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奇妙な出会いは唐突に
エリアD100056。この街には非日常が蔓延している。
特殊分野において非常にディープかつコアな嗜好と知識を誇る趣味人――一般的にはオタクと呼ばれる人間たちが作り上げた街だ。それが普通の街であるわけがない。
ミリタリーマニアの運転する装甲車が臆面もなく表通りを走り、路地を曲がれば頭に猫の耳がついた少女とすれ違う。そんなこともこの街の人間にとっては日常茶飯事だ。
グスタもこの街に暮らして随分になる。とうに大抵のことには慣れて、魔法少女やら天使やらに出くわしても驚かなくなっていた。
――しかし。
空から人間が降ってくる、と言う経験は初めてだ。
ほんの数秒前に重々しい衝撃音を立てて地面に激突したその少女をグスタはぽかんと見つめた。
「何なんだ……」
いつもの広告だろうか、と手に提げた袋をちらりと見る。中身は今日発売になった新作のゲームだ。
ここではアニメやゲームの内容さながらの出来事が街のあちこちで繰り広げられることがよくあり、広告兼発売会社のお遊び兼風物詩としてすっかり生活に浸透している。商品を購入した後にサービスとしてそういった芝居に巻き込まれることも少なくない。
しかしながら、今日グスタが買ったゲームはロリロリした美少女と仲良くなって恋愛関係に持ち込んであわよくば……と言う内容のものだ。間違っても空から人間は降って来ない。
「……どうも、広告じゃなさそうだな……」
広告でないとすれば極めて異常な事態に他ならない。
まさか本当に空から現れたわけではないだろう、と上を見る。路地は両側を小さなビルで固められているのだが、見上げた右のビルの屋上、その手すりが酷い圧力をかけられたように歪んでいるのが見て取れた。おそらくあそこから落ちてきたのだろう。
グスタは少女に視線を戻した。
美しい少女だった。17、8歳ほどだろうか、年相応の体つきの割に幼い顔立ちだ。
少女の身体は酷く傷ついていた。尋常ではない数の弾痕が肌を埋め尽くしている。加えて火炎放射でも食らったのか、左半身が痛ましく焼け爛れており、剥け落ちた皮膚の下からは装甲板と無数のコードが覗いていた。
半分だけ閉じられた瞳はうつろに空を見つめ、指一本動かすこともなければ声さえも上げない。生命維持モードに入っているのだろうが、これほどボディの破損が激しい状態ではどれほどもつか知れない。
グスタは迷いなく少女に近づき、頭部に衝撃を加えないように細心の注意を払ってその身体を抱き上げた。サイバーにしてはかなり軽い。鼻先で揺れる赤い髪からは焦げたオイルの臭いがした。
首筋のジャックから衝撃と共に大量のデータが流れ込んでくるのが感じられる。それと同時に脳髄に染み渡る頭痛が襲ってきた。
――ここは、どこだ。
エディトは頭痛をこらえて目を開けようとした。が、開かなかった。目蓋は開いているのかもしれないが映像が認識できない。どうやら伝達神経がイカレてでもいるらしく、五感は全て遮られている。状況はまるで掴めない。
しかし、その間も洪水のように大量のデータが送り込まれ、エディトの中を這い回る。膨大な種類の起動プログラムだ。どのプログラムがエディトの型に対応するのか分からないのだろう。数打ちゃ当たる、ということらしい。
維持モードの強制的な眠りは決して心地よいものではないが、それから無理矢理目覚めさせられると言うのは輪を掛けて不快だった。
「……誰、だよ。勝手に……いじってんのは……」
声にはならなかった。だが、接続している相手には伝わったはずだ。流れ込む暴力的な量のデータがぴたりと止まった。
「やっと目が覚めたか。何度やっても起動しないからもう死んでるのかと思ったぞ」
「……痛い」
首筋のジャックの辺りがちりちりと熱い。起こすにしてももう少し方法を考えろと言ってやりたかったが、襲い来る頭痛に言葉はかき消された。痛みに歯を食いしばることすら叶わないのはなかなかに辛い。
「あんた、道端でぶっ倒れてきたんだぞ。それで、そのままにしておくわけにもいかないから拾ってきたんだが……覚えてるか?」
頭痛に押し流されそうになる言葉から辛うじてノーの意思だけを拾い上げて短く伝えると、やっぱりなと言う返事が返る。
「俺はグスタって者だ。見ての通りのサイバー……っと、まだ見えないか」
苦笑する気配と共に、ピリッとした痛みが視神経を駆け抜けた。また何かデータを流し込まれたらしい。妙に唸る音を立てながらサイバーアイがかろうじて機能を取り戻した。ノイズの混じる視界に無骨な装甲を剥き出しにしたサイバーが映る。
「まあ、俺のことはいいとして、とりあえずあんたは死にかけてるわけだが……」
「ああ……」
エディトは自分の身体に視線を落とし、そこでようやく知覚がはっきりしない原因が分かった。
首から下には何もなかったのだ。かろうじて右肩と脊髄部分が残っているだけで、他には何もない。
この姿を見れば酷い頭痛にも合点がいく。生命を維持するためのエネルギーを供給する部分すら残っていないのだ。体は緩やかな死を迎えようとしている。
「ボディは損傷が激しくてな。まあ、頭が無事で良かったってところか」
「……頭だけじゃあ、もっても24時間ってところか……」
一日では新しいボディを組むことすらできない。
もう駄目だな、と言うエディトの呟きにグスタは首を横に振った。
「それだけあれば十分だ。術後処置含めて二時間あれば終わる」
「……?」
「中枢部分が無事なら何も問題はないだろう?」
グスタは己の背後を指差す。サイバーパーツが所狭しと詰まれた中に、組み立て済みのサイバーボディの姿があった。
「……ボディがあるのか」
「ああ。軍用の特殊ボディだから少し勝手が違うかもしれんが、いいか?」
目で答えるとグスタは合点したと頷き、無骨な指をこちらに伸ばしてくる。体温のない指が過負荷で熱を生じた首筋に触れた。カチリと音がしてコネクトケーブルのストッパーが外される。
「じゃあ、一旦接続切るぞ」
「あ……、ちょっと待て」
「ん?」
「俺は今、金を持ってない……」
軍用ボディの相場がどれくらいかは知らないが、一朝一夕で払える額ではないだろうことくらいは想像がつく。
「分割でも――」
大丈夫なのか。そう尋ねようとしたが、途中でグスタに強い口調で遮られた。
「金なんかいい。金のためにやってるんじゃない」
「……じゃあ、なんで助けたんだ」
グスタの目がきらりと光った。力強く拳を握り、高らかに宣言する。
「萌えるからだ。それ以外にはない!」
「…………」
「萌えとは過ぎ行く日々の一服の清涼剤、そして人生の黄金のスパイス。俺は萌えに生き萌えに滅びると誓ったんだ。その誓いに従ったまで!」
一息に言い切り、感極まった様子でグスタは空中を見上げている。何もないその空間だが、グスタの目には何やら見えているのかもしれない。
金のためでなく、自らの信念のためだと言うのは理解できた。しかし、ひとつだけ、肝心なところがどうしても判らない。
「……モエル、って何だ?」
エディトが口にした純粋な疑問はグスタを現実に引き戻すのに絶大な効果を発揮した。グスタは改めてエディトに気が付いたとでも言うように目を丸くして、それから多少決まり悪そうに手を振った。
「……何でもないんだ。今のは忘れてくれ」
そうして、今度こそエディトの首筋からケーブルを抜くべく手を伸ばす。
「調整は一時間くらいで終わるから、少し眠ってろ」
「ああ……」
切断の衝撃に備えてサイバーアイの機能を遮断する。エディトの視界が闇に閉ざされると共にコネクトケーブルが引き抜かれ、意識も孤立して闇に包まれた。
二度目の覚醒は緩やかに訪れた。生命危機レベルを脱したと判断した中枢が自然にエディトの意識を眠りから掬い上げる。
ゆっくりと目蓋を持ち上げると鮮やかな視界が広がる。極彩色の天井が目に痛い。
「…………」
高い天井は無数のポスターで彩られていた。アニメタッチで描かれた可愛らしい少女たちが一様にこちらを向いて笑っているのには少々驚かされる。
エディトは額に掛かった髪を払おうと手を動かした。その意識に少し遅れて身体がついてくる。
「……リハビリが必要か」
調整されたボディとはいえ、今までとは違う軍用規格のものだ。神経伝達がまだ上手くいっていないようだった。二、三度拳を握ってみると、実際に身体が動くまでに数秒の間が開く。
しかし、ボディを規格違いのものに全交換と言う施術にもかかわらずこれほど少しのラグに押さえられるとは、たいした調整の腕には違いない。
エディトは感心しつつ自分の身体を見下ろした。以前とほとんど変わらない外見のボディが備わっているのにまず驚き、それから着せられている服にますます驚愕した。
「何だこれ……っ」
思わず半身を起こしてベッドから飛び降りる。反応速度のラグが忌々しい。
あいつの仕業か、とグスタの姿を探してぐるりと部屋を見渡す。
思いの他広い部屋は、しかし、エディトが寝かせられている修理用ベッドや散らばったサイバーパーツのせいで手狭に感じられた。
「おう、目が覚めたか」
気配に気づいてか、開け放したドアからグスタが入ってくる。もうベッドから立ち上がっているエディトを見て、グスタは満足げに頷いた。
「ボディの調整は上手くいってたみたいだな。反応速度はどうだ?」
「まだ少しラグがある。……それより」
「そうか。じゃ、後でデータ取るからな。ちょっと動き回ってリハビリしてろ」
「判った。――じゃなくて!何だこの格好は!」
ん?と首を傾げるグスタに向かって肩を怒らせ、エディトは己の衣服を示して大声を上げる。
「何でチャイナドレスなんだっ!?」
――そう。エディトが着せられていたのは真っ赤なチャイナドレス。
布地には金糸銀糸の見事な刺繍が施されており、ミニのワンピース型だがサイドスリット完備と言う通好みの一品だ。
「そりゃ、女物はそれしかなかったからだが」
グスタは悪びれもせずに答え、元はあれが着ていたのだと今さっき入ってきたドアの向こうを指差す。その指の先には等身大の美少女フィギュアが、シーツで裸体を覆った状態で笑顔を浮かべていた。
立ち尽くすエディトをためつすがめつ眺め、グスタは上機嫌で親指を立ててみせる。
「似合うぞ。うむ……萌え!」
「…………」
急に身体の力が抜ける感覚に襲われ、エディトはふらついてベッドに手をついた。大丈夫かと手を貸そうとするグスタをじろりと睨みつける。
――もしかしたら、ものすごく厄介な奴に拾われたのかもしれない。
病弱も萌え、などと言い出したグスタを横目で流し見る。「萌え」と言う単語の意味が何となく理解できてしまい、エディトは大きくため息をつく。
もしかしたら、ではなく、おそらく確実に厄介な人間に拾われたのであろうことを薄々感じつつ、エディトはもう一度ため息をついて肩を落とした。
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