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<東京怪談ノベル(シングル)>


The Honest Reflection


 鏡の中の少女は、緑川勇の心情を物語るかのように、眉間に皺を寄せ、唇をへの字に結び、愛らしい顔立ちを台無しにしていた。
 女に生まれ変わるなんていう荒唐無稽な夢を見た、馬鹿馬鹿しいと思いながらベッドを抜け出したら、何やら視線がいつもより目測で二十センチ近く低い、俺はまだ夢を見ているのか――と寝惚け眼を擦りつつ鏡の前に立ち、
 ……それが夢ではないことを再認識してしまった、という感じだった。夢だと思いつづけていたほうがまだ幸せだったかもしれない。
 いっそのこと、すべてなかったことにしてベッドへ潜り込んでしまえれば良かったのだが、生憎、緑川勇は鋼のような精神力の持ち主だった。伊達に師範まで上りつめていない。現実から逃避するよりは、現実に立ち向かうほうが幾分建設的だと考えている。
 事故で全身を失って、異性の、しかも十四歳かそこらの少女のボディに移植されてしまったなど、不運も不運、ツキに見放されてもそうそう経験できることではない。二日か三日、絶望に打ちひしがれて部屋にこもっていても、文句は言われないかもしれなかった。が、腹の虫はしっかり文句を言っていた。
 腹が減っては軍はできぬ。身体は欲求に正直だ。未だに他人の身体を遠隔操作しているような違和感が残るにせよ、自分のものであることに間違いはない。
 ともかく外へ出て食糧を調達すべきだ、と勇は考え、――そして恐ろしい事実に直面してしまった。
 大袈裟だろうか。いや大袈裟じゃない。
「――着る服がない」
 思わず口をついて出た声は、鈴を転がしたように高かった。努めて低い発声を意識してもこれだ。勇は、がっくりと肩を落とした。
 何にせよ、だ。服を調達しなければなるまい。悲観ばかりもしていられないのだ。
 だいたいあの男、と勇は胸中で毒づく、小っ恥かしい服ばかり用意しやがって。誰が無駄にひらひらした装飾だの何だのといった服を着るかっていうんだ。
 非常に腹が立って、そのうち泣きたい気分になってきたが、勇はそれを闇サイバー医師からの挑戦として受け取ることにした。すなわち、大人しくワンピースを着るか、外に出て自分でなんとかするか、選べ。という。
 勇は後者を選ぶことにした。
 あてがわれた服の中で一番マトモそうなものを選んで(つまり一番装飾が少ないもの、だが)、手早く身に着ける。キャッシュの残りを確かめた。
 準備は万端だ。そのまま出かけようとし、ふと勇は、鏡を振り返った。
 寝起きで乱れた髪の毛。不機嫌そうな顔。
 年頃の女の子がこれではさすがに不審がられるかもしれない。勇は簡単に身嗜みを整えた。
 ……まったくもって可愛らしい少女が、鏡の中にはいた。
 むすっとして唇を尖らせると、拗ねたような表情になって、結局可愛らしいことには変わりなかった。

    *

 平穏な街並みとは裏腹に、勇の心情は穏やかではなかった。
 目線の高さが違うだけで、前はすんなり見渡せた人ごみの向こう側を見ることができない。周囲の圧迫感も凄まじい。サイバー化される以前の鍛え上げた肉体は、それだけで他者に対しての牽制となっていたが、この姿は逆に、自分はか弱い羊であると宣言しているようなものではないか。
 生身の人間とサイバーの区別をつけるのはほぼ不可能と謳われているように、勇がオールサイバーであることに気づいている者はいないようだった。いない、はずなのだが。
 ……やはり、落ち着かない。慣れるまで相当時間がかかりそうだ。
 勇は目についた洋服店に飛び込むと、真っ先に男物のコーナーへ向かった。少女らしさを少しでも緩和できるなら何でも良い。
 が、そんな勇に向けられる店員達の視線は冷たいものだった。
「お嬢さん、――恋人へのプレゼントでもお探しですか?」
 一瞬誰に向けられた台詞かわからなかった。
「……え?」
 慌てて声のしたほうを振り返ると、何やら微妙な表情を浮かべている店員がいた。
「え? あ、いえ」俺はお嬢さんじゃない、と激しく否定したくなるのをなんとか堪えた。「俺――じゃない、私が、着るんですけど」
 店員は変な顔をして勇の華奢な身体つきをじろじろと見回す。
「……お客様に合うサイズはないと思いますが」
「…………」
 勇も思わず難しい顔をしてしまった。
「女性物のコーナーはあちらですよ」
 あちらですよ、と手で示される。
「……私じゃ着れませんか?」
「はぁ、無理だと思いますが……。お客様、華奢なようですし」
「…………」
 勇はすごすごと引き下がった。
 念のためにと二、三軒回ってサイズを確認してみたが、結果は同じ。冷遇だった。酷いときは苦笑までされてしまった。『十四歳の女の子』を相手にするような態度に、何度、俺は男で、二十七歳だ、と言ってやりたくなっただろう。
 ろくに試着もせずに少年用の服を買い込んで部屋へ戻り、勇は今日一日分の溜息を一気についた。
「疲れた……」
 九割方精神疲労だ。
 しかし一刻も早くこのひらひらした服をなんとかしたい。勇は全身鏡に自分の立ち姿を映し、着替えを始める。
 するりとした白い肌がさらされると、なんだか心許なかった。
 いくらサイバーボディとはいえ、この肌の肌理の細かさは、若い女性に特有のものだろう。腕は折れそうに細い。
 この身体に常人の数倍の筋力があるというのだから、まったくふざけた話だ。何を思って医療用ではなく軍用にしたのか甚だ疑問である。
 頭のおかしいサイエンティストの芸術作品、か? 歪んだ妄想を形にできてしまえる頭脳の持ち主は困る。何を仕出かすかわからない。天才となんとかは紙一重、とは言いえて妙だ。
 抵抗を覚えつつも女物の下着をつけ、頭からすぽんとTシャツを被った。
 胸のあたりの不快感が気になって仕方がない。洋服の繊維が引っかかって痛い、というか。……発展途上の胸は、どうもこだわりの創り込みであるらしい。勘弁してくれ、と勇はぼやいた。
「女装をするハメになるとは思わなかったな……」
 外側だけならまだしも服の内側まで。
 抵抗感を無視して、というかもはやプライドをかなぐり捨てるような気持ちで、ご丁寧に用意されたブラをつけた。この金具は何なんだ。女ってのは器用な生き物だな。どうでもいいが、清純な少女の着替えを覗いているようで気が滅入る。
 そうして改めてシャツを被り、ズボンを履くと、案の定袖や裾が余ってしまった。ウエストはベルトを締めて誤魔化し、ズボンの裾は何回か折り曲げた。
 シャツの肩の部分はずり落ちたようになり、袖から出るのは関節から先までのみという始末。
 鏡に目をやり、ずばり適切な比喩を思いついた。
 ――彼氏から服を借りた女の子。
 勇は頭を抱え込んで床に沈没してしまった。
「大人じゃない癖に、女だと主張するのか、この身体は……」
 あるいは女になりゆくもの、だろうか……。
 サイボーグの普及で、性別に対する概念は曖昧になったものと思っていた。
 それでも依然としてヒトは男女の姿形にこだわるらしい。
 子供にしか見えない、女にしか見えない。元の緑川勇という自分は、どうやったって証明できないこの身体。
 本来このボディに入る予定だった人間は、どういう人物だったのだろう。
 ボディに相応の少女か。それとも、性別ではアイデンティティを確立できなかった男か……。
「俺は男だ」
 何とも頼りない気持ちで、そうつぶやいた。
 鏡は忠実に、誠実に、そして正確に、現在の勇の姿を映していた。
 鏡は、おまえは女である、と言っている。十四歳の、発展途上にある、華奢な少女であると。
 これ以上彼氏の家に寝泊りしているような少女の(自分の)姿に向き直っているのも空しく、勇は鏡に背を向けた。
 足下にひらりと紙切れが落ちてきた。拾い上げたそれが、サイバー化によって己に背負わされた借金の金額を端的に示すものであることを知り、
 勇はこの先一月分くらいの幸せが逃げていきそうな溜息をついた。
 その溜息までもが、恋に悩む少女か何かのようで、勇の苦悩は深まるばかりだった……。