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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


Mortal Illusion -死に至る幻想-


    00 プロローグ

 猫か犬でも降ってきそうな、土砂降りの雨だった。
 大昔の神話では、猫は豪雨、犬は暴風の象徴らしい。だから猫か犬でも降ってきそうな勢い。ちょっと用法が違うか。
 一等星すらろくに見えないシティの空は分厚い雲に覆われ、人々の生活の灯は、余命幾許もない蝋燭のように弱々しい。濡れた路面に照り返す赤と青の回転灯だけが、忙しなく街を照らしている。ニューヨーク・ポリス・ディパートメントのパトカー。何か事件があったらしいことを知らしめるには十分だが、犯罪発生率のグラフを右肩下がりにするには役不足な感が否めない。ニューヨーク市警が名ばかりの機構になってから、随分経つ。
「……これで四人目だな」
 それでも、警察に所属する人間として最低限のプライドくらいは持ち合わせている。NYPDの刑事、キース・F・モーガンは、両目が刳り貫かれた死体を見下ろして、忌々しげに吐き捨てた。
「そろそろFBIがしゃしゃり出てくるんじゃねぇの」
 代理で検屍官を務めている民間人のデイヴィッド・レイが、だから無駄働きだよ、形式だけ済ませてさっさと帰っちまおうぜ、と無責任な発言をする。もっとも民間人の彼は、事件解決に際するいかなる責任も負ってはいない。
「俺達の、違った、おまえの出る幕じゃねぇよ」
 俺は最初から無関係だからな、とデイヴ。
「FBIだって言うほどは機能していない。早い段階で手詰まりになるのは僕達と同じじゃないかな」
「おまえらの捜査が良いとこまで進展したら、美味しいとこを奴らが持ってくんだよ。猟奇モノのセオリーじゃねぇか。美人の捜査官が出てくるんだぜ」
「それで解決するなら大歓迎さ」
「しかし現実はそこまで甘くないのであった」
 茶化すように言い、デイヴは地面にしゃがみ込んだ。
 死体の後頭部は派手に陥没している。両の眼球が持ち去られており、赤黒い眼窩が恨めしげに虚空を睨んでいた。身に纏った服は、みすぼらしいとまではいかないものの、決して高級とは言えない。
「ふん。今回も一発だな。鈍器で脳天がつん、だ。眼を刳り貫いたのと、殺したの、どっちが先だと思う?」
「僕が被害者の立場だったら、先に殺されるほうがまだマシだな」
「眼を抜かれるだけなら何も問題はないだろ。サイバー化すりゃいいんだから」
「ニューヨーカーの何人が、真っ当なサイバー化手術を受けられると思う?」
「真っ当じゃない手術なら誰でも受けられるぜ」
「無理だ。保険も金もない人間ばっかりなんだから」
「裏金を工面すりゃいい話だろ。そんでうちに手術を受けに来てくれりゃ、俺の生活は安泰なんだけどなぁ。――っと、今は金儲けの話じゃなかったな」
 やっと真面目に捜査にあたる気になったか、と思いきや、
「腹が減ったからさっさと帰ろうって話だ」
 デイヴはキースの期待を軽やかに裏切って立ち上がった。くそ、雨で服が濡れた、などとぼやいている。
「デイヴ……君、色んな人間に恨まれると思うよ」
「ははん、現在進行形で敵ばっかりだぜ?」デイヴは片目を細めて、笑みらしき表情を作った。「とにかく、だ。一般人のおまえよか、『ゼロ』にたむろしてる連中のほうがこういった事件の捜査には向いてるだろうさ。行ってみたか?」
「既に何度かね」キースは頷いた。「しかし有効な手がかりはなかなか得られない。エスパー連中は、事件に関する話題を避けたがってる節がある」
 キースは、マンハッタン北、ハーレムの外れに位置するゼロにはじめて出入りしたときのことを思い返す。腫れ物に触るような態度とはあのことだろう。アフリカン・アメリカンのコミュニティに白人のキースが潜り込むだけでも十分目立つのに、彼が刑事とあっては――店にたむろしている面々は、彼が刑事であることにそれとなく感づいている様子だった――煙たがられるのも無理はなかった。警察の厄介になることを嫌う人間は大勢いる。殊に、ドラッグの取引が横行するここマンハッタン区では。
「懲りずに通い詰めてみるんだな。正攻法じゃこの事件の犯人は捕まらねぇよ」
「そうだな……」
 この事件。エスパーばかりが殺害され、両目を持ち去られるという連続殺人事件は。
 ――雨は、証拠すべてを洗い流さん勢いで、激しく降りつづけている。


 ゼロの扉を潜ると、余所者に対するそれであろう冷たい視線がこれでもかというほど突き刺さってきた。
 ぐっしょり濡れた靴が野暮ったい足音を響かせる。否応なしに客の注目を集めてしまい、キースは何とも居心地の悪い気分を味わう羽目になった。
 審判の日を共に生き抜いたニューヨーカーは気さくな人種だが、体制側への態度は快いものではないと相場が決まっている。アメリカ合衆国ニューヨーク州という体制はほぼ崩壊しているのに、依然として法律は適用されるためだ。「そうするしか生きる術がない」ニューヨーカー達にとって、現行の法律は鬱陶しい以外の何物でもない。法の代弁者たる警察機構に属するキースは、そんなわけで、大抵彼らからは冷遇されることになる。ここゼロにおいても、それに変わりはなかった。
(やりにくいな……)
 これでは得られる情報も得られない。キースは無言でカウンタの前に腰かける。
ゼロはセルフサービス方式らしく、バーテンダーがいなかった。飲みたければ勝手に飲めということらしいが、キースはもともとアルコールを好まない。
「――お酒、飲まないの?」
 不意に、耳朶をくすぐるような甘い声がした。キースはびくりとして肩を強張らせた。いつの間にか隣りのスツールに腰かけていた女性が、キースの顔を覗き込んでにこりと微笑んだ。
 銀色の長いストレートヘア。白銀の瞳。白に映える紅い唇。一見しただけで瞼の裏にしっかりと焼きついてしまう、印象的な容姿の女性だった。
「……あの」
 なんとか喉の奥から絞り出した声は掠れていた。情けない。相手の雰囲気に呑まれてしまっている。
「僕は、」
「刑事さんでしょ」遮るように、彼女は鋭く言った。「雰囲気でわかる。――こんなところに何の用? お酒を飲みにきたんじゃないんでしょ」
「はぁ……その」
 どうも見透かされているようで落ち着かない。この手の女性は苦手だ。
「緊張しなくてもいいじゃないの。変ね、普通こういう状況で緊張するのはあたしのほうじゃない?」
「そうかもしれませんね……」
 先ほどからあのだとかそのだとか、意味のない返答ばかり。そんな様子を面白がるかのように、ふ、と彼女は妖艶な笑みを浮かべた。
「あたしは白神空。――ニューヨーク市警、まだ存在していたのね」


    01 キルケゴール

 先ほどから店の隅でじっと顔を俯けている人物がいる。
 腕組みをし、何をするでもなく壁に寄りかかって立っていた。出入りする客の動向を観察しているようにも見える。一見性別不詳だが、背はさほど高くなく、骨格の作りもどちらかというと華奢だ。女だろう。
 シオン・レ・ハイは、その女がどうにも気になって仕方がなかった。ネイティヴ・ニューヨーカー達は特に気にかけている様子もない。彼らの視線はどちらかというと――この自分、そして、カウンタに座る二人の男女に向いていた。
 なるほど、私達は異邦人であるということか、とシオンは納得した。
 ハーレムという立地条件のせいか、この店に集まる客は八割方黒人である。ぽつぽつと白人や東洋人が混じっており、黒髪に白い肌のシオンは、その中でも特に目立っているようだった。堅気ではないと感じさせる雰囲気のせいかもしれない。大柄な体躯に黒っぽい戦闘服も、注目を集めるのに一役買っていただろう。
 カウンタに腰かける白人男性の隣りには、良く目立つ容姿の女性が座っていた。彼女の髪は白に近い銀髪だった。男どもの視線を吸い寄せる清廉な白だ。
 店の隅にじっと立っている白人の女も『異邦人』に該当するはずだ。しかし誰も気にかけないということは、常連客なのかもしれない。
 シオンは椅子から立ち上がって、女のところまで歩いていった。
「何をしていらっしゃるんですか?」
 声をかけると、女は僅かに顔を上げた。シオンをちらりと一瞥し、すぐに視線を店内へ戻す。彼女の左目の下には痛々しい傷痕があった。
「ここのところ妙な人間が出入りしている」
 女は低い声で答えた。それを観察している、ということらしい。
「妙な人間? 例えば?」
「警察の人間だとか――な」
 女はカウンタのほうへ顎をしゃくった。例の、金髪の白人男性だ。白い女と話している。
「そうおっかない顔をしていると感づかれますよ」シオンは、丁寧だが軽い調子で言った。「お酒をどうですか? 奢りましょう」
「そうだな」女は意外にやわらかい微笑を浮かべて答えた。「折角だからいただく」
「承知しました」シオンも微笑と共に答えた。
 バーテンダーらしきバーテンダーがいないため、シオンはすぐ近くにいた男を捕まえた。
「何か強い酒がほしいのですが、お勧めはありますか?」
 病的に落ち窪んだ目をした男は、意味もなく薄ら笑いを浮かべてこう言った、
「夢を見れそうなくらい強いヤツか?」
「そうですね」
「じゃあこいつはどうかな」男は、ウィスキーのボトルを棚から一本取り上げた。「カスクだ。ストレートでいけば酔っ払えるぜ」
「ではそれをいただきましょうか」
 ポケットから小銭を取り出そうとするシオンに、病的な目の男は顔を寄せた。囁き声で言う。
「待ちなよ。ここではこいつに、飛びっきり効くクスリを入れてやるのが通なのさ。どうだい?」
 男の手に、魔法のように白いカプセルが現れた。シオンはあくまで紳士的な微笑を浮かべ、
「面白そうですが、私が飲むのではなく、あちらのご婦人へなので」
 彼女のほうを指し示した。男はげっという顔になった。その「ご婦人」はつかつか歩いてくると、ぱし、と男の手首を捉えた。
「今日は何のドラッグだ」低い声で問う。
「いやぁ、別にヤク売ろうってんじゃ……」
「見慣れないな」彼女は男の手から白いカプセルを取り上げた。「なんだ、これは。最近出回っている薬か?」
 男は引き攣るような笑顔になる。「圭羅さんも試されるんで? そいつは効きますよ。『キルケゴール』って言いましてね――」
 ケイラ、というのが彼女の名前らしい。彼女は眉を小さく跳ね上げて、キルケゴール? と鸚鵡返しにする。
「あら、洒落た名前がついてるじゃないの。『死に至る病』ね」
 そこに、例の白い女が割って入ってきた。
「死に至る――?」
 シオンはなんとなく不吉な語感のフレーズを繰り返す。
 死に至る病。単に『不治の病』というよりは、もっと重々しい響きの。
「この刑事さんがお話してらしたことと、何か関係があるのかしら?」
 白い女は、所在無さげに立ち尽くしている金髪に眼鏡の刑事を振り返った。圭羅と呼ばれた女性は、刑事の顔を見てふんと鼻を鳴らす。彼は、ますます居心地悪そうに身体を小さくした。
「やはりな。エスパー連続殺害事件の情報収集に来ていたのか」
 エスパー連続殺害事件?
「『死に至る幻想』だろう。『キルケゴール』はそのコピーか?」
 ――話が見えない。
「私以外の皆さんは何か思い当たるところがあるようですが。……できれば、ご説明願えませんか?」
 シオンの言葉に、おそらくは初対面であろう三人の男女は顔を見合わせた。ヤク売りの男は、その隙にとんずらを決め込もうとしている。
「待て」圭羅は鋭い声で男を制止した。「警察の薬物取り締まりに加担しているつもりはないが。――ドラッグを売り捌くなら、もう少し場所を考えるんだな」
 彼女の有無を言わさぬ迫力に、男はすっかり縮み上がっている。
「今回はその『キルケゴール』を没収っていうことで、見逃してあげたら?」
 白い女の助言に、圭羅は面白くなさそうな表情をした。が、ともかくも話を前に進めることが第一と判断したのだろう、男から顔を背け、素っ気無く言う。
「妙な動きはしないことだ」
 ヤク売りの男は、脱兎の如く店を飛び出していった。がらんがらん、と店の扉についたベルがやかましい音を立てた。
「で?」圭羅は白人刑事を胡乱げに見やる。「そちらのニューヨーク市警刑事は、こんなところで民間人を引っかけて事件を解決するつもりか?」
「まあ、そんなところです」刑事はお手上げのポーズを取って、諦観の表情を滲ませた。「我々の手には負えない事件と判断しました。ここ――『ゼロ』になら、殺人犯に迫れる人物がいるのではないかと」
 四人の男女の間に、互いの腹の内を探り合うような沈黙が降りた。
 店の喧騒を今頃になって意識する。行き交うスラング、脳みそに鉤を入れて引っ掻き回すようなジャンク・ロック。Killing me, killing me, killing me softly…
 白い女がふうっと短く溜息をついた。「場所を変えない?」
 無言の同意。一同は、ゼロを後にした。


「まずは事件について簡単に話さなければなりませんね」
 形式的な挨拶は省き、キース・F・モーガンと名乗ったNYPDの刑事は、テーブルの上に紙媒体の資料を置いた。
 店のランクを上げただけで幾分マシになるものだ。少なくとも怒鳴り声で会話する必要はない。メトロでチャイナタウンまで南下した四人は、中国人か韓国人か判然としないアジア人の経営する飯店で卓を囲んでいる最中だった。無論、四人分の食事代はNYPDの経費落ちだ。
「――っと、食事と同時にするような話ではないかもしれませんが……」そんなものを気にする人間はここにいなかった。構わないから進めて頂戴、という白い女の台詞に、わかりましたとキースは頷く。「数時間前に四人目の被害者が出ました。我々はこれを連続殺人事件と見なして捜査しています」
「新たな被害者が発見された数時間後に、こんなところで油を売っていて良いの、刑事さん?」
 白い女、こと白神空の台詞に、キースは無言で肩を竦めた。訊かないで下さい、とでもいうように。
「とにかく……、被害者は現時点で四人。全員エスパーです。殺害方法は、鈍器で後頭部を殴打。一発です」
「エスパーばかり?」
「はい」
 シオン・レ・ハイは、苦い顔をした。四条圭羅は無言。関心のなさそうな素振りで頬杖をついている。
「これまでの三人については、全員テレパス能力の保持者であることが確認されています。――この殺人事件との関連性は定かではありませんが、テレパス能力者達の間で最近ある噂が囁かれている……曰く、『死に至る幻想』を共有する、と」
「どういう因果関係かな」白神空はふふっと微笑を零した。「その『幻想』を見ると殺人犯に殺されるから、『死に至る幻想』なのかしら?」
「『幻想』についても手詰まりなんですよ。その内容を知ることができればまた違うアプローチも可能になるかもしれませんが……」
「『キルケゴール』というのは何なんでしょうか」
 シオンの問いに、圭羅がポケットから白いカプセルを取り出した。「これのことか」
「『死に至る病』にかけてるんじゃないかな、ということ」白神空が言う。「キルケゴール……デンマークの思想家ね。彼の著書に『死に至る病』というものがある」
 空は圭羅の手から白いカプセルを取り上げた。
「このドラッグが、『死に至る幻想』を見せてくれる――ってことじゃない?」
 試してみる? と微笑む空。シオンは、遠慮しますよ、と苦笑を浮かべた。
「それで、他に何かわかっていることは?」と圭羅。
「That's all」
 それですべてです、とキースは答えた。
「なるほど。NYPDも手詰まりということか」
「イエス。……そういうわけで、捜査に協力、していただけませんかね?」
 刑事は頼りなさげな表情で、お伺いを立てるように言った。報酬は? とにべもなく問う圭羅。「それから、犯人を発見するまでが仕事か、犯人を捕まえるまでが仕事か」
「見つけて下さい。捕まえろとまでは言いません。報酬は言い値で」
「殺しにも犯人にも興味はないけど、『幻想』についてなら調べてもいいかな」
 白神空は白いカプセルを眺め、微笑を漏らす。
「ここまで来て断るというわけにもいきませんね。協力しましょう」
 丁寧な口調で、シオン・レ・ハイ。
 キースはほっとしたような微笑を浮かべた。
「では、お願いします。くれぐれも――お気をつけて」
 意味深な言葉だった。ともかくも、幕は上がった。


    02 捜索

 雨脚は幾分弱くなったものの、相変わらずの愚図るような天気はシオンの足取りを重くさせた。無論そんなものは気分の問題だ。しかし服や靴が水分を吸収して、物理的な重みも加わっているのかもしれない。鋼の身体がその程度の負荷に影響を受けるとも思えなかったが。
 やはり気分の問題だろう。ましてや事件が事件だ。
「……ここですね」
 シオンは黒っぽく変色したレンガ造りのアパートを見上げた。
「最初の被害者は……、二十四歳の男性ですか」シオンはメモに目を落とし、つぶやく。「彼の遺体はここから数ブロック離れた路地裏で発見されたんでしたね」
 レインコートを目深に被った四条圭羅は、フードの中でああ、と頷く。北の方向を指差した。
「目と鼻の先だ」
「死体遺棄現場――殺害現場かもしれませんが――に行ってみますか?」
「先に住人を訪ねてみよう」
 シオンは頷き、アパートの内部へ入っていた。圭羅がその後につづく。
 玄関のブザーを押し、しばらく待った。無反応。
「……同居人がいたはずですが」
「留守ではないのか」
 シオンは覗き穴に顔を近づけた。人の気配はない。もう一度ブザーを押すも、結果は同じだ。シオンは短く溜息をついた。
「無駄足でしたか。殺害現場へ向かいましょう」
 二人は雨の降りしきる中を黙々と歩く。補修されていない道路に無数の水溜りができており、灰色の街並みが映り込んでいた。
「……圭羅さんは」シオンは、斜め後ろを無言で歩く圭羅に言った。彼女は顔を上げる。「なぜこの事件の捜査に加わったのですか」
「割が良いからだ」圭羅はあっさりと答えた。「それから危険が少ない」
「そうでしょうか? 今までの手口から推察すると、犯人は無茶な身体能力を持ったオールサイバーである可能性が高いのですよ」
「私はエスパーではない。犯人のターゲットにはならないだろう」
「エスパーばかり……」シオンはぎりっと唇を噛み締める。「犯人は、何かエスパーに恨みでもあるのでしょうか」
「エスパーの、それもテレパス能力者を選んでいるのには理由があるのだろう」
「目玉を持ち去る意味は何でしょう」シオンは皮肉げに口元を歪める。「魚の目玉を食べると頭が良くなるとかいう理屈でしょうか? 何か能力を得られるとか。
 圭羅は喉の奥で低く笑った。顔は笑っていなかった。
「私には遊びで殺しているように思えるが」
「遊びで?」
「遊びで殺して、記念品を持ち帰っている」
「月の石ですか?」
「あるいは何かのデモンストレーション」
「その可能性は、高いでしょうね」
 二人は袋小路に行き当たって足を止めた。
 ここで、テレパス能力者の青年が死亡していたのだという。
「証拠は……あれば、警察が既に見つけていますか……」
「どちらにしろこの雨だ」圭羅はフードの下から空を仰ぎ見た。天から垂直に雨が降ってくる。「洗い流されてしまっているだろう」
「血痕すら残っていない、でしょうね」
 シオンはぐるりと袋小路を見回す。次いで圭羅と同じように天を見上げた。
「死者の後ばかり追いかけても仕方がないな。そんなことはとっくに警察がやっている。念のために被害者リストは当たってみるか?」
 あと誰が残っているんだ、と圭羅は訊ねた。シオンはメモを読み上げる。
 二十二歳の娼婦。十九歳の無職の少年。三十五歳のオフィスワーカー。
「てんでバラバラだな」
「十代の若者まで……」
 シオンは拳をぐっと握り締めた。深く息をついて気を鎮めようとするも、目が眩むような怒りのほうが遥かに勝っている。
 ガンッ、とシオンは左の拳を壁に叩きつけていた。壁の一部が崩れ、ぱらぱらと建築材が落ちる。
「子供まで……!」
 押し殺したような声は、怒りに震えていた。
「…………」
 圭羅は何も言わずに視線を地面に落とす。感情のない声で彼女は言った、
「行こう。ここには何もない」
 踵を返す。水を跳ね返す音を背後に聞きながら、シオンは荒い呼吸を繰り返していた。
 彼女とて、一連の殺人に良い感情は抱いておるまい。だが決して内心を露呈させないクールな後ろ姿に、貴方は平気なのですか、と問いたくなる。
 正義などという、存在すらあやふやな言葉で括れるような感情ではない。もし大事な人が殺されたら、と。それを思うだけで、怒りに目が眩んでしまうのだ。
 もし殺人鬼に出くわしたら、私はその人物を無事に帰しはしないだろう、と思う。それこそ、両目を刳り貫いてやろうかという気にでもなりそうだ。
 シオンは雑念を追い払うように頭を二、三度振ると、袋小路に背を向けた。
 通りへ出たところで圭羅が待っていた。
「すみませんでした。見苦しいところをお見せして」
「いや」
 圭羅は短くそう答えただけだった。
「ともかく――新たな犠牲者は出したくありません。次に狙われる者の予測がつけば、護衛に回ることもできるのですが」
「テレパス能力者のリストでもあれば多少は楽になるかもしれないな」
「警察に掛け合えば手に入りそうな気もしますね」
「あまりあてにならないだろう。単純に登録データのみに従えば膨大な量になるだろうし、その一つ一つを虱潰しというのは骨の折れる作業だな。データと本人の特徴が一致しないことなどざらにあるし……、エスパーともなれば、普通は自分の能力を隠して社会保障番号を申請するものではないのか」
「エスパーに関する確執は根が深いからですね……」
 人種問題と似ている。人間は階級を作り、その中で優劣をはっきりさせたがる生き物だ。能力だけを見れば明らかにエスパーのほうが優れている。優れた種に対抗する方法は意外にシンプルだ。数で圧すれば良い。
「マイノリティの迫害、ですか」シオンはぽつりとつぶやいた。
「え?」
「エスパーに対する迫害行為ですよ。自分達とは明らかに異なる者を疎外しようとする。数では劣っていますが、彼らエスパーは人間を超越した種と言えます。何の力も持たない者達は、怯え、そして、彼らを社会から弾き出そうとする……数で対抗するのです」
「数で対抗できるかどうかも怪しいな。シンクタンクに歩兵が寄ってたかるようなものだ」
「あるいは情報戦にライフルで挑む、ですか」
「テレパス能力者なら、確かに、独自のネットワークを持っていることが強みになるな。媒体を必要としない情報伝達能力は脅威だ――審判の日を境に、世界規模でコンピュータネットワークが分断されてしまったことだし」
「独自のネットワーク……」シオンは顎に手を当て、ふむ、と考え込む。「『幻想の共有』というのも、それに当たりますね。彼らの間で共有されている幻想が、何か……、一般人が社会を継続する上で、致命的なものだとしたら――」
「『死に至る幻想』、と解釈できるな」
「死に至るのはエスパー自身ではなく、一般人であるということでしょうか?」
 圭羅はふと口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。「貴方はオールサイバーか、シオンさん」
 シオンは曖昧な微笑を浮かべた。「なぜそう思いますか?」
「壁を易々破壊してしまうその無茶な力もそうだが――、貴方は自分と一般人を区別している」
「サイバーは嫌いですよ」シオンは微笑した。
「私は半分しか人間じゃない」
「貴方のようは女性なら話は別です。有機体であるか否かなどという条件を用いて『人間』を定義するのも、どうかという話ですし」
「人間という生命体自体を定義し直すべきかもしれない」
 圭羅はフードの下から曇天を見上げた。そこにヒトを産み出した神を見出さんとするかのように。


    03 起源

 捜査の進捗状況は芳しくなかった。
 客の入りが少ない時間帯にゼロに集まった三人は、それぞれ難しい顔つきで各々が得た情報を交換し合っている。
「あたしが得られたのは、今のところこれだけね」
 白神空は、テーブルの上に小さな白いカプセルを置いた。
「『キルケゴール』ですか?」
「ええ。この上に住む情報屋から」と空は天井を指差す。「手に入れたのよ。貴方……ケイラって言ったっけ? 圭羅がドラッグの売人から没収した薬は偽物みたいね」
「それをいくらで買った?」
「知りたい?」
 空は愉快そうな笑顔を浮かべると、テーブルの表面を人差し指でなぞった。それが『キルケゴール』の金額を示す桁数であるとわかって、圭羅は唇をへの字に曲げた。
「君も物好きだな。そこまでして試したいのか?」
「試すかどうかは、まだ迷ってる。ごく稀にだけど副作用が出るって話だしね。それよりは、成分を分析させるなり何なりしたほうが有効かなって。幻想の内容が一番の手がかりにはなると思うのだけど……それはあくまで最終手段にとっておきたいでしょ?」
「愉快な幻想ではないだろうしな」圭羅はふんと鼻を鳴らした。
「そっちはどう? 被害者の住所を訪ねて回ったんでしょう?」
「ええ」シオンは頷いた。「しかし成果は皆無に等しかったですよ。そもそもが身寄りのない人達なのです。警察が手詰まりになるのも無理はありませんね」
「事件の鍵はあちこちに転がっているが、繋がっていない、ということか。全部点だ。行き当たりばったりで点を訪ねて回っている」
「情報がリンクしてないんですね」
「情報がリンクしていない?」空はシオンの台詞を繰り返した。「……リンク、か」
「どうかしましたか?」
「テレパス能力者達がは『幻想を共有』している……つまり彼らはリンクしているんでしょ。元を辿ったらどうなる?」
「――誰か、『幻想』の発信源がいるということになりますね」
「ええ。何にせよ、テレパスに直接『幻想』の内容を訊くのが一番手っ取り早い、でしょ?」
「問題はどこの誰がテレパスかわからないことだ。情報はテレパス能力者達の頭の中で完結している。クローズド・ネットワークだな。誰がテレパスかを認識するには、」
「その能力者が殺されるのを待つことね」空は肩を竦めた。「でも死人に口なし」
「鎖されたネットワーク、鎖された輪ですね。完全に部外者の私達は、どうあっても事件の輪の中に入ることはできません。……となると犯人はどうやってテレパス能力者を特定しているんでしょうか?」
「犯人に訊きたいくらいね」
「まったく」
 ――そんな調子だった。堂々巡りとかいたちごっことか、そんな言葉がしっくり来る。
 それ以上話すこともなくなって、三人は仕方なくすっかり冷めてしまった合成珈琲に口をつけたりしている。
「とにかく、テレパス能力者の一人なり何なりでも見つけなければ、進展しそうにありませんね」
「いっそ自分がテレパス能力者だと偽れば、あっちから言い寄ってくるんじゃない? 同じ能力の持ち主なら同胞意識も強そうだし」
「囮捜査だな。犯人が引っかかるかもしれない」
「でもそれをやるには、幻想の内容を知る必要があるでしょ。自分がテレパス能力者であると示す術は他にない」空は白いカプセルを取り上げる。「動き出してもいないような段階で、最終手段を使う羽目になっちゃうかしら?」
「…………」
「…………」
 シオンと圭羅は、黙り込んで空を見る。空は二人が何を言わんとしているのか理解した。
「――あたしに囮になれってことよね?」
 二人は同時に頷いた。空は、冷めた珈琲をくいっと飲み干すと、
「そこまで危ない橋は渡りたくないな。敢えて自分が殺される確率を高めるのもね」
 上の情報屋の言った通り。気をつけないと死ぬわ、と空は言う。
「薬を専門家に分析させて、その技術力から、研究機関をある程度絞ることは可能じゃない? キルケゴールと『幻想』の関係は不明だけどね。遠回りかもしれないけど、決死のダイブをするくらいなら、あたしは外堀を埋めていくな」
「賢明だ」圭羅は腕組みをして頷く。「そもそも何の痕跡も残されていない。犯人は慎重かつ狡猾な人物と考えるべきだろう。下手に動くと今度は私達が死ぬ羽目になるだろうね」
「長期戦を覚悟するしか、ありませんか……」
 つまり現時点では、何一つ前進していないことになる。ようやく方針が定まった、というレベルだ。もっとも一日で事件の真相に迫ることができるとは、誰も考えていなかったが。
「他にできそうなことと言ったら、それこそ風の噂を頼りに歩き回るくらいしかありませんね」
「クローズドじゃないほうのネットワークにでも情報を流してみる?」
「インターネットですか?」
「ええ。ニューヨークのコンピュータ稼働率じゃ効果の程は知れないけど。『死に至る幻想』の内容を知っているか、知っているなら誰からそれを聞いたのか――」
「それをいちいち辿っていくのか? 気の遠くなるような作業だな」
「だから、長期戦よ」
「その前に新たな被害者が出なければ良いですが……」
 シオンは合成珈琲の黒い液面に映り込む自分の姿を見て、憂鬱な表情でそう零した。
 被害者の人数を四人に留めることができるかどうか、甚だ疑わしかった。


    04 死者の宴

 鎖されていないほうのネットワーク、はそれでいてなかなか効果があった。
 真偽は定かではないが、おぼろげながらも情報の発信者と思しき人物の輪郭が見えてきたのである。
 警察の情報網を利用すれば、空に浮かぶ雲のような噂を頼りに情報の発信者を突き止めることも、不可能ではなかった。
「……まさか」
 ようやく突き止めた発信者の住所と目の前の古臭いアパートとを見比べ、圭羅は表情を険しくした。
「巡りめぐってどこへ辿り着くかと思えば……始点では、ありませんか」
 そこは、最初の被害者の住所だったのだ。
「一人目の被害者の同居人が、他ならぬ情報の発信者だったということか?」
「それならば、少し乱暴かもしれませんが――発信者こそが殺害犯だったという推理も成り立ちますね。少なくとも彼は、誰が『幻想を見たか』知っているはずです」
「自分で『幻想』を発信しておいて、受信した人物を殺すのか? わけがわからない」
「私もわかりませんが、とにかく」
 話を聞きにいきましょう。シオンと圭羅は頷き合うと、連れ立ってアパートの中へ入った。
 この間とまったく同じ部屋の、まったく同じブザーを鳴らす。結果は同じだった。十秒、二十秒と経っても反応はない。
「どうしますか?」
 シオンは圭羅の顔を伺う。
「後で警察から捜査令状をもぎ取ろう」
 シオンは苦笑した。では、と扉に向き直る。失礼しますよ。そうつぶやき、扉を蹴り開けた。銃でも持っていたら構えつつ部屋へ突入するところかもしれない。
「……人の気配はないな」
 圭羅は無造作に部屋の内部へ入っていく。シオンも周囲を警戒しつつその後につづいた。
「ふん。慎ましやかな生活らしい」
 物らしき物がないリビングを見回す圭羅。
「彼の部屋は――あちらでしょうか?」
 シオンは北側の部屋の扉まで歩いていった。今更とは思いつつも、ドアをノックする。やはり返事はない。
「……?」シオンは眉を顰めた。「何だか、妙な――」
「どうした?」圭羅が隣りまで歩いてくる。彼女も同様に顔をしかめた。「この異臭」
「死体、ですね――」
 不吉な予感。
 どうしようもないところまで来てしまったという絶望感。
 どうせなら何も知らないままに帰ってしまいたいところだったが、そういうわけにもいかない。シオンは諦観して、扉を開けた。
 予想していた通りの光景がそこには広がっていた。
 男の死体がベッドに横たわっている。彼の死は一目瞭然だった。酷い異臭が立ち込めている上に、――両目がない。
 シオンは怒りに任せて壁を殴った。圭羅も苛立たしげに靴の底で床を叩く。
「他人の死体がベッドに寝ているということもないだろうな」
「間違いなく本人でしょう」
「この状態では、死後数日経過している」
「おそらく、私達が出向いたあの日に既に死亡していたんでしょうね」
「完全に――後手に回っているらしいね」
 シオンは死体の横に膝をつく。男の身体を裏返すと、今までの四人と同様に頭が陥没していた。
 圭羅は部屋の隅に置かれていた前世代の異物みたいなコンピュータを起動する。起動画面が現れるまで、随分と時間がかかった。
 デスクトップに無味乾燥なテキストファイルが一つ。

  Mortal_Illusion.txt

 テキストを開いた。
 たった一行、こう書かれていた。

  私は見てしまった。

「なんだ、これは……?」
 後ろからシオンが覗き込んでくる。
「『私は見てしまった』?」
「何をだ。目的語が欠けている」
「『死に至る幻想』を、でしょうか」
「…………」
 穿たれた二つの眼窩。
 私は何も見ていない、と訴えるかのように損なわれた、二つの眼球。
 言い換えれば、
「彼らは、何かを、見てしまった――」
 そういうことになる。

 シオンは窓辺に寄り、何年も開けられていないであろうブラインドの隙間に指を差し込んだ。また雨脚が強くなり始めている。
 雨は、すべてを洗い流さん勢いで、激しく降りつづけている。



fin or to be continued…



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■白神・空
 整理番号:0232 性別:女 年齢:24歳 クラス:エスパー

■シオン・レ・ハイ
 整理番号:0375 性別:男 年齢:46歳 クラス:オールサイバー

【NPC】

■キース・F・モーガン
 性別:男 年齢:27歳 クラス:一般人

■四条圭羅
 性別:女 年齢:23歳 クラス:ハーフサイバー

■デイヴィッド・レイ
 性別:男 年齢:25歳 クラス:エキスパート

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして&こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 納品が遅くなってしまって申し訳御座いません。当方の初サイコマスターズ依頼をお届けします。
 そして初でいきなり連作、さらに伏線を投げて終わりという有り様。お楽しみいただけたでしょうか……。長期戦で徐々に真相が見えてくるという形になっておりますので、今後のシリーズで情報は活用していただけます。もちろん参加は強制ではありません。
 今回はご参加いただきありがとうございました。次回作の告知は、後々個室にてアナウンス致します。

■シオン・レ・ハイ様
 サイコマスターズでははじめまして。当方のNPCが(圭羅を除き)いまいちギャグ寄りなもので(笑)、渋いシオンさんと圭羅のコンビを描くのはとても楽しかったです。良い具合に話のトーンにマッチしたかな、と。