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<東京怪談ノベル(シングル)>


任務遂行 ――The trouble not ceasing.



 夜闇に包まれた街の中を一人の男が歩いていた。右目は黒いが左目は事故により損傷してしまったおかげでサイバーアイだ。青みがかった虹彩――この左目は人間が視認できる可視光線よりも波長が大きい電磁波である赤外線が見える。さらに望遠機能や暗視能力などもあるため夜目も利く。
 九平・洋平(くびら・ようへい)は『運び屋』を生業としており『アウル−梟』の名で通っていた。確実に仕事をこなすため各方面からそれなりの信頼を得ている。
 東の空がそろそろ明るくなってきた。緋色の空を眺めながら洋平は依頼人から指示された場所に向かっていた。
 今回の依頼、まずは『ロドン』という喫茶店のカウンター席に座ることから始まる。そこで裏メニューである『プテリュ』という銘柄のコーヒーを注文する。
 それが合図である。五分後、喫茶店のトイレに行く客がいるので、その客と入れ替わりにトイレへ入る。そこで、『ブツ』を受け取るというわけである。その後は指定された場所まで『ブツ』を運び任務完了である。


「プテリュを一つ頼む」
 洋平は喫茶店に到着するなり指定された品をマスターに注文した。
「どうぞ」
 錆色のコーヒーはかなりコクがあって渋味もあった。
 五分後、予定通りにトイレへ入り放置されていたボストンバッグの中にあった『ブツ』を用意しておいたスーツケースの中に入れた。ボストンバッグの中には特殊な合金で作られた小さなケースが入っていた。
 中身はなんだろうか、そう思ったが深くは詮索しないようにする。
 その後、店を出て、しばらく歩いていると、
「……ん」
 背中に視線を感じた洋平は背後を振り返った。が、誰もいない。
 任務を遂行しているときは過剰に周囲の目を気にするようになる。だから、毎度毎度、誰かの何気ない視線が気になってしょうがない洋平なのだが、そこは彼もプロだ。
 洋平は歩行速度を変えずにしばらく歩いた。そして、角を曲がった瞬間、全力で走った。相手を引き離すのならばこれが一番、効果的なのだ。
 しかし――
「…………」
 次の四辻で怪しげな男と目が合った。男はこちらをじっと見つめている。
 どういうことだろうか?
 打ち合わせ通りに事を進めている時点で、こちらに落ち度があったとはとても思えない。ということは依頼者側の人間から秘密が漏れてしまったのかもしれない。そう考えると、目の前の男や先刻の視線の人物は『ブツ』を狙っているということになるだろう。
『ブツ』の中身はなんだろうか。ただ運ぶだけならば知る必要はないのだが、その途中でトラブルがあった場合は、逆に中身を知っていた方が動きやすい。『ブツ』が爆発物だったら派手に動く事はできないし、壊れやすいモノであった場合も同様だ。
 相手はまだこちらの様子を窺っている。この状態でブツを確認するのは危険だった。
 かなり最悪なシチュエーションである。洋平は心中で舌打ちした。
 ――どうして俺はこうも厄介ごとに巻き込まれるんだ。
 運び屋がトラブルに遭遇する確率はそんなに高いものじゃない。普通は逆だ。だいたい、毎度毎度トラブルに見舞われるような仕事だったら誰もやりたがらない。リスクが高く、高収入なのが魅力なのは確かだが。
 さて、どう動くべきか。洋平は左目で周囲を窺い見た。
 ――車があるな。
 前方に一台の車を発見した洋平は、数瞬の思考の間に次なる行動の顛末をシミュレートした。車はよくある電動車のようだ。エンジンはかかったまま――止むを得ないな。
 洋平はポケットに突っ込んだ右手で用心のため小銃を握った。
 相手が武器を持っている可能性は大いにありえた。しかし、こちらの行動パターンまでは推測できないはずだ。
 洋平は人が通りかかったのを見計らって地を蹴った。男が懐に手を入れるのを確認した洋平はゴクリと生唾を飲み込みさらに駆け出した。
 車に乗り込み、急いでアクセルを踏み込む。タイヤを空転させながら発進させる。
「まったく、面倒なことになってきたな……ん?」
 後方からライトをハイにさせた一台の電動車が追いかけてきた。どうやら敵も本気らしい。洋平は「フフフ」と微笑しながらアクセルをさらに踏み込んだ。
 早朝の街を二台の電動車が疾走する。
 洋平は車と名のつくものなら自分の体のごとく自在に操ることができる。
「俺の運転を甘く見てもらっちゃあ困るな!」
 そして――普段は無口な洋平も車を運転するときだけは饒舌になるのだった。
 洋平は交差点に入ったのを見計らってカウンターを当て、車を滑らせながら左折した。乱暴に見えるが実に計算された運転なのだ。ブレーキを過度に踏むと車内が揺れる。『ブツ』のこともあるし、だったらスピードは一定に保った方がいい。車に『ブツ』は備え付けておいたので揺れのほうは問題ない。洋平は快適に車を飛ばし、ぐんぐん後方の車を引き離していった。
 数十分後、完全に敵の車を巻いた洋平はそのまま目的に向かって車を飛ばした。


「ご苦労様です」
 目的地にはヒゲ面の爺さんが一人で待っていた。物腰は非常に上品であったが、この人に任せて大丈夫だろうか、と洋平は少し不安になった。また『ブツ』を狙って例の輩たちが襲ってくるかもしれないのだ。護衛でも雇っていれば別だが、この爺さんを一人で家に帰すのは心許ない気がした。
「思ったとおりの腕前ですね」
 急に爺さんの目の色が変わった。
 驚いた洋平は、
「どういう意味だ? まるで、運びの過程を見ていたような言い方だな? 俺はただ普通に運んできただけかもしれないぞ?」
「ふふふ、さすがに鋭いですなあ。参りましたよ。実を言いますと今回の依頼は、テストだったんですよ」
「……テスト……ということは、奴らはあんたの仕込みだったというわけか」
「その通りです。あなたがいくら名の通った運び屋とはいえ、自分の目で確認しないと安心できない人間もいるのですよ。もちろん、私は本当の依頼者ではありませんがね」
 爺さんはホホホと笑いながら一枚の封筒を懐から取り出した。
「ここに本当の依頼内容が書いてあります。読んだらすぐに始末してくださいますかな、誰かに知られると厄介ですからな」
「……了解」
 洋平は溜息をつきながら封筒を受け取った。そして、思った。俺はとんでもない依頼を引き受けてしまったのかもしれない、と。
 だが、依頼主の依頼は絶対である。
 洋平は依頼内容を頭の中に叩き込むと、すぐさま依頼書に火を点けた。
 次はどんなトラブルが待っていることやら――



<終>