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逃亡鶏を追え〜ブダペストより愛を込めて〜
●始点〜プラハ近郊
「ここを破って逃げたのです」
その研究所の所員が巨大鶏の逃亡に気付いたのは、早朝のことであった。生物に関わる研究所には当然のことながら、研究のために泊り込みの所員がいて、その所員が第一発見者であったということだ。その逃亡先の見当までついているというのは、発見が極めて早かったからである。
早朝、夜明けと共に雄鶏は啼く。生まれてから十数年、灯りはあっても太陽のない地下で暮らしてきた巨大鶏も、その習性は受け継いでいたようだ。かつてはともかく、地上に出てきてからはその習慣を日々繰り返していた。
だが、普通の鶏よりも重く響く夜明けの声が……その日には、小さく聞こえたという。おかしいと思った所員は、特製の飼育小屋を見に行った。すると、巨大鶏はその巨大さに合わせて作られた飼育小屋――サイズ的には飛行機の格納庫くらいあるが――の一部を嘴と蹴爪で破壊して、そこから逃げ出していたのだという。
人の少ない夜中から明け方にかけてを狙って逃亡を企てたのは、さすがとも言える知能の高さだ。鳥目のせいと、習慣的にも、その時間は動かない時刻だというのにだ。だが、賢く逃げたけれど……それでも朝の習慣は変わらなかった。ということで、離れた場所で時を啼いたようだった。
発見が早かったため、その足取りを多少追うことが出来た。わかっているのかいないのか、また理由があるのか否かもわからないが、巨大鶏はブダペスト方面へと向かっている。巨大鶏の足の速さでは、まず1日ではブダペストまでは到達しない。最低限2日以上、寄り道していればもっと遅い。
慌てて空いている人手を集めた研究所は、巨大鶏のホログラムを見せた上で、彼らに以上のようなことを説明した。
「追いつくことも、先回りすることも可能です。こちらとしましては、出来るだけ生存状態で確保していただきたいことと……近隣、及び通り道となる離村に被害が出ないようにしていただきたい。危険生物と見做されますと、確保できても処分しなくてはならなくなるかもしれません」
ほぉ……と、ホログラムに見入っていたシオン・レ・ハイが先に説明していた所員に訊ねた。いや、先にというのは別に問題ではない。もう一人の捕獲要員、プティーラ・ホワイトには急いで聞きたいことはなかったからだ。
「これは、本当にこの大きさなんですか?」
「このホログラムは原寸大です」
巨大鶏の頭の部分は、直立したシオンよりも高い位置にある。
「鳥類の大きさの限界に挑戦していますね。……乗れますか?」
シオンとは初対面ではなかったが、何を考えているか黙っていてもわかるほど、ツーカーというわけでもない。プティーラも、この段階でシオンの考えを悟った。
このオールサイバーのおじさんは、この巨大鶏に乗りたいらしい。
「強度理論的には不可能ではありません。大人二人……オールサイバーでしたら一人程度までの加重には余裕で耐えられます」
ただし、と所員は付け加える。
「凶暴というほどではありませんが、人懐こくもありません。乗ろうとすれば振り落とされますし、気に入らないことをすれば嘴で突かれます」
どうやら、前科者がいるらしい。
「本気で突かれると、生身だと命に関わります。あなたはともかく……そちらは、気をつけてください」
所員の視線がプティーラを向く。
確かに、この巨大鶏にまともに突かれたら、プティーラなんてひとたまりもないだろう。
が、そんなことにはならない。プティーラには自信があった。
「だいじょうぶ、プーは鶏ちゃんを怒らせるようなことしないから!」
そして、ついでのように、プティーラは訊ねた。
「にわとりちゃんの実家って、どこ? お父さんとお母さんは、どこにいるの?」
「実家……というか、生まれた場所はブダペスト地下洞窟内の研究所ですね。父母鶏は死亡していると思いますよ。発見された研究記録からすれば……」
「もう死んじゃってるの!? そっかぁ……」
プティーラは何か考え込んだ。父母がもういないとなると、あとは誰だろうと。
そう考えているうちに、シオンが訊いた。
「雌の巨大鶏……ってのはいないんですか?」
「鶏で巨大になった個体は、『ゴンベエ』だけのようですね。様々な種に強化を試みたようですので、他の種には巨大化したものもいます」
『ゴンベエ』というのが、巨大鶏の名であるらしい。発見された当時につけられたものが、そのまま使用されているのだ。
「おそらく番いの雌鳥の有無をお訊ねかと思いますが……固体は特定されませんでしたが、かつてはいたようです。同時に発見された通常サイズの多量の鶏のほとんどすべてが、ゴンベエの遺伝子を引いていましたから」
2世代目、3世代目、それ以降は巨大化こそしなかったが、強力な繁殖力と生命力を引き継ぎ、良好とは言えない環境の中を生き抜いたらしい。
その多量のゴンベエの系譜に連なる子孫たちは、今も一部ブダペスト近郊で飼育されている。
「そうなんだぁ」
「そうなんですか」
微妙な顔で、シオンはプティーラを見下ろしてきている。お互い、同じ仕事を引き受けるのも初めてではないが……さて、シオンは巨大鶏を捕まえる気があるのかどうか。
実はプティーラには、あまり捕まえる気はなかったりするのだが。
所員が説明を再開したところで、プティーラもシオンを見上げた。
視線が合う。
向こうもこちらの考えていることを窺っている……プティーラはそんな気がした。
さて、その答はほどなく出た。
「たぶんね、『きそうほんのう』だよ。虫が知らせたんじゃないかな」
実際に探しに行くという段になって、プティーラはそう言った。
誰か大切な人……じゃなく、鶏が、危篤にでも陥ったとか……と。
「お父さんやお母さんがいないなら、こどもたちの誰かかなあ?」
「それか、妻でしょうね」
シオンがそう答える。どうやらシオンも、大して離れた想像はしていないように思われた。いいことだと、プティーラは頷く。
「さきにいくね」
プティーラはここから空を飛んで、追いかけるつもりだった。シオンは同じ方法は取れないので、陸路だ。空から見たほうが、足取りは追いやすいだろう。
「待ち合わせの場所はどうしますか?」
シオンの問いに、すでに背中に輝く翼を出して、ふわりと浮かび上がったプティーラは答えた。視線の位置が逆転している。
「にわとりちゃんの実家で、どおかな?」
つまり、ブダペスト地下迷宮前でだ。
「私はかまいません。では、それで」
それでプティーラは飛んで行く。
進路は迷わずにブダペストだ。追いついても追い抜いても、かまわないつもりだった。
●終点〜ブダペスト地下迷宮付近
約束通り、次の合流はブダペスト地下迷宮前となった。
ジープの速度よりプティーラの空を飛ぶ速度は遅かったが、迷わずにここまで飛んできたからだ。障害物も避ける必要はなかったので、まっすぐに来た。天使の瞳で見た通り、半分越えた辺りで形跡を見つけ出し、そして日が暮れる前にせっせと走る鶏の姿を発見する。
シオンの乗ったジープも、概ね視界に入っていた。付かず離れずで、ブダペスト近郊までやってくる。
そして、ブダペスト市街に入る手前で……
巨大鶏に完全に追いついた。
ここに至るまで、特に大きな被害は出ていなかったと思われる。あちらもまっすぐに、ここへ向かってきたからだろう。
ゴンベエは迷宮の入口の辺りをうろうろしている。
プティーラは上から見てすぐにわかったので、ひとまず養鶏場の近くに降りた。職員を捕まえて聞き出すと、確かにここにいる鶏は地下迷宮から発見されたものたちらしい。そこで、事情を話して、中に具合の悪い子がいないかを調べて欲しいと頼みこんだ。
戻ってみると、シオンは、自分の体に餌を巻いている。そして、ロープを引き出して……
「何してるの?」
プティーラは、空からジープの上に降りて問いかけた。
「一応、囮の準備ですよ」
「ここまで何もしてないみたいだし、もうちょっとようす見ないー?」
いたずらに刺激するのもなんだろうと思う。
「……構いませんが、捕まえないんですか?」
プティーラは半分ほど小首をかしげて……
「気がすんだら、自分で帰ってくれるんじゃないかなあと思って」
自主性に任せてみようというわけだ。お堅い相棒なら乗ってくれないかもしれない提案だったが、プティーラはシオンなら大丈夫な気がしていた。
「あ、そーだ……エサ、まだのこってる?」
「ありますけど」
「少しちょうだい? あのねえ、ゴンちゃん、多分ごはん食べてないよ」
上から見下ろすプティーラが見ている限り、休憩して食事をした形跡はあまりなかった。
プティーラでは運びきれないのでシオンが餌の袋を持って近づく。合成の固形食だが、ゴンベエには食べなれた物のはずだ。
ゴンベエの前にそれを撒くと、ようやくシオンの存在を認識したようにゴンベエは首を回した。シオンの体には餌を巻きつけてあったが、ゴンベエはシオンの体に巻いてあるものには興味を持たず、そのまま地面に撒かれた餌のほうをついばむ。
「……おとなしいものですね」
シオンがゴンベエを前にして考えて込んでいる。やっぱり乗りたいのかなあと思いながら……
「なにかんがえてるの?」
後ろからプティーラは、ひょいとシオンを見上げた。それに苦笑いで応えて、シオンは聞き返した。
「人を見ても無闇に襲い掛かったりはしないようですね。どうしますか?」
「ようす見。んーと、この近くに、こどもたちのいる養鶏場もあるんだよ。……でも、食べられてるんだっけ?」
「卵と食肉って、資料にありましたね」
「ゴンちゃん、それ知ったら、怒るかなあ?」
「どうでしょうね……知っているような気もしますが」
そのままゴンベエの食事を見守って、二人でしばらく立っていた。散歩に来た通行人が驚いていたが、それには、シオンが適当な説明をして誤魔化す。
「あ、移動するよ! プー、ついてくね」
その間に、餌を食べ終わったゴンベエが移動を始める。
……やはり、ゴンベエは養鶏場に向かっていた。
「あの大きさでは中には入れませんよ」
養鶏場の前では、こちらの職員が待っていた。
「うん、そうなんだけど……ねえ、ぐあいのわるい子、いた?」
「ああ、はい。別の小屋に隔離してありますが……回収されてから、ずっと元気だった雌鳥で、老いているようには見えなかったんですがねえ……でも老衰ですね。強化細胞の影響で、突然揺り返しがきたんでしょうか」
シオンと視線を交わす。同じことを考えているようではある。
「……その子だと思うな」
「そうですね」
その雌鳥を外に出してもらえるように、プティーラが交渉を始める。ゴンベエが中に入れないのだから、それしか方法がない。寿命は短くなるかもしれなかったが……もう老衰なのなら、迷っている時間はないだろう。
ゴンベエは、敷地の柵の前でうろうろとしていた。
ほどなく、職員が毛布に包んで雌鳥を運んでくる。普通よりも大きいようだったが、ゴンベエほどの異常なサイズではなかった。羽艶は悪く、そのパサパサした様子が、確かに寿命の近さを感じさせる。そしてピクリとも動かないで、丸くなっていた。
雌鳥はシオンが受け取った。職員やプティーラでは万が一暴れだしたとき、対応できない。
「この子に逢いたかったんですか?」
ゴンベエの鼻先に、シオンが雌鳥を捧げるように持ち上げる。
ゴンベエは雌鳥に嘴を寄せた。
雌鳥も少し、頭を上げた。
それから雌鳥はもう一度丸くなって、そして二度と動かなかった。
結局、あの雌鳥が伴侶だったのか、子供だったのかはわからない。何故ブダペストを目指したのかも。ゴンベエは何も言わないからだ。その後ゴンベエは、しばらく養鶏場と地下迷宮の周りをうろうろしていたが……
今、のろのろ運転のジープの横を走っている。向かう方向は、プラハ。
その首にしがみ付いているのは、プティーラだ。
「……私は何か釈然としません」
「えー、でもー、プーにはジープは運転できないから〜」
シオンのほうがこうしたかったのはわかっていたので、プティーラは笑って答えた。でも、言ったとおりジープの運転は代わってあげることはできないし、シオンがずっと乗り続けるのは、ゴンベエにはちょっと重いだろう。しかし道を逸れたときや遅れたときのためには、誰かがひっついていたほうがいい。
「きっと、帰ったら乗せてくれるよ。ねー、ゴンちゃん」
それにゴンベエが頷いたかどうかは……定かではない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0026/プティーラ・ホワイト/女/6歳/エスパー】
【0375/シオン・レ・ハイ/男/46歳/オールサイバー】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございました〜。久しぶりのサイコマで、ちょっとドキドキの黒金かるかんがお送りしました。元ネタはOMCではないラストリゾートからで、ご存知なくても無理はありません。遅くなってしまって、申し訳ありません〜。
プティーラさん:お父さんとお母さんではありませんでしたが……大切な誰かとの再会でした。いかがでしたでしょうか☆
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