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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


Mortal Illusion -死に至る幻想-


    00 プロローグ

 猫か犬でも降ってきそうな、土砂降りの雨だった。
 大昔の神話では、猫は豪雨、犬は暴風の象徴らしい。だから猫か犬でも降ってきそうな勢い。ちょっと用法が違うか。
 一等星すらろくに見えないシティの空は分厚い雲に覆われ、人々の生活の灯は、余命幾許もない蝋燭のように弱々しい。濡れた路面に照り返す赤と青の回転灯だけが、忙しなく街を照らしている。ニューヨーク・ポリス・ディパートメントのパトカー。何か事件があったらしいことを知らしめるには十分だが、犯罪発生率のグラフを右肩下がりにするには役不足な感が否めない。ニューヨーク市警が名ばかりの機構になってから、随分経つ。
「……これで四人目だな」
 それでも、警察に所属する人間として最低限のプライドくらいは持ち合わせている。NYPDの刑事、キース・F・モーガンは、両目が刳り貫かれた死体を見下ろして、忌々しげに吐き捨てた。
「そろそろFBIがしゃしゃり出てくるんじゃねぇの」
 代理で検屍官を務めている民間人のデイヴィッド・レイが、だから無駄働きだよ、形式だけ済ませてさっさと帰っちまおうぜ、と無責任な発言をする。もっとも民間人の彼は、事件解決に際するいかなる責任も負ってはいない。
「俺達の、違った、おまえの出る幕じゃねぇよ」
 俺は最初から無関係だからな、とデイヴ。
「FBIだって言うほどは機能していない。早い段階で手詰まりになるのは僕達と同じじゃないかな」
「おまえらの捜査が良いとこまで進展したら、美味しいとこを奴らが持ってくんだよ。猟奇モノのセオリーじゃねぇか。美人の捜査官が出てくるんだぜ」
「それで解決するなら大歓迎さ」
「しかし現実はそこまで甘くないのであった」
 茶化すように言い、デイヴは地面にしゃがみ込んだ。
 死体の後頭部は派手に陥没している。両の眼球が持ち去られており、赤黒い眼窩が恨めしげに虚空を睨んでいた。身に纏った服は、みすぼらしいとまではいかないものの、決して高級とは言えない。
「ふん。今回も一発だな。鈍器で脳天がつん、だ。眼を刳り貫いたのと、殺したの、どっちが先だと思う?」
「僕が被害者の立場だったら、先に殺されるほうがまだマシだな」
「眼を抜かれるだけなら何も問題はないだろ。サイバー化すりゃいいんだから」
「ニューヨーカーの何人が、真っ当なサイバー化手術を受けられると思う?」
「真っ当じゃない手術なら誰でも受けられるぜ」
「無理だ。保険も金もない人間ばっかりなんだから」
「裏金を工面すりゃいい話だろ。そんでうちに手術を受けに来てくれりゃ、俺の生活は安泰なんだけどなぁ。――っと、今は金儲けの話じゃなかったな」
 やっと真面目に捜査にあたる気になったか、と思いきや、
「腹が減ったからさっさと帰ろうって話だ」
 デイヴはキースの期待を軽やかに裏切って立ち上がった。くそ、雨で服が濡れた、などとぼやいている。
「デイヴ……君、色んな人間に恨まれると思うよ」
「ははん、現在進行形で敵ばっかりだぜ?」デイヴは片目を細めて、笑みらしき表情を作った。「とにかく、だ。一般人のおまえよか、『ゼロ』にたむろしてる連中のほうがこういった事件の捜査には向いてるだろうさ。行ってみたか?」
「既に何度かね」キースは頷いた。「しかし有効な手がかりはなかなか得られない。エスパー連中は、事件に関する話題を避けたがってる節がある」
 キースは、マンハッタン北、ハーレムの外れに位置するゼロにはじめて出入りしたときのことを思い返す。腫れ物に触るような態度とはあのことだろう。アフリカン・アメリカンのコミュニティに白人のキースが潜り込むだけでも十分目立つのに、彼が刑事とあっては――店にたむろしている面々は、彼が刑事であることにそれとなく感づいている様子だった――煙たがられるのも無理はなかった。警察の厄介になることを嫌う人間は大勢いる。殊に、ドラッグの取引が横行するここマンハッタン区では。
「懲りずに通い詰めてみるんだな。正攻法じゃこの事件の犯人は捕まらねぇよ」
「そうだな……」
 この事件。エスパーばかりが殺害され、両目を持ち去られるという連続殺人事件は。
 ――雨は、証拠すべてを洗い流さん勢いで、激しく降りつづけている。


 ゼロの扉を潜ると、余所者に対するそれであろう冷たい視線がこれでもかというほど突き刺さってきた。
 ぐっしょり濡れた靴が野暮ったい足音を響かせる。否応なしに客の注目を集めてしまい、キースは何とも居心地の悪い気分を味わう羽目になった。
 審判の日を共に生き抜いたニューヨーカーは気さくな人種だが、体制側への態度は快いものではないと相場が決まっている。アメリカ合衆国ニューヨーク州という体制はほぼ崩壊しているのに、依然として法律は適用されるためだ。「そうするしか生きる術がない」ニューヨーカー達にとって、現行の法律は鬱陶しい以外の何物でもない。法の代弁者たる警察機構に属するキースは、そんなわけで、大抵彼らからは冷遇されることになる。ここゼロにおいても、それに変わりはなかった。
(やりにくいな……)
 これでは得られる情報も得られない。キースは無言でカウンタの前に腰かける。
ゼロはセルフサービス方式らしく、バーテンダーがいなかった。飲みたければ勝手に飲めということらしいが、キースはもともとアルコールを好まない。
「――お酒、飲まないの?」
 不意に、耳朶をくすぐるような甘い声がした。キースはびくりとして肩を強張らせた。いつの間にか隣りのスツールに腰かけていた女性が、キースの顔を覗き込んでにこりと微笑んだ。
 銀色の長いストレートヘア。白銀の瞳。白に映える紅い唇。一見しただけで瞼の裏にしっかりと焼きついてしまう、印象的な容姿の女性だった。
「……あの」
 なんとか喉の奥から絞り出した声は掠れていた。情けない。相手の雰囲気に呑まれてしまっている。
「僕は、」
「刑事さんでしょ」遮るように、彼女は鋭く言った。「雰囲気でわかる。――こんなところに何の用? お酒を飲みにきたんじゃないんでしょ」
「はぁ……その」
 どうも見透かされているようで落ち着かない。この手の女性は苦手だ。
「緊張しなくてもいいじゃないの。変ね、普通こういう状況で緊張するのはあたしのほうじゃない?」
「そうかもしれませんね……」
 先ほどからあのだとかそのだとか、意味のない返答ばかり。そんな様子を面白がるかのように、ふ、と彼女は妖艶な笑みを浮かべた。
「あたしは白神空。――ニューヨーク市警、まだ存在していたのね」


    01 キルケゴール

 先ほどから店の隅でじっと顔を俯けている人物がいる。
 腕組みをし、何をするでもなく壁に寄りかかって立っていた。出入りする客の動向を観察しているようにも見える。一見性別不詳だが、背はさほど高くなく、骨格の作りもどちらかというと華奢だ。女だろう。
 シオン・レ・ハイは、その女がどうにも気になって仕方がなかった。ネイティヴ・ニューヨーカー達は特に気にかけている様子もない。彼らの視線はどちらかというと――この自分、そして、カウンタに座る二人の男女に向いていた。
 なるほど、私達は異邦人であるということか、とシオンは納得した。
 ハーレムという立地条件のせいか、この店に集まる客は八割方黒人である。ぽつぽつと白人や東洋人が混じっており、黒髪に白い肌のシオンは、その中でも特に目立っているようだった。堅気ではないと感じさせる雰囲気のせいかもしれない。大柄な体躯に黒っぽい戦闘服も、注目を集めるのに一役買っていただろう。
 カウンタに腰かける白人男性の隣りには、良く目立つ容姿の女性が座っていた。彼女の髪は白に近い銀髪だった。男どもの視線を吸い寄せる清廉な白だ。
 店の隅にじっと立っている白人の女も『異邦人』に該当するはずだ。しかし誰も気にかけないということは、常連客なのかもしれない。
 シオンは椅子から立ち上がって、女のところまで歩いていった。
「何をしていらっしゃるんですか?」
 声をかけると、女は僅かに顔を上げた。シオンをちらりと一瞥し、すぐに視線を店内へ戻す。彼女の左目の下には痛々しい傷痕があった。
「ここのところ妙な人間が出入りしている」
 女は低い声で答えた。それを観察している、ということらしい。
「妙な人間? 例えば?」
「警察の人間だとか――な」
 女はカウンタのほうへ顎をしゃくった。例の、金髪の白人男性だ。白い女と話している。
「そうおっかない顔をしていると感づかれますよ」シオンは、丁寧だが軽い調子で言った。「お酒をどうですか? 奢りましょう」
「そうだな」女は意外にやわらかい微笑を浮かべて答えた。「折角だからいただく」
「承知しました」シオンも微笑と共に答えた。
 バーテンダーらしきバーテンダーがいないため、シオンはすぐ近くにいた男を捕まえた。
「何か強い酒がほしいのですが、お勧めはありますか?」
 病的に落ち窪んだ目をした男は、意味もなく薄ら笑いを浮かべてこう言った、
「夢を見れそうなくらい強いヤツか?」
「そうですね」
「じゃあこいつはどうかな」男は、ウィスキーのボトルを棚から一本取り上げた。「カスクだ。ストレートでいけば酔っ払えるぜ」
「ではそれをいただきましょうか」
 ポケットから小銭を取り出そうとするシオンに、病的な目の男は顔を寄せた。囁き声で言う。
「待ちなよ。ここではこいつに、飛びっきり効くクスリを入れてやるのが通なのさ。どうだい?」
 男の手に、魔法のように白いカプセルが現れた。シオンはあくまで紳士的な微笑を浮かべ、
「面白そうですが、私が飲むのではなく、あちらのご婦人へなので」
 彼女のほうを指し示した。男はげっという顔になった。その「ご婦人」はつかつか歩いてくると、ぱし、と男の手首を捉えた。
「今日は何のドラッグだ」低い声で問う。
「いやぁ、別にヤク売ろうってんじゃ……」
「見慣れないな」彼女は男の手から白いカプセルを取り上げた。「なんだ、これは。最近出回っている薬か?」
 男は引き攣るような笑顔になる。「圭羅さんも試されるんで? そいつは効きますよ。『キルケゴール』って言いましてね――」
 ケイラ、というのが彼女の名前らしい。彼女は眉を小さく跳ね上げて、キルケゴール? と鸚鵡返しにする。
「あら、洒落た名前がついてるじゃないの。『死に至る病』ね」
 そこに、例の白い女が割って入ってきた。
「死に至る――?」
 シオンはなんとなく不吉な語感のフレーズを繰り返す。
 死に至る病。単に『不治の病』というよりは、もっと重々しい響きの。
「この刑事さんがお話してらしたことと、何か関係があるのかしら?」
 白い女は、所在無さげに立ち尽くしている金髪に眼鏡の刑事を振り返った。圭羅と呼ばれた女性は、刑事の顔を見てふんと鼻を鳴らす。彼は、ますます居心地悪そうに身体を小さくした。
「やはりな。エスパー連続殺害事件の情報収集に来ていたのか」
 エスパー連続殺害事件?
「『死に至る幻想』だろう。『キルケゴール』はそのコピーか?」
 ――話が見えない。
「私以外の皆さんは何か思い当たるところがあるようですが。……できれば、ご説明願えませんか?」
 シオンの言葉に、おそらくは初対面であろう三人の男女は顔を見合わせた。ヤク売りの男は、その隙にとんずらを決め込もうとしている。
「待て」圭羅は鋭い声で男を制止した。「警察の薬物取り締まりに加担しているつもりはないが。――ドラッグを売り捌くなら、もう少し場所を考えるんだな」
 彼女の有無を言わさぬ迫力に、男はすっかり縮み上がっている。
「今回はその『キルケゴール』を没収っていうことで、見逃してあげたら?」
 白い女の助言に、圭羅は面白くなさそうな表情をした。が、ともかくも話を前に進めることが第一と判断したのだろう、男から顔を背け、素っ気無く言う。
「妙な動きはしないことだ」
 ヤク売りの男は、脱兎の如く店を飛び出していった。がらんがらん、と店の扉についたベルがやかましい音を立てた。
「で?」圭羅は白人刑事を胡乱げに見やる。「そちらのニューヨーク市警刑事は、こんなところで民間人を引っかけて事件を解決するつもりか?」
「まあ、そんなところです」刑事はお手上げのポーズを取って、諦観の表情を滲ませた。「我々の手には負えない事件と判断しました。ここ――『ゼロ』になら、殺人犯に迫れる人物がいるのではないかと」
 四人の男女の間に、互いの腹の内を探り合うような沈黙が降りた。
 店の喧騒を今頃になって意識する。行き交うスラング、脳みそに鉤を入れて引っ掻き回すようなジャンク・ロック。Killing me, killing me, killing me softly…
 白い女がふうっと短く溜息をついた。「場所を変えない?」
 無言の同意。一同は、ゼロを後にした。


「まずは事件について簡単に話さなければなりませんね」
 形式的な挨拶は省き、キース・F・モーガンと名乗ったNYPDの刑事は、テーブルの上に紙媒体の資料を置いた。
 店のランクを上げただけで幾分マシになるものだ。少なくとも怒鳴り声で会話する必要はない。メトロでチャイナタウンまで南下した四人は、中国人か韓国人か判然としないアジア人の経営する飯店で卓を囲んでいる最中だった。無論、四人分の食事代はNYPDの経費落ちだ。
「――っと、食事と同時にするような話ではないかもしれませんが……」そんなものを気にする人間はここにいなかった。構わないから進めて頂戴、という白い女の台詞に、わかりましたとキースは頷く。「数時間前に四人目の被害者が出ました。我々はこれを連続殺人事件と見なして捜査しています」
「新たな被害者が発見された数時間後に、こんなところで油を売っていて良いの、刑事さん?」
 白い女、こと白神空の台詞に、キースは無言で肩を竦めた。訊かないで下さい、とでもいうように。
「とにかく……、被害者は現時点で四人。全員エスパーです。殺害方法は、鈍器で後頭部を殴打。一発です」
「エスパーばかり?」
「はい」
 シオン・レ・ハイは、苦い顔をした。四条圭羅は無言。関心のなさそうな素振りで頬杖をついている。
「これまでの三人については、全員テレパス能力の保持者であることが確認されています。――この殺人事件との関連性は定かではありませんが、テレパス能力者達の間で最近ある噂が囁かれている……曰く、『死に至る幻想』を共有する、と」
「どういう因果関係かな」白神空はふふっと微笑を零した。「その『幻想』を見ると殺人犯に殺されるから、『死に至る幻想』なのかしら?」
「『幻想』についても手詰まりなんですよ。その内容を知ることができればまた違うアプローチも可能になるかもしれませんが……」
「『キルケゴール』というのは何なんでしょうか」
 シオンの問いに、圭羅がポケットから白いカプセルを取り出した。「これのことか」
「『死に至る病』にかけてるんじゃないかな、ということ」白神空が言う。「キルケゴール……デンマークの思想家ね。彼の著書に『死に至る病』というものがある」
 空は圭羅の手から白いカプセルを取り上げた。
「このドラッグが、『死に至る幻想』を見せてくれる――ってことじゃない?」
 試してみる? と微笑む空。シオンは、遠慮しますよ、と苦笑を浮かべた。
「それで、他に何かわかっていることは?」と圭羅。
「That's all」
 それですべてです、とキースは答えた。
「なるほど。NYPDも手詰まりということか」
「イエス。……そういうわけで、捜査に協力、していただけませんかね?」
 刑事は頼りなさげな表情で、お伺いを立てるように言った。報酬は? とにべもなく問う圭羅。「それから、犯人を発見するまでが仕事か、犯人を捕まえるまでが仕事か」
「見つけて下さい。捕まえろとまでは言いません。報酬は言い値で」
「殺しにも犯人にも興味はないけど、『幻想』についてなら調べてもいいかな」
 白神空は白いカプセルを眺め、微笑を漏らす。
「ここまで来て断るというわけにもいきませんね。協力しましょう」
 丁寧な口調で、シオン・レ・ハイ。
 キースはほっとしたような微笑を浮かべた。
「では、お願いします。くれぐれも――お気をつけて」
 意味深な言葉だった。ともかくも、幕は上がった。


    02 情報屋

 アンダーグラウンドのそれも含めて、ドラッグの取引場所から武器の入手ルートまで、様々な情報がその男の元に集まる――、という触れ込みだった。いわゆる情報屋というやつだ。
 その男――見た目だけで言えば少年――は、ゼロの二階、廃屋のような部屋で、コンピュータに半ば埋もれるようにして生活していた。
「……凄い機械ね」
 足の踏み場もない、というのはこのことだ。白神空は、呆れ顔で言った。
 これは人間の生活する場所ではない。あるいは彼は人間ではないのかも。オールサイバーというのは名目、実は脳も脊髄も入っていなくて、全部コンピュータとか。
「あ、下手に触んないようにね。線は適当に踏んづけていいから」
 踏んづけなければ前にも進めない。遠慮なくスパゲッティ配線を踏みつけて部屋の奥まで行くと、空は客用と思しきパイプ椅子に腰を降ろした。
「んで? 何の用?」
 作業用の繋ぎを着た少年は、机の上にひょいと腰かけ、空に問う。
「この辺りで名の知れた情報屋というのは、貴方のことね?」
「おねーさん、情報が欲しいなら」少年は壁のホワイドボードを指差した。「あの中から好きなの選んでちょーだい」
 ホワイトボードにはこう書かれている。

  2001年ツアー
  2010年ツアー
  2061年ツアー
  3001年ツアー

「何が違うの?」
「情報の質と値段」
「一番高いのをお願い」
 少年はぴゅうっと口笛を鳴らした。「おねーさん、太っ腹だね。で、何に関する情報?」
「『死に至る幻想』について」
 少年は無言で片目を細め、なんとも言えない表情をした。繋ぎのポケットから電卓を取り出し、ぱちぱちと弾く。「こんなもんでどう?」
「予想より一桁少ないな」空はにこりと微笑んだ。「いいわ、それで」
「んじゃ、終局への旅ツアーだね。ちょっと待ってて」
 少年はコンピュータの下に潜り込んだ。亜空間にでもなっているのだろうか。しばらくごそごそやっていたかと思うと、
「はいよ」
 ぴん、と親指で何かを弾いて寄越してきた。空気のように軽いそれを、空中でキャッチする空。
「キルケゴール……?」
 見慣れた白いカプセルをコンピュータの灯りに翳し、空はつぶやいた。
「なんだ、知ってたの?」
「あてが外れたな。それならゼロで売り捌いてる男がいたわよ」
「あー、そりゃぱちもんだね。そんな簡単に手に入るものじゃないもの」
「それならあたしも、貴方のことを信用できないけど?」
「しないほうが無難かもね。でもお金の価値くらいはあるはずだよ」
 情報屋はコンピュータの下から這い出してきた。
 小さい冷蔵庫を開けてコークのボトルを取り出し、おねーさんも飲む? と訊いてくる。空は首を横に振って断った。情報屋は炭酸を胃の中にどぼどぼと流し込んでから、
「実を言うと、それもホンモノじゃないんだ。幾分軽いやつ。ホンモノは一度でもやるとヤバいって話だからね、抜けれなくなっちゃうの」
「このドラッグに危険性はないの?」
 空はしげしげとカプセルを見つめる。ピルケースに混じっていたら間違って飲んでしまいそうな、何の変哲もない薬だ。
「ある」情報屋はきっぱりと言い切った。「体質の問題。ごく少数だけど、副作用が出る人間がいるみたい。おねーさんがそのごく少数に当てはまらないとも限らないでしょ」
「どんな副作用?」
「エスパー能力が発現するとか、そんな話だよ。コントロールできないレベルの能力がね。自分の能力を御せないエスパーの末路なんて目に見えてるからねー。ま、ドラッグにハマっちゃっても行く末は同じなんだけど」
「もともとエスパーの場合は?」
「おねーさん、エスパーか」
「まあね」
「んー、なんか新しい能力が発現しちゃったりするのかな。何でもエスパー能力を誘発する薬ってのがどっかで開発されてたって話だし、キルケゴールもその類いかもね」
「ふうん……」
 やはり何らかの研究機関が絡んでいると思って良さそうだ。
「今更だけど、なんで『死に至る幻想』のことなんて調べてるわけ?」
 情報屋の問いを、空は微笑で軽くあしらった。
「個人的な興味ってとこかな」
「あんま妙なことに首突っ込んでると、」
 死ぬよ? と真顔で情報屋は言った。空はそうね、とあっさり答える。
「単なる好奇心だから、危なくなったら手を引く。その辺の判断はわきまえてるつもり」
 少年は、にっと笑った。「気ィつけてね」
 ――ま、試すか試さないかはお任せ。とりあえず彼らが「何を」見ているのかは擬似的に体験できると思うよ。あくまで擬似的に、ね。
 またのご利用をお待ちしておりまーす、と、気軽に送り出す声を背中に聞き、空は非常階段を降りていった。
 ポケットの中には二つの白いカプセル。一つがゼロのヤク売りから没収した「ぱちもん」。もう一つは、幻想を知る手がかりになるという「半分本物」。
(試すか試さないかはあたし次第、か)
 空はカプセルをポケットの中で握り締めた。


    03 起源

 捜査の進捗状況は芳しくなかった。
 客の入りが少ない時間帯にゼロに集まった三人は、それぞれ難しい顔つきで各々が得た情報を交換し合っている。
「あたしが得られたのは、今のところこれだけね」
 白神空は、テーブルの上に小さな白いカプセルを置いた。
「『キルケゴール』ですか?」
「ええ。この上に住む情報屋から」と空は天井を指差す。「手に入れたのよ。貴方……ケイラって言ったっけ? 圭羅がドラッグの売人から没収した薬は偽物みたいね」
「それをいくらで買った?」
「知りたい?」
 空は愉快そうな笑顔を浮かべると、テーブルの表面を人差し指でなぞった。それが『キルケゴール』の金額を示す桁数であるとわかって、圭羅は唇をへの字に曲げた。
「君も物好きだな。そこまでして試したいのか?」
「試すかどうかは、まだ迷ってる。ごく稀にだけど副作用が出るって話だしね。それよりは、成分を分析させるなり何なりしたほうが有効かなって。幻想の内容が一番の手がかりにはなると思うのだけど……それはあくまで最終手段にとっておきたいでしょ?」
「愉快な幻想ではないだろうしな」圭羅はふんと鼻を鳴らした。
「そっちはどう? 被害者の住所を訪ねて回ったんでしょう?」
「ええ」シオンは頷いた。「しかし成果は皆無に等しかったですよ。そもそもが身寄りのない人達なのです。警察が手詰まりになるのも無理はありませんね」
「事件の鍵はあちこちに転がっているが、繋がっていない、ということか。全部点だ。行き当たりばったりで点を訪ねて回っている」
「情報がリンクしてないんですね」
「情報がリンクしていない?」空はシオンの台詞を繰り返した。「……リンク、か」
「どうかしましたか?」
「テレパス能力者達がは『幻想を共有』している……つまり彼らはリンクしているんでしょ。元を辿ったらどうなる?」
「――誰か、『幻想』の発信源がいるということになりますね」
「ええ。何にせよ、テレパスに直接『幻想』の内容を訊くのが一番手っ取り早い、でしょ?」
「問題はどこの誰がテレパスかわからないことだ。情報はテレパス能力者達の頭の中で完結している。クローズド・ネットワークだな。誰がテレパスかを認識するには、」
「その能力者が殺されるのを待つことね」空は肩を竦めた。「でも死人に口なし」
「鎖されたネットワーク、鎖された輪ですね。完全に部外者の私達は、どうあっても事件の輪の中に入ることはできません。……となると犯人はどうやってテレパス能力者を特定しているんでしょうか?」
「犯人に訊きたいくらいね」
「まったく」
 ――そんな調子だった。堂々巡りとかいたちごっことか、そんな言葉がしっくり来る。
 それ以上話すこともなくなって、三人は仕方なくすっかり冷めてしまった合成珈琲に口をつけたりしている。
「とにかく、テレパス能力者の一人なり何なりでも見つけなければ、進展しそうにありませんね」
「いっそ自分がテレパス能力者だと偽れば、あっちから言い寄ってくるんじゃない? 同じ能力の持ち主なら同胞意識も強そうだし」
「囮捜査だな。犯人が引っかかるかもしれない」
「でもそれをやるには、幻想の内容を知る必要があるでしょ。自分がテレパス能力者であると示す術は他にない」空は白いカプセルを取り上げる。「動き出してもいないような段階で、最終手段を使う羽目になっちゃうかしら?」
「…………」
「…………」
 シオンと圭羅は、黙り込んで空を見る。空は二人が何を言わんとしているのか理解した。
「――あたしに囮になれってことよね?」
 二人は同時に頷いた。空は、冷めた珈琲をくいっと飲み干すと、
「そこまで危ない橋は渡りたくないな。敢えて自分が殺される確率を高めるのもね」
 上の情報屋の言った通り。気をつけないと死ぬわ、と空は言う。
「薬を専門家に分析させて、その技術力から、研究機関をある程度絞ることは可能じゃない? キルケゴールと『幻想』の関係は不明だけどね。遠回りかもしれないけど、決死のダイブをするくらいなら、あたしは外堀を埋めていくな」
「賢明だ」圭羅は腕組みをして頷く。「そもそも何の痕跡も残されていない。犯人は慎重かつ狡猾な人物と考えるべきだろう。下手に動くと今度は私達が死ぬ羽目になるだろうね」
「長期戦を覚悟するしか、ありませんか……」
 つまり現時点では、何一つ前進していないことになる。ようやく方針が定まった、というレベルだ。もっとも一日で事件の真相に迫ることができるとは、誰も考えていなかったが。
「他にできそうなことと言ったら、それこそ風の噂を頼りに歩き回るくらいしかありませんね」
「クローズドじゃないほうのネットワークにでも情報を流してみる?」
「インターネットですか?」
「ええ。ニューヨークのコンピュータ稼働率じゃ効果の程は知れないけど。『死に至る幻想』の内容を知っているか、知っているなら誰からそれを聞いたのか――」
「それをいちいち辿っていくのか? 気の遠くなるような作業だな」
「だから、長期戦よ」
「その前に新たな被害者が出なければ良いですが……」
 シオンは合成珈琲の黒い液面に映り込む自分の姿を見て、憂鬱な表情でそう零した。
 被害者の人数を四人に留めることができるかどうか、甚だ疑わしかった。


    04 キルケゴールU

 信用のおける薬剤師を見つけ出すのが、ある意味もっとも困難だったと言える。別に薬剤師でなくてもいい、とにかく得体の知れない薬の分析技術を持った人物、だ。
 それが巡りめぐって四条圭羅の友人に行き着いてしまうのだから、冗談抜きで、すべてがリンクしているのではないかという気になってくる――否、リングだ。鎖された輪。何でもキース・F・モーガンは、彼の友人であるということだし。
 なるほど、輪の中に自分も組み込まれているのかもしれない。しかし犯人のそれと、空のそれは、互いに関知することなくぐるぐる回っている。それではどうあっても事件の真相には迫れない。輪はまずい喩えだった。輪に終わりはない。最初から「事件の真相には辿り着けない」と定めているようなもの。思考が堂々巡りしてきたな、と空は溜息を吐き出した。
「それで、この間お願いした薬の分析、終わった?」
 シティ内、ハーレムのやや東寄りに位置するレイ・ラボラトリ。
『医院』ではなく『製作所』とつく、そこはマッド・サイエンティストの根城であった。
 マッド・サイエンティストといっても、外見はごく普通の青年である。いわゆるステレオタイプ的な科学者ではない。名前をデイヴィッド・レイと言う――医師兼技術者、薬剤師の資格は持っていないが大学でそんな研究をしないでもなかった、だそうだ。
「終わったよ、一瞬で」
 年の頃で言ったら二十半ばくらいのアメリカ人青年は、あっけらかんと言ってのけた。
「一瞬で?」
「一瞬で。勉強なしで臨んだ数学の試験みたいに」
「つまり……」空は眉を顰めた。「わからなかったのね?」
「イエス」デイヴィッドことデイヴは、お手上げです、とホールドアップした。「怠慢だとか言うなよ。わかんねぇものはわかんねぇんだから。言うなればUnknown――」
 デイヴはそこで言葉を切り、意味ありげな目つきで空を見た。
「あんた、どっから手に入れてきたわけ? こんな得体の知れないモノ」
「情報屋よ。ゼロの上で営業してる」
「ゼロの上の情報屋――」デイヴはそれを聞いて、嫌そうに顔をしかめた。「あー、なるほど。あのクソ生意気で可愛げのない坊やね」
「その坊や曰く、『半分本物』だって」貴方が分析した薬、と空。「科学と名のつくものに関しては『天才』の異名を取るドクター・レイにも、わからなかったの?」
「神様の言語があったとしよう」デイヴは人差し指をぴんと立てた。「文法がわからない以前に、アルファベットも読めない。さてどうする?」
「解析するしかないでしょ」
「しかし神様の言語なので、俺達には理解し得ない」
「私達には永遠に読めないってことになるわね」
「そういうこと。言い換えればだね――」
 地上に存在する物質と技術じゃ作れそうにないんだよな、とデイヴは言った。
 空の表情が険しくなる。
「天界で作られたなんて、つまらないジョークでも言うつもり?」
「とにかく地上以外」
「本気?」
「イエス」
「科学者らしかぬ発言だと、自分で思わない?」
「神と科学は別に相対するものじゃない。俺、一応クリスチャンだし。科学で説明できない部分は面倒くさいから神様にお任せするのであった」
 不敬虔なクリスチャン、でなければ落ち零れ、あるいはやる気なし、と空は思った。
「何がわからないのかすらわからないことがわかりました。というわけで、分析費用」そして空に向かって片手を差し出す。「払いたくないんなら、一日デートでも良いぜ。お姉さん美人だし」
 空は額を押さえて溜息をつく。「……貴方に頼んだあたしがいけなかったと思って、諦めることにする」
「諦めてデートしてくれるわけ?」
「…………」
 再び深々と溜息。
 そこに電話がかかってきた。ちょい待っててね、と空に言って受話器を取り上げる。
「ハロー……なんだ、圭羅か。どうした? え?」
 電話の相手は四条圭羅らしい。デイヴは途中で言葉を切り、空をちらりと一瞥する。
「いるけど、なんで? かわればいいのか? ――わかった」
 デイヴは、空に向かって受話器を差し出してきた。「圭羅が話したいとさ」
 空は受話器を受け取り、耳に押し当てる。「――もしもし?」
『振り出しに戻った』開口一番、圭羅はそう言った。その一言で、何か良くない知らせであるらしいことだけはわかった。『要点だけ言う。幻想の発信者を突き止めた、だが一足遅かったようだ』
 空は一瞬黙り込んだ。言葉の意味を呑み込むのに、ほんの少し時間がかかった。
「……殺されたの?」
『ああ。手段はまったく同じ。五人目の被害者だ』
「……そう。わかった」
 空は低い声でそう言うと、通話を終了した。受話器をデイヴに返す。
「どうしたんだ、おっかない顔して」
「振り出しに戻ったみたい」空は薄っすらと微笑を浮かべた。「結局、何がわからないかすらわからないことが、わかっただけだった、ってことね」
「ふーん。何を調べているのか知らないけどさ」
 デイヴはふと窓の外に目をやった。空もつられて窓の外を見やる。
 しつこい雨は、依然としてニューヨークの街を覆っていた。
「――デート向きの空模様じゃないよな」
 まったくその通りだった。

 雨は、すべてを洗い流さん勢いで、激しく降りつづけている。



fin or to be continued…



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■白神・空
 整理番号:0232 性別:女 年齢:24歳 クラス:エスパー

■シオン・レ・ハイ
 整理番号:0375 性別:男 年齢:46歳 クラス:オールサイバー

【NPC】

■キース・F・モーガン
 性別:男 年齢:27歳 クラス:一般人

■四条圭羅
 性別:女 年齢:23歳 クラス:ハーフサイバー

■デイヴィッド・レイ
 性別:男 年齢:25歳 クラス:エキスパート

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして&こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 納品が遅くなってしまって申し訳御座いません。当方の初サイコマスターズ依頼をお届けします。
 そして初でいきなり連作、さらに伏線を投げて終わりという有り様。お楽しみいただけたでしょうか……。長期戦で徐々に真相が見えてくるという形になっておりますので、今後のシリーズで情報は活用していただけます。もちろん参加は強制ではありません。
 今回はご参加いただきありがとうございました。次回作の告知は、後々個室にてアナウンス致します。

■白神・空様
 ポイントをついた聡明な行動でしたので、私の中で白神さん=頭が切れるという図式が出来上がりました(笑)。ところどころで核心をつく発言をしていただいております。