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<東京怪談ノベル(シングル)>


紅い石の記憶

 夜の仕事はキツい。日が暮れて、最後の茜色も消えた空は少しずつ暗くなり、やがて漆黒の色に塗り替えられる。この仕事についてから今まで、『転がす』時間が自由になった事はない。依頼を受けたら速やかに『ソレ』を届けるのが俺の仕事だ。けれど、夜に走っていると思い出したくもない思い出が俺の脳裏に浮かぶ。あの、忌まわしい記憶が‥‥。

 それは確かにヤバそうな話だった。仕事を選り好みする趣味はないが、引き受けたくもない仕事までするほど飢えている訳じゃない。俺は話を聞いた後即座にその依頼を断った。ガキが偉そうな口をきく、と依頼人は思っただろう。
「俺は受けないって言ったら受けないんだ。当てがないんなら、宅配業者でも世話してやるぜ」
「なんだとぉ!」
 依頼人の後ろにいたいかにもチンピラらしい手下が凄んで見せた。もっともその程度の脅しで怯むほどヤワな俺じゃない。
「‥‥よせ」
 立派な身なりをした依頼人は片手で手下を制した。よくある光景だ。下っ端が凄むのは、そうしないと己の優位を保てないからだ。虚勢を張る必要がない者ほど礼儀正しく物静かだ。どちらが『おっかねぇ奴』なのかは言わずと知れる。俺も手下は無視してそのダンディな紳士面した依頼人に向き直った。こんな時代に仕立てのいいスーツを着るということが、どれほど難しい事なのか俺は知っている。こいつは結構大物‥‥な筈だ。
「仲介人は君ならこれを12時間で相手に渡せると言った。私達のビジネスには時間が非常に重要になる。引き受けてくれないだろうか?」
 依頼人は足元に並ぶ2つのケースを手下に開けさせた。1つには建材の様な物が隙間無く敷き詰められ、もう1つには様々な部品が梱包されて収められていた。
「‥‥これが何なのか君は聞かないのだね」
 紳士は薄ら笑いを浮かべた。こういう場面でそんな間抜けな質問をする奴がいるか、と俺は思った。少なくてもその時の俺は、そんな野暮な事を言う口は持ち合わせてはいなかった。そういうのが粋だと思っていたのだ。紳士は内ポケットから小さな革袋を取り出した。
「これが手付け金だ。先方にこの『ブツ』を渡してくれればこの倍を渡そう」
 俺は革袋を手に取って中を確かめた。カットされたルビーの裸石が10粒あった。血の様に紅い高級品だ。この手の報酬にしては破格というよりも、あり得ない額だ。絶対にヤバい話だった。けれど、俺は断れなかった。涼しい顔をして金になんか興味ない風でいたが、それはポーズでしかない。俺は金が欲しかった。物心ついた時から満ち足りた記憶などない。どうすれば幸せになれるのかわからない俺は金に執着した。金で幸せになろうとしていた。馬鹿な小僧だと思うだろうか。だが、その時の俺は真剣だった。
「引き受けてやる。相手先を教えてくれ」
「‥‥」
 依頼人は無言で笑った。

 即座に『ブツ』を積む込み俺は仕事に就いた。支払いの終わっていない車だが、これでぶっ通しで走れば時間までに余裕で目的地に着くだろう。無理をして手に入れた車だが、これで名実共に俺の物になる。色々と部品を調達して手を入れてやる事も出来るし、ちょっと気になるあの女にも声を掛ける事が出来るだろう。それもこれも、みんな金があれば出来るのだ。きっとやり遂げる。そしてはい上がってやる。俺は高揚していた。今にして思えば、なんと子供だったのだろう。俺は何も見ちゃいないし、何も判っちゃいなかった。自分の事だけで精一杯だった。
 仕事はあっけないほど順調だった。新たに整備された道は最速で駆け抜け、地図にもない荒野の道を通って時間を稼いだ。朝から走っていたが、目的地の街が見える頃はもう辺りは真っ暗だった。仄かに見える街の光を目指して車を飛ばす。もう仕事はこなしたも同然だった。その俺の油断を見透かしたかのように、その衝撃は俺と俺の車を襲った。

 何が起こったのか判らなかった。一瞬前まで車を運転していた筈なのに、何がどうなったのか判らない。夜で真っ暗な筈なのに、視界には明るく輝くものがあった。なんだろう。あの紅いものは‥‥上へと飛び立ってゆくそれは‥‥蝶‥‥か? 視界はいつの間にか真っ赤になっていた。違う! 蝶ではない。炎と煙だ。燃えているのだ。俺の‥‥車が、転倒して燃えている。事故か? ならば早くここから出なくては‥‥けれど、身体が動かない。
「‥‥うっ」
 更に力を込めようとした俺は体中が痛みを発していることにやっと気が付いた。痛くない場所がない程どこもかしこも痛い。特に左だ。けれど、手を挙げる事も出来ない。視界も左側は紅い色しか見えない。動けなければここでこのまま死ぬかもしれない。俺は‥‥死ぬのか。生まれて初めて俺は死を覚悟した。その時、声が降ってきた。
「さすがにしぶとい。まだ生きていましたか」
 依頼人の声だった。何故、ここであの男の声がするのか? これは幻聴なのか。動かない体を無理にひねって、俺は声の主をなんとか見定めようと力を振り絞る。右目の視界の隅に捉えた男は‥‥やはり依頼人だった。その手には俺に預けた筈のケースがある。
「安心してください。『ブツ』は私がちゃんと持ち帰ります。君はダミーのケースと共にここで事故死をするのです。あくまでも事故ですから殺してやることは出来ません。無駄に苦しみを長引かせてしまいますが、悪く思わないで頂きたい」
 男は笑って背を向けた。手下にケースを渡し夜の闇に消えてゆく。俺は‥‥それでも俺はまだ事態をよく把握していなかった。頭を打ったからかもしれないし、失血でぼんやりしていたのかもしれない。ただ、夜の空に登ってゆく紅い蝶の様な炎だけをずっと見つめていた。

 俺が次に目を開けたのは薄汚れた研究所の様な場所だった。偶然にも通りがかった闇サイバー医の手により、俺は炎上する車から救われ新しい左目と左腕を貰った。あの糞いまいましい男が渡した上質のルビーが俺を死なせなかった。
「死んだ俺から奪ったらよかったじゃないか?」
 俺はサイバー医にそう言ったが、そいつは『盗み』はしない主義なのだそうだ。
「命と手術の対価としてルビーは頂きますよ。それが正しい商取引ですからね」
 サイバー医は10個のルビーを取り上げた後、サービスだと言って1つ返してきた。俺を陥れた男が渡した石。俺を誘惑した石。あいつを追う手がかりの1つであり、俺の命を贖った石。俺は過去を捨てる決意をした。左目と腕だけではない。生きる場所もささやかな人脈も名前も顔も全て捨てた。そして新しい場所で新しい自分をを厳しく鍛え直した。どんな場面でも、どのような手段を使ってでも必ず生き残るためだ。俺はあの紅い石だけを握りしめ過去をバネに生き続けた。

 あれから何年過ぎただろう。俺は今も昔と同じ仕事をしている。受けた依頼は必ず果たす。その実績が、闇夜でさえ何物をも見通す目を持つ梟『アウル』の名を広めた。けれど、いつか俺はあの男の前に立ち、果たせなかった仕事の決着をつけるだろう。
 それは俺とこの紅いルビーだけが知る極限の誓いだった。