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<東京怪談ノベル(シングル)>


A Terrible and Toroublesome Day: 02


 ――厄介事ってのはづつくものだ。
 一生無縁だと思っていた、華やかなビルの入り口に立ち尽くし、緑川勇は己の不遇を嘆いた。
 事故で全身を失ったというだけでも十分悲劇のヒーロー(外見上はヒロイン)足るのに、
 必要に迫られて外出したらナンパされた。
 しつこいナンパ男をなんとか振り切って逃げ込んだ先がファッションビルだった。
 挙句、
「いらっしゃいませ」
 女性店員に、しっかり目をつけられてしまうという始末。
「どんな服をお探しですか?」
「いや、あの……」
 勇は目を泳がせた。どうやって着たら良いのかもわからないような服が綺麗に並べられており、勇より年上と思しき女性達がめいめい品物を物色している。彼女達は皆楽しそうだった。勇には理解不能だ。
 ……女って生き物はいつもこんな気苦労を背負って生きているのか?
 毎朝鏡の前でべったりと化粧をし、洒落た洋服を身に纏って、ちょっとした仕種にも気を配る。給料が入ったらその一部は確実に洋服代に消える。
 誰がために着飾るのか。半分は自己の欲求を充足させるため。そしておそらく残りの半分は、俺達――男のために。いくら勇が硬派だとは言え、女性に綺麗にしていてほしいと思うのは当然の心理である。はじめて女性の苦労を理解した思いだった。が、今はしみじみとそんな考えに浸っている場合ではない。
「見てるだけですから」
 勇はそそくさと、店員の脇をすり抜けた。
 入ってしまったものは仕方がない。これも何かの縁と思って、物色していくことにしよう。縁と思って。縁……。
 ――縁もゆかりもないような服ばかりじゃないか!
 勇は叫びたくなったが、
 いや、駄目だ、ここで逃げ帰ってはまた同じことの繰り返しだ、などと必死で自分に言い聞かせながら、半ば勇み足で店の奥へ向かった。
 とにかく一週間分の服だ。と、いかにも独身男性的な思考に行き着く。一週間周期で洗濯、つまりトップ、ボトムズに下着が七着ずつ。当面はそれで凌げるだろう。ユニセックスの、何か落ち着いた色合いのものがいい。
 何気なく目についたズボンを手に取り――ラインは幾分女性的ではあったが――、勇は値札に示された金額を見て一瞬軽い眩暈を起こした。来る店を間違えた。今ならまだ早い。引き返そう。
 早くなかった。
「何か気に入ったものはありました?」
 勇はぎくりとして立ち止まった。立ち止まらざるを得なかった。店員に道を塞がれてしまったので。
「ええと……」勇は居心地悪そうにどもる。「その、無難であまり高くない服を……」
「こちらなどいかがでしょう?」
 無難、の意味がまったく通じていなかった。
 明るい色合いのワンピースを勧められ、いや、そういうのではなくて、と小さな声で抗議する。あんまり女々しくないもの……、スタイリッシュだとか何だとかいくらでも伝えようはあったのかもしれないが、そもそもファッション知識に乏しいため、具体的な単語で求めているものを説明できない。
「ではこちらは?」
「スカートはあんまり……」
「お客様の身長だと限られてしまいますね」
 何が何だかわからぬままひょいひょいと服を手渡される。試着してみろ、ということか。
 どうも押され気味だ。これでは優柔不断も良いところだ、と思うのだが、色々な後ろめたさも手伝って強く出ることができない。
 押し込まれるように試着室へ入り、仕方なしに勇は脱ぎ着を始める。背中のファスナーと格闘した後になんとかワンピースを着てみれば(スカートは嫌だと言ったはずなのだが)、鏡の中の少女は相変わらず美しく……、
 いっそ開き直って女らしく着飾ってやろうか、と一瞬考えた。
 もちそんそんなものは血迷った考えだった。
 女ものを着るのに罪悪感すら覚えているのだ。これから毎日「女装して」街中を歩くことに耐えられるだろうか? ある意味無骨な、鍛え上げられた肉体こそが己の存在証明の一端を担っていたというのに。不可抗力で女の身体に入れられてしまったとは言え、そこまで堕ちる気にはなれない。いや、なってはいけない。異性としての新しい人生を歩もうなどという気には。
 第一、男の身体に戻る希望を捨てたわけではないのだ。このサイバーボディの借金をすべて払い終えるまで気の遠くなるような年月がかかるのだとしても。生身の身体に付き纏う、老いという概念がない以上、時間は有限ではない。――せめて脳のリミットを越えるまでは、男の身体に戻る希望を捨てはしまい。
 改めてそんな誓いを胸に秘め、試着室を出たものの、……現実は厳しかった。
「いかがですか?」
 にこにこと上品な、しかし有無を言わさぬ笑顔に迎えられて、途端に勇の希望は萎れてしまう。
「……スカートは、やっぱり、落ち着かないんですけど……」
 敢えて意識するまでもなく、女の子らしい、頼りなさげな表情になってしまっていた。
 それでは、と勇の注文に応じて新たに店員が選んできた服は、いずれも足がしっかり露出するもので。
 いやだから、と勇は懇願にも似た思いを抱いて店員を見上げた、極力露出が少ないものを……!
 が、勇の思いは通じなかった。結局押し切られて、キュロットやホットパンツなどといった、勇の「可愛らしさ」を引き立てるような服ばかり選ばされてしまった。辛うじて死守したのはジーンズ一本という大敗ぶりである(そう、これは一種の戦いなのであった)。
 上下をコーディネートしようと思ったら、結果は推して知るべし、だ。無地のTシャツか何かで十分なはずが、明るい暖色の、洒落たブラウスやキャミソールなどといったものばかりになってしまう。
 どういうわけかスカートも一着混じっていた。
「…………」
 勇はがっくりと肩を落とした。店員はそんな勇の様子には気づかない。
「靴は、そうですね。お客様のサイズですとジュニア向けのものが良いかもしれませんね」
 ……靴まで? と勇は思う。
 ピンク色のスニーカーに、フォーマルな革靴が一足。もう当分ピンク色のものは見たくない。しかしこれから毎日見なければならない。鏡で。帰ってからまずやるべきことは、部屋中にある鏡をぶち壊すことではなかろうか。
 ここで解放されるはずだったのだが、勇を着せ替え人形にするのがいたく楽しかったらしい、押しの強い店員に促されるままランジェリーのコーナーまで行き、断る間もなく採寸され(上から67、49、70だった)、ティーン向けの下着まで買わされてしまった。下着は生活必需品なのだが。それにしても。このパステル調の色合いはどうなのだ。一組だけ、大人っぽいというか、色気ったぷり、という感じの勝負下着まで混じっている。十四かそこらの少女に、黒レースはどうなのだろう……。
 後半になると抵抗する気力も失せてきてしまい、トータルコーディネートを名目に、ちょっとしたアクセサリや洒落た鞄、ポシェットやら何やら、といった小物まで買わされてしまった。
 支払った金額については考えたくもない。
 今月分の食費を削る羽目になりそうだった。自炊は諦めて栄養剤で済ませようか……何か、色々妥協している気がする。
 誰が見ても文句なしに可愛く着飾られてしまい、勇は、物理的なものだけではなく、精神的なものまで失ってしまった気分になって帰途へつくのであった……。

    *

「まったく、酷い一日だった……」
 ベッドに身を投げて、勇はぐったりと溜息をついた。
 目の前に手を翳してみれば、華奢な、白い少女の一部がそこにはある。
 このか弱い手で、いつか、希望をつかみ取れる日がやって来るんだろうか……?
 前途は多難である。



fin.