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●小春日和の散歩
ツツツツ……ツツツッツ……
木々の間から、鳴く鳥の声も涼しげな日に、外に出ると日なたの温もりを実感できる。
陽光が眩しかった夏を過ぎ、朝夕には薄着のままでは居られなく頃。
公園に足を向けて歩いていた不破槐と不破硝子の親子は、つま先にかかる
気の早い広葉樹はその身を飾っていた葉を周囲の地面に惜しみなく与えて、人が歩くたびに形を変えて行く落葉は、時折吹く風に揺れながら乾いた音を立てている。
さくさく
ざくざく
さくさく
ざくざく
小さな足音と、普通の足音。
落葉を踏む二つの足音が、穏やかな空気の中を漂う様に、流れる様に聞こえてくる。
小さな影と少し大きな影が手を繋ぎ、木々の間を抜けて公園を散歩していた。
木立と枝葉の合間から時折見える影は、まるでそこから光が漏れて出る様な明るい太陽の色。
それは不破槐の髪が風に揺れて陽光を弾いているからなのだが、目を指す程の痛い輝きではない。
少女の柔らかな髪が風をはらんで漂う様に浮かぶのを、繋いだ手とは逆の手でそっと押さえてやった不破硝子は、槐の視線が歩く時のそれでないことに気付いて歩を緩めた。
しばらくの間、風の音に耳を澄ませていたかのような槐が、硝子の手を控えめに引く。
「どうしたの?」
何かを見つけて、硝子を連れて行こうとしているのだとは分かる。
だが、目的が分かっても、向かう先までは硝子には分からない。
それでも、槐の好きにさせていると、彼女は時折左右に視線を漂わせながら、何かを聞き漏らすまいと懸命な様子で歩いて行く。
自分の胸程までしかない槐の引くままに着いていくと、公園の中に出た。
少し広くなっている広場に入って、中央に向かう訳でもなく広場を囲うようにして植えられている茂みに沿って槐は歩き続ける。
「……あら?」
この声はと、硝子も槐が目指しているものの声に気が付いた様子だが、あえてそれ以上は口に出さずに槐に任せたまま歩き続けた。
声の主が居るだろうと硝子にも分かる植え込みの前まで来て、槐はじっと茂みを……正確には、茂みの下から出ている段ボールの箱をじっと見下ろしていた。
「まま……」
見て、と言いたいのだろう。
くいと引かれた手の、動いた先は間違いなくダンボールだった。相変わらず言葉少なく見つめてくるえんじゅ。
頷いて近付くと、か細く消えそうな鳴き声が聞こえてきた。それで、瞬時に硝子はそこに居るものが何なのかを悟る。
覗くと、生まれてからそうは経っていないだろう仔猫が3匹、身を寄せ合って小さく震えながら鳴いていた。
繋いだ手に込める力を僅かに強くした槐が、小さく呟いた。
「この子たち、えんじゅといっしょなの……」
はっとして、硝子は槐を見つめる。
「まま、この子達は、要らない子なの?」
槐が段ボールのお城に閉じ込められた猫を見下ろしながら尋ねた。
猫も、人も変わりは無く、ただ槐には目の前の、家族と離れて『泣いている』存在を見てしまった、知ってしまったという漠然とした中での不安……を感じていた。
それは決して彼女が直面しているものでもなく、これからそうなってしまうという不安でもない。
「要らない子なんて、いないわ」
キュッと、硝子の手を握りしめてくる槐の小さな手が、抜けるように白い肌が蒼く見えるほどに、力を込めているのが分かる。
それは、握りしめられた手の痛みよりも、幼い少女の心の痛みをそのまま伝えてくるように硝子には思えて、握った手を決して離してはいけないという、ただそれだけが彼女には痛い程に、槐が口に出して言わないが故に、深く心に伝わってきた。
「それじゃ、どうしてこの子達はここに居るの?」
仔猫の入れられた段ボールには『可愛がって下さい』と、非常に力強い、手馴れた文字が黒く、太いマジックで走り書きされている。
それは人の身勝手、と書き直して良いだろう、人の大人が持つ狡猾さが見え隠れするものだった。
「お布団も無いよ?」
「……」
槐に指摘されるまで、硝子もその不自然な空間に気がつかなかった。
朝夕の空気は既に冬の寒さを見せているというのに、段ボールの中身は仔猫だけ。
吹きぬける風体を震わせていたのは、決して仔猫が寂しさ、空腹だけはなかったのだ。
「……新聞紙も入れて無いなんて……」
情けという、人の僅かな良心さえも、この仔猫を捨てた人物は持ち合わせていなかったのだろうか。
自分が目の前の仔猫を可哀想と思う半面に、槐がきっと取るだろう行動も、硝子は理解していた。
その時だけは、この手を離してやっても良いのだろうか?
漠然とした不安が硝子に広がった刹那に、その瞬間が訪れた。
自然と、まるでそうすることが予め決められていたかの様に、槐は仔猫の前に膝を屈して、硝子の手を握ったのとは反対の、左の手をそっと差し出した。
震える仔猫に近づくにつれて、槐の手も小さく震えているのが分かる。
少女の震えは決して猫を恐れてのそれではなく、拒絶される事への、傷付けてしまいはしないかという、相手への心配……その現れだった。
「えんじゅには、ぱぱとままがいるから、あったかいの」
そう言って、硝子を見上げるえんじゅ。
それで硝子は、えんじゅの望みが分ってしまう。
「えんじゅちゃん、どうしようか?」
分っていて、硝子は問いかける。
「えんじゅちゃんは、どうしたい?」
動きを止め、一瞬固まったようになる槐に再び硝子は問いかけた。
厳しいと、取られるかも知れない。
しかし、硝子には分かっていた。
槐は、決して自分の中で答えを出さぬままにしておく子ではない。
幼いながら、いや、幼いからこそ自分達よりも純粋に結果を見いだせるのだろう。
「……一緒に……」
槐の言葉に重なるように、仔猫の前脚が目の前に伸ばされた槐の手に重ねられる。
子猫達の目が開ききってないという事はあり得ないのだが、まるで見えていないのか、槐の細い指先にしゃぶり付くようにする仔猫もいる。
「一緒に帰りたいの……」
消え入りそうな声で、しかし最後の声は硝子を見上げて大きく開かれた青い瞳に音の代わりに輝きとなって訴えかけていた。
「……」
見つめる硝子の瞳から、己の視線を外すことなく見上げる槐の瞳は不安と怯えで揺れていた。
怒られるかも知れない、ではなく。
自分の指先にかかる重さと、温もりに何も出来なかったら……と、思うからこそ浮かぶ己の力の無さを嘆くものだった。
「わかったわ」
膝を曲げて、槐の視線の高さに己の目を持って行くと一層仔猫と達との距離も近くなる。
槐が自分から何かを、特に硝子達の負担となるだろう事を願う事は珍しい。
それだけ、この仔猫たちの存在は彼女にとって特別なのだろう。
――これからも、槐ちゃんはずっとこうなのかしら?
親バカ、かも知れないが、ほんの少しだけ不安になる硝子。自分の手が伸ばせる範囲の命を救って回っていたら、今の世の中ではその手が足りなくなるのは明らかだからだ。
それでも、槐は自分の出来る中で、その青い目に映った淋しい存在を助けて回るのだろうなと、硝子は確信していた。
「罪作りな子達ね」
槐の抱ききれなかった仔猫を一匹、その手に抱いて硝子も笑顔をこぼす。
「まま?」
硝子の笑みは槐に向けられる笑みとは少し違っていて……でも、優しさは変わらない。
その違いに気付いた槐だったが、手の平の熱い位の毛玉達が押してくる様で押されている、そんな気のする足の裏の感触でくすぐったくなって疑問が消し飛んでしまう。
「本当に、罪作りよね」
にゃーではなく、みーとしか話せていない仔猫に語りかける。
猫達は、特に仔猫は人間に3つの魔法をかける。
その愛くるしい姿を見せる事。
視線を合わせる事。
滑らかな、そして熱い位に暖かい身体を触らせる事。
特に、三つ目の猫達の手の平は危険なのだ。
大の大人でも、その魔法に捉えられれば、猫を飼いたいという即死魔法に掛かってしまう。
今の槐と硝子が、間違いなく三番目の魔法に掛かっていた。
「ぱぱも、きっと大丈夫だよね」
「ええ、きっとそう」
確たる証拠はない。
だが、2人にとっては命を救うという行為よりも、ただ今の腕の中で安堵の余り眠りそうになっている3匹と一緒に家に帰る事はごくごく当然の事、となっていたのだった。
【おわり】
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