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<アナザーレポート・PCゲームノベル>


最果てのソング・ウィズアウト・ワーズ -Silent Operetta-


 音がない。無響室に閉じ込められてしまったとでもいうように。
 辛うじて、自分の鼓動と、呼吸音を聴き取ることができる。どういう材質なのか、足音はすっかり吸収されてしまっていた。
 静かすぎて頭を締めつけるような耳鳴りが止まない。静寂と、ろくに視界の利かない闇が、原初の恐怖をもたらす。
 見渡せば、荘厳たる書架の連なり。四方から本が襲ってきそうだ。優に数階分はありそうな吹き抜け構造の遥か上方は闇に呑み込まれており、正確には、この書庫とも倉庫ともつかない部屋の規模を測ることができない。
 等間隔に設置された電球の半分以上は死んでおり、背表紙から活字を読み取るのさえ困難だった。この膨大な本の山を――墓守が墓を守るかの如く――管理している者はどこにいるのか。放棄されたにしては手入れが行き届きすぎているし、管理されているのだとしたら杜撰にすぎる。
 案外、人の手は入っていないのかもしれない。本が自生しているのではないかと、つまらないことを考えた。
 これでは目的のものは見つかりそうにない。書庫の只中に佇み、銀の髪に赤い瞳の青年は嘆息した。その異様な白さから、日光を嫌う体質だと知れる。
 仕方なく引き返そうとした瞬間、背後で、どさ、と重い音がした。心臓が竦み上がった。静寂に支配された暗闇に、その音はいっそ不吉なほどの重量感を伴って響き渡った。
「申し訳ない。大丈夫か」
 天井のほうから低い声がした。青年――クレイン・ガーランドは、赤いアルビノの瞳を声の方向へ向ける。
 大丈夫か、というのは物が当たらなかったかということだろう。大丈夫ですよ、とクレインは答えた。
 今しがた聞こえた音よりは、幾分軽やかな着地音がする。梯子から飛び降りたらしい。ほとんど響かない靴音を鳴らして、声の主が近づいてくる。心許ない照明に照らされた顔は、意外なことに女性だった。声の低さと喋り方から、十代の少年かと思ったのだ。
 彼女もこちらを見て、意外だ、と思ったらしい。軽く片眉を上げる。
「貴方みたいな人が、こんなところに何の用だ?」
 休暇中の兵士といった趣の簡素な服装をした彼女の目に、しっかりとスーツを着こなしたクレインの貴族然とした容姿は場違いに映ったのかもしれない。場違いなのはお互い様だった。
「古い文献を探しておりましてね」クレインは書棚を振り仰ぐ。「十進分類でいったら、この辺りかと思うのですが」
「何を探しているのか知らないが……」女性は腕を組む。「見つけられると思うか? この本の山の中から」
 クレインは苦笑を漏らした。「やはり、無理でしょうか」
「生易しい作業ではないと思う」彼女は、無理、とは言わなかった。「しかし一生かけてここにある本を読み尽くすよりは、一冊の本を見つけ出すほうがまだ簡単かもしれない」
「読み尽くす気なのですか?」
「無理だろうが、やってみている。セフィロトで、他にやることもない」
 彼女は踵を返すと、先ほど落としたらしい物を拾いにいった。分厚い総記のような本を手に戻ってくる。これが頭上に落下してきたら、申し訳ないどころの話ではない。
「……なんとなく、安心できるしな」
 彼女は低い声で言い、クレインから目を逸らした。本に目を落とし、ハードカバーの表紙を右手で撫でる。
「安心できる?」
「果てがない、と思えば安心できる。私個人での狭い範囲だが。――一生かけてでもここにある本を読破できるのだとしたら、それはそれで恐怖だ。人間の営みなど所詮その程度ということになる。……そうだな、読破など到底できないということを証明するために、やっている」
 彼女の言っていることは、なんとなく理解できた。
 果てに辿り着く、底を突く、泉が枯れ果ててしまう。
 それは、恐怖だ。
 音が出尽くしてしまう? そんなものは、人生の終わりと同義。
 サイバー化で死の概念が曖昧になりつつある今、『音』が果てることは、死にも勝る恐怖と言える。殊に、音楽を生業とするクレイン・ガーランドにとって。
「それで、何を探しているんだ」
 耳に良く馴染むアルトで女性が訊いてくる。アルトだが、中性的な声だ。高音を歌わせたらボーイソプラノのように聞こえるかもしれない。
「オペレッタに関する文献を」
 微笑と共に答えると、彼女は小さく首を傾げた。耳慣れない単語だったらしい。
「オペラはご存知ですか?」
「見たことはない。クラシック版ミュージカルのようなものだろう」
「ええ、音楽劇です。オペレッタは、オペラよりエンタテイメント性の強いものと考えていただいて差し支えないでしょう」
「なるほど。しかし『文献』で良いのか?」
「と言いますと?」
「文字の情報で意味があるのか、ということだ」
「生のステージを見ることができたら……、とは思いますがね」
 彼女は唇の端を持ち上げて、皮肉っぽい笑みを浮かべた。「生憎、ここは音楽とは無縁の地だ」
「そのようですね。残念ながら」
「もっとも、私には音楽の価値など良くわからないのだが」彼女は言うと、さっと身を翻した。来い、という風に前方へ顎をしゃくる。「文献はエスペラントばかりのようだが、確か原語で記載された楽譜があったように思う」
 クレインは彼女の後に従う。
 二メートルほどの距離を保っていなければ、彼女の後ろ姿を見失ってしまいそうだった。それほど暗い。
 彼女はふと立ち止まる。クレインもつられて足を止める。
「名乗り忘れていた。四条圭羅だ」
 差し出された手を、黒い手袋をした右手で握り返した。
「私はクレイン・ガーランドと申します」
 クレインのぎこちない右手の感触から、彼女は何かを感じ取った様子だった。が、何も言わない。あるいは彼女も、クレインと同じように身体のどこかをサイバー化しているのかもしれなかった。
 名乗ったところで関係が近しくなるわけでもないが、クレインは彼女と肩を並べて歩くことにした。暗中ではぐれてしまう可能性はなくなる。この途方もない規模の書庫内ではぐれてしまったら、無事外へ出ることができるか、甚だ疑わしい。
「音楽は趣味で?」
「……一応、仕事です」
 四条圭羅の簡潔な問いに、クレイン・ガーランドは自嘲気味な返答をした。
「そうか。悪いが、貴方の仕事については知りそうもない」
 それは好都合だ。
 音楽、特にクラシックを好んで聴く者は、かなりの高確率で『かつての』クレインを知っているためだ。ピアニストとして表で活躍していた頃の彼を。
「……圭羅さんは、好きな音楽などはないのですか?」
 何気なく訊く。圭羅は首を横に振った。
「歌なんて一つも知らない。……いや、歌詞はうろ覚えだが、これは賛美歌か?」
 彼女は、耳慣れない言語で親しみ深いメロディを口ずさんだ。やはりボーイソプラノだ、と思って少し愉快になった。クレインは頷く。
「『Amazing Grace』ですね。今のは何語ですか?」
「日本語。部分的にしか覚えていない」
「日本語の詞も美しいものですね」
「そうか? 日本語なんて……普段喋らないし、既に忘れかけている。放っておけば死語になるだろう」
「言語が廃れていくのは宿命ですからね。歌は、言語を残すという意味では最上の媒体だと思いますよ」
「そうだな……、音楽が死滅することはないように思える。ここにある文献は、いずれも音を伴っていないが。文字の読み方が伝達されなくなった時点で、言語としては致命的だろう。文字は記号だ」
「理解しない者から見れば、ただの記号、ですね」
「楽譜もね。私にはさっぱりわからない」圭羅は梯子の前で立ち止まった。親指を上に向ける。「確かこの上。何か欲しいものがあれば、私が取ってくる。クレインさんは、梯子をよじ登るタイプには見えない」
 私もよじ登りたくはありません、とクレインは苦笑する。握力の弱い右手では少々危なっかしい。
「楽譜を何冊か、それとオペレッタについて解説している類いの文献があればお願いできますか?」
 それから、私のことはクレインで良いですよ、と付け加える。わかった、と圭羅は頷いた。
 圭羅は特に苦にする様子もなく梯子を登っていく。間もなくその姿は闇に呑み込まれてしまった。ややあって、どさ、とかばさ、とか、書籍を床に放っているらしい無遠慮な物音が聞こえてきた。円筒形の建物の壁にぎっしり本が詰められており、ところどころに小さなフロアが設けられているらしい。何にせよ、利用者のことはまるで念頭に置いていない設計だ。
 ネクロポーロ。エスペラントで、共同墓地。
 おそらく、建設した人物も、ここを図書館として利用することは考えていなかったのだろう。あまりにも無意味で、悲しい、情報の累積。それがこの書庫だ。
 圭羅は、片腕に数冊の書籍を抱えて梯子を降りてきた。クレインの頭上数メートルのところで飛び降りる。
「良くわからないから、適当に選んできた」
 クレインは礼を言って数冊の本を受け取った。
「ああ、これは良い。懐かしいですね……『メリーウィドウ』……」
 昔観劇したときのことを思い出して、クレインは目を細める。
 圭羅は自分のために抜き出してきたらしい薄い解説書をぱら見し、感想を一言で述べた。
「単純明快だな」
 クレインは噴き出した。「概ね、正しい認識かと。軽歌劇ですから」
 梯子に寄りかかると、圭羅は解説書を冒頭から読み始める。古今東西のオペレッタについて、エスペラント語で簡潔な解説がなされているようだ。
「一度舞台を見てみたいな」
「ええ、是非一度ご覧になって下さい。観劇に興じているような時勢でもないかもしれませんが」
「この付近はともかく、本場へ行けば多少マシかもしれない。しかし古典の部類だろう? 理解できるのか」
「オペレッタは上演する度に言葉が現代化されておりますから、親しみやすいでしょう。当事は、そうですね……、田舎臭い表現が多かったとでも言うのでしょうか。美しい男女がその言葉で演じていたと考えると、内容に関わらず愉快ですよ。当事の方々には失礼ですが」
「訛りがあると?」
「ええ。言語が未完成だったこともあります。洗練されているとは言えないでしょうね」
「言葉も、考え様によっては生き物だからな」
「まさに生き物でしょう。生きもし、死にもします。再生も」
「言語の再生か。なるほど、歌は言語を残すのに最上の媒体、ね」
 四条圭羅は、現代の英語でそう言って、微かに笑う。彼女が日本語を喋っているところを見てみたいものだ、とクレインは思った。
「どこかで録音が手に入らないものかな」
 音楽にさらさら関心のなさそうな彼女も、オペレッタには興味を持ってくれたらしい。音を伴わない文字情報の累積である書庫内を見回して、つぶやく。
「文字情報だけでは不完全だ。音も残さなければ」
「付随する音の情報も聞き尽くさなければならないとすると、いよいよ不可能ですね」
「ああ。安心できる」
 不可能である、ということに安堵するのも妙な話だ。
 しかしそれは正しい反応。
 人が生身で果てに達することなど、あってはならないのだ。
「……こちらの文献、少しお借りしてもよろしいですか?」
 数日では読み切れそうにない書籍の山を僅かに持ち上げて、クレインは圭羅に問う。
「私の許可を得る必要はない。私はここの司書ではないから」
「本を元の位置へ戻すのに、圭羅さんの手助けが必要です」
「ああ……それなら」圭羅は微笑んだ。「録音を持って、また来てくれ。それが条件」
「わかりました。なんとか探してみましょう」
 クレインも微笑する。「もう一つ。――出口までの案内を、お願いできますか?」
 圭羅は無言で頷くと、元来た道を引き返し始めた。クレインは彼女の隣りに並ぶ。
 音のない世界に、二人のくぐもった足音だけが響いていた。



fin.


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■クレイン・ガーランド
 整理番号:0474 性別:男 年齢:36歳 クラス:エスパーハーフサイバー


【NPC】

■四条圭羅
 性別:女 年齢:23歳 クラス:ハーフサイバー


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、ライターの雨宮祐貴です。
 納品が大幅に遅れてしまいました。申し訳御座いません……。
 NPC絡みのシチュエーションノベル風という扱いのシナリオでしたが、言語に着目したプレイングをいただきましたので、楽しんで書かせていただきました。言語と音楽の関係は深いものがありますね。
 淡々とした雰囲気ながらも、物静かな印象のクレインさんと無口で無愛想な(笑)圭羅の相性は良かったようで、会話には不自由しませんでした。機会がありましたら、またお付き合いしてやって下さいませ。