作業は造作もなく、一時間と経たずに全てを終えた。
 あとは明日サルベージ船を手配し、岩を爆破した後に船体を引き上げればいい。その際、やはり海流がネックとなろうが、そこは空がサポートに入れば問題はないだろう。
 船の規模も確認出来たので、船の手配も難しくはない。
 少女の望むものは、船を引き上げてから本人に探させればいいだろう。
 今後の計画を描いて、空は満足げに頷いた。


 海面に顔を出した空の瞳が捉えたのは船団だった。
 船上に翻るのは中央に五つの星を抱く――UME(中東連合)の旗。
 他の船を率いるようにして先頭に浮かぶ船に見覚えのある顔を見付け、空は口の端を上げる。
 空に願いを託した……少女だ。
 少女の後ろには褐色の肌の男達が銃を手に整然と並んでいる。
「随分と派手なお出迎えじゃない?」
 明らかに友好的な出迎えではない。それに顔色一つ変えず、空は少女に微笑みを向ける。
 少女は何を思うのか、厳しい表情で一歩前に出た。
『お前にはここで死んでもらうわ』
 空と船上の少女には距離がある。本来ならば聞こえる筈のない声が、空の耳に届いた。
『お前はあたしの父さんを殺した。そしてあの人を殺した』
 空の脳内に直接響く「声」――これはテレパシーによる交信だ。
「あたしがあんたの……?」
 首を傾げて空は記憶を探る。該当するような人物は思い浮かばなかった。
『判らないでしょうね? ……見せてあげるわ』
 声と共に映像が送り込まれる。空の脳内にはっきりと像を結ぶそれは夜の風景。
「……ああ」
 空は見せられる風景に、自らの中にも同じ光景があるのを見付けた。視点は違うが、確かにそれは過去、空が経た映像だった。
「あの時の……男共の中に、あんたの知り合いが居たってわけね」
 何時の事だったろうか。いつものように夜を楽しむ為に道行く空を突如襲った男達。金目のものを出せと脅して来た。その日はちょうど、入りの良い仕事を終えて報酬を手にしたばかり。どうやってかそれを嗅ぎ付けた彼等は、空から報酬を奪おうと現れたのだった。
「楽しかったね……あれは」
 それぞれが鍛えられた戦士であるようだった。熱い戦いを空は楽しんだ。
 武器の間をかいくぐり、男の腹に手を突き入れれば甘い匂いが鼻先をくすぐった。温かな血が手を赤く染めて、男は最期の吐息を漏らして息絶える。
 銃を向けて来た男の両目を爪で抉った。顔を覆ってのたうつ身体を押え付けて、片手を折れば、残った腕で抵抗した。空の顔に拳を入れようとした、それを捻ってやはり折った。
 一人一人の死に様を思い描く……それは少女の記憶の映像と重なって、克明に過去を再現する。
「皆、最期迄抵抗を止めなかった……最後の一人迄楽しめたわ」
 空は血の匂いを嗅いだ気がして、上唇を舐めた。
 最後に残ったのは他に比べて数段力のある戦士のようだった。何故野盗等に身を窶したのか、惜しく思える程。
 彼等は二人同時に空へと攻撃を仕掛けて来た。連携の取れた動きに乱れはなく、流石に空も苦戦を強いられた。だが、それでもやはり空の爪は彼等を引き裂き血に沈めたのだった。
 二人の死に顔を思い浮かべた瞬間。
『止めて……ッ』
 少女の絶叫が響いた。
『お前など……ッ!』
 怒りに瞳を燃え上がらせた少女の右手が上がる。背後に控えた男達が、一斉に銃口を上げた。
『死になさい……この、化物……ッ』
 声と共に、爆音が轟いた。
 空に向いていた銃口と屈強な男達の顔が瞬時に振り返る。
 背後に続く船が炎を上げていた。呆気に取られる彼等の前で、船団は連鎖反応を起こすように次々と爆音を上げて炎に呑まれて行く。
 そして。
 少女の乗る船もまた、爆発を起こした。呆然としていた男達は、我に返って混乱に騒ぐ。
 船上が爆発による炎と音、そして逃げ惑う人々の声とで俄に騒然と沸き立って行くのを見詰め、空は髪をかきあげた。
「あんた達がおかしな動きをしてたのは知ってたからね」
 全ては空の仕業だった。
 ずっと空を監視していた幾数の視線。生活感をまるで臭わせない癖に、妙に用意の良かった少女の家。唐突に与えられた少女との夜。その全てが空に危険を知らせていた。長く危険の傍に身を置き、生き抜いて来た空にとってそれを感知するのは容易い事だ。
 空は身体を合わせている最中に少女に薬を含ませ、夜の内に既に動いていたのだ。
 監視者の後を尾け、彼等の計画を知った――POAの貨物船を手に入れる為に空を利用した後殺す、と。
「あたしを舐め過ぎたよ、あんた達はね?」
 空の言葉が終わる間もなく、次々と爆発音が起こり船体を揺るがす。至る所から火の手が上がり、最後に残された少女の乗る船は呆気ない程急速に傾き出した。
 少し前まで空に殺気を向けていた彼等の中に、今空を見る者はない。己の保身さえ危うい今、秘密を知られたと言えども気に掛ける余裕など彼等にはなかった。
 ――ただ一人を除いては。
 唯一少女だけは緑の瞳を憎しみで凍らせたまま空を睨み据えている。少女の瞳を、顔を、船上を燃え盛る炎が照らす。その顔に出会った頃に見せたあどけない笑みはなかった。
 素朴で愛らしい少女の姿は何処にもなく、空が指に絡めた三つ編みは解け、陽に灼けた金の髪は船上を奔る爆風に背景に見える炎の如く揺らめいている。
『赦さない』
 少女の声に恐怖はない。ただ、憎しみに震えて空に殺意を伝える。
『お前を殺してやる……ッ』
 炎を凌ぐ程の憎悪に、空は肩を竦めた。UMEの船団は既に海の藻屑と化そうとしている。少女がどれだけ殺意を燃やそうとも、空には何も届かない。
 もう、終わったのだ。
「じゃあね」
 空は少女に背を向けた。
 爆発の中、逃げようともしない少女は死を迎えるだろうか。空にとっては既にどうでもいい事だった。
 ゲームは終わってしまった。もう、興味は無い。
 一つだけ、未だ気にかかる事はあるけれども。
 空に向けた嘘の中で唯一の真実……父親が死んだ事。
 しかし空が殺したのは褐色の肌を持つ男だった。少女の肌は白い……褐色の肌を持つ男を父親だと言うその理由。
 瞳に浮かべた涙の真実を、知りたいと思った。
「でも、終った遊戯に手を出すのも野暮だし」
 謎が残るのも悪くはない、と胸中に付け加える。
 
 ――だが、彼女が生き残れたなら?

「また遊んであげてもいいわね」
 小さく笑みを漏らして、空は赤く燃える波を背後にその場を去る。
 少女との再会を秘かに楽しみにしている自分を感じながら。