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<東京怪談ノベル(シングル)>


The Anxious Awakening/regeneration


 彼が深い眠りから目覚めたとき、無限につづくかに思われた悪夢の世界は急速に収束していき、代わりに無味乾燥な、清潔であることだけが取り柄のような白い部屋が、新たな現実として彼の前に立ち現れた。が、その現実もなぜか、彼には馴染まなかった。ここは俺の属する世界ではない。そんな違和を覚える。
 なぜだろう。あまりにも深い眠りだったためか。見当識障害が起きている。時間、不明。場所、不明。あるいは空間知覚能力の故障。
 Who am I――俺は誰だ?
 その問いが、眠っていた脳を刺激した。一気に過去の出来事が蘇ってくる――俺は緑川勇。事故で身体を失った。そして……、そして?
「どこだ……ここは……?」
 緑川勇は、ゆっくりとベッドの上に上体を起こした。
 何か、妙な感覚が付き纏う覚醒だった。夢から醒め切っていないような。記憶のロード中にエラーが生じてしまったような。
 ともかくも状況を把握しようと努めるが、そうだ、これはまるで――脳とボディの神経系接続が上手くいっていない――五感を通して入ってくる情報が極めて不鮮明だ。ノイズだらけ。俺の身体は、と勇は思った、俺の身体はどうなってしまったんだ。
 そうして彼は、はじめて自分が『何か違うもの』になっていることに気づいた。
 目の前に手を翳すと、無骨さとは無縁の、人形のそれのように白く細い指が揃っている。ちゃんと左右五本ずつ。腕は、必要な筋肉まで削ぎ落としてしまったように細い。
 ベッドから降りようとすると、足の長さが足りなかった――勇は冷たいリノリウムの床にどすんと尻餅をつく。やけに重い音がした。別に関節から先が欠けていたとかいうわけではない。単に足が短い。身長に比例して。
「な……?」
 いよいよ混乱してきた。
 勇はベッドに捕まってよろよろ立ち上がると、身体に半ば引っかかっているだけの検査着を引き摺って、窓際まで歩いていった。
 窓の外に見知らぬ少女がいた。驚いて身を引くと、少女も同じ動作をした。おそるおそるガラスに手を触れる。応じるように『彼女』も指先を伸ばす。
「え……?」
 勇はつぶやいた。つぶやいて、窓に映る少女の姿を凝視した。
 さらりと流れるような黒い髪は肩口で切られており、瞳は髪と同色の漆黒、肌は対をなすように白い。首筋から肩にかけての線はなだらかだが、鎖骨や、検査着の襟ぐりから覗く胸には、未成熟さ故の硬さが残っている。
 まだ成長過程にあろうかという華奢な身体つきから、年の頃は十四、五歳と推察された。顔つきはやや幼い。有り体に言って美しい少女だ。
「これが……俺……?」
 頬を撫で下ろした。もちろん、黒髪の少女も同じ動きをする。
 この状況を冷静に解釈するならば。
 一に、まだ夢を見ている。
 二に、これが自分の新しい身体である。――事故で失われた身体の代替品としての、サイバーボディ。
「冗談だろう……?」
 途方に暮れたようなつぶやきを漏らした。
 勇はそのまま首筋から下半身にかけてを、確かめるように触れていく。事故以前の、つまり本来の勇の身体とはまったく違う感触に、当惑せざるを得ない。
 鍛え上げられた筋肉はなく、冷たい皮膚が、内部の精密な機構を覆っている。
 胸にはやわらかい二つの隆起。
 検査着の裾から伸びた足はすらりと細く、蝋細工か何かのようだ。
 子供と大人の中間にあるような肉体は、『機械』であるが故に成長を知らない。エネルギーの供給とメインテナンスさえ怠らなければ、半永久的に稼動しつづけるであろう。製造されたときと何ら変わらない無垢な姿のまま。
 元の鍛えた肉体を失ってしまったことに対する絶望感は、湧いてこなかった。感情が麻痺しているようだ。無理もない。目が覚めたら十四かそこらの少女になっていたのだ。パニック状態に陥っていないだけマシだろう。
 そもそも自分が置かれた状況すらまだきちんと把握できていない。
 ここは、どこだ?
 白い部屋を見回す。ベッドや医療器具から、病院の一室であるらしいことを理解する。
 首を伸ばして窓の外を覗き込んだ。
 ヴィークルが行き交い、ヒトともサイバーともつかぬ二足歩行の生命体が、各々の目的地を目指して忙しなく歩いている。様々な人種、年齢、生身の人間、サイバーが入り乱れる。違うのは身体機能のみ、外観は依然として『人類』の形態を保っている『モノ』。人間が人間という形に固執した結果が、そう、例えば緑川勇のサイバーボディだ。
 ――先の事故で、勇は、全身を『スクラップにする羽目に』なった。生身の肉体が駄目になったので、脳と脊髄だけ残して後は機械にしてしまった、ということになるのだろう。
 しかし、この身体は何なのだ。
 サイバー化以前の外観はおろか、性別や年齢すら維持されていない。
 不慮の事故に遭った場合、全身のどの部位をどう機械化しても良いなどという契約書にサインした覚えはないぞ――。
 だからといって、そのまま脳と脊髄までスクラップにされていたら良かったのかと問われると、何とも微妙だ。生身だったら良いという問題でもない。例えば半身不随になって、武道家としてのアイデンティティを奪われたとしたら、それはオールサイバー化より苦痛なことだったろう。死に勝る苦痛だ。
 だがサイバーは、通常の人間より優れた身体能力を有していると聞くし。闘う能力を奪われたというわけではないのなら、まだ、そう、希望を持てるかもしれない……
(闘う能力?)
 ――この少女の細腕に?
 この華奢なボディが、戦闘に特化しているとはとても思えない。
 思えなかったが。
 まだ馴染んでいないボディで無謀だと思いつつも、勇は腰を低く溜め、深呼吸の後――
「はッ!」
 掛け声と共に、何もない空間を足技で一閃した。
 コントロールが上手くいかず、勇はそのまま床に転倒し、後頭部をベッドの足にぶつけた。
「痛っつ……」
 視界に星が散る。ともかく、痛覚は機能しているようだ。ああ、喜ばしい限りだ。痛みを知らない身体で闘うなど不可能だから。
 予想していたよりも重い衝撃だった。体重はさほど変わっていないのか……。
「私の芸術作品に傷をつけないでいただきたいものだね」
 ふと。
 背後で声がし、勇は顔を上げた。長い髪が鬱陶しい、と思った。
「……誰だ」
 勇は低い声で問うた。が、それは予想以上に高い少女の声で――他人の声が直接頭の中に聴こえてくるような、実に不快な感覚だった。
「新しい身体はどうだね、緑川勇君」
 ドアの前に立つ男は白い白衣を纏っており、ここの医者らしいと知れる。
「どうだと言われても……状況が……」
 勇は後頭部をさすった。
「把握し切れていない、か?」
「…………」
 勇は無言で頷く。
「生きるか死ぬかといった危ない状態でね。そのボディに移植することで、一命を取り留めたんだよ」
「それが、なんでこのボディなんですか」
 勇は未成熟な少女の身体を見下ろす。
「君は運が良かった」白衣の男は、癇に障る笑みを浮かべた。「完成直後に買い手が立ち消えてしまってね。そこにちょうど君が運ばれてきたというわけだ」
「つまり」勇は男を睨み上げた。「俺の意志とは無関係に、あんたは俺の脳を移植したというわけですね。他人のボディに」
「誰にでも生きる権利はある」
「どのような形で生きるか選ぶ権利はないんですか」
「不満か?」
 当たり前だ、と思った。思ったが、目の前の男が自分の命を救ってくれたのも事実だ。複雑な面持ちで勇は黙り込む。
「私のところへ運ばれたのが運のツキと思って諦めたまえ」
「どういう意味ですか」
「私は医者の正式なライセンスを持っていない」
「……闇医者か」
「サイバー専門の、ね」
 男は再び嫌な笑いを浮かべる。
 なるほど。俺はこの闇医者の懐を肥やすために、他人のボディに移植されたというわけか。
「――君は、聞くところによると大東流合気柔術の達人だそうだね? いや、『だった』と言うべきか」
 勇は黙っている。ふつふつと腹の底から湧き上がってくる怒りは、いかんともしがたい。
「心配することはない。そのボディは戦闘用だ。使いこなしさえすれば、元の身体よりも高い戦闘能力を発揮することができるだろう」
「それなら」
 あんた相手に試してみるか、と勇は胸中でつぶやき、
 十四かそこらの容姿設計からは考えられない筋力をバネに、軽く跳躍し、男の目前まで神速で迫った。足を高く振り上げ――、
 男は微動だにしなかった。咄嗟に反応できなかったのか、寸止めにするとわかっていたのか。余裕に満ちた微笑で、男は言う。
「素晴らしい。目覚めてから僅か十数分の短時間でそこまでコントロールしているとは」
「…………」
 気に食わない男だ。勇は表情を険しくする。
 コントロールなどできていなかった。機動力は高いがリーチが短い。半ば本気だったのに攻撃が男に及ばなかったのは、単に目測を誤ったせいだ。
「そんな顔をすることはない。大人しくしていれば美しい娘だよ、緑川勇君」
 勇はありったけの敵意を込めた声音で言った、
「――不愉快だ。出ていってくれ」
 男はおどけたように両手を上げる。
「言われなくとも出ていく。色々と考えるべきこともあるだろう――今後の身の振り方だとかね。今夜はゆっくり休みたまえ。どちらにしろ時間はたっぷりある」
 ほぼ無限にね、と言い残して、闇医者は部屋を出ていった。
 勇はどっと疲れを感じ、壁に背を預けた。
 少女の白い手を、目の前に翳す。
「緑川勇……、か」
 それは俺の――かつて武道家だった男の――そして今は十四歳の少女の、名前。
 目覚めた、というよりは再生した、と言うべきか。
 これからのことを考えるだけの余裕もなく、勇はただ、窓ガラスに映る少女をぼんやり眺めていた。



fin.