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flower in the world's edge
此の世は、ごく単調に回り。
其の回転数に合わせ、何処かで何かが軋む音が上がる。
軋みは、何かが壊れている事を示す音。
誰もが気づいていながら気づかぬ振りをしている、その音は……
――崩落してゆく未来を、示す音。
*
遠くに銃声を聞きながら、真咲水無瀬はぼんやりしていた。
銜えた煙草の先に燈る火はいつの間にか消えていて、吸い込んでもただ焼け焦げた葉の匂いを含む空気が口の中に不快感と共に広がるだけ。
だが火を点け直そうとはせず、そのまま唇に湿った感触と共に触れるフィルターを緩く歯で噛む。
火を点け直すのが億劫だったというのもある。
だが、それよりも……。
「……冗談じゃない」
誰に聞かれることもないほどの小さな、吐息にも似た声で呟くと、真咲は首を動かし、白い喉許を無防備に仰け反らせて頭上を仰いだ。頭の天辺が、背を持たせかけていた建物に触れる。
ゆら、と、建物の輪郭と空が揺れたような気がしたのは、砲撃のせいではない。
前髪の奥にある黒き瞳は、そこにはない遠い物を見ている。
瞳に映るのは、灰色にくすんだ空ではなく――記憶の中の、光景。
また一つ、どこかで乾いた銃声が響き渡った。
だがそれがどこから聞こえたものか確認する前に、真咲は上下感覚が狂った中で、意識を空へと落とした。
何度、失くせばいいのだろう。
何度失くしたら、もう失くさずに済むのか。
何度失くしたら、この痛みに慣れられるのか。
答えはどこにもなく、何も得られぬまま――過ぎ去る時の中、ただ何度も同じように繰り返される出来事。
笑いあっていられたのも束の間。
愉しさの裏側には、いつも硝煙と死の臭いが立ち込めていた。幾ら洗っても落ちない程に染み付いた、その臭い。
一体、今までに何人の仲間がその臭いに包まれて自分の前から姿を消していっただろう。
つい数刻前まで肩を寄せ合って笑いあい、平和という名の幸せに包まれているはずの未来に思いを馳せ、話に花を咲かせていたと思ったら、もう、その姿は過去のみの存在になっている。
戦場にありては、別に不思議でも何でもないこと。
食事や休息の時間――お決まりの席に座るべき者が、もうこの世に存在しなくなっている、なんてこと。
……なのに。
いつまでたっても慣れられない、その痛み。
その痛みの数というのはすなわち、失った仲間の数。
仲間を犠牲にして生き延びる死神――と、あちこちで語られても仕方のないことかと思う反面、いつも抱くのは、やり場のない自分自身への苛立ち。
殺したくて殺しているわけじゃない。
死なせたくて死なせているわけじゃない。
できれば、誰一人として失いたくはなかった。
だが「隊長」「リーダー」と自分を慕ってくれた者たちが一人、また一人と消えていく現実は、どうあっても消す事はできない。
そして、その仲間の命を救えなかった自分に対する苛立ちと怒りを、どうすることもできず抱えたまま、命が消えたことにより出来た空白を埋めるかのように得る、新たな仲間。
死神と恐れられている自分を慕い来る者に、つねに戸惑いは持っていた。
新たな仲間への戸惑い。
そしてそれとは別の、失くした仲間の顔が時を経るにつれて記憶の彼方へと薄れていくことへの、戸惑い。
『隊長は、黙ってりゃもうまるっきり上玉の美女だからなァ、俺たちがちゃーんと見といてやんなきゃどこの誰に掻っ攫われるかわかんねえって』
『あン? ……お前……そうかそうか、いいんだぞ? 早死にしたいのならそんなに遠まわしに言わなくても』
『……隊長、眼が全然笑ってません……嫌だなぁ冗談ですよ冗談っ。大体隊長は俺らが守らなくても十分強いし』
十分強いと認めていながら、彼は自分の眼の前で銃弾を食らい、地に伏した。
自分が浴びる筈だった鉛の弾を、その身に受けて。
……仲間の命を食いながら生きている、というのはあながち外れてはいないのかもしれない。自らの前で斃れ伏す仲間を見るたびに、そう思った。
その代償としてこの痛みを抱え続けているのなら――それは当然のことなのだろう。
人の命を糧にして生きているその罪に対する、罰として。
望むと望まざるを別にして。
そういう現実が、ただ、ここにある。
けれど、今。
畏敬の念を込めて自分を見る瞳ではなく――自分と同じものを見ることが出来る瞳を持つ仲間が、いる。
ずっと、いつでも欲しがっていたもの。
それが、今はすぐそこにある。
手を伸ばせば、届く場所に。
『――……って、聞いてはりますかリーダー?!』
どこかからか聞こえる喚きにも近いその声に、ふと、真咲は遠ざかっていた意識を引き戻した。
開いた双眸に映る空は、先ほどまでと変わらず重い灰色をしている。
唇に触れるものが妙に不快だと感じ、酷く重く感じる腕を持ち上げてそれを指先で取り払う。
火の消えた、煙草。
(ああ、そういえば消えたままだったか……)
思いながら、真咲はジャケットのポケットからライターと新たな煙草を取り出した。ゆっくりとした所作で口に銜え、慣れた手つきでライターにつけた火を煙草の先に灯す。
身体が重いのは、血が流れすぎているからだろう。やや貧血気味のようだ。さっき火を点けるのが億劫だったのもそのせいである。
「――――……」
深く一度煙を肺に取り込み、ゆっくりと宙に向けて吹き出す。そして何となく、指に挟んで口許から離した煙草の先に視線を向けた。
焼けていく葉。立ち上る紫煙。
冷静になる頭の中に、ふと、どこかで見た映像が浮かぶ。
墓の前でゆうるりと立ち上る、細い煙。
あれは、何というものだっただろう。
(確か、ナナシの持っていた映像作品の中に……そんなシーンがあったような……)
思い、ふと真咲は唇に笑みを浮かべた。
何となく。
この煙草の炎が、死という墓標と共に過去に埋もれた仲間たちへの弔いの炎のように思えたのだ。
今はもう逢う事が出来ない仲間たちへの。
『おーいリーダー?! 聞こえてはったら返事してて言うてるんやけど、聞こえてはりません?!』
再度鼓膜に触れる元気な声に、真咲は再度煙草を咥えながら空いた手をジャケットの内ポケットに突っ込むと、小型無線機を取り出した。
「そんなに大声出さなくても聞こえてるぞ」
『あ、やっと返事してくらはったわ。ボク、今からそっち行きますさかい大人しゅう待っとってくださいね』
「あ? な……ちょっと待てナナシ、こっちに来るってお前、ここの状況が分かっててそんなこと」
どこか能天気さを含む口調でこっちに来ると宣言する、無線の向こう側の相手――兆ナナシに、真咲は慌てて声を紡ぐが、それに対してもナナシは穏やかな声で応じた。
『そやから、えらい危ないことになっとるんでしょ? 心配せんといてください、ちゃんとそこまで迷わんと行けますさかい。あ、いにしなに雨降るかもしれへんし、傘持っといたほうがええですやろか』
「は? 傘って……」
今から戦闘区域に来るというのに、持ってくるかどうかとリーダーに訊く物が「傘」?
まるでお散歩気分だな、と思わず突っ込みを入れたくなったが、それは一旦横に置く。
「いや、それはどうでもいい。それより、迷うとか迷わないとかじゃなく危ないからこっちには来るなと俺は言っ……」
『ほな、そっから動かんとってくださいね? えぇと、もーちょいしたらつきますし。それまであんじょう気張ってくださいね。あ、くれぐれも無理はしんとってくださいよ?』
「あ……おい、ちょっと待てこの莫迦っ」
叫んだ真咲の声が向こうに届くより前に、きっとナナシは無線を切ってしまったのだろう。それ以降、まったく何の反応もなくなってしまった。
普段はお人よしで、そのはんなりとした柔らかな響きを持つ口調のせいからか妙におっとりしていて、しかもかなり天然が入っているように見えるのに、こういう時にはやけに強情である。
少しくらい人の話を聞く余地があってもいいと思うのだが……まあナナシに無茶をさせている原因はきっと、自分にあるのだろう。
呼んでも呼んでも無線に応答がなければ、誰だって心配になるだろう。しかも、この場で激戦が繰り広げられていると知っていれば尚のこと。
「……ったく、仕方ない奴だな……」
溜息を一つ零すと、真咲は煙草を銜えたまま傍に置いていた銃を引き寄せてシリンダーをスイングアウトさせると、そこに装填されているカートリッジを確認する。
「……まだ行ける」
こんな場所で死ぬなんて冗談ではない。
意識を途切れさせる前に呟いた言葉を再度胸の裡で自分に言い聞かせるように呟くと、真咲は持たれていた建物の壁から身を起こし、ゆっくりと立ち上がった。
途端、どこからか銃声が上がる。
(気づかれたか)
軽く舌打ちすると、真咲は煙草の煙を率いながら建物の影に身を潜めるようにして素早く移動する。先刻の音がどこから上がったのか、今までの経験を元に推測しながら。
さっきまでの戦闘で、すでに身体にはいくつもの傷を負っている。そこから流れ出る血のせいで、眼の前が妙にちらついた。
しかし、倒れ込んでいるわけには行かない。
自分はもう――失くしたくはないから。
今、傍に居る仲間を。
いや。仲間ではなく。
『相棒』という、かけがえのない者たちを。
口に出してそうとは決して言わなくても、そうだと分かり合える者たちを。
「……っ!」
壁の影から身を躍らせると、真咲は即座に狙いを定めて敵に向け、容赦なく銃弾を撃ち放った。
「あーもー……あんだけゆうたのに。無理しんといてくださいて」
到着するなり眉を持ち上げて呆れたように言うナナシに、敵の攻撃から身を守るために壁の影に身を隠していた真咲はひょいと肩を竦めた。
「これはお前から連絡が入る前に受けた傷だ。お前が無線を切ってからは別に無茶なんてしてないぞ」
「そんなんはどうでもええんです。ほんま、大概にしとかんと命いくつあっても足らしまへんよ?」
「命の心配をしていて生き残れる時代でも立場でもないだろう」
「まあ……そらそうかもしらんけど。痛ぁないですか?」
「これくらいどうということはない」
「そやかて、血がこないに出て……服が黒いさかいようわからへんけど、顔色かてようないし」
「大丈夫だと言っているだろう、聞こえないのか?」
何度も大丈夫なのかとしつこく問うナナシに向かい、真咲は鬱陶しげにその話題を断ち切るようひらりと手を振った。どうあっても泣き言を吐かない真咲に、今度はナナシが肩を竦める。その肩の上で、彼の動きに合わせる様に金色に染まる毛先が揺れた。
まあ、こういう人だからこそ、ナインス部隊隊長が務まりもするのだろう。
強靭な精神力があるから。
どんな時にも不敵さと冷静さを失わない、彼だから。
「ほんま、しゃあないお人や」
左腕に内蔵されたクローの具合を確認しながら、ナナシは銃撃の音が響き渡るこの場に相応しくない穏やかな笑みを浮かべた。
「さてと。ほな、さっさと敵サンいわして皆のとこに帰りましょ」
「いわして?」
「やっつけて、てこと」
「ほう……なかなか言うじゃないか、ナナシ。まあ俺がこなくていいと言うのを聞かずにここまで来たからには――分かってるだろうな?」
唇に笑みを浮かべて、真咲は敵方に視線を送る。
「嫌だと言っても最後まで付き合ってもらうぞ?」
まだ、敵のほうが数は圧倒的に多い。見るからに状況は不利だ。ここからの形勢逆転を狙うとなると、相当な労力と戦闘力、そして運が必要だろう。
だが、真咲の裡には一片の不安もない。
鋭さと自信に満ちた光を宿す黒き双眸に、ナナシはどこか眩しそうに眼を細めて笑った。
「嫌やなんて言うわけあらへんのに」
自分から望んで、進んでここに来たのだ。この期に及んで嫌だなんて言うわけがない。
勿論、そんな事は真咲も分かっているのだろう。
にこにこと邪気なく微笑むナナシに、くいと顎を動かして敵の方を示す。
「行くぞ」
「はい了解。ほなボクが正面突破図りますさかい、リーダーは銃つこての援護、あんじょうよろしゅう」
「ああ、任せろ」
短時間に役割分担を終えると、真咲は壁の影から身を躍らせて地面に飛び込み、くるりと一回転して片膝をついた姿勢で起き上がると、腕を伸ばし、銃身を横向けに構えて撃ち放つ。
敵がその突然の反撃に一瞬遅れを取った隙に、ナナシが素早く駆け出した。左のサイバーアイで敵との距離を正確に測りながら、反撃しようと銃を構える相手のその懐に、左腕に仕込まれた黒刃のクローを振るって飛び込んでいく。
「まったく……お蔭でおちおち怪我して倒れてもいられない」
ナナシの切り込みを援護するように肩に提げたホルダーに差していたリボルバー式の銃を引き抜くと、弾切れを起こした銃と持ち替えて撃ち放つ。
そんな真咲の文句が聞こえたのか、ちらりと前方の敵を左腕に仕込まれた武器を振るい薙ぎ払いながらナナシが振り返った。
「よっぽど死神に嫌われてはるんやろね、リーダーは」
「莫迦。お前がのこのここんなところまで来るからだろうが」
「んー、ボクが来たさかいに倒れてられへん言わはるんやったら、やっぱりボクが来て正解やったゆうことやないですか?」
倒れたままでは、仲間の所へ帰ることなどできないのだから。
失いたくない仲間が現れたことで――守るべきものが見えたことで、それが力になる事もある。
まあ、真咲とて別にナナシが来なかったからと言ってここであの世に旅たって過去の仲間に逢いに行くつもりなど毛頭なかったが。
「まったく……」
ナナシの言葉に呆れたように呟いてから、真咲は唇に笑みを乗せた。
「まあ、来たからにはしっかり働いて帰れよ」
「言われんかてよう分かってますよ。うちのリーダーはほんま、人使い荒いさかいなぁ」
「ナナシ、右!」
「はいはい、っと!」
右側から現れた敵が、ライフルの銃身を薙いでナナシの頭を殴ろうとしたが、ひょいとそれを軽くいなして銃身を掴んで相手の動きを封じると、軽く顎先を蹴り上げる。
その後ろからナイフを投げようとする者の二の腕に、真咲が銃弾を撃ち込む。
さらさらと毛先が金に染まった黒髪を揺らせながら、次から次へと敵を手にかけていくナナシ。
その背を見、彼を援護しながら……ふと、真咲はとある一輪の花を思い出していた。
それはいつか見た、花。
どこまでも澄み渡った一点の曇りすらない美しい青空の下、強い光を大地に落としながら輝く太陽に向けてその身を精一杯伸ばし、咲いているそれは――なんと言う名の花だっただろうか。
強い日差しを受け、熱風に揺れながら咲くその花は、金色の煌きを有しているかのようで――まるで、太陽そのもののようで。
生命力に満ちたその様を見ているだけで、明るい気分になれた。
……ナナシの肩先で揺れる金色の髪が、その花を思い出させたのだろうか。
「リーダー、次っ」
過去の記憶から現実へと意識を切り替えた途端に、飛んでくる声。
振り返りながら言うナナシに、真咲は瞬きをした。
今、空は今にも雨が降り出しそうに曇ってはいるけれど。
振り返ったその相棒が浮かべた笑顔が、まるでいつか見たあの花のように思えて。
どうやら髪のせいではなく、彼の笑顔が、あの花を思い出させたらしい。
「ああ、わかっている。行くぞ」
明るく澄んだその無邪気とも言える微笑みに、真咲は応えるようにそっと微笑み、頷いた。
*
世界が上げる軋みは、止まる事がない。
その未来壊音が、いつ止むかも分からない。
けれど。
何となくこの相棒となら――相棒たちとなら、それすらも乗り越えられる気がした。
乗り越えて、いつか、あの太陽のような花をまた見ることが出来ると――……
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