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<東京怪談ノベル(シングル)>


■灯火がやがて■

 イヴの翌日になり、ようやく退院が出来るようになった。
 本当に、一日だけの入院でよかったと、クレイン・ガーランドは思う。
 あの依頼でかなり疲労したものは大分取れたし、と左手を握ったり開いたりしていた彼は、病院の扉が開くと同時に、「あっ」と小さく声を上げていた。


 たった一人の「同居人」のことを、すっかり忘れていたのだ。


 それは最近のことなのだが、一日とはいえ、猫とはいえ、生き物だ。
 ご飯をあげられなかった───お腹を空かせているに違いない。確か、出てくる時には餌があまりなかったから依頼の帰りにでも買おうと考えていたのを覚えている。
 呼んだ車の運転手に頼んで、まっすぐ家には帰らず、一度店につけてもらう。
 猫の餌のコーナーのところに行き、銘柄もろくに選ばず急いでかごにいれ、支払いをすませて車に戻る。
 退院が許可されたのは、夕方近くだ。
 思えば、あの黒猫が来てから、丸一日以上家をあけたのは、初めてだったような気がする。淋しくて鳴いてはいないだろうか。餌を探して、つい怪我などしてはいないだろうか。
 やきもきしながら、家についたクレインは、急いで車を降りて扉を開けた。
「ただいま帰りました」
 やや勢い込んで、真っ暗に近い家の中を見渡す。
 手探りで電気をつけていく。
 物音ひとつ、しない。
 寝室に行ってみる。毛布等が、家を出る前よりもくしゃくしゃになっているのは、間違いなく黒猫の仕業だろう。
 台所には、グラスや皿が割られていた。これは故意にではないだろう───食べるものを探していたのだ。
「どこにいるのですか」
 クレインの声は、黒猫のほうも覚えているはずだ。
 それとも、拗ねていて出てこないのだろうか?
 ふと、クレインは、どこからか風を感じ、辿ってみた。
「!」
 台所の一番隅の窓が、僅かに開かれている。猫も、自分で鍵を開けたりできるのだろうか。
(出て行った───?)
 ふと、そんな思いがクレインを包み込み、胸の中で「何か」が縮んでいく感覚がした。
 とたんに力が抜け、コートを脱ぐのも忘れていたクレインは、その場に座り込む。
 なんだろう───この喪失感は。
 自分はもう、喪うものなどないと思っていたのに。
 ───どれだけの時が、経ったのだろう。クレインはようやく立ち上がり、窓を閉めようとして───手を止めた。
 元は野良猫なのだ。外に出ても立派にやっていけるに違いない。
(そう、立派に───)
 だが、長い間彼は、窓を閉められないでいた。冷たい風が、顔を撫でていく。こんなに冷たい外で、自分のご飯を探しているのだろうか、あの黒猫は。
 眠るときは、いつの間にか布団に入ってきていた、あの暖かい生き物が───また、「独り」で外にいるのだろうか。
 クレインは、身を翻していた。
 バタンと扉を開け、再び外に出て行く。
 自分が、あの黒猫に暖かさを覚えていたのなら。
 ───黒猫のほうも、クレインの暖かさを覚えているに違いない。それとも、所詮人間と猫とは感じることが違うのだろうか?
 あちこちの路地裏や料理店の周囲などを探していく。
「その黒猫なら、さっきうちの魚を咥えて逃げてったよ」
 料理店の一つの、顔なじみの店長が、困り顔でクレインに教えてくれた。そしてふと、不審そうな顔つきで尋ねてきた。
「まさか───あんなみすぼらしい黒猫の飼い主が、あなたというわけじゃないだろうね?」
 クレインのどこかで、何かが弾ける音がした。目を細くして、店長を見つめる。低く滑らかな声で、彼は言い放った。
「間違いなく、私の同居人です」
 踵を返し、唖然とする店長を後にする。



 結局家に逆戻りしたが、扉を開けると、そこにはカーペットの上に、小さな小さな小指大の魚の骨だけを置いて、がつがつとむしゃぶりついている黒猫が電気に照らされていた。
 胸の中で、何かが満たされていくのを感じる。
「……すみません、家を空けてしまって」
 声に気付き、黒猫がクレインを見上げる。半分残った魚の骨をくわえ、クレインの足元に置き、ニャァォ、と鳴いた。クレインにはそれが、「お帰りなさい」と聞こえた───確かに。
「これを───私にくれるんですか?」
 半分残された魚の骨を取り上げると、自慢げに黒猫が、甘えた声を出して足に頭をすり寄せてきた。
 お礼を言いながら、クレインは、少しだけ口の端を上げて天井を見上げた。
 今まで何に対しても、自分は後ろ向きでしかなかった。
 だが、どうだろう。退院してすぐにこの猫のことを思い出しては急いで家に帰り、外に出たと分かっては探しに行き、そんな自分に驚いているのも感じる。
(出て行ったのではなく───私もお腹を空かせていると……)
 黒猫を、抱き上げる。
「待ってて貰えたのでしょうか」
 黒猫は、ニャオ?と首を傾げる。少し嬉しく感じながらクレインは、先刻買ってきた買い物袋の中から、猫のご飯を出して開けてやる。黒猫は、嬉しそうに飛びついて食べ始めた。
 安心したら、どっと疲れが、またやってきた。
 だが、もう少し、こうしていたい。
「せっかく入院して疲れを取ったのに、これではまた一日入院でしょうか」
 苦笑のように、クレインは言う。だが、健気なこの黒猫の嬉しそうな姿を見ると、この猫が満足するのを見届けてから休息を取ればいいでしょう、と思う。
 台所の窓を閉めながら、もう二度と独りにしたくない、と思う。
 もう、独りには、自分も黒猫も戻れないのかもしれない。
 小さな灯火が、やがて冷たく凍えた手を、その暖かさで溶かしていくように。
 ───互いの暖かさを、こんなにも知ってしまったのだから───。
 それとも、こんなことを思うのは傲慢なのだろうか。
「でも、私は───」
 椅子に座り、キッチンにもたれかかり、何故か心地よく感じる疲労に身を委ねながら。
 背後に確かな暖かな存在を感じながら───クレインは、コートを脱ぐことも忘れて、安堵の眠りに、いつの間にか入っていったのだった。




《END》
**********************ライターより**********************
こんにちは、いつも有り難うございますv 今回「灯火がやがて」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。
クレインさんの「表の顔」を知っている人なら、野良猫&クレインさんという公式は信じられないだろうな、と思いながら料理店の店長さんとのシーンを書いていました。黒猫から「もらった」魚の骨を、クレインさんがどう処理したのかは、お楽しみです(笑)。
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで、書かせて頂きました。本当に有難うございます。
少しでも、楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆

【執筆者:東圭真喜愛】
2004/12/21 Makito Touko